Win-Win

あなたも幸せ。私も幸せ。

2013年03月


カッパまずは合羽橋(かっぱばし)から行くことにした。
本を読みながら電車に揺られているうちに、ちょっとうとうと。
銀座線田原町駅に着いた。

合羽橋道具街。娯楽の殿堂。どこを見ても使ってみたい道具が山積みの街。
私は1年ぶり。くまさんは10年ぶりだそうだ。10年前に何を買いに来たのかと思ったら、巨大なスパイスの缶だったらしい。「パプリカの大きな缶を買いました!」ああ、そういえば、あったなぁ、そんなものが。ここまで買いに来ていたとは知らなかったけど。

私がプレゼントにおねだりしたのは、包丁だった。
これまで使っていた包丁は、私が最初の結婚をしたときに、弟から贈られたものだ。ゆえに、22年も使っていることになる。これは、すごい。最近は切れ味が悪く、研ぎに出しても大した変化は見られなくなった。なおかつ、気付いたら柄のところがパックリと割れていた。そろそろ引退させてもいいだろう。

新しい包丁がほしいというと、料理好きのくまさんは大乗り気で、だったらたくさんの中から選びたいということになって、合羽橋道具街につながったわけだ。

とはいえ、包丁を扱っているお店は、鍋や茶碗に比べると、それほど多くない。道具街を1周半。重さとか持った感触とか、インパクトとか値段とか、さまざま考え合わせて選ばれたのはこれだった。

プレゼント包丁


翌日、百貨店で、簡易な箱に入った同じセットが何千円か高く売られているのをみかけた。くまさんは、この念の入った箱も気に入ったようで、何かに生かしたいと言う。もっと職人さんが使うようなものを欲しがるのかと思っていたが、案外そうでもなかったようだ。

ちなみに、帰宅して晩ご飯を作るのに、さっそく使ってみた。
ああ、なんと美しい切り口。材料に当てるだけでスッと切れる感動。料理の味まで変わることに、ふたりして歓声をあげてしまった。なまくらな道具を使っていては、美味しいものは作れないのね。

いい買い物をした!

ずいぶん歩きまわってお腹が空いたので、浅草寺近くへ食事に行こうということになった。目指すお店があった。

「あ、ここです、ここ!ここに立ってください!!」
くまさんが叫ぶ。
「写真、撮らなくていいんですか?」
いいんですかも何も、呼びとめたのはあなたでしょう。はいはい、撮りましょう。

130302_1257~01

そうなんですよね。合羽橋からはスカイツリーがよく見える。くまさんは、カメラで撮り、自分のケータイでも撮影して喜んでいる。

「なんだか、電線だらけでちょっと…」
私が聞えないように言ったのを、しっかり聞いていたらしい。
しばらく歩くと、また叫んでいる。
「ここです。ここなら文句なしですよ!!」
「はいはい。じゃ、も一度撮りましょう。」

スカイツリー

近づきすぎて全体像が見えない…と思ったけど、それを言ったらお昼御飯が遠のくような禍々しい予感がしたので飲み込んだ。

さ、今日のお昼はとんかつですよ。






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骨つき鶏もも肉のグリル材料
骨付き鶏もも肉 2枚
にんじん 1/4本
たまねぎ 1/2個
じゃがいも 1個
つけだれ
  甘口醤油 大2
  みりん   大1
  日本酒  大1
  すりおろしにんにく 小1強


作り方
1 つけだれの材料をすべてジップロックに入れて混ぜる。
2 骨付きもも肉にフォークで小さな穴をあけ、味を染みやすくする。
3 1にもも肉を入れ、空気を抜いて封をする。4時間おく。
4 野菜を一口大に切る。
5 オーブンの天板にクッキングシートを敷く。
6 4の野菜を天板の中央から丸く敷き並べる。
7 6の野菜の上に、皮を上にして、つけだれから出した肉を置く。
8 オーブンを200度で予熱。
9 天板を入れ、30分焼く。
10 できあがり!

誕生日&結婚記念日の晩ご飯に作ったもの。あまりに美味しく上手にできたので、レシピを残します。また作ろうっと!






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もう一度上野へ、とはいえ、翌週末はくまさんに用事があり、私は体調を崩し、上野は遠かった。

体調を崩した理由が恐ろしい。
金曜日、ひどい体調不良なのにお越しになったお客様がいて、介抱と汚れ物の片付けにあたった。 関わった仲間は私を入れて3人。普段はそのお客様のお相手はしない。それが、その日、帰宅する頃には頭痛と吐き気が止まらなくなった。寒気もひどい。土曜日、くまさんは用事がキャンセルになったというのに、私はベッドから立ち上がることもできないだるさだった。 

