Win-Win

あなたも幸せ。私も幸せ。

2013年02月


JR上野中央改札口外にあるマルイの5階、マトリョーシカを後にしたのは13時少し前。それほどたくさん食べたわけでもないのにお腹いっぱい!

西郷さんでも見ながら行きましょうかと言うことになり、階段を上がると、なんと幕が張り巡らされている。どうやら改修工事中のようだ。えっ!上野に来たら西郷さんでしょうが(←特に意味なし)

「あ、ほらほら、ここがベストポジションですよ。写真撮らなくていいんですか?」
くまさんは何かを見つけたようだ。
幕の上から覗いてみると…

130217_1304~01「ほら〜。スカイツリーが西郷さんの帽子になった〜!」
「そ、そうですね。ぴったりですね。」
私は時々、自分の夫のツボがわからない。

まだ固いながら蕾らしきふくらみをつけ始めた桜の枝を見上げながら歩くと、夏にハシビロコウを観に来た時には工事中だった噴水公園がすっかりきれいになっている。ハシビロコウはかわいかったな…

「動物園、行かなくていいんですか?」
「えっ!いえ、時間も体力も限られていますから、今日はいいです。それに、ハシビロコウは暑い国の生まれですから、こんな寒い季節はきっとじっとしていて面白くありませんよ。」
時々、私の思考は夫にばれているようだ。

ところで我が家は、噴水とか噴火とか、とにかく吹き出すものが結構好きだ。予定になかったが、噴水の変化を見てみようということになった。噴水の周りにはいろいろな人がのんびりと座っている。中には「練習中・無料です。似顔絵を描かせてください」なんて集団もいて、人だかりがしている。

「あ、ほらほら、ここがベストポジションですよ。是非写真撮ってください。これは自分も撮っておこう!」
やけに盛り上がっている理由がよく分からないながら、撮影してみた。


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「撮れた?ほら、高さの違う噴水の真ん中にスカイツリー
そうか、君はそんなにスカイツリーが好きだったのか。知らなかった。今度連れて行ってあげよう。

東京国立博物館はもうすぐそこ。
大きな犬がスフィンクスみたいに脱力しながら毛の手入れをしてもらっている。長い後ろ脚を後ろに投げ出している姿がなんともかわいらしい。


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さ、使用期限が近い「円空展」から行きましょう。






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さて、オークションで手に入れた招待券は展示期間より短い使用期限がついている。

円空展は2月22日まで。
王羲之展は3月3日まで。

2月のどこか週末に行きましょうということになった。休日出勤が続いている私は土曜日を避けたいし、雪山スキーにでかけたいくまさんはあちこちの週末を埋めたくない。利害関係が一致した日は2月17日(日)だった。

11時30ごろ、少し早いお昼を食べて、お散歩がてらの参観が楽しかろうということになって、お店探しをした。

昨年、JR上野駅内にある『ブラッスリー レカン』に行ったことがある。あれは雰囲気もよく、美味しかった。
でも、Tシャツにデニム、トレランに使うスニーカーをこよなく愛するくまさんが浮き上がり、浮いている自覚をもつくらいの視野はあったようで、けっこう恐縮していた。行き先は説明してあったのだ。家を出る時に私の服装とのバランスがちぐはぐで、「それでいいの?」と確かめられたことを思い出してくれたろうか。

それでも、家の近くでは味わえないものがいい。
ふと、丁度1年前くらいに、友達と行った『マトリョーシカ』を思い出した。ロシア料理だ。壺焼きがとても美味しかった。それに、食後のロシアンティーがなんとも甘くて、幸せな気分に浸ったものだ。

探している時間がなかったこともあり、『マトリョーシカ』に強引に決定。
で、電車ででかけた。
「カメラは?」
「持ってきた!」
「ありがとう。ボルシチと壺焼きとデザートの写真を撮って、ブログに載せたいの。」
「はいはい。」

