Win-Win

あなたも幸せ。私も幸せ。

2013年09月


片桐先生があけた保健室の扉をくぐると、校長先生はそっとスミレをベッドに寝かしつけた。
力が抜けてダラリと垂れた頭を、慎重に枕に乗せる。
目をさまさまないことを確認すると、そのままそっと下がって、真理と入れ替わった。

不意に目を覚ましたスミレは、目の前に真理がいることに気づいた。
細い腕を伸ばして真理の首筋に伸ばしてくる。
そして、がむしゃらに真理にすがりついて訴えた。
「マリアンヌが、死んじゃったよ。死んじゃった。だから、ダメ。」
またしくしくと泣き始めた。
「そうか、マリアンヌが死んじゃうと思ったのね。」
「天井に、バンってあたるの。それから、ドンって落ちるの。痛い。血が出るの。おばあちゃん、死んじゃった。」
スミレの話は支離滅裂で、時系列も意味も、吹き飛んでいる。 

「うん、うん。マリアンヌが天井にぶつかっちゃいそうに見えたんだね。もしぶつかっちゃったら、ドンって落ちて、血が出ちゃうと思ったんだね。」
真理はその話を読みとり、読み込み、スミレに返して行く。
 
「ダメ。やめて!」
「うん。そうか。マリアンヌがどうにかなっちゃったらいけないから、やめてって思ったんだね。」
「やめて、やめて。ママ、血が出てる。おばあちゃん、死んじゃったの!痛い!痛いよ。蹴らないで。やめて!」

真理はぎょっとした。
まさか、母親に暴力を振るわれたことまで思い出しているのだろうか。 
「わかった。もういいよ。よくわかったよ。マリアンヌはもう病院に行ったから、大丈夫だよ。血は出てないよ。痛くないって。さ、もう眠ろう。真理さん、だっこしているからね。もう安心だよ。」
真理は力いっぱいスミレを抱きしめた。

真理の右手が、赤ん坊をあやすように、トン、トンと静かにスミレの背をたたく。 
校長・教頭先生はいつの間にか席をはずしている。
保健室には真理と片桐先生しかいない。

スミレの泣き声が響いていた保健室だが、それほど間をおかず、ゆるくまわしてある扇風機のモーター音しかしなくなった。
離れたところから歓声が聞こえる。教師が鳴らすホイッスル。グランドでかけっこでもしているのだろう。
真理はそれが、本当はスミレと一緒に体育館でトランポリンをするはずだった1年1組のみんなだとは知らない。 
熟睡し始めたスミレを、そっとベッドに寝かせると、片桐先生に目配せして、真理は保健室をそっと出た。
そして、校長室を目指した。

時計はまだ午前10時半を指している。



しばらくして、しんと静まった体育館に、マリアンヌに案内されて真理が入ってきた。
チャイムが鳴っている。
次の授業で体育館を使う学年が、もうすぐ移動してくる時間だ。

「スミレちゃん…」
真理も動転している。何が起きたのかさっぱりわからない。
校長先生はしーっ、と二人を制すると、そばにいた教頭先生に何か言って、そのままスミレを抱き上げ、保健室に向かって歩き出した。片桐先生と真理が後に続く。
真理が額をすりつけるようにして、校長先生に抱かれたスミレの顔を覗きこんでいる。 

教頭先生は、真理の後ろから歩きだしたマリアンヌの右腕をそっと後ろから引いて、呼びとめた。
「小林さんは、すぐに病院に行って、診てもらってきてください。ばい菌が入ったら大変ですから。」
「いえ。私は大丈夫です。それより長谷川さんにスミレちゃんの様子を伝えないと。」
「それは先程聞いた通り、私から伝えますから安心してください。怪我をさせてしまうようなことになって、申し訳ありませんでした。」
教頭先生がマリアンヌに向かって深々と頭を下げた。

「でも、あの…」
「今日はお帰りください。タクシーを呼びましょうか。かかりつけの病院はありますか?」
そこまで言って、ふと思案顔になった教頭先生は、大事なことを思い出していた。
「そういえば、小林さんもご主人もお医者さんでしたね。これは失礼。でも、ぜひ受診して、診断書をお取りください。」

マリアンヌはひどく戸惑っていた。
子どもを混乱させるようなことをした教員は、非難されて当然なのではないか。
なのに、どうして校長先生は私をスミレちゃんから離し、教頭先生は非難どころか、頭を下げてまで私の身体を気遣うのか。

「本当に申し訳ありませんでした。」
マリアンヌは、自分が言おうとした言葉を教頭先生に取られてしまった。
「小林さんに教員と同じような立場に立たせ、過大なご負担をおかけしたことは、私どもが反省しなければなりません。ボランティアさんの身に何かあったら、学校としてはお詫びのしようもありませんが、責任は取らせていただきます。」
 
教員と、同じような立場。
その言葉を聞いて、マリアンヌは先ほどから受けている不可解な対応の意味がストンと腑に落ちると共に、肚の底からざわざわと、さみしさというより、悲しみにも似た落胆の念が陽炎のように湧き立ってきていることに気がついた。しかしそれは、湧きあがると同時に急激に冷却され、胸をかきむしりたくなるような悔恨となって身をさいなみ始めた。

