一本うどんの年賀状で「そうかぁ」となる前のこと。
安比高原でスキーをした日のことだ。
運動が苦手な私が、唯一「楽しい」と思って20数年も続けているのがスキーだ。その都度、身の回りにいた上手な人たちにくっついてゲレンデに行き、見よう見まねで覚えた。スクールに入って初歩から習えばよかったものの、できる友達からひとり離れる寂しさと、何より、インストラクターさんから「こいつ教えてもぜんぜんできるようにならないんだな」と思われるに決まっているので、それがいやで逃げてしまった。
だから、ぜんぜん上達しない。
急斜面は怖いし、コブがあると滑れないし、長い距離を一気に滑ることもできず、非常に疲れる。
それでも、20年もやっていると、「これくらいの場所で、これくらいの滑り方なら快適に滑れる」という加減はできるようになる。その範囲を越えなければいいのだ。
安比は寒かった。吹雪がやまず、-15℃とわかると、覚悟の重装備であったにもかかわらず、靴の中の指がこおっていく気がする。自分の快適ゾーン程度では体を温めることができず、 あっという間に休憩したくなった。
スキーの楽しみはなんだろうと自問自答する。休憩の時のケーキセット。それから、滑った後の温泉。
あれ?
それが楽しくて、こんなに長い間スキーをしてきたのだろうか?
ウエアに着替えるのは面倒くさい。板を抱えて歩くのは重たくてちょっとイヤ。最近は減ったけど、リフト待ちの長い列は大嫌い。斜面は怖くて、「風になる〜♪」と感じる場面はとても少ない。滑っている時間も、「休憩、ケーキ!休憩、ケーキ!最後は温泉!!」と思っているのだ
あれれ?
だったら、最初からケーキセット食べて、温泉に入った方がいいんじゃないの?
ここにも、スキーにでかけながら、滑るというプロセスを見ずに、終わった後のことばかり考えている自分がいた。「プロセスじゃな」と言った、火つけじじいの言葉が蘇る。この場合、プロセスとは、滑ることそのものだ。
よし、滑ることそのものに集中しよう、楽しもうと思った。
思ったものの、状況が悪すぎる。 それでも、やってみようと思った。
スラロームという競技がある。ポールの間をすり抜けて滑るのだが、今まで何度かやってみたものの、できた例がない。ポールとポールの間で、2度も3度も曲がってしまうのだ。みっともなくて恥ずかしい。だから、あまりやらない。でも、この日、誰もいないスラロームコースを見つけた。やってみることにした。集中っ!
あっけなく、できてしまった。20数年にして、やっと目指す場所に自分を移動させることができたのだ!!
おおっ。これはすごい。まるでオリンピック選手になったみたいで、ちょっと誇らしい。
非圧雪バーンにも入ってみた。くまさんは、こういう新雪がモフモフ積もったところばかり滑りたがるが、私はまったく降りられないので、普段は絶対に入らない。でも、やってみることにした。集中っ!
しかし、できないものは、できないもんだ。転んだ瞬間、ふかふかの雪にスキー板が深く突き刺さり、抜けなくなってしまった。もがけばもがくほど、お尻まで雪に埋まっていく。すでに滑り降りてしまったくまさんは、下から見上げて「がんばれ〜」とのんきな声を出している。でも、全く動けなくなった私を見て、これはマズイと思ったらしい。思っても、簡単に助けに行けないのがスキーだ。
私は急斜面の下の方に体を投げ出してバンザイの姿勢になった。体が滑りおちる勢いで板を抜こうと試みたのだ。捨て身の勝負は成功し、何とか抜け出すことができた。幸い怪我もしなかったので、キャー、タスケテー、と騒ぎながら残りの100メートルほどを滑り下りた。
ほぼ平らになって、ほっとした瞬間だった。
またもや、モフモフに板が突き刺さり、一回転して頭から雪の中に埋まってしまった。
うぎゃ〜
向こうでくまさんの笑い声がする。よほど見事なフィニッシュだったのだろう。
雪の中から頭だけ抜いて「しまった〜」とわめきながら、なんとか体や板を雪から抜こうともがいた。いくらもがいても抜けない。くまさんが掘り起こしに来てくれた。すると、頭の上を通っていたリフトから大笑いの声たちが聞えた。
「油断大敵だよ〜」
「お見事〜」
「がんばれ〜」
知らない人たちが大笑いしながら声をかけてくれる。きっと、成り行きを見ていたのだ。
私は、腹の底から可笑しくなってしまった。爆笑していると、またまた、リフトの人たちも笑い始めた。
くまさんも、大笑いしている。
みっともないことをしたけれど、スキーはやっぱり楽しかった。
こういうことか!と思った。
最初からケーキセットを食べるより、温泉だけ入るより、ずっと楽しかった。
長いこと気付かずに、損したなぁ。
次回につづく。
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