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あなたも幸せ。私も幸せ。

2017年04月


床をコンコンと叩いて、どこがどのくらい浮いているのかを確かめていた元さんは、首をかしげながら何事か考え事をしている。
「すいません、お待たせしました。ホウレンソウの泥がついちゃって。」
「うん?ああ、あのなぁ。」
「はい。」
「あそことこっちの、根太の緩んだところだけちょいと直してと思っていたんだけどな…。」
「はい。」
「どうかね、いっそ、小手先の修理じゃなく、床を全部張り替えてしまったら。」
「張り替え?」
「この板を全部はがして、基礎も傷んだところはしっかり直して、新しい床を張るんだよ。」
「そりゃ、おおごとですね。」
「けど、今やっておけば、この先傷んでくる心配はなくなるな。」
「なるほど。」
「予算をな、いま考えてみたんだけどな…。」
「リフォームなんて範囲じゃなさそうですね。」
「そうだなぁ。マスターがここに越してくることになったとき、ゆかりママがここをリフォームしたのが、ついこの間のことのようなんだけどな。」
「ええ。あれから…6年も過ぎました。」
「6年か。まさか、あの穂高がこの店を継いでマスターになるなんてな。」
「僕だって、ここに来た時には、そんなことになるなんて思ってもいませんでしたよ。」
「うん、うん。ああ、予算だけどな…。」
「ええ。」


気軽にやりますと言える金額ではなかったが、絶対無理なほどでもなかった。
それより、そんなふうにお金や時間をかけて、改修する価値があるかどうかだと、僕は思った。
僕の思い出や、ゆかりさんの思いを考えれば、小紫をよりよい状態に保つことに何の疑念もない。
けれども、この先僕は本当に、この店を守り続けていけるのだろうか。
大繁盛でなくていいけど、誰かにずっと愛される店を持ち続ける力が、僕にあるのだろうか。
誰かに必要とされる続けることが、僕にできるのだろうか。


「ああ、いけない。また元に戻ってる!」
僕は心の中で笑い声を立てた。
違う、違う、そうじゃないんだった。


「元さん、床の張り替え、やろうと思います!」
「おお。いい材料を選んできてやる。」
「お願いします。今までの色でというところは譲りたくありませんが、店の中が明るくなるのもいいかなと。」
「そうだな。長い間についたくすみがない素材の色の床になったら、きっとそれだけで明るくなると思うんだ。これも磨き込んだ味があっていいがなぁ。木の床というのはそういうもんだ。住む人と一緒に熟成されていくんだよ。」
「なるほど…。」
「見積もりを作ってきてやろう。大丈夫、小紫の台所事情はたいがい分かってる。」
「ははは。心強いです。」
「さしあたり今日は、あの入口の緩んだところだけ、直しておこう。客が足を取られたら危ないからな。」
「はい。お願いします。今日のお代は昼飯で。」
「ふん。安く見積もられたもんだが…。半分は趣味だからな。」
「よろしくお願いいたしますっ!」
僕は大げさに頭を下げて見せた。



価値は、そこにある固定のものではなくて、加えたり育てたりできるものだ。
床を新しくする価値は、客や景気にあるのではなくて、僕自身がどう思うかだ。


そうして、金をかけて新しくきれいにした小紫を、僕が相応に経営できない時には、僕の代わりにやってくれる人を探せばいい。
ゆかりさんが、そうしたように。
誰かに必要とされることを願うのではなくて、自分にできることを自然体でやっているということが、すでに必要とされているということなんだと、僕は学んだのだ。



「おおい、マスター。」
外に道具を取りに出ていた元さんが戻ってきた。
「はい?」
「リクエスト、していいか?」
「はい、なんなりと。」
「今日の昼飯は、から揚げ弁当にしてくれ。」
「いいですよ。揚げ物が食べたくなるなんて、胃腸が元気な証拠ですねぇ。」
「ふふん。4人分作ってくれよ!」
「え?」
「突然だけど、長さんも誘ってさ、宮田先生んちの庭で食おうかと思ってさぁ。」
「おお。それはいい考えだ!」
「あそこの花見はいつも夜になるじゃないか。たまには昼間に桜吹雪を浴びながらのんびり見るのもいいんじゃないかと思ってさぁ。今日は本当にいい天気になったからなぁ!」
「わかりました。任せてください!うまいから揚げ弁当作りますから!」
「よし、じゃ、こっちもやっちまおう。」