そうなのだ。
私は教員ではなかった。
ただの民間人ボランティアなんだ。
いくら教員免許があっても、専門課程を学んでいても、信頼されて任されても、この組織の人間ではないのだ。
私がすべきことは、担任たちと同列に立って自分の知識や技能をひけらかすことではなく、担任たちが本来することが円滑に進むようサポートすることだったのだ。 
そういう、ことか。

なんということだろう。
自分を教員と勘違いするなんて。
教員じゃないから「先生」と呼ばせず、「マリアンヌ」と呼び捨てにさせたのに。
いつの間にかいい気になって、私自身がすっかり勘違いしていたんだわ。 

マリアンヌの首からガクリと力が抜けた。
うなだれたまま、
「ご心配をおかけしてしまい、申し訳ありません。病院に、行ってきます。」
蚊の鳴くような声でいうと、全財産を失った人のように背を丸め、トボトボと歩きだした。 







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「どうした?!」
体育館に大きな声が響いた。
マリアンヌは反射的に声の方を振り向いた。
 
声の主は、たまたま通りがかった校長先生だった。
校内巡視の最中に、絶叫が響く体育館に気づき、急いで様子を見に来たのだった。
校長先生は大股でフロアを横切ると、舞台に飛び乗った。
スミレの歯はまだマリアンヌの左腕を噛んだままだ。
すかさず、マリアンヌの左腕を持つと、スミレの口の中に腕ごとグイと押し込んだ。

噛み付かれた時は剥がそうと引っ張ると、かえって危ない。
引っ張ると歯に相手の体重がかかってしまい、かえって食い込んでしまうのだ。
だから、噛まれたら、そのまま一度口の中に押し込む。
すると、口が大きく開いて歯がはずれる。
 
この時も、押された勢いで、スミレの口が離れた。
マリアンヌは不意に軽くなった左腕を引き、思わず眼の前でみつめた。
早くも内出血した腕には、濃い紫と赤が混じった歯型がクッキリとついている。
唾液がぬるりと光る中で、何カ所か皮膚が切れ、血が滲んでいた。

「小林さんは体育館の外に出てください。保健室の片桐先生を呼んできて。ほかにも手が空いている先生がいたら呼んで。学園の担当にも連絡。体調などに気づいたことがなかったか、尋ねてみて。あ、教頭先生から連絡してもらうように。」
校長先生から矢継ぎ早に指示が飛ぶ。
 
マリアンヌは職員室に走った。
足が空中に浮いているような気がする。走りには自信があったが、なかなか前に進まない。
職員室に飛び込み、運よくそこにいた教頭先生に報告すると、体育館への応援や保健室への連絡、学園への連絡をてきぱきと進めてくれた。

その頃、体育館には、マリアンヌと相談してあった通り、一足遅れて1年1組のみんなと矢口先生が到着しようとしていた。
本当は、スミレが先にトランポリンの練習をしておき、後から来る1組のみんなと一緒になって体育をしようということになっていたのだ。スミレがいいところを見せて、1組のみんなの気をひこうという魂胆だった。
それに、前日の国語の時間だけはマリアンヌの方針を入れて、ふたりだけで体育館に来たが、基本的には二人の様子を誰かが見えるようにしておくことが、学校としては当然の前提だった。

先頭を歩いてきた矢口先生は、素早く状況を把握した。
「はい、計画変更!今日は外に出よう!!」と、子どもたちを連れてグランドに出て行った。
なんで〜、どうして〜と子どもたちの声がざわざわと遠ざかって行く。 
子どもたちは、スミレのことには気づかなかったようだ。
 
体育館では、校長先生が泣き叫ぶスミレから2歩ほど離れて、静かに見守っている。
無理に動きを封じられなくなったので、頭を打ち付けるような激しい行動はみられなくなっていた。 
が、混乱しているスミレには、そこに誰がいるかもよくわからなかった。

内線連絡を受けた保健の片桐先生が体育館に着いたころにはまだ、スミレは大声で泣き叫んでいた。
けれども、学園で休憩時間に入ったばかりだった真理に連絡を入れ、体調が悪いとは考えにくいことを聞きとった教頭先生が体育館に着いたころには、叫び疲れたのかぐったりと舞台に横たわっていた。

校長先生が静かに近づいて、スミレの小さな身体をゆっくりと抱き起こし、スミレの表情を確認すると、汗ばんで額に髪をはりつかせた頭をなでた。
「苦しかったね。疲れたね。眠っておくれ。」と、ささやきかける。

そして、両腕でそっと抱きあげると、保健室から届いた毛布の上に寝かせようとした。
すると、「おじいちゃん…」とすすり泣きの合間からスミレの声が聞こえ、紅葉のような小さな手が校長先生のシャツの腹をつかんだ。
その手は、本当に紅葉のように真っ赤になっている。
甲がところどころまだらに白くなっている上に一本、鮮紅のみみずばれが浮いている。きっと、マリアンヌともみ合った時に付いたのだろう。

校長先生は舞台に直接胡坐をかいて座り、その上に毛布を置いてもらって、スミレを膝に乗せた。
スミレは校長先生のお腹にすがりついたままだ。
荒い息を吐きながら、スミレはまた何かを言い始めたが、校長先生にも片桐先生にも聞きとれない。
そのうち、すっかり疲れたスミレはガクンと眠ってしまった。 







