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あなたも幸せ。私も幸せ。

2016年04月


僕が小紫に来てから、2度目の桜が咲いた。
正月にゆかりさんの家に引っ越してきて、いきなり高熱を出して心配をかけた僕だが、そんな出来事が嘘のようにすっかりこの暮らしに馴染み、今ではずっと昔からここにいたかのような気安さだ。
すぐそばに自分以外の誰かがいる暮らしは、思っていた以上に僕を安心させるようだ。
自分ではない誰かが立てる音が聞こえる、それだけで、肩の力が抜ける自分がいる。
本当は寂しかったのだろうか。

ひとり自分のペースで好きに暮らすのが大好きなのだと思っていた。
今でもそれは変わりない。
ゆかりさんは、僕のすることに口出ししたり、踏み込んできたりは決してしない。
だから、一緒に暮らしていても、ひとりでいるのと大差ない自由を僕は満喫している。
思えば贅沢な話だ。

昨年、宮田医院の庭で花見をした、あれをもう一度と思っていたら、今年も当然のように計画が進んだ。
小紫恒例の花見と言えば、ある朝、早起きをして、元さんの車でちょっと離れた場所の桜を見る。
夕方戻って、宮田医院の庭で夜桜見物の始まりだ。
ゆかりさんは殊更に早く起きて、夜のごちそうを仕込む。
今年は、ごちそうに花を添える酒にもこだわったようだ。

昼間の花見は、今年も山梨に行くのだと言う。
身延山と聞いても、僕には知識がなくて、どういういわれの場所なのか分からない。
でも、あえて調べはしなかった。
知らないからこそ心動かす何かに出会えることもある。
行き当たりばったりの楽しみを、僕は今年も期待することにした。

まだ暗いうちに元さんのどこかペンキ臭い車に乗り合わせる。
僕は今年も途中でうとうとと眠ってしまい、揺り起こされたらもうどこかの駐車場に着いていた。
「おい、穂高。いいかげん、免許取れや。」
「はぁ、すみません。」
「カクテルより先に運転覚えろ。その方が人様のお役にも立てるってもんだ。」
「はぁ、ほんとにまったくすみません。」
「それより、行きましょう!」

身延山というから、山登りをして桜を見るのかと思ったら、久遠寺という寺のことだった。
辺りには見物客がすでに来ているが、歩くのに困るほどの混雑ではない。
「ほら、あれよ。見て!」
ゆかりさんのはしゃいだ声で、指差す方向を見上げて、僕は息を飲んだ。
門の脇に、薄いピンクの滝のように枝を風に揺らしている、巨大なしだれ桜が立っていたのだ。

「おおっ」
「これは、これは。」
宮田先生も八百屋の長さんも、息を飲んで見上げている。
「話には聞いていたが、見たのは初めてだ。いやぁ、見事なもんだなぁ。」
元さんも額をこすりながら感嘆の声を上げる。
「もっと近くに行けるのかしら。」
ゆかりさんの言葉は独り言で、周りがついてくるかどうかなど、もはや眼中にないらしい。
すたすたと歩き出す後ろから、僕らは慌てて従った。

門をくぐると、さらに大きな桜の木が僕らを出迎えてくれた。
「まぁぁ!」
樹齢400年と言われる木が2本もある。
長い枝は地面に着くほどで、それが満開の花をつけているのだから、美しいと言うくらいでは言葉が足りない気がするほどなのだ。

「すごいですねぇ。」
ありきたりの表現しか見つからないから、僕は黙って花を見上げた。
糸を引くようなそよぎ、ゆらぎに見とれていると、枝垂桜は「糸桜」ともいうのだという会話が聞こえてきた。
ああ、なんだか「糸」の方が似合うなぁ。
そんなことを考えながら、今日この日にこの場に来られた幸せを、神様仏様に感謝したい気持ちが湧きあがってきた。

