Win-Win

あなたも幸せ。私も幸せ。

2012年10月


癌ですよと言われても、大して驚きもせず、悲嘆もなかった私でありましたが、日がたつにつれ、ふと思い出す光景がありました。それは、横たわるお父様に寄りそうあなたの姿でした。私にとってその光景はあまりにも忌わしく、二度と思い出したくないもののはずでした。なのに、繰り返し繰り返し脳裏によみがえるようになりました。

悔いがないと言えばうそになりますが、惜しむほどの人生でもありませんでした。したいことはし尽くし、したいことはすでに叶わないことばかりでした。今更ややこしい治療を受ける気にもならず、このまま命が火が消えていくのを心穏やかに見つめているつもりでした。なのに、あの光景をまた思い出し続ける日々が来たのです。私は困惑しました。

それは、ある日の午後のことでした。
その日は朝から体がとてもだるくて起き上がれず、ずっとベッドに入ったままでした。私の病気を知らないメイドたちが、2時間おきに寝室を訪れ、そっと様子を覗いていきます。私は眠ったふりをしてやりすごしました。

このままこのメイドたちに看取られて死んでいくのだろうかと、ふと考えた時でした。腹の底から絞り出すような寂しさがこみ上げてきました。全身の肌を余さず震わすような激烈な感覚でした。私はいつも一人ではありませんでした。必ず誰かにかしずかれてきました。その時でさえ、誠一郎さんや後藤たちとの連絡は絶えずあり、病気のことは隠していましたが、寂しい境遇ではありませんでした。

けれど、気付いてしまったのです。
私はいつもいつも、ひとりぼっちでした。
本当は、いつもいつも、寂しかったのです。

お父様から、あなたが愛されたようなやり方で、愛されたかった。
それは、父が娘を愛するやり方を、望んでいたということです。
そんなことは、思いもしないことでしたが、今こそ気付きました。

寂しくて、寂しくて、誰かに気付いてほしかったのです。
でも、誰も気付いてくれません。人がいるから寂しいはずはないと思うのでしょう。
私は苛立ち、腹を立てました。意地を張り、強がりました。
それはなおさら、私を寂しくさせました。







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家を出た花亜さんは18歳でしたが、後藤の家にいるなら安心です。私はあなたと顔を合わせなくて済む心の平安の方を選びました。20歳を過ぎて、屋敷の敷地から出たことも知っていましたが、あなたの好きにしたらよいと思っただけでした。

それより、あなたがリビングの長椅子に横たわるお父様におでこがくっつくほどに寄りそって、話したり笑ったりしていたあの姿が、いつまでも私の目にこびりついて離れないのには本当に苦しみました。なぜあれが私ではなく花亜さんなのか?答えは明快です。が、分かっていても悲しみと憤り、もはや取り返しがつかない絶望は消えることがありませんでした。

お父様の跡を継いだ誠一郎さんは、我が子ながら本当によくできた人です。彼は私が破れかぶれに仕事をしていることにすぐ気付きました。本当に、そのとおりでした。私はグループのことも、家のことも、もうどうでもよい気持ちになっていました。彼はスッパリと私の居場所を仕事の中から消し去りました。

私が厳しいから排斥したのだろうと噂が立ちましたが、違うのです。彼は、私の決断を待たず、私に自由とやすらぎ、許しをもたらしてくれたのです。どれほど感謝したかしれません。私はすぐ日本を離れました。行きたいところ、いてもいい場所はいくらでもありました。見たいもの、したいことはまだまだあるのだと、行けば思い出しました。

心楽しい日々でした。陽気なメイドたちは私に臆することなく、のびのびと働きます。美しいもの、美味しいもの、心揺さぶる光景を味わい尽くしました。なにより、人を責め、責める自分を自分で責める苦しさを忘れていられることは、何よりの幸福だと思われました。誠一郎さんはそんな私をいつも支え、気遣ってくれました。

もう、これでいい。日本に戻らなくても、いえ、戻らない方が私は幸せ。ほかの人も幸せ。そうしようと、一番気に入ったパリに屋敷を定めて数年、風邪をひいたのがなかなか治らず、細かな検査を受けた時に、癌が見つかったのです。思いがけないことでした。でも、これほどありうることはありません。私から出た毒が私自身を損なって何の不思議がありましょうか。







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あなたが現地に出向くと、私とお父様は後藤の…後藤の亡くなった父親ですが…報告を今や遅しと待ちうけました。依頼者がこんなことを言った、花亜さんがこう答えた、こんなことをしたと、聞いては話し合い、期待に胸ふくらませ、おどおどと心配しあいました。そうして、花亜にはこうして陰で二人見守っていることをけして悟られまいとお約束を繰り返したのです。