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給食袋を持って登校した日、授業は1時間目が体育、2時間目が算数、3時間目が国語、4時間目が音楽、その後給食の予定だった。
1年1組と同じ時間割だ。
体育は、また体育館でやると言われて、スミレはもう「また遊ぶの?」とは言わなかった。
遊ぶのと同じくらいに楽しいけれど、勉強もしていることにスミレも納得したからだ。

体育館に行ってみると、舞台の前に何か大きなものが置いてあった。
近づいてみてもよくわからない。
「これ、何?」
スミレは、舞台に上がってマットを引きずっているマリアンヌに声をかけた。
「トランポリンよ。初めて?」
「うん。何をするものなの?」
「こうやってね…」

スミレが舞台に上がってくるのを待って、マリアンヌはトランポリンに跳び乗った。
大きなトランポリンで、ほとんど競技用とかわらない高級品だ。たぶん100万円くらいするのではないかと、体育倉庫でこれを見つけた時、マリアンヌは思わず息を飲んだ。
こんな素晴らしい道具が、倉庫の一番奥で、存在も忘れられたまま眠っているなんて!!

舞台とトランポリンの高さが同じくらいなので、一片を舞台にくっつけてある。そこに体育マットをかけて橋にして、歩いて乗れるようにしてあった。
残り3辺の床にはエアマットがあり、万が一落ちても大丈夫なようになっていた。

メッシュになっている部分は黒板色をしていて、短い方が2メートル、長い方が3メートルくらいある。マリアンヌはその真中に立つと、とん、とんと飛び上がって、だんだん高く舞い上がって見せた。
 
うわぁ!とスミレが声を上げるほど高くなった時、マリアンヌは両足をそろえたまま、くるりと身体を後ろにそらせた。そのまま一回転すると、すっとトランポリンに戻ってきた。もう一度飛び上がると、今度は膝を抱えて前転する。次は布団に仰向けになるような姿勢で降りてきたと思ったら、空中でくるりと反転して、お腹から降りた。また飛び上がる。長座で、正座で、いろいろな姿勢で降りては飛び上がる。

スミレは、くるくると跳ぶマリアンヌを見て、初めのうちは何が起きているのか分からず、きょとんとしていた。けれども、次第に高く高く跳び上がるマリアンヌをじっと目で追いかけているうちに、ふと、マリアンヌが天井にぶち当たって落ちてくるのではないかと恐ろしくなった。その刹那、スミレの目は瞬きを忘れ、今ここにない映像を見始めた。天井に思い切りぶつかったマリアンヌが、次は床にたたきつけられるのだ。血が流れ、青白い顔をして動かなくなるマリアンヌ。大丈夫!?と駆け寄ろうとしても、スミレの手足は石になったように動かない。

頭の中で、マリアンヌの顔が、あの日のママ…ミドリの顔に変わった。パパに殴られて意識を失ったママの姿だ。それから、おじいちゃんの家で、暴れまわって疲れて眠っているママの顔も思い出した。あのアパートで、目を吊り上げ、恐ろしい唸り声を上げながらスミレを蹴り続けたママのことも思い出した。

次の瞬間、恐ろしいママの姿が消えて、倒れたマリアンヌはおばあちゃんに変わっていた。お料理をしていたはずのおばあちゃんが、廊下に倒れていた。おじいちゃんが帰ってきて、おい、大丈夫か!と何度も何度もゆすったのに、おばあちゃんは二度と起きなかった。死んでしまったのだ。お葬式をして、火で焼かれてしまった。おばあちゃんはもうお墓にいて、二度と会えない。優しかったのに。おいしいご飯を作ってくれたのに。

「どう?おもしろそうでしょう?」
マリアンヌはトランポリンを降りようとして、スミレの様子がおかしいことに気がついた。
あと2回で勢いを止められる。
あと1回膝を曲げて、ジャンプをやめて…
 
ぎゃーっ!
絶叫などという簡単な単語では表せない声だった。
瀕死の蝉が最後の全力を振り絞って、身体の大きさの10倍くらいの声をたてて鳴いているような叫びだった。
「どうしたの、スミレちゃん!」
トランポリンから飛び降りるとすぐに、マリアンヌが駆け寄った。
「やだ、やめて!死なないで!だめ!!」
スミレの叫びの意味は、マリアンヌには分からない。

どうしたの、大丈夫よと声をかければかけるほど、抱き締めれば抱きしめるほどスミレは暴れた。
泣き叫ぶだけでなく、マリアンヌを押しのけようと手足を振り回し、頭突きをしてくる。

マリアンヌは自分の頭が真っ白になっていくのを感じた。
どうしていいのかわからない。
何が起きているの?

