Win-Win

あなたも幸せ。私も幸せ。

2013年02月


気付けば、20年もネットで文章を書き続けている。古いものは保存して、自分にしか見られない状態になっている。悲しいこと、嬉しいこと、苛立つこと、悩んだこと、いろいろな形でいろいろ書いたけれど、なぜそんな文章を公開したいのか、 自分でもずっとわからなかった。それが、今回『毎日が充実』を書いているうちに、ふいにその答えをつかんだ気がする。今回から、その答えに従って記事を書いていこうと思う。

さて。
100円ショップの品物には、どうやら当り外れがあるらしい。
接着剤などは残念だがやめたほうがよい。つけた端から落っこちてくる。でも、ガラスに絵を描くための「ガラス絵の具」などは素晴らしい。たっぷり遊べてシールもできる。

パーティーグッズコーナーなども面白い。別にパーティーの予定はなくても、何かないかな?と見て歩くと、不思議とアイディアがひらめいたりすることがあるからだ。

先日、サウナに持っていく濡れてもよいネット袋はないかと100円ショップに行ってみた。洗濯ネットでは味気ない。あちらこちらのコーナーを探して歩くうち、まぁ、これならよいかと思うものを見つけた。ピンクの生地に金色でキティーちゃんが描いてあるのには引いたが、まぁ、よいよい。

そのままレジに急ぐのでは、「プロセスを大切に」に反する。レジに向かう棚の商品を、丹念にのぞいてみた。すると、おもちゃのお金がたくさん並んでいるところを見つけた。大きさ、図柄とも絶妙だ。本物とだまされる恐れはほぼなし、だけどよくできている。1000円札や10000円札は両面印刷で、100枚ずつ束ねられている。見事な札束だ。

130203_1030~0110000円札の隣に、何か違和感のある札が並んでいる。
よく見たら、1000000万円札ではないか!
もちろん、こんなお札は存在しない。パーティーなどでお使いくださいと書いてある。これも100枚入りだ。ということは…1袋…1億円!?105円で1億円買えるなんて、お宝鑑定団にも滅多に出ないだろう。

百万円札は裏が白いとわかった途端に、ひらめいた
これをメモ用紙に使ったらどうだろう?

思いついたら買っていた。
翌朝すぐ、一番反応がよさそうな同僚にメモを置いてみた。

しかし、何度会っても無反応だ。
もう一度、このメモを置いておこう。丁度、深刻なお願いがあるところだった。

渡した翌日から、同僚は病に倒れ、1週間ほど出勤しなかった。不調な時にふざけたことをしてしまった自分を少しだけ悔いた。

久しぶりに出勤した同僚は、朝一番でやってきた。
「いや〜、二百万円もお給料いただいちゃって、ありがとうございます〜
書くのも渡すのも、もらうのも楽しいメモなんて初めてだ。

この反応にすっかり気をよくした私は、その日、管理職にメモを渡す必要が生じ、また百万円札を手にした。

会社の命運を賭けるような事件のさなか、管理職の反応は…






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全ての芸術は、音楽の状態になろうとしている。

高校生の時に聞いた言葉のような気がする。以来ずっと胸の底にあって、生きている間にこの言葉の真髄を感じてみたいと思っている。

熱が出た。昨夜帰宅した時はまだ36.6℃だったけど、全身の皮膚・筋肉・関節がひとつひとつ丁寧に痛むので、覚悟はしていた。わずか2時間で38.5℃。 いくら温めても奥歯がガチガチと音を立てるほどに震え、寒くて痛くて眠れたものではない。火つけじじいも出てこず、ひたすら耐える時間。頭の中に、気がかりに思っている物事が、夢うつつとなく現れては脅迫的に迫って来る。ああ、寝ている場合ではない、明日の休日出勤が可能か不可能かは、その後への影響が大きすぎる…でも、考えても無駄だ…と、同じことが繰り返し鳴り響く。音楽の状態どころか、騒音でしかない。しかも、止める方法がわからない。