院内感染なども、こうして起きるのだろう。不調のお客様を放っておくわけにもいかず、咄嗟のことだったので再発してもどうしたらいいかわからない。

翌週火曜日。またそのお客様が無理をしていらして、同じ事件に発展した。その時の対応は私ひとり。ああ、まただ。お客様は早々にお迎えの方が見え、お帰りになったが、私は急ぎの仕事を抱えていたので、頭痛が続く状態で10時近くまで書類整理に追われた。

と、水曜日には喉が痛み出し、木曜日には食事が喉を通らなくなり、木曜夜には水も飲めなくなった。息をしても喉が痛み、胸が締め付けられるように痛い。そのお客様の直接の担当2人も、私と同じ症状でもう2週間も苦しんでいることがわかった。やはり、集団感染だ。今度あの方のいる場に行く時には、失礼ながら先にマスク、ポケットにゴム手袋必携だな。

3月1日金曜の朝は、声もまったく出なくなり、これは病院に行こうと休暇をもらうことにした。お休みをお願いする電話をしたが、上司は私と認識してくれず、内容も聞きとれず、何度も言い直してようやく伝わった。

ところが。

休むと決まってホッとした途端に、喉の痛みがス〜ッと嘘のように引き始めた。
これはどういうことだ???
喉がひどく乾いていたので、水を飲んでも大丈夫。
お腹もひどく空いていたので、朝ごはんを食べてみたが、なんとか飲み込める。

おいおい、これじゃズル休みじゃないか。
声が出るようになったのは午後になってから。しかし、体はどうしても金曜日の職場に行かせたくなかったらしい。 特に眠くもだるくもならず、普段できなかった掃除や調べ物、手紙書きなどがズンズン進んで、なんだかとっても楽しい1日になってしまった。くまさんが帰ってきた時にはまだかすれていた声も、晩ご飯を食べたらすっかり治ってしまった。

王羲之展は3日にしましょうと話し合っていた。1日はくまさんのお誕生日。晩ご飯にと野菜スープを2時間かけて作っておいたが、パーティーには程遠い。 2日にじっくり休んで、3日に復活するつもりだった。くまさんは、それなら2日は山登り〜と浮かれている。

ところが、2日、くまさんは大寝坊して山に行きそびれ、私はすっかり元気になってしまった。

それでは今日、上野にしましょうかと突然相談がまとまった。

本当は密かに、3日のバースデーランチを予約しておこうかと思っていたのに、体調を崩してしまい、予約しそびれていた。コロコロ予定が変わる我が家では、予約は安全より足枷になりかねない。 

3月3日は私の誕生日で、結婚記念日でもある。
例年、中をとって2日に2人分の誕生日と結婚記念日も併せてお祝いする。

今年は、プレゼントをおねだりしてあった。
「じゃ、博物館の前に合羽橋道具街に行きましょう。 」
「は〜い!」

王羲之くんにたどり着くのはいつだろう?






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円空仏に浸ったあと、東京国立博物館の本館に入ったのが久しぶりだったので、2階に上がってみようかということになった。

まずは、「皇室日記」で知った、高円宮の根付コレクションの部屋だ。
http://www.tnm.jp/modules/r_exhibition/index.php?controller=item&id=3260 
根付は江戸時代のストラップと思えばいい。ストラップなので、現代も作家がいる。実に精巧でかわいらしい作品が並んでいる。チーズをかじっているネズミなんか、ポケットに入れて持って帰りたいかわいさだ。

次に左右を見て、「天下人の実像」という展示を見ることにした。
http://www.tnm.jp/modules/r_free_page/index.php?id=1595
織田信長・豊臣秀吉・徳川家康の3人に焦点を当て、彼らの肖像画の数々や直筆の手紙を集めた展示だ。

信長と言えばあの顔と知っているもの以外にも、肖像画は残っている。それぞれテイストは違うが、共通点を探していくとどうも、気性の激しい、扱いにくそうな人柄が思い浮かぶ。これは、信長本人を複数の人が見て描いたわけではなく、誰かが描いた絵を後世、別の人が写した可能性も高いから、一概には言えないけれど。

秀吉もそうだ。ドラマではわがままでひょうきんな人柄がクローズアップされることが多いけれど、肖像画を見る限り、この人も神経質そうだ。細かいことをくだくだしく考えていそうな顔をしている。

家康さんに至っては、すでに妖怪の雰囲気を醸し出している。あれだけのことを成し遂げるには、清濁併せのむ程度では済まなかったのだろう。でも、意外とかわいいタヌキやイノシシみたいな気もする。

面白いのはそれぞれの人が書いた手紙だ。
文字は人柄を表す。
手紙となれば、その内容を含め、人柄が前面に出てくる。

展示には、いつだれにあてて書かれたものかの解説が簡略についているが、文章の細かい訳はない。もったいないことだ。

運よく私は文学部で古典専攻だったため、ちょっとだけ万葉仮名が読める。古典文法もひとしきりわかる。少し時間はかかるが、手紙を読んで訳すくらいのことはなんとなくできるのだ。