今日も、いい日になりそうだ。






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春が来た。
僕が小紫に来てから7度目の桜が咲いた。

街のいたるところで、例年になく寒い日が続いて開花宣言されてからもなかなか満開にならなかった桜がやっと咲きそろい、淡い桃色の香りを漂わせている。
行き交う人々の声も、冬よりはいくらか高く、元気を増したように聞こえる。
僕の胸にも、明るさと力強さが湧いてくるような気がする。


「マスター、ビール持ってきたよ。ここに置いていい?」
解体業でもするようなつなぎ姿に金髪で、ビールケースを抱えて現れた青年は、先月から酒屋のバイトを始めた達也君だ。
「そこね、いま片付けの最中でちょっと物を移動させるから、そのままドアのところに置いておいて。」
「はーい!」
姿の割には素直で気持ちの良い返事をする。
年のせいで配達が苦痛になってきたと嘆いていた酒屋夫婦は、こんな働き者のバイトが飛び込んできて大喜びだ。
バイトにしては破格の給料を支払っているという噂を耳にしている。
それで、達也君もますます気を入れて働くのだろう。
この展開には、きっと僕も一役買っているに違いない。


「おい、マスター。来たよ。」
小紫の正面の入り口から堂々と入ってきたのは、仕事着に大工道具を抱えた元さんだ。
サラリーマンと違って定年退職しなくていい職人の元さんは、社長業もそのままに、悠々と仕事を楽しんでいるように見える。
今日も血色がいい。
「ありがとうございます。ここなんですけどね…。」
「ああ、任せとけ。こんなの工賃もらうほどでもない簡単な仕事だよ。」
いつもビールケースを置くあたりに椅子を、カウンターの中にテーブルを移動させておいたから、床が広がって見える。
床板のところどころ傷んで、浮き上がったところがあるのだ。
床にしゃがみこんだかと思うと、元さんはあちらこちらを金づちでコンコンと叩き始めた。
浮き具合を確かめているのだろう。
コンコンコン、コンコンコン。
リズミカルな音を聞きながら、僕は机で埋まったカウンターに、つま先立ちで身を細めて入った。

今夜のメニューは何にしようか。
奥の厨房へ戻りながら、冷蔵庫の中を頭に羅列してみる。
「マスター、いる?」
勝手口から声がかかった。
「いますよ。ああ、そこ、ビールケースがあるから気を付けて!」
「はいはい、見えてますよ。」
僕が急いで勝手口に向かうと、声の主は両手いっぱいのホウレンソウを抱えて待っていてくれた。
「スミさん、ありがとう。」
「まだ少し早いかもしれないけど、よく茂ったから、間引きも兼ねてね。」
「ええ。いいですね。柔らかくておいしそうですよ。」
「よかった!それで、次に植えるものは考えておいてくれた?」
「それなんですよね。ゆかりさんならどうするかと思うんだけど、いろいろ浮かびすぎて決まらなくて。」
「そうかい。サキエさんたちが、ソラマメはどうかなんて言っていたけどね。」
「あれ?ソラマメって、冬の前に植えるんじゃなかったかなぁ?ゆかりさんと蒔いたことがありますよ。」
「ああ、それは種で植えた時だね。サキエさんたち、どこだかでしっかり育った苗を見つけたそうだよ。」
「そういうことですか!それならいい。6月ごろに収穫できたらいいなぁ。」
「ふん。では、ソラマメをたっぷり育てようかね。」
提案が採用されたからだろう、スミさんの頬に朱が指して、日焼けした顔いっぱいに笑顔が広がった。
「はい、お願いします。」
「任せとけ!」
僕に土がついたままのホウレンソウを押し付けると、スキップでもしそうな足取りで帰ってしまった。
ソラマメはいろいろな料理に使える。
僕はすっかり楽しみになってしまう。

ゆかりさんが大切にしていた畑は、僕の力だけではどうにもならないので、今では街のお母さんたちのお願いして、管理してもらっている。
バイト料というよりはお駄賃みたいなものしか払えないのに、お母さんたちは親身に通ってくれている。
僕にとってもありがたいが、お母さんたちにも、生活に張りができたのだとかで、とても喜ばれているのだ。
彼女たちの元気な姿を見、明るい声を聴くのは本当に清々しい。


「おおい、マスター、ちょっと来られるか?」
振り向くと、元さんが立ち上がって、作業着の袖で額の汗をぬぐいながらこちらを見ている。
「はい。ちょっと野菜を置いてきますね。」
「おお。」


僕の小紫は、今日も元気いっぱいだ。





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