『マトリョーシカ』に着くと、11時45分というのに、ほぼ満席だった。それでも運よく空いているテーブルがあり、少しも待たずに席に着くことができた。

それぞれちがうランチコースを注文して、おしゃべりしながらのんびりと待った。地理にも世界史にも疎い私を相手にロシアの話は盛り上がらず、代わりにお互い異動になるこの春の話で盛り上がる。

と、隣の席に若い8人組がやってきた。4人ずつ分かれて座ると、テーブル越しに話しながらはしゃいでいる。男性2人に女性6人。「○○先生のおっしゃる通りにしたら…」などの会話から、初めは大学生かと思ったが、その割にはとうが立っている。

おっ!待ってました。サラダに、ボルシチ。続いて壺焼きが来た来た〜!
壺焼きは、くまさんのエビの豆乳ソースより、私のカボチャとキノコの方に軍配があがる。カボチャ味の濃厚なシチューに舞茸があんなに合うとは思わなかった。カップをふさいでいるパンは、抹茶パンだった。これを崩しながらシチューにひたしていただく。もっちりとした食感のパンで、とても美味しい。

一番年上に見える男性がチーズフォンデュを頼んだ隣のテーブルは、全員が自分のフォークでフォンデュを楽しんでいる。時に隣のテーブルからもフォークを持った女性がやってきて、立ったまま食べたりしている。バーベキューじゃないんだから、それはやめなさいよと思うが、この集団、どこか憎めない明るさを持っている。無作法なのだけど、屈託がなくて、それほどイライラさせられない。

くまさんはボルシチを、私はピロシキを食べながら、なんとなく、隣の集団の正体を探り始めた。どうやら「○○先生」は曲者らしい。8人でため息をついては、「お世話になっていながらなんだけど、いないほうが平和だね」「あなた、言っちゃいなさいよ」「そんなことできるわけないでしょ」「あら、私は言っちゃったわよ」「おおお!」などと言っている。

お隣の男性がチーズフォンデュに追加のチーズと3杯目のグラスワインを注文した時、私たちのテーブルにデザートが届いた。くまさんのコースにはデザートがついていなかったのだが、お店の人が気を利かせて「スプーンをお二人分用意しましたので、ご一緒にどうぞ。」それはうれしい。独占はできなくなったけど。

隣のテーブルから核心を突くひとことが聞えた。
「来週の2歳児組は朝早くからが続くから、今日の息抜きは貴重よぉ」
ビンゴ!
お隣は保育士さん集団であったか!
なるほど、だから無作法と言うよりあどけなさの方が強く伝わるのだ。
くまさんも聞き逃さなかったらしい。

あ!
「しまった!空腹と気が散っているのと、美味しいのとで、写真を一枚も撮ってない!」
「ほらほら、これだけでも撮りなさいよ。こうしたら、ロシアンティーも入りますよ。」
「あ、ありがとう。シャーベットがとけないうちに…」

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おいしかった〜






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王羲之展のチケットを手に入れそびれた姉さんは、同時期に同じ東京国立博物館で開催されている特別展・円空展のチケットはどうかと尋ねたそうだ。

係の元に届いていた無料招待券は、これも先着順で、既にどなたかの手に渡っていた。

姉さんの怒りは留まるところをしらない。円空に興味があるかどうかということより、タダで本物が見られるという魅力が目の前で消えうせたことが許せないようだ。その毒舌をここに書いているとまた笑いたくなるので割愛しよう。

円空も王羲之も観たかった私は、即刻くまさんに託してみようと考えた。職場は違うが、もしかしたら同じように招待券が届いているかもしれないではないか。

私の熱心な…もとい、執拗な要求に応え、くまさんは職場の担当さんに問い合わせてくれた。すると、なんと王羲之はすでに受け取られた後だった。くまさんは言う。「そりゃ、100人超えの職場2つで、ひとりふたりしか関心を示さないような特別展を、国立博物館が開催するわけないじゃん。」…………なるほど。 