スミレはマリアンヌを突き飛ばして振り切ると、自分の頭を床に叩きつけ始めた。
ゴン、ゴン、ゴンと、何度でも叩きつける。
今度はマリアンヌが悲鳴をあげた。 
「だめ!怪我しちゃうよ!!」
マリアンヌはスミレの小さな体を抱えるように飛び込み、頭を自分の胸に抱えた。
途端に、左腕に激痛が走った。
ガブリと噛みつかれ、スミレの歯が左腕に突き刺さったのだ。 







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たった半日で、スミレはいくつものひらがなを覚えた。
身体を動かして知ったことは、紙の上に戻っても容易に薄れないし、間違えない。
体育館の床にマリアンヌがスズランテープではった文字を舞台から見てはモップで描く。 
教室に戻り、プリントを見せられたスミレは、迷いなく先程モップを持って体育館の床に描いたひらがなを書き出した。書き順も、はらいや止めの特徴も、たがえることがない。
 
この積み重ねで、スミレはひらがな、カタカナをあっという間に習得することになる。
 

2学期4日目。
月曜日から始まった2学期も、木曜日になり、いよいよ給食が始まる。

8月の終わりのことだった。 
スミレは同室の1年生であるトコちゃんに教わりながら、給食袋を用意した。
松葉が丘小学校では、給食当番だけでなく、全員がかっぽう着を着ることになっている。
白と決まっているかっぽう着だが、ママたちはポケットに何かアップリケをして、間違えて持ち帰るのを防ぐことにしていた。
トコちゃんが見せてくれたかっぽう着のポケットには、赤いチューリップが縫いつけてあった。

「スミレちゃんはどうする?」
真理に聞かれて、スミレはキティちゃん!と即答した。
学園の子どもたち用に、白のかっぽう着が何枚か用意されていた。
あとはアップリケをつければよいだけだ。 
その答えを聞いて、真理はふと思い出したようにスミレの荷物を広げ、ガサガサと探し物を始めた。
「あ、あった!」

真理が整理ダンスの隅から引き出したのは、白くて糊のきいたかっぽう着だった。ポケットにキティちゃんのアップリケがしてあり、反対側のポケットの口には、鮮やかなピンクの刺しゅう糸で『スミレ』と縫い取りがしてある。小さなすみれの花の刺しゅうと共に。

「あ!」
スミレも思い出したようだ。
それは、祖母がせっせと準備してくれた入学道具のひとつだった。
一度か二度着ただけだったので、スミレはすっかり忘れていた。
真理は、それを引き出すことで、スミレが前の学校で受けた仕打ちを思い出すのではないかと恐れたが、祖母の手縫いのかっぽう着は、できれば温かな思い出として大切にしてほしいとも思った。

トコちゃんが気づいて、駆け寄ってきた。
「うわぁ!すごい。かわいいね。」
「どうせ真理さんは裁縫が苦手ですよっ。ごめんね、トコちゃんのチューリップはかわいくなくて。」
真理はわざと膨れて見せた。
「そんなことないよ。チューリップもかわいいよ。でも、スミレちゃんのキティちゃんはほんとにかわいいね!着てみて。」

トコちゃんにかっぽう着を手渡されて、スミレははにかみながら袖を通した。
「おばあちゃんがね、つけてくれたんだよ。」
スミレの目からポロポロと大粒の涙がこぼれ落ちた。
「そう。おばあちゃん、ありがとうだね。大事にしようね。」
真理に言われて、スミレはコクリとうなずいた。
「おまもり。」
どこで覚えたのか、スミレはそんなことを言いながら、ポケットのキティちゃんを撫でた。

涙をぬぐってトコちゃんと手をつなぎ、遊びにかけだす二人の背中を見送りながら、真理はスミレが脱いだかっぽう着を手にとった。
どうしてママじゃないの?とか、どうして泣いているの?と尋ねないトコちゃんを、いつもながら大人だなぁと感心しつつ、スミレが脱いだかっぽう着を、いつもより丁寧に畳んだのだった。 






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2学期3日目。
たんぽぽの子どもたちは通常の日課にもどることになっていた。
マリアンヌとスミレは、初めて二人だけで、半日の学習に取り組むことにした。
1学期からいたかのように、たんぽぽ学級の教室までひとりで来られるようになったスミレは、初日からここまで何一つ差し障りなく、学校生活に臨んでいるように見えていた。

ランドセルをロッカーにしまうと、小さな椅子に座って、マリアンヌの話を聞こうと目を輝かせている。
実は、特に指示はなかったのだが、前夜学校の支度をした時に、真理とスミレは相談して、ランドセルにノートや教科書、筆箱などを入れてきていた。
しかし、マリアンヌの指示は、手ぶらのまま、体育館に行こうということだった。

スミレは1年生とはいえ、周囲の観察にかけては大人以上のものがある。
命がけで家族の出来事を見つめてきた瞳に、マリアンヌの誘いは納得いかないものがあった。
「だって、みんな机で勉強してるよ。どうしてスミレは体育館なの?バカだから?」
スミレの底に巣食っている魔物が牙をむいた一瞬だった。
問いかけの奥に、無邪気とは無縁なものが潜んでいた。

マリアンヌが、瞬きを忘れたかのように目を見開いて凍りついた。
言葉を飲み、頬をこわばらせている。

二人のやりとりを見るともなく見ていた大岡先生は、おや?と思った。
マリアンヌは、唇をわずかに開いたまま答えない。
「やっぱりそうだ。スミレがバカだから、勉強じゃなくて体育館で遊ぶんだね?」
スミレがたたみかけた。