だからあなたは、今この時まで、このような裏話があったとは思いもよらずにいたことでしょう。私はこれでお父様と心通わせることができたと思いました。秘密を共有し、同志になれたとも思いました。それまでの、私の数々の非礼、無慈悲も帳消しになったと思ったのです。

しかしそれは、甘い考えでした。私は欲を出しました。お父様ともっと親密になるには、あなたの活躍の場を広げるのがよいと一人合点したのです。それまで、あなたの行き先はいつもお父様と相談してから決めていたのに、この時は独断で、あなたをマスコミに登場させる計画を進めました。きっとお父様も賛成し、後押ししてくださると信じて疑いませんでした。

しかし、結果は違いました。丁度、ご病気も悪化し始めた時でもありました。お父様が選んだのは、私ではなく、花亜さん、あなたでした。あなたを片時も離したくないとお考えになり、あなたを外に出そうとする私をお留めになったのです。

「そうですね、あなたのお考えどおりにしましょう。」と、私が答えていればよいことでした。今ならわかるこの道理が、その時の私には分かりませんでした。恥を忍んで書かなくてはなりません。私はあなたに心底、嫉妬していたのです。私からお父様の信頼を奪ったあなたが、憎くて憎くて、しかたがなかったのです。どうあっても、あなたをお父様から引き離さなくてはいられないほど、狂気していました。

もしも、お父様がご信頼なさったのが、妾でもあったなら、私はああまで狂わなかったでしょう。私であることのプライドを捨てることもなかったと思います。けれども、娘であるあなただったから、愛してやまないあなただったから、なおさら許せなかったのです。私の懊悩に気付こうともせず、それまで守られていたことを知ろうともしないあなたを、叩きのめしてしまいたいなど、誰に言えましょうか。

お父様はそれから間もなく、あっけなく旅立たれてしまいました。あなたは家を出ましたね。とはいえ、あなたの行き先はすぐに知れました。だって、あなたの乳母であった、後藤の母の家に行ったのですもの。後藤の家は、屋敷の敷地内にあります。わからないはずがありません。







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それでも、誠一郎さんを授かりました。男子の誕生は後継ぎを生むのが役割でもあった私を本当にほっとさせてくれました。この子には私と違い、本音に素直に誠実に生きてほしいとの願いを込めて、誠一郎と名づけました。おじい様もお父様も賛成でした。次に女の子が・・・あなたが生まれました。私はあなたに、私の思いを継ぎ、私を支え、私以上に幸せになってほしいとの願いを込め、花亜と名付けました。これにはおじい様もお父様も首をかしげていらっしゃいましたが。

幼子を授かった家庭の主婦として、私は自分の生き方を変える大きな機会に恵まれたのだと思います。しかし、幼いころから女王のように育てられ、何の疑いもなしにその道を歩いてきた私にとって、主婦とは何者なのか、理解することはできませんでした。子には乳母がつきましたし、家事はそれまで通りすることもありません。母として、私がすることはないかのように思われました。

その分、私は仕事に打ち込みました。お父様は相変わらず穏やかでした。私に向けられる視線には、かつての憐みに加えて、哀しみが混じるようになりました。気付かなかったのではないのです。気付いたからこそ、私は私を変えることができませんでした。

お父様が病を得てしまわれた時、私は言葉にならない深い衝撃と後悔とで自分を責め苛みました。白血病は死病でした。お父様は、お仕事にではなく、私という女がお傍にあることに我慢と疲れとが溜まりに溜まって、生きる力を失ってしまわれたのだろうと思ったからです。

お父様は残された時間を家族とともに過ごすことを望まれました。家族、といっても、私ではなかったでしょう。誠一郎さんであり、花亜さんであり、使用人たちであったと思われます。私はお父様がいつも家にいてくださることを密かに喜びました。が、言葉では伝えられないどころか、厄介者を抱えたと、ひどいことを言ってしまいました。一人布団で泣いて悔いたことは忘れられません。

花亜さん。そのような愚かな私にも、神様はまたチャンスをくださいました。そのチャンスはあなたを通じて訪れました。中学生になったあなたが、あちらこちらへ出向いて、経営の立て直しをし始めたのです。普段、会話のない夫婦でありましたが、この時ばかりはあなたのことをお父様とあれこれ話しあいました。