130223_1140~01それでも、100円割引券すらなかった我が職場と違い、くまさんの職場から円空展の無料招待券1枚と王羲之展の割引券2枚をいただくことができた。ありがとう、ありがとう。

円空も王羲之も、どうでもよさそうなくまさんだったが、一緒に行こうよぉと熱心に…もとい、執拗に誘われて、しかたなく行く気になったようだ。そうなると、このハンパなチケットがどうにも気になる。

当日、博物館の前で長蛇の列に並び、チケットを購入するのはスマートさに欠ける気がする。かといって、ネットやコンビニで購入して、この綺麗な写真がついていないのも悲しい。なぜなら、半券を出かけた日の手帳に張り付けて保存しているからだ。私にとって「本物のチケット」はけっこう意義深いのだ。

ふと、ネットオークションを覗いてみた。それまで、チケットをオークションで手に入れるという発想はなかったのだが、調べてみたらドシドシ出品されているではないか。しかも「新聞屋さんにタダでもらいましたが、興味がないので…。」なんて書いてある。これを落札しても法律違反にはならないだろう。

とういうことで、入札してみたら、本来の1人分の値段で2人分の王羲之展と、格安でもう一枚の円空展の招待券が手に入ってしまった。おお。

送られてきたチケットをよく見ると、老眼が始まっている目でもよく見えるような大きさで、こう書いてあった。


「それそれ。ちょっと、聞いてよ!もうないんだって!!先着順ってズルくない?あたし、文句言っちゃった!そんなことも分からないなんて、バカじゃないのっ

この姉さんは口が悪い。年上だろうと関係ない。姉さんを怒らせた日にゃ、身も世もなくやっつけられてしまう。この職場で、姉さんに「その言い方はダメ!お口にチャックなさい!」と言えるのは私だけになってしまった。すると姉さんは「Hikariさんが私をいじめます〜」と管理職に向かって叫ぶ。管理職はこのやり取りを爆笑しながら見ている。

 脱線した。

 姉さんが何を憤っているのかと言うと、東京国立博物館で開催される『王羲之展』の招待券が2枚あるから希望の方はどうぞというアナウンスがあったので、「私、いただきに行こうかしら?」と言ったことに端を発する。

『オウギシ』に興味を示す人がこの職場にいるとは、実は思っていなかった。書道の教員免許を取るために、大学で始めた書道では、この書聖・王羲之の書をこれでもか!と臨書させられた。高額のテキストには、彼の書が山ほどあって、今でも大事に持っている。苦労に苦労を重ねて提出しても「筆先の動きがですね…」意味不明の指摘を受けたものだ。

とはいえ、それほどの有名人とは思えず、マニアックな知識人か国語科が興味をもつ程度だろうと思ったのがいけなかった。きっとアナウンスした人の近くの席の方が、ふっと受け取ったのだろう。

実は姉さんも国語の免許持ちだ。だから、オウギシを知っていた。しかも、ペーパードライバー状態の私と違い、書道の指導ができる。関心を持つのは当然だった。私より先に体を動かし、もらいうけに行ったようだ。

しかし、私や姉さんが座っている席と、アナウンサーの席はとっても遠い。タッチの差で先着順に負けたことが怒りの炎につながったようだ。

「あらまぁ。あなたと私くらいかと思っていたのに、他にもいたのね。侮れないなぁ。」のんきに言う私に、姉さんはなおさら怒りの炎をたぎらせていた。そのやり取りを隣で聞いていた我がチームのチーフが尋ねた。

「二人してそんなに夢中になって…オウギシって、そんなに有名なの?初めて聞いたけど。」
「書道界の神ですよ。書聖ですよ。彼がいたから書道が芸術になったんですよ。」
「へぇ。すごい。そのオウギシって生きてるの?」