「ち、違うわ!違う、違う!!」
ようやく答えたマリアンヌの声は悲鳴に近い。
ひどく追い詰められたように慌てていて、というよりも、何かに脅えているように見える。
「そ、そうじゃないよ。スミレちゃん。体育館で、あの、遊ぶんじゃなくて…」

二人のやりとりを江夏先生も見ていたようだ。
「コラァ!」
と、例の勢いで割って入った。
「スミレちゃん、先生の言うことは”はい”って聞くの。お返事は?」
「は〜い。」
スミレが不貞腐れたように答えた。
が、その答え方で、大した悪意があったわけでもないことも容易に知れた。

「ちょっと、ちから入りすぎ。なに焦ってるの?」
江夏先生がマリアンヌにささやいた。

「あ、どうもすみませんでした。」
「あんなに必死になって否定したら、かえって怪しいでしょう?」
「そうですよね。すみません、助けていただいて。」
「どうしちゃったの?」
「誤解されるの、ちょっと苦手で。」
「へぇ。」
年齢はマリアンヌの方がずっと上だが、仕事上は江夏先生の方が経験がある。どちらが年上かわからないヒソヒソ話を交わしながら、マリアンヌは落ち着きを取り戻したらしい。
大きくひとつ深呼吸をすると、スミレの脇に膝をつき、目線を合わせてから、改めて話しかけた。

「ごめん、スミレちゃん。説明が足りなかったね。今日は、体育館で字を書く勉強をします。」
「字を書くの?体育館で?どうして教室じゃないの?」
「それはね、教室には入りきれないような大きな文字を書くからなの。」
「すごい!そんなに大きいの?」
「そう。スミレちゃんにできるだけ早く、字を覚えてほしくて考えたんだ。体育館、行ってもらえるかな?」
「いいよ。」

マリアンヌは、はぁーっと大きな息をひとつ吐き出した。
それでも、大岡先生から見えるマリアンヌの背中は、まだ緊張で強張っている。
マリアンヌは何かが入った紙袋を抱え、スミレとふたり連れだって、たんぽぽの教室を出て行った。

体育館に着くと、マリアンヌはスミレを舞台の上にあげて、自分はフロアーに残り、白いスズランテープを取りだした。新聞紙などを縛る、5センチ幅くらいの、あのビニールの紐だ。
「いい?スミレちゃん、見ていてね。」
そういうと、セロテープで何か所かを止めながら、長い紐と短いひもをフロアーに貼り付けた。
そして舞台に戻ってくると、先ほどのスズランテープを見降ろして、よし、と小さくつぶやいた。
フロアーいっぱいに、ひとつの文字が浮かんでいる。

「スミレちゃん、左がちょっと長くて、右が短いね。左の下のほうがちょっとはねてる。」
「うん。」
「あれがね、ひらがなの『い』だよ。いちごの『い』。これから私が動くから、よく見ていてね。」
そういうとマリアンヌはフロアーに飛び降りて、『い』を書くスタート地点に立った。
いつの間にか、手にモップを持っている。
「いくよ!」
と声を書けると、モップを引きずりながら、巨大な『い』を筆順通りに走った。

そうして舞台に戻ってくると、はい交替とスミレにモップを渡した。
わけが分からないながら、スミレは先ほど見た、スタート地点に立った。
「じゃ、『いー』って言いながら走るんだよ。せーの、いーーーー!」

スミレは走った。最初の棒の下をピョコンとはねるのを忘れない。
はねたらそのまま対角線を上に走る。その時はモップは床に下ろさない。
次は短くモップだ。

「できた!」
「うん。できてた!いい感じだよ。じゃ、戻ってきて。」
スミレは舞台に上がった。
スミレと交替でフロアーに降りたマリアンヌは、さっきのスズランテープの位置をずらした。
「はい、今度はどんな?」
「左が短くて、下がはねてて、右が長い。さっきより長いね。」
「そうそう。これはりんごの『り』。じゃ、やってみるよ。」
「いい。大丈夫。スミレがやる!」
「そう?じゃ、やってみて。」
スミレはりーと言いながら、モップで『り』を書いた。
「だいたいいいけど、もう一度ね。『い』の最後はモップをぴたっと止めるけど、『り』の最後はサラッとはらうの。」
「へぇ。こう?」

「正解!素晴らしい。次はね…」
今度は『こ』だ。次は『し』。

「ねぇ、マリアンヌ。『い』はいーって言っているといつまでも『い』だけど、『り』や『し』はしーって言っていると『い』になっちゃうね?」
「すごい!そんなことに気付いたの??そうなんだ。6個の仲間があるんだよ。あーと、いーと、うーと、えーと、おーと、んーね。」
「へぇぇぇ!おもしろい!」

スミレは26歳になった今でも覚えている。
あの時の「おもしろい!」が、私のスタートラインだったと。






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2学期3日目の朝、大岡先生と江夏先生は、どの連絡帳にも同じようなことが書いていあることに気付かずにはいられなかった。