参拝を済ませて、もう一度糸桜の下に立ってみる。
僕は小紫に来てから、自分の考え方や感じ方が、大きく変わってきたと感じている。
去年の僕は、見事な桜を見て、綺麗だ美しいと思うだけだった。
今年だって綺麗だなぁと思っているけれど、その先が、もう少し加わったのだ。

人生に起きる出来事は、良いことも悪いことも、きっとランダムに、場当たり的にやってくるのだと思う。
因果応報というけれど、それはすごく小さな単位でのことで、大きな目で見れば、因果応報なんて、頭のいい人の理屈だと思うのだ。
親孝行な人が悪い病気にかからないわけでもないし、人のために身を粉にして働いてさえいれば事故に遭わないというわけでもない。
逆に、悪さをしながら逃げおおせる人もいるのだろうし、子どもを虐待した親がみなみすぼらしい暮らしをすると決まっているわけでもない。
因果応報が本当なら、そんな理不尽なことが起きるはずがないではないか。

まして天災に巻き込まれた人々のことを思うと、因果応報では人生の機微を説明できないと思う。
生まれて間もなくひどい災害にあって命を落とした子どもと、災害が起きた直後に生まれた子どもとの差はどこにあるというのだろうか。
どんな生き方をしていたら、地震や洪水を避けられる?
そんな方法は、きっと、ない。

人生は、ランダムにやってくる様々なできごとに、自分でどんな理由をつけるのか、そういうものなのではないかと最近思うようになった。
「自由」という言葉の文字をよく見てみる。
「自分で理由をつける」と書くことに気付く。

同じ事故でも、不運と思うか変化のチャンスと思うかは、人によって違う。
同じ悲しい経験でも、打ちひしがれたままで生きるか、それをバネに立ち上がるかは、人によって違う。
そうしてきっと、自由であるということは、どういう意味付けが正解で、どれが間違いということもない。
ただ、自分にとって快適か、そうでないかはあるだろう。
幸せになりたかったら、快適な意味づけを選べばいいのだ。

小紫にはいろいろな人が訪れる。
その人たちが、人生の一端をぽろりとこぼしていく。
それに耳を傾けていると、同じように見える人の毎日には、思いがけないほど多様な出来事が起きているのだとわかる。
そうして、似たような出来事であっても、人によって反応が違う。
その反応が、その人を満足させもするし、不安にもさせるようなのだ。

それと、もう一つ。
小紫に来る前の僕は、家族と本さえあれば幸せだった。
家と図書館とゼミ室があればよかった。
教育実習で女子学生にだまされたように、僕は人が苦手だった。
人は分からない。
ともすれば、僕を利用したり馬鹿にしたりしているのだとしか思えない。
そんな思いに煩わされるのは本当に嫌だった。

きっと、そうやって閉じて生きるのも一つの選択なのだと、今は思う。
けれども、それではランダムにやってくるはずの出来事が、起きにくいのだなと思う。
外に出て、人に会い、場所を替えているうちに、人は様々な体験をする。
その体験が、人に何かを感じさせる。
感じるから、幸せも味わえるのだ。

この、目の前に咲き誇る糸桜もそうだ。
家にいて本を読んでいるのも楽しいが、元さんたちに連れられてでもここへ足を運ばなかったら、僕は今のこの胸の中を通り過ぎる思考や感慨を味わうことがなかった。
味わってみると、これを知らない自分が残念に思える。

ムリはしなくていい。
ガマンもいらない。
でも、できることでいいから、やってみるのは大切なのだ。

「僕は、ほんと、ついてるなぁ。」
僕の独り言を、いつの間にか周りに集まってみたみんなに聞かれてしまった。
「おう。そのツキを俺らにも分けろよなぁ。」
「不死身の穂高君だからねぇ。」
珍しく、宮田先生も軽口を言う。

「さ、お昼にしましょうか。今年はなにをいただきましょう。」
僕らは地元の美味しい店を探すために、聖地ともいえる心地よい境内を後にした。





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「俺が見ていなかった…いや、見えていなかっただけなんだなぁ。
世の中には、キラキラしたきれいなものや、かわいらしいものや、力強くて勇気づけられるようなものがたくさんあったんだ。