私と姉さんは顔を見合わせてしまった。
「チーフ、今の質問って、『モーツァルトは今も生きてるの?』って聞いたのと同じくらいすごい質問よ。」
「え?」

チーフは音楽大学の出身だ。
この例えはツボだったらしい。
「信じられない!無知にも程があるよ!もうそんなヒジョウシキなオロカモノとはしゃべりたくない〜」
カサにかかってからかう姉さんに反論する気力も失せたようだ。

いや、知らないって、オウギシは…。






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ヒルクライムが2009年に出した『春夏秋冬』という歌がある。
説明するより、聞いてもった方が早いかな。
やってみたことなかったけれど、YouTubeのリンクをつけてみよう。
おや、簡単だ。

いきなり大きな音がしないように気をつけて、よかったら聞いてみてほしい。
(最初20秒くらい音がないので心配しないで!)



どうだろう。
あなたは、この映像と歌を、どんなふうに感じただろうか。
どんな感情を抱いただろうか。
または、何か、誰かを思い出しただろうか。


ある晩、不意にこの歌が耳に止まった。
聴き覚えがあったけれど、真剣に聴いたのはその時が初めてだった気がした。
驚くことに、体が勝手に泣きだした。
ぽろぽろと涙が流れて止まらない。
どうして?

ひとり、家のリビングで、テレビを見ていたのだ。
そうしたら、この曲が始まった。
SMAPとヒルクライムのコラボだった。
感動?いや、ちょっと違う。歌がうまいわけでもない。

心臓のあたりがギリギリと痛くて、ちょっと寒気がした。
どうにも涙が止まらないまま、ネットで改めてこの曲を聴き直した。
ますます、泣けてきた。

3回目だったろうか。
聴き直していた時に、不意に理解した。
この、恋人を思うハッピーなラブソングを聴きながら、私は失ったものを思い出しているのだ。正確に言うと、実際に失ったものを思い出しているのではなくて、この曲のようなことを言ってもらうような関係性や場面は、絶対に自分には与えられないという確信めいた悲しみが、私を泣かせているのだ。

これは、いったい、何?
自分で自分を理解して混乱する。
久しぶりのことだった。

その日から、この歌が頭を離れなくなった。
ひとりで帰る暗い道や、エレベーターの中で、不意に再生される。
そうして、また泣きそうになる。
私にとってこの歌は、悲しい歌の代表曲になった。


年末に熱を出して、これまでの生き方を振り返ることになった。結果ばかりを気にして、途中経過を全然大事にしない自分。プロセスに関心がない自分を見つけた。結果は思いどおりにならないのに、思い通りにしようと必死になって、でも、結果を出すための「今」は面倒で、厄介で、消したいばかりだった。

でも、結果ではなくて、プロセスのひとつひとつを大切にしたら…楽しいとか嬉しいとかいうのは結果ではなくて、今していることや、今目の前にあるものの中で探しだすものだと気付いてみたら…目の前の景色が激変したのだ。

楽しい一日というのは、眠りにつく寸前に「ああ、今日は楽しかった」と思えることではなかった。目覚めた瞬間から、楽しいを積み重ねて、積めるだけ積んで眠りにつくことだった。

そうと分かると、人生は、決断の連続なのだなと分かってきた。今この瞬間を幸せでいるには、気に食わない出来事を何百回目かの再生で思い出すか、次の週末の予定を考えるか、どちらを選ぶかは私に任されている。

今度はどこに行こうか?そんな楽しい予定が待っているなら、今これを終わらせよう。意識して生き始めると、楽しい気持ちでい続けることは、それほど難しくないのだと思えてきた。


年が改まり、仕事を再開して間もなく、暗い帰り道でまた『春夏秋冬』が鳴り始めた。ところが、この日は感じ方が180°変わっていた。この歌は、プロセスを生きること、そのものを歌っているのではないか?「ずっとあなたと一緒にいたい」という気持ちは、春夏秋冬、一緒にどこかへ行き、同じものを見て同じ風に当たって、小さな一緒を積み重ねて行くことで実現するんだね。

その一瞬を共にできる人ならば、まだまだたくさんいるはずだ。その中の幾人かは、いつか気付いたら長い親友になっているかもしれない。親友という結論が大事なのではなくて、当たり前につながっている時間の積み重ねこそが大事なんだな。

半年前はあんなに泣けた曲なのに、今は聴くたびにワクワクと楽しくなる曲だ。

不思議な歌もあったもんだと思う。
こんなこと、私だけでしょうかね?