子どもたちが家に帰って、プールの話をたくさんしたらしいこと。
たっくんやしょうたは跳んだり跳ねたりして、実演して見せたらしい。
お昼ごはんをモリモリ食べたこと。
普段食が細いみほちゃんも、昨日はお母さんと同じくらい食べて驚いたと書いてある。
そして、午後はどうやら全員お昼寝したまま、晩ご飯まで起きなかったらしい。
もみの木学園でお昼寝などしたことがないスミレが、爆睡したまま起きなかったと、真理さんが書いている。
マリアンヌもみんなの連絡帳を見せてもらい、ほっとしたような笑顔になった。

大岡先生は、プールのことも驚いたが、その後のことにも衝撃を受けていた。
マリアンヌは、メガホンは子どもたちが使い終わると同時に水からあげて、着替えている間に乾かし、すぐに片付けてしまったのに、バランスボールは最後までプールに浮かべて置いたのだ。
そこまでは打ちあわせておらず、何故だろうかと思っていたが、真意は分からなかった。

全員が始めよりも行儀よく着替え終わると、マリアンヌはプールからバランスボールを引き上げた。濡れたまま、グランドを回って昇降口から帰るから、転がして行こうと言う。そんなことをしたらボールが汚れてしまう。子どもたちは言われたとおりにボールを転がして行く。案の定、濡れたボールには砂や枯れ葉がいっぱいついて、白く汚れてしまった。

昇降口に着くと、いつの間にか、濡れた雑巾と水の入ったバケツが用意されていた。
これはマリアンヌが矢口先生にお願いしておいたもので、さっき1年生がグランドに出てくるときに、一緒に持ってきてくれたのだ。

「ボールが汚れちゃったから、きれいにしようね。」
マリアンヌの声を聞いて、ようやく大岡先生は意図を察した。
たんぽぽの子どもたちは一様に、見えないものを理解するのが苦手だ。
だから、掃除もなかなか上手にならない。
そもそも、教室掃除をするとき、小さなゴミやホコリは子どもたちの目に見えないのだ。

ゴミが見えればいいのかと、何かで読んだことを参考に、教室中にシュレッダーのゴミを撒き散らしてから掃除しようとしてみたことがある。
しかし、これは大失敗だった。
子どもたちは、掃除する以前に、先生がゴミを捲いたのを真似して、自分たちもやっていいと誤解してしまった。
さらに、ほうきで掃こうとしたら、静電気でほうきにはりついてしまい、ゴミがいつまでもなくならないのだ。

場所こそ違うが、マリアンヌは自然と汚れを作り、それを落とすことを教えようとしている。
大岡先生は一歩下がって、子どもたちの反応と表情を観察し始めた。
マリアンヌから雑巾をもらうと、それぞれ運んできたボールをごしごし拭き始めた。
きれいにふき取れると、もとの青や赤や紫にもどっていく。

分かりそうな子どもには、雑巾が汚れたらバケツの水で洗えばいいことも教えている。
絞り方も練習させている。
そのうち、ボールから汚れが取れて、すっかりきれいになった。

「ねえ、マリアンヌ。もう転がさない方がいいね。また汚れちゃうからね。」
と言ったのはスミレだった。
「ああ、そうだね。じゃ、ふたりで1つ持って行こうか?」
雑巾やバケツの始末を田端さんに頼むと、マリアンヌと先生たちはたんぽぽの教室に戻った。

途端に、マリアンヌはバランスボールの栓を抜きとり、空気を抜いてしまった。
「え〜っ、どうして!」
マリアンヌの答えは簡単だった。
「使ったら片付けるんだよ。また使う時に、膨らませようね。」

そうして、今度は子どもたちの手を見て言った。
「雑巾を触ったから、手が黒くなっちゃったね。石鹸できれいにできるかしら?」
そろそろトイレにも行きたかった子どもたちは、一斉に駆けだして行く。
教室に戻ってくると、ひとりひとり、マリアンヌに手を差し出して見せて誉められていた。

着替え終えてから教室に戻るまで、30分とたっていなかった。
その間にマリアンヌは、子どもたちに掃除と手洗いの基本を教えてしまった。
自分は今まで何をしていたのだろう?と、思わず棒立ちになってしまった大岡先生は、危うく連絡帳を書くのを忘れそうになった。
江夏先生にどやされてボールペンを握ったものの、しばらくは頭がフリーズしたままだった。







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マリアンヌは水面に浮かんだメガホンをひとつつかむと、子どもたちに説明し始めた。

「こっちの大きな丸のほうを、プールにくっつけて、思い切り真っ直ぐ水中に沈めると…ほら!」
反対側の、普段なら口にあてるほうから、水柱が勢いよく飛び出した。
きゃあっと、子どもたちから悲鳴が上がる。歓声?驚き?何とも言えない声だ。

マリアンヌはもう一つメガホンを広い、両手にひとつずつ持った。
それを水面につけて、交互に水中に勢いよく沈める。
すると、右、左、右、左と水柱が上がる。

何をするのか予め打ち合わせをしていた大岡先生や江夏先生も、つい子どもたちと一緒になって子どもに戻ってしまった。
「さあ、プールに入って!ひとり2つ、メガホン持ってきて!!」