そういえば、昨年の今頃、同じようなことを毎日経験していた。
片道45分の通勤だ。
カバンに文庫本を欠かさなかったが、活字に一切の興味を失った。節穴のようにぼんやりとした目は、外の風景を見るでもなく、中づり広告を見るでもない。ただ、頭の中に勝手に鳴り響く騒音を聞き、思っても詮ないことを考え続けていた。

通勤は、苦痛でしかなかった。自分で向かっているくせに、職場が近づいてくるのがうんざりだ。今日の予定をあれこれシュミレーションしては、どれだけ疲れるかとため息をつく。帰りは帰りで、掃除が行き届かない部屋や、書きそびれている礼状が浮かんで足が重い。

そのまま夏になり、休暇中に『剣客商売』を再読し始めた。言わずと知れた、池波正太郎の代表作のひとつだ。丁度8月31日に読み終わり、9月1日から『鬼平犯科帳』に移った。

はじめのうちは、ただ、不快な思考が止まるので、重宝だと思っただけだった。でも、歩いている時間以外を読書に向けることに慣れると、その時間がたまらなく楽しみになった。夢中になりすぎて乗り過ごしたことも1度や2度ではない。夢中になって読んだ後は、頭の中が澄み切った空のようになって、考えることも明るく建設的になる。

騒音に悩まされる苦痛な移動時間が、今ここに夢中になれるものを入れることで、楽しみな時間に変わった。

 
「去年も一昨年も、まるで夜も日もなしに、御役目にはたらかれて……」
 久栄の声には、切実なものがただよっている。
 ただ単に、役目をつとめているだけのものではない。平蔵は、わがいのちを張って盗賊どもを相手に休む間もなく闘いつづけてきたし、また長官みずからが、そうしてはたらかなくては、配下の与力・同心たちもいのちがけになってはくれぬ。
「つくづくと、ばかばかしく思うのだよ、久栄。」
 いつであったか平蔵が 、妻女におもわず零したことがあった。
「このように、一所懸命にはたらかなくてもよいのだ。よい加減にしておいて、他の人に交替してもらうのが、 もっともよいのさ。これではおれも、とうてい長生きはできまいよ」
「では、よい加減にあそばしたなら、いかがで……」
「できれば、な……だが、どうもいけない」
「なぜ、いけませぬ?」
「この御役目が、おれの性にぴったりはまっているのだ。これはその……まことにもって、困ったことだ」
「まあ……」
「他のだれがやっても、自慢ではないがおれほどにはできまい。なればこそやめられぬ。これはな、久栄。なにも悪党どもを征伐して諸人の難儀をふせぐ、などという偉そうな気持からではないのだ。つまりは、その……」
「この御役目がお好きなので……」
「いや、そうではない。好きではないが、やめられぬという……理屈ではわからぬことだ。 つまりはその、盗賊相手にはたらく御役目へ、おれはどっぷり足をとられてしまっている。いまのおれとくらべてみて、以前にいろいろとつとめた他の御役目なぞの味気なさを思い出すと、ぞっとしてしまうのだ」
「まあ、そのようなことを……」
「そのとおりだ。いずれも堅苦しく肩ひじを張っておつとめをする役目で、なんの新しさも感動もなかった。それにくらべると、いまおれがしていることは、日に日に新しい。いろいろな人間たちの、いろいろな心とふれあい、憎みながらあわれみ、あわれみつつ闘わねばならぬ。四十をこえて長谷川平蔵、人の世がまことにおもしろくなってきて、な……」
 なのだそうである。

『鬼平犯科帳』第六巻 「礼金二百両」より  


朝から、こんな一節を発見しては、胸を高鳴らせる。そうだそうだ、そうなのだ。余人は自分ほどにうまくできまい、なぞとは一切思わないが、それでも日に日に新しいこの仕事に、好きでもないのにどっぷりと足を取られている。だから私も平蔵さんが好きなんだ!

好きな本を読みながら移動する時間は、良質な音楽に酔いしれるのに似ている。

日中下がっていた熱が、また上がり始めた。明日で治るかしら。月曜朝の平蔵さんに会うために、せっせと養生しよう。






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