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平日のバレンタインは大変だ。朝から職場の独身男性がそわそわしている。今週はわけあって、家を6時半前に出る。通常より1時間早いわけだ。駅が男性がちなのを面白く感じている。が今朝は女性が多かった。大きな紙袋に小分けをしたかわいらしいラッピングが山ほど覗いている。

DSCN1865私も同じような袋を抱えて出勤した。バレンタインはくまさんにしかチョコなんて買わなかった。でも、今年は特別。チームワークよく働いている仲間たちに何か渡したくて、いろいろと考えた。結果がこれだ。

ブラックサンダー・コンプリートパックを作ってみたのだ。

ブラックサンダーといえば、体操の内村航平さんが大好きだというので有名になった駄菓子だ。それをありったけ集めてみた。ピンクの袋に入った「ラ・ブラックサンダー」は、バレンタイン仕様の楽天限定品だ。他のものもあちこちから取り集めてみた。

ブラックサンダーファンは私が思っている以上に多かった。私は名前だけは知っていたけれど、食べたのは3週間ほど前が初めてだった。一度も食べたことがないと言ったら、でき過ぎ君がくれたのだ。

いやぁ、美味しかった!その感動×収集癖=コンプリートパックとなったわけだ。反響は上々、ナイスチョイスだった。

これなら山にも持っていけるので、くまさんにも1セットあげることにした。 しかし、これだけではなんだな。
ちゃんとしたチョコもプレゼントしよう。百貨店の特設コーナーを歩いて、よさそうなものを見つけた。でも、どんなものかはナイショだ。

DSCN1861これでいいかと思った時、こんなものを見つけた。真っ赤なハートを抱いた、クマのペロペロチョコだ!これがメインでもいいのではないか?と思うほど気に入った。値段じゃないよね、と言いつつ189円のそれはお手頃価格。

くまさんに渡すと、へぇ〜と見つめて、こう言った。

「また、食べにくいなぁ。いつまでも食べられないかもしれないから、一気に食べちゃおう。」

昨年、プレゼントしたレダラッハをいつまでも食べないで飾っておいて、私に文句を言われたのを覚えていたらしい。カメの形をしたパンは、平気な顔して包丁で左右真っ二つに切って「半分こね。」とかいうくせに、やはり共食いはしたくないのか。

ところで、私もくまさんからバレンタインのプレゼントをいただいてしまった。
DSCN1866








クマクッキー・・・噛みついていいの?








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朝9時半。
大急ぎで家を飛び出した。
朝一番で映画が観たかった。
待ちに待った『ストロベリーナイト』だ。

映画館までは歩いても10分かからない。
上映開始は10時だから、楽に間に合う。

あ、メガネ忘れた
しかし、戻っているほど時間はない。
まあいいや。前の方の席で観ればなんとかなるだろう。

え!?
なんと、10時からの上映で空席はあと2つ?
それも、そんな後の列の壁際って…。
いいです、次の上映で…ええ、そのお昼からのにしてください。
こちらもけっこう埋まっていますね。
あ、その最後列の真ん中、そこがいいです。

あ、なるほど。
今日は3連休最終日にして月曜日。レディースデーで1000円なのですね。
だから混雑しているんだ〜。
感心しながら、一度帰宅した。

出遅れたのは、掃除だの洗濯だのとしていたからだ。くまさんは泊りがけのスキーになったようで、今日の夕方まで帰らない。家の中のいらないものをせっせと捨てるのは私の大事な役割だ。ひとりの時が断然うまくいく仕事のひとつだ。