お父様はあなたの活躍を本当にお喜びでした。私も鼻が高く、ふたりしてあなたの自慢をし合ったものです。まなざしを通わせ、共に笑いあう嬉しさは、私がどうしても手に入れられなかったものでした。元を正せば私が取りつぶそうとしたから、お父様に相談が来て、あなたが出向いたのです。が、一度うまく進んでからは、お父様と相談して、あなたに立て直しができそうな店を選び、話を進めるようになったのです。







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花亜さんへ

あなたがこの手紙を読んでいるということは、私はもうこの世にはいないのでしょう。あなたはどのような思いでこの手紙をお読みなのでしょう。

花亜さん。私は愚かな母でした。至らない妻で、未熟な経営者でした。今になってようやく、それを認め、言葉にすることができました。ほんに愚かなことです。なぜもっと早く認められなかったのでしょう。そうすれば、不幸な人を減らすこともできたでしょうし、私自身、もっと幸せを感じながら生きることができたでしょうに。

あなたは、私があなたを愛していなかったとお思いでしょうね。無理からぬことです。そう思わせてしまったのは私の振る舞いを思い起こせば、当然と言わざるを得ません。でも、私はあなたを心から愛していました。愛するがゆえに、憎かったのです。その理由をお聞かせしようと思います。

あなたのお父様と私とは政略結婚でありました。もとより、恋愛など認められる時代ではありません。この家に生まれた私が嫁ぐ相手は、私の意思とは関係なく、おじい様がお決めになることでした。ですが、それは表向きのことです。本当は、ご用事で屋敷を訪れた若き日のお父様に私が惚れ込み、おじい様を説き伏せたのです。

おじい様は厳しい方でしたが、私のわがままは何でも叶えてくださる、お優しいところがありました。当時、お父様のご実家は、思いがけない負債を抱えておいででした。おじい様はその負債を補って余りある資金援助を条件に、お父様の婿入りの話をまとめてくださったのです。そうでなければ、私は都心のお堀の内に嫁していたかもしれません。それがおじい様の夢でしたので。

お父様の本当のご意思はどうだったのか、私は恐ろしくて確かめたことがありません。いつも静かに微笑んで、漂う空気は常に柔らかく温かく、春の陽だまりのようなお父様のお傍にいられること以上の幸せがあるとは、考えられませんでした。それが、おじい様の権威をもって、我がものになると決まり、私は天にも昇る気持ちでした。

ああ、それなのに。愚かな私は、私の思いを素直に言葉にすることも、振る舞いにすることもできなかったのです。それどころか、お父様をあざけるような言葉をわざわざ口にしたり、これ見よがしに冷たい態度をとったりしてしまいました。これではいけないと思う端から、言葉も行動も思いを裏切るのです。お父様の憐みを含んだまなざしを受ければ受けるほど、私は意固地になりました。







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絶叫したら、ふと、したいことがひとつ胸に浮かびました。私は安住さんにさようならを言いたかったのです。けりをつけてから、次に進みたいと思いました。このまま引きずるのは苦しかったからです。なんだか、チャンスがあるような気がしました。どう?融、私、被害者を卒業したわよ。

翌日はちゃんと仕事に行きました。カピバラ食堂は私のホームです。いつもかあさんがしている以上に丁寧に、机や磨いていた時でした。引き戸がカラリと開いて、安住さんが現れました。丁度おやじさんもかあさんもいる時でした。私の胸がコトンと鳴りました。

「那須へ戻ることになりました。皆様方には大変お世話になりましたのでご挨拶に参りました。」
そうか、那須へ帰っちゃうんだ。私は少しだけ、やっぱり悲しくなりました。
「弓子さん、先日お屋敷にいらしたそうで。何か大奥様のご用とのことだったので、急いで病院に参りましたが、後藤さんがお傍についていたので、私は引き取らせていただきました。」

「ごめんなさい、安住さん。私、安住さんにお会いしたかったのですが、用事はもう済んでしまったのです。那須はもうとても寒いでしょう。お体を大切になさってくださいね。」
「はい、ありがとうございます。弓子さんも。」
「はい。では、また。」
「はい、また。」

図らずも、私は安住さんにお別れの挨拶を言うことができました。「またね。」と言って、また会えるか会えないかは天に任せるのです。これが私の望む「さようなら」の形でした。ちゃんとできた。私は心が爽やかに冴え渡るのを感じました。今は、これでいいや。

その日から、私は何度となく、おばあちゃんのリゾートホテルのような病室を訪ねては、いろいろなお話をするようになりました。たいがい、おばあちゃんにハッパをかけられたり、叱られたりします。でも、おばあちゃんは私にできなかった生き方を実践してきた人です。師匠と思ってお話を聴いているうちに、いろいろなことを感じました。

季節はいつの間にか雪が舞い散る