大したものじゃない。
俺の引き出しから出てきたガラクタと大差ない、ささやかなものだよ。
夕焼けとか、花屋の花とか、赤ん坊に笑いかけている若い夫婦とか、今までも、いつでもどこにでもあったようなものだ。
それが、唐突に目に飛び込んできた。
きっと、あれは目じゃなくて、心に飛び込んできたんだなぁ。
俺が子どもの頃に、恐ろしいものを見たくなくて塞いでおいたまま忘れていた心の目が開いたんだ。

そんな時だよ。
鹿島田文具の社長さんを接待することになったんだ。
お前、覚えているか?
どこだかと同じ日になって、お前と俺とで分担したことがあったじゃないか。
そうだ、あの時だ。

俺は部下をひとり連れて、でかけた。
俺のやりかたを引き継がせようとしていた、あいつだよ。
鹿島田さんはあの通りの人だろう?
今から思えば、きっと何かを感じてくださったんだろうなぁ。
1時間もすると、ふらりと席を立たれてなぁ、しかも、テーブルにぽいっと万札を何枚か出されたんだ。

俺らは飛び上がった。
とんでもないことだ。接待させていただいているのはこっちだからな。
でも、鹿島田さんが言ったんだ。
「あとは二人で、好きに飲めばいい。
私がいると仕事だろうが、いなくなればただの酒。
酒は好きに飲むのがいい。
特に今夜はそうするのがよいような気がするよ。」ってな。

ああうまかった、楽しかったよと背中で言って、出て行ってしまったんだ。
追いかけてもよかったのに、あの日の俺は、そのままお言葉に甘えてもいいか…と思ってなぁ。
あいつとそのまま飲むことにしたんだ。
とはいえ、俺は酒は飲めないし、あいつは緊張しているし。
微妙な空気がなんとも言えなくて。
あはは、おかしいか?
だろうなぁ。

これと言って話す気にはならなくて、ただ、せっかく頼んだのだから、残さず食うか、なんて言ってなぁ。
あいつは若い。
緊張しているくせに、食うわ食うわ。
人は食うと落ち着くんだなぁ。 
くつろぎもする。
俺は飲めない酒を飲んでいるふりしながら、そんなあいつを眺めていたんだ。

その時、気付いた。
俺の「委ねる」ってのは、間違っていたなぁ。
俺のやり方を引き継いで、俺と同じにやればいいというのは、俺の傲慢なおせっかいだったんだ。
本当に委ねるというのは、こいつがいれば大丈夫と信じてやることだったんだな。
やり方が分からなくても、俺と同じでなくても、こいつはやれると思ってやることだ。
もしも、こいつが知りたいと思ったとき、役に立つように、大事なことは整理しておいてやろうと思った。
でも、それをわざわざ言い聞かせることはないんだ。
それくらい、あいつはいいやつだった。
どうしてこいつを頼りないと思ったのか、そう思ったんだ。

俺が幼いころ、母親からもらいたかったのは、そんな無条件の信頼だったんだろうな。
そんな信頼のことを、愛っていうんだろうな。
本気で委ねるということは、無条件でいいんだ。

あの帰り道だ。
本気で委ねようとして、ようやく分かった。
俺は俺がいなくなったら、こいつらは俺がいたことを忘れてしまうのだろうと恐れた。
忘れられたら、俺が生きていた証拠がなくなってしまうと思ったからだ。
でも、それは俺の勘違いだ。

俺が生きている間も、死んだ後も、かつて俺が大切な人たちのそばで一緒に過ごした時間があるという事実は、絶対に変わらない。
その時が楽しく幸せであったなら、俺は俺の大切な人々の楽しく幸せな経験としてその人の中に生き続ける。
たとえ記憶に残っていなくても、事実は消えない。
それは、すごいことではないか!