帰宅してもまだ10時前。
クリアになった頭でふと、一昨日休日出勤してやろうとしていた仕事について、いいアイディアが浮かんだので、ちょっと取りかかってみる。やり始めればどんどん進む。夢中になるうちに、あっという間に時間が来た。と同時に、使っていた材料が切れた。買い出しを兼ねて、早めに家を出る。今度はメガネも忘れない。

しまった、昼食を忘れた。

『ストロベリーナイト』は、ドラマから夢中になって観た。陰惨な事件が好きなのではない。竹内結子さん演じる姫川玲子という刑事が、背負った過去に負けまいと立ち向かう姿がたまらなく好きなのだ。彼女は、思いだけではなくて、行動で過去に立ち向かう。これこそ、私が発見した「プロセスを大事に生きる」ことのひとつの具現だ。

それと、姫川さんに思いを寄せる部下・菊田を演じている西島秀俊さんがなんともカッコいい。ドラマでは曖昧なままだったけれど、映画ではどうか姫川さんがふり向いてくれますように!私は菊田さんの応援団だ。菊田さんはそんなこと全然知らないと思うけど


昨日、「応援され力がほしい」と書いた。
応援しているよって言ってもらって、なんだか本当にほんとうにうれしい。
私が「もっと応援され力がほしいなぁ」と思うのはこんな時だ。
応援団がほしいのではない。

私は、時々忘れてしまうのだ。
自分がどんなにいつも応援されているか。
見える人にも、見えない人にも、神様にも、どんなに支えられているか。
元気な時には覚えているけど、疲れたり慌てたりしている時はふと忘れてしまう。これを、どんな時でも忘れない力、それが「応援され力」だと思うんだ。

愛されることを知らずに育った子供が愛を知るには、自分が誰かを愛するしかない。

応援されていると気付かずにいる人が応援を知るには、自分が誰かを応援してみればいい。

そういうことなんだね。
今日も、ありがとう。






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013005三連休中日。くまさんは早朝というより、まだ夜のうちに起きだして、スキーにでかけたようだ。元気だなぁ。先週までは一緒にでかけるつもりだったが、発熱の余波でぐったりしているのを見て、ひとりで行く気になったらしい。

午前4時半。目覚ましも鳴らないのに、律義にいつもどおり目が覚めた。いいのよ、今日は。体に言い聞かせ、もう一度ベッドに入るとたちまち熟睡して、次に目覚めたら7時半だった。日常なら確実に遅刻だ。こんなことでようやく、休日を楽しんでいる実感がわいてくるのも面白い。

朝刊に、浅田真央ちゃんの笑顔が大きく踊っている。四大陸選手権、ショートプログラムで2年ぶりにトリプル・アクセルを成功させた彼女の笑顔は圧巻だった。ご覧になっていた方も多かろう。

心の底からの笑顔というのは、ああいうのを言うのだろう。演技の艶、華やかさの全てが、あの笑顔に彩られていた。本当にかわいくて、豪華で、素敵な笑顔だった。とびきりだ。


2年間も、うまくいかないことに取り組み続けるなんて、なかなかできないことだ。しかも彼女はトップアスリート。人の目もある。プレッシャーもあるだろう。「スポンサー」などという、庶民には想像しかできない応援者であり圧力でもある存在が、ガッツリと後ろにいるのだから、焦らない方がおかしい。

自分を信じる力が全てだなぁ、などと、かみしめる思いでインタビューを聴いた。滑るものはスケートも入試も凍った道を歩くのも苦手だが、転ぶたびに痛かったろう、立ち上がるのは苦しかったろうと想像する。少ない言葉の裏に、どれほどのものが隠されているか、想像以上に違いない。