今度は全員がプールに入って行く。
マリアンヌがプールサイドに上がってきた。

やってみようか、というマリアンヌの声を待たずに、こどもたちはさっき見たばかりのことを再現しようとする。
見たものを真似するのが苦手なみほちゃんにには江夏先生がついて、一緒にメガホンを握った。左手にマヒがあってメガホンが握れないしょうたには、田端さんがついて、左手代わりになっている。

ぎゅっと水にメガホンを押しつけると、勢いよく水柱が飛び出す。
飛び出した水柱は、大きな水のつぶになって頭の上から降ってくる。
自分の手元に集中していると、となりの子が飛ばした水も襲ってくる。
いつの間にかみんな頭から水をかぶってぐしゃぐしゃの顔になりながら、それでも水柱を量産している。

「何やってるの〜!」
グランドに出てきていたらしい子どもたちの声が近づいてきた。
1年生だ。矢口先生の姿も見える。
「今日のたんぽぽの授業はプールなんだ。」
マリアンヌが答える。
その間も、子どもたちはメガホンからさかんに水柱を立てている。
「うわぁ、面白そう!」
1年生が一生懸命背伸びをしてフェンスにしがみついているのを確認してから、マリアンヌはたんぽぽの子どもたちに声をかけた。

「では、今日最後の仕上げです。音楽に合わせて水を飛ばしてみよう!」
マリアンヌがスイッチを入れる。
みんなが大好きな曲が流れ始めた。

そうだ!嬉しいんだ生きる喜び
たとえ胸の傷が痛んでも

何のために生まれて 何をして生きるのか
答えられないなんて そんなのは嫌だ!
今を生きることで 熱いこころ燃える
だから君は行くんだほほえんで

そうだ!嬉しいんだ生きる喜び
たとえ胸の傷が痛んでも

ああアンパンマン優しい君は
行け!皆の夢守るため


何が君の幸せ 何をして喜ぶ
解らないまま終わる そんなのは嫌だ!

忘れないで夢を こぼさないで涙
だから君は飛ぶんだどこまでも

そうだ!恐れないでみんなのために
愛と勇気だけが友達さ

ああアンパンマン優しい君は
行け!皆の夢守るため

時は早く過ぎる 光る星は消える
だから君は行くんだほほえんで

そうだ!嬉しいんだ生きる喜び
たとえどんな敵が相手でも

ああアンパンマン優しい君は
行け!皆の夢守るため


フェンスをつかんでいる子どもたちの歌声が合唱になって、水柱と一緒に青空に吸い込まれていった。







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「では、みなさん、次は水中サッカーに挑戦です!」
ええっ!?
子どもたちの驚く声が響く。
マリアンヌは、バランスボールが浮いている所まで水中を歩いて行くと、エイッと足をあげて、ボールを蹴飛ばした。
プールの中だから、蹴飛ばすと身体のバランスがくずれて、水の中に沈んでしまう。
ボールはポンと飛び上って、すぐにパンパンと音を立てて水面に戻ってきた。
マリアンヌは一度沈んだ水中からプワッと浮き上がってくると、また次のボールをめがけて歩きだした。
「だめだ!ボールがいっぱいありすぎる。みんな、手伝って〜!」

江夏先生がデッキのスイッチを押すと、次の曲が流れ始めた。
 
   なんでもかんでも みんな
   おどりをおどっているよ
   おなべの中から ボワっと
   インチキおじさん 登場♪

ワァッと歓声をあげて、子どもたちがプールに入って行く。今度は大岡先生がプールサイドに残り、江夏先生と田端さんが子どもたちと一緒に飛び込んだ。

大岡先生は、プールサイドにつま先をかけて、いつでも飛びこめる姿勢で子どもたちを見守っている。
そんなことは関係ないとばかりに、子どもたちはボールに寄って行く。
さっき、田端さんに叱られかけたたっくんが、最初にエイッと掛け声をあげながらボールを蹴った。
「おお、うまいぞ!」
大岡先生がすかさず誉める。
たっくんは有頂天だ。

小柄なスミレは、プールの真ん中まで歩いて行けない。
ちょっと進むと、ズブッと頭の上に水面が来て怖いのだ。
そこへ、江夏先生がバランスボールを転がしてくれた。
「キックがだめならパンチもいいよ!」
スミレはボールをパンチしてみたが、意外なことに、ボールが重くて動かない。
握りしめていたプールサイドから手を離して、両手でボールを思い切り押してみた。
ボールが飛んでいくのと同時に、スミレの身体がぐらりと揺らいで、水中にもぐってしまった。
すかさず、マリアンヌがすくい上げてくれたので、スミレは少しも水を飲んだりすることなく、水中に潜れる自分を発見した。

プールサイドから、大岡先生の指示が飛ぶ。
「田端さん、ジンタがまだボールに触れてないぞ。江夏先生はなっちゃんを見て!たっくんとはじめは一人でも大丈夫そうだから俺が見てる!」
ああ、これなら動きやすいと、江夏先生はご機嫌だ。
大岡先生のリーダーシップを初めて感じた気がした。
やればできるんじゃない。

「最後はボールを全部飛び込み台の下に並べるよ!」
マリアンヌの指示が飛んだ。
大岡先生が飛び込み台のある方に移動して待ち受けている。
大きい子も小さい子も、ボールを押したり飛ばしたりしながら、プールの端までボールを運んだ。

大岡先生は、内心度肝を抜かれている。
マリアンヌは、大岡先生たちが1学期にあれほどてこずった、「水に顔をつける」という課題を、たったひとつの運動で乗り越えさせてしまった。
今、誰も、顔に水が飛ぶのを嫌がっていない。
満面の笑顔で大岡先生のいる方向へボールを押しながら、まだ足りなくてブクリと潜る子もいる。
いったい、どうなっているんだ??

子どもたちはボールを指示された位置に並べると、、梯子をつたってプールサイドに上がってきた。
ひとり残らずゴロリと寝転んで、自主的に休憩している姿がなんともかわいい。
水族館のアザラシプールみたいだなと田端さんは思った。
が、真っ白なゴマフアザラシの赤ちゃんに一匹だけ混ざって甲羅干しをしているガラパゴスゾウガメみたいな江夏先生の背中を見ると、誤解が怖くて口には出せなかった。

マリアンヌはCDを入れ替えた。
のんびりとしたウクレレが流れ始めた。
これは確か、ブルーハワイだ。大岡先生は思わず目を閉じて耳を傾けたくなって、いかんいかんと首を振った。指導中だった。危うく忘れるところだった。
普段は多動で手を焼いているひろしも、今は脱力してみんなと一緒に寝転んでいる。
あ、次のこれは…カイマナヒラとか言うんじゃなかったかな?
ミンミンゼミの声も響く中、プールサイドはハワイのリゾートホテルのような雰囲気に包まれた。

ハワイアンが2曲終わると、マリアンヌが静かに声をかけた。
「どうする?今日のプールはもう終わりにする?それともまだできる?」
「だって、メガホン、どうするの?」
「うん。遊ぼうと思ったけど、みんなが疲れちゃったならまたにしよう。」
「やだ!やる!!」
アザラシの子どもたちがムクムクと起き上がった。

「じゃあね、ちょっと見ていて。」
マリアンヌが白い足を延ばして、すっと水に飛び込んだ。






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「すごい!マリアンヌ、泳げるの?」
6年生のたっくんがマリアンヌに大きな声で尋ねた。
田端さんが「泳げるの?って、今泳いでいたじゃないか。ちゃんと見てなかったのか?」
と、たっくんの後ろから、半分叱るように声をかけた。
「違うよ。」
江夏先生が説明する前に、泳いで子どもたちの前まできていたマリアンヌの返事が聞えた。
「そうなのよ。私、泳ぐの大好きなの。今日はみんなが応援してくれたから、すごく気持ちよく泳げちゃった!」

「あのね、たっくんは私たちが使っている表現をまだ身につけていないの。だから、『すごい』『マリアンヌ』『泳ぐ』という単語はきっと、たっくんが言いたいことだけど、質問したかったわけじゃないんだ。その気持ちをくみ取って聞いてあげないと。あなたこそ、1学期の間、ちゃんと見てなかったの?」 
江夏先生は子どもたちの前でも田端さんを容赦なく叱る。
「あ、そういえば。すいません。ゴメン、たっくん。」
この素直さが、田端さんのいいところだと、大岡先生の目は子どもたちを見ながら、耳が優しく聞いている。

「おまちどおさま!今度はみんなの番よ。バランスボールとメガホンをプールの中に投げて!」
マリアンヌから変な指示が出た。
子どもたちは「走らないで!プールサイドは歩く〜!」という江夏先生の声など聞えないくらい夢中で、ボールやメガホンに飛びついた。

物を投げてはいけませんと、いつも言われている。
学校の道具を投げるのは悪いことだと、言い聞かされている。
投げると叱られるし。
でも、本当は、投げるってちょっと楽しいと、子どもたちは誰もが思っている。
それが、許可が出た。
こんな大きなものを、こんなにいっぱい投げてもいいんだ!

子どもたちは次々に5つのバランスボールに飛びつくと、プールに向かって思いっきり投げ飛ばした。
次はメガホンだ。


TOEI LIGHT(トーエイライト) メガホンSR230 黄 G-1931Y




ブンブンとプールに投げ込むと、すかさずマリアンヌの声が響く。
「さぁ、今度はみんながプールに入るよ。プールサイドに座って!足に水かけて〜次はお腹〜肩〜頭〜!」

とうとう子どもたちがザブンと水に入った。
きゃっきゃっとはしゃぐ子どもたちに、マリアンヌの次の指示が出た。
「プール一周旅行に出発!用意ドン!」

プールサイドに残っていた江夏先生が音楽をかけた。

   あるこう あるこう わたしはげんき
   あるくの だいすき どんどんいこう♪


音楽が聞えると、子どもたちはリズムに合わせて歩こうとする。
でも、水の抵抗を受けながら、この曲に合わせて歩くのはなかなか骨が折れる。
片手をプールサイドにかけている子もいるが、そのまま歩かせるように打ち合わせができていたらしい。
時々、先ほど投げ込んだバランスボールやメガホンをかき分けながら、ぐんぐん列になって歩いた。

25メートルプールを1周し終わるころには、子どもたちはもう疲れた顔をしてる。
なにせ、プールで音楽がかかったり、それに合わせて歩くなど、経験がないことだったのだ。
一度水からあがって、休憩することにした。







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