焦る必要も、はかなむ必要もなかったんだ。
俺はもう十分に、仕事先でも、妻にも、子にも、大事な時を遺してきたんだ。
そうして、俺が生きている限り、その時はまだ増え続ける。
なんて幸せなことだろうかとなぁ。

妻には俺の気持ちの変化を話して聞かせた。
彼女も分かってくれたようだ。
治療を受けてくれというのは諦めてくれないが、俺が生きたいように生きていいと言ってくれたよ。
これから、今まで当たり前にできてきたことができなくなるのかもしれない。
心配や迷惑をかけるのかもしれない。
それでも、俺は、俺にできること、したいと思うことを、俺なりに精一杯やることで、許してもらおうと思う。
そうやって生きることを、自分自身にも許そうと思う。
そういう自分を、無条件で認めることにしたんだよ。

心残りはなくなった。
こうしてお前と、ずっと飲まずに来た酒を飲みながら語り合うこともできた。

ただ、心残りがなにもないかというと、そうでもない。
一番は、息子のことだ。
俺の今のこの気持ちを理解するには、彼はまだ幼すぎる。
だから、お前、いつか彼がもう少し大人になったら、どうか今夜の俺の話を伝えてはくれないだろうか。
そうすれば、彼は自分の父親が、彼を捨てて旅立ったわけではないことに気付くだろう。

ああ、今日はたくさん話した。
なんだか、少し眠くなってしまったよ。
ちょっとだけ、いいかなぁ…。」

舘さんが酒を飲まずに来た人だとは思わなかったが、またグラスをチロリと舐めて微笑むと、そのままテーブルに突っ伏してしまった。
どうやら、急に酔いがまわってしまったようだった。

「何が語り合うこともできた、だ。
勝手にしゃべりやがって。」
岩城さんの目が濡れている。
「不器用なやつだ。もっと楽に生きていれば、そんな病気にもならなかったかもしれないのに。
いや、それでも、お前はいいやつだ。
おい、起きろ。風邪ひくぞ。」

岩城さんに乱暴に肩をゆすられても、舘さんは起きない。
「おい。
息子には、お前が話せ。俺は知らないぞ。
心残りで死ねないだろう。
だから、長生きしろ。病気になんか負けるな。
癌から復活した人なんて、いくらだっているんだぞ。

もしも、どうしても俺に話してほしかったら、あと2回か3回は、同じ話を聞かせろ。
こんな長い話、覚えていられるかっていうんだ。
起きろよ、おい。
俺に家まで送らせる気かよ?!」

岩城さんの涙がこぼれて、舘さんの頬を伝っている。
舘さんの片腕が、だらりとテーブルから落ちた。
のぞいた横顔は、まだ微笑んだままだった。







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「俺には3つ下の弟がいるんだが…そうか、お前には紹介したことがあったか。
弟が生まれた後、おふくろがおかしくなったんだ。
マタニティーブルーっていうんだろうなぁ。
当時はそんな言葉、なかっただろうがなぁ。

弟が生まれたのを境に…というのは、後になって親父に聞いた。
俺の記憶にあるおふくろというのは、怒ってばかりいて、すぐに金切り声をあげる、恐ろしい存在でしかない。
『どうしてそんなことするのっ』『なにやっているのっ』『何度言えばわかるのっ』って調子で、何をしてもしなくても叱られた。
どうしていいか、分からなかったなぁ。
バシッとたたかれたり、押入れに突っ込まれたり、外に放り出されて鍵をかけられて家に入れなかったり。
そんなこともしょっちゅうだった。

黙って本を読んでいるとか、勉強しているとか、そういう時だけ平和だった。
とにかく、叱られる理由がわからないからなぁ。
いつ、何が降って湧くか、足元をすくっていくか、びくびくしながら勉強しているフリをしていたなぁ。