新聞では、コーチがいかに彼女を守り育てたか、熱く語られている。

そうか。
応援される力というものもあるんだな。
プレッシャーだけでなく、支えられる力も持っているのだ、きっと。
これは、自分を信じる力よりも、難しいかもしれない。

私もほしいな。応援される力。






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元気ぶっても歳だなぁ。高熱の後の立ち直りが遅い。今している仕事の関係でどうしても休むわけにいかず、ちょっと早めの帰宅をかさねたものの、今日予定していた休日出勤は体が断固拒否するので、やめることにした。

よしよし。それならおうちで。
早く箱を開けよう。
先日届いていたのに、手を出す間もなく眠るしかなくて…。

これこれ。

先日、ご霊前を用意しようとして慌てふためいた時、二度とこんなことがあってはなるまいと、注文したノートが届いていた。コクヨ「人とのおつきあいを大事にするノート」だ。

赤い表紙はどうかとも思ったが、白濁したビニールカバーのおかげで柔らかな印象になっている。中をひらくと、漫画仕立てで、どうしてこういうノートが便利なのかを分かりやすく解説してある。アマゾンのレビューでは、結婚したからこのノートを用意したとか、就職したのを期に書き始めたとか。出産祝いをいただいて、記録しておきたくなったというのもある。う〜ん、私は「おつきあいを大事にしない人」であったようだ。

まず「大切な日一覧」というのがある。いろいろな記念日などを書いておくようだ。
手帳が変わるたびに書き写すのがめんどうだったのを、今の手帳では「大切な日一覧」のページだけ使いまわせるようになっている。が、ここ数年、書き足した記憶がない。滅多に見もしない。う〜ん、私は「大切な日を大切にしない人」であったようだ。

次は「親族の冠婚葬祭メモ」。3人いる弟のうち2人は結婚したし、子供も合計3人誕生している。が、誰の結婚記念日も誕生日も記憶していない。記録も多分ない。くまさんの家族にしてもそうだ。あちらは実にあっさりしていて、ご両親の誕生日すら祝う習慣がない。だから、書こうとしても書けないのだ。う〜ん、私は「冠婚葬祭に疎い人」であったようだ。

つづいて「いただいたもの一覧」と「さしあげたもの一覧」。贈り物が大好きで、街を歩いていてよいものが目に付くと、「これって、あの方が喜びそう!」「これは今度のお誕生日にどうかしら?」とよく考える。いただくことも多い。わぁ!っと喜んでいただいてしまう。でも、誰に何をいつと、忘れずにいるほどの脳は持ち合わせていない。あるいは失礼なことをしていたのかもしれない。う〜〜ん、私は「忘恩・一過性の贈り物好き」であったようだ。

次は「お気に入りの手土産メモ」「お気に入りの飲食店メモ」。これは使えそう。友達から教わったり、テレビでみたりして、「これはいいわ!」と思った情報を忘れないようにメモはする。でも、手帳に書き写さない限り、そのメモがどこかに行ってしまう。手帳に書き写しても、毎年更新するので、「あれって・・・?」と探した時には行きつかなかったりしてきた。さっそく書きつける。「上野エキュート パンダマカロン」「大分空港 木こりのこしかけ バームクーヘン」「博多 ひよ子のやきもち」「神戸フランツ 壺プリン」「宇都宮 夏のかりまん」…あれ?いただいて美味しかったものばかりだ。

出身地や食べ物の好み、アレルギーまで、細かなプロフィールが書きこめる「おつきあいのある人」のページが30人分。そんなに深い付き合いの人は片手で足りそうな私にはもったいない。これから毎年3人ずつ増やしても10年使える。お、見落としていたが、「親族表」というのがある。自分をめぐる家系図を書くための表だ。さっぱりわからん。「こどもにいただいたお年玉」のページも充実している。子供がいないから差し上げた…に活用しようか。でも、記録するほどあげてない。