秀吉さんは書く。バラバラの文字が躍っている。
「ねねはごはんを食べたか?他の皆は食べたか?○○に気をつけるように。子供もごはんを食べたか?もうすぐ帰れると思うからね。」
「そんなにごはんのことが気になるのかね?」私の訳を聞いてくまさんが笑う。「天下人のくせに、意外と細かいことを言うんだね。」

家康さんは書く。ちょっと文字が緊張して見える。
「ご機嫌いかがですか。あなたのご機嫌がすぐれないのは残念です。ほしいものは何でも買ってあげるから、この手紙を持って行った○○に言いなさいね。」
孫の千姫のご機嫌をとっている手紙だ。
ほかに打つ手がないから、物で解決しようという、不器用なおじいちゃんがそのまま手紙に出ている。1615年大阪夏の陣で、豊臣秀頼の妻であった千姫は「救出」されて徳川に帰っている。この「救出」が彼女の本意だったかどうかは、この手紙を見る限り怪しいものだと思う。

同じ家康の手で、右筆にあてて「○○さんへのおみやげを何でもいいからみつくろって贈っておきなさい」なんてものもある。「○○さん、先日はミカンひと箱わざわざ送ってくれてありがとう。」なんてものもある。

どれもこれも、実に興味深い。
歴史の教科書に出てくるあの有名人たちも、普通に生きていたんだなぁなんて、不思議な気持ちになった。
「どうせなら、あなたが話してくれるようなものを、解説につけておいてくれたらいいのにね。」くまさんも面白かったようだ。

「さ、もう3時過ぎですよ。王羲之展は…」
「無理ですね。心身ともに、もう歴史の重みに耐えられない。」珍しくくまさんが先に音を上げた。私も同意見だった。もう一回、上野に来ましょうということになった。







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ガリレオ・ガリレイが『天文対話』を書いて地動説を世に問うていたころ、日本では徳川幕府二代将軍秀忠が世をさった。同じ1632年、円空さんは岐阜県に生まれた。

家族との縁が薄かったらしい。父についてはよくわからない。母は、円空さんが19の頃、大洪水で亡くなったという。僧侶となるが、寺にいつくことなく、旅から旅へ。仏像作りは、母への供養から始まったとも読んだ。

「円空仏」という言葉がある。
それくらい、独特な仏様を彫ったのが円空さんだ。

実物を見たのが初めてというわけではないが、裏側まで覗いて見られたのは初めてだ。丸太を彫るのではなかった。1/2とか1/4とかに丸太を分割して、表だけ仏様にするものが多かった。

一見して荒削り。
しかし、よく見ると、荒いのではなくて、手数が少ないのだ。
中にはものすごく彫り込んで、磨き上げたものもある。
思い入れの違いのようだ。

生涯で12万体彫ったとか、彫ろうと願を立てたとかいう伝説があるらしい。
1695年に亡くなるまでの間、例えば50年間毎日彫ったとして・・・1年に2400体。1日に6.57体。中には1週間も2週間もかかったろうと思える作もあるから、日によっては30体くらい彫った日があったに違いない。

これは、すごいことだ。

一刀で微笑みの目元を彫り出す。
次の一刀で引き締まった口元を彫り出す。
およそ、迷いと言うものがなかったのだろうと思われる。

旅先で、誰彼となく頼まれては、気軽に彫ってあげたようで、今でも一般家庭に普通に受け継がれているらしい。

「円空さん、円空さん。最近雨が降らなくて困る。どうかひとつ、雨降りの仏さんを彫ってもらえんかね?」
「よいとも、よいとも。そら、できた。」
「円空さん、円空さん。うちの娘は子ができん。どうか子宝地蔵を彫ってもらえんだろうか?」
「よいとも、よいとも。そら、できた。」
「円空さん、円空さん。そんならウチの旦那の浮気の虫も治まるか?」
「よいとも。それそれ、弁天様じゃ。おまえ様にちょっと似とるだろう?」
「円空さん、円空さん。それならうちの子の体が丈夫になるように、ひとつ仏様をお願いします。」
「よいとも、よいとも。薬師如来様じゃ。毎日大事に拝むのじゃぞ。」
「ありがとうございます、ありがとうございます。」

なんて会話があったかどうか知らないが、狭い展示室に、目いっぱいに展示された円空仏たちを、ごそごそと満員の観衆と共に眺めていると、そんな声が聞えて来るような気がした。

「この狭さは、なんだか円空さんらしい空気を作りだすのに効果的ですね」
「だけど、ちょっと暗すぎるね。」

丁寧に眺めていたら、あっという間に出口になり、それでも1時間も見ていたようだった。

参考
円空展はこちらのリンクをご覧ください。円空仏の写真もたくさん見られます。
http://www.tnm.jp/modules/r_free_page/index.php?id=1556






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