おれが中学に入るころにはそれほどでもなくなった気がするから、子どもが成長して、それなりに気持ちのゆとりができたか、ブルーから回復したかしたんだろう。
おふくろはそれでいいけど、子どもは大変だよ。
俺たち兄弟は、すっかりいじけちまった。
でも、自覚がなかったんだよ。

今から思えば、あの時に身に沁み込んだんだろうなぁ。
俺はダメなやつだ。俺は人に受け入れられない。
叱られないためにどうするかを考えることに一生懸命で、自分がどうしたいとか、何が好きとか、そういうことが分からなくなった。
それでも、母親ってきうのは嫌いになれないものだよ。
その分、母親を幸せにできない自分が嫌いになったんだなぁ。

思い出してみたら、心の中で四六時中「それじゃだめだ、そんなことを言ったりしたりしたら馬鹿にされる」と独り言を言っている自分がどうやって出来上がったか、なんだか分かった気がしたわけだ。
でも、あの母親も今では普通に愚痴っぽくて心配性な年寄りだ。
いまさら、「人に愛される自信がなくなったのはあなたのせいです」と言ったところで、何の解決にもならん。
時間制限がある俺にとって、大事なのは「なぜ」ではなくて「どうする」だからなぁ。

俺は一歩進んでみようと思った。
このまま家族を身勝手に抱え込んで死を待つわけにはいかない。
ならば、彼らに…俺の大切な人々に、後をゆだねようと思ったんだ。
俺がダメでも、彼らが引き継いでくれたら、それでいいと思った。

俺はまた会社に行き始めた。
それで、気力・体力が許す限り、周りの人間に俺が知っていること、学んだコツ、役立ちそうな知識を伝え始めた。
でもなぁ、これがまた、うまくいかない。
俺は苛立ってなぁ。
奴らの呑み込みの悪さには呆れちまうし、こんなトロトロしていたら時間切れになっちまう。
俺が今していることは無駄なのか?と思ったら、もうはち切れそうでなぁ。
けど、はち切れそうなのは俺より、周囲だったんだな。

そりゃそうだ。
突然、理由も知らされずに、あれも学べ、これも覚えろと言われたら、誰だって戸惑う。
でも、部下だからな。
文句も言えない、言わせる気もない。
これじゃだめだよなぁ。

俺はまた落ち込んだ。
いっそ、このまま自分で終わりにしてしまおうかと考えたのもその頃だ。
俺の残りの人生に意味なんかないってなぁ。

驚かないで聞いてくれ。
俺は、自殺を企てた。
どこでどう死ぬかを決めたんだ。
人様に迷惑は絶対にかけたくない。
そういう心配のない場所と方法…。

決めたらちょっとスッキリした。
それで、最後にやりたいことをやってから実行しようと思ってなぁ。
やりたいことと言っても、大したことはない。
遺書を書くとか、人に見られたくないものを処分するとかだ。
とはいえ小市民のすること、処分するにしても賞味期限が切れたカップスープだの、ベタついたのど飴だの、穴が開きそうなのに気に入っていていて捨てられなかった靴下だの、そんなしょうもないものばかりなんだ。

涙がにじんだよ。
情けなくてなぁ。
俺と同じ立場になる人は、きっと少なくないはずだろう?
その人たちみんなが自殺するとは思えない。
みんな俺と同じように動揺するに違いないが、だからといって不幸だとは限らないと思うんだ。
その人たちと俺と、いったい何が違うのだろうと思った。
子どもの頃の愛され方か?
だとしたら、ひどくはないか?
子どもの頃の悲しい体験は、子ども自身には何の責任もない。
子どもの力ではどうしようもないことばかりだ。
それが原因で一生どうしようもない不幸を背負うなんて、おかしいじゃないか。
きっと、何かあると思った。
俺がまだ気づいていない、何か他の考え方ややり方が。

俺は周りを見回した。
周囲の脅威から身を守るためではなく、周りにある素晴らしい秘密を見つけるためにね。
驚いたよ。
世界が、美しくてなぁ。」






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