赤いノートを買っただけで、ご縁つたない自分の姿が浮き彫りになった。
それならそれでいい。
今あるご縁を大切にするために、このノートを使ってみよう。
漫画の中で良子さんも言っている。
「人とのおつきあいをもっと大切にしたいから、ちゃんと記録しておくわ!」 

問題はただひとつ。
どうやったら、自分がこのノートを書き始めた事実を忘れずにいられるかだ。






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高熱を発してうなっていたころ、知人が亡くなった。
知人といっても一面識あるだけなのだが、間に立つ人が私とはとても親しい。本来ならいろいろとお手伝いに上がるところだが、不調もあり、遠方でもあり、連絡すらうまくとれずにいるうちに、今日、初七日の法要まで終わったとのことだ。

悲しみと苦労の多い方だった。体調を崩してから長く床についていたと聞く。床につきながらも、先立たれた伴侶を看取った方だった。いろいろな環境が整い、これからようやく楽しみが増えるかと思った矢先の急逝だったそうだ。

心からご冥福をお祈りします。

親類縁者がみな高齢で参列できず、家族だけの小さなお見送りだったと聞いた。ならばなおさら、すぐにもお香典を送って、せめて香華を絶やさずにと思い立った。

不祝儀袋を用意し、薄墨の筆ペンでくまさんと連名の署名をした。内袋に名前を書いたところで、ふと、いかほど包んだものかと手が止まった。

これが会社の同僚のご家族とか友達のご両親とかいうことだと経験もあるし、周囲で相談して…ということもできるから相場がわかるのだが、今回のような微妙な間柄はかつてないことだ。失礼があってはならないので、調べてみようと思った。

ネットは便利でありがたい。お香典の相場が一覧表になっているとは!
ふむふむ、なるほど。
両親だと10万円、兄弟姉妹で5万円…用意する人の年齢とお亡くなりになった方との関係で相場が決まるのか。ということは、今回の場合は…このあたりに相当するのだろうか…

セカンドオピニオンも求めることにした。
別のサイトを見ると、全く違うことが書いてある。「お香典は5000円がいいところです。1万円以上も包むのはよほどのことがないかぎり、かえって失礼です。もし葬儀に参列し、饗応にあずかるようならそのお代を加えるのは問題ありません。」
ふむふむ、そういう考え方もあるのか。

あまりにもかけはなれているので、サードオピニオンも求めることにした。
「親類と相談して1万5千円にしたら、こっちからは以前10万円包んだのに、非常識で失礼だと先方から叱られた。私のお香典の額は失礼だったのでしょうか?」といった趣旨の相談だ。
回答には、実に丁寧親切、真摯な意見が寄せられている。関係性もあるだろうが、もらった同額を要求するというものではない、ということは共通見解のようだ。が、そういう可能性は見越しておくのが常識という意見もある。

「香典帳」なる言葉を初めて知った。いつ、どなたに、いくらのお香典をおくったか、いただいたかを記録しておくもののようである。なるほど、これがあれば、私のようなトリ頭でも、過ちは減らせるだろう。いまだそのような場面に出くわしていないからいいようなものの、「Hikariさん、母の時には1万円だったのに、父の時はどうして3千円なのかしら?私嫌われるようなことした?」なんて思われるようなミスをいつしでかすかと、内心恐れているのだ。

そういえば、今回みまかられた方のお連れ合いが亡くなった時、私はどうしたのだっけ?
微妙な関係はかつてない、なんてウソだ!わずか昨年の夏のことではないか!

暑い夏の日だった。その時も私は参列がかなわず、中に立つ人とメールでやりとりしたのだ。そのあと、どうしたろう?お香典は送ったろうか?いくらだったのだろう?記憶をいくらたどっても、まったく思い出せない。ああ、香典帳のことをもっと前に知っていたら!!!

この上、第4の教えを探しても混乱するだけなので、あとは自分の肚と相談することにした。

いつの間にか、誠意さえあれば多少の失礼は許される年齢を超えてしまったことに、今更ながら気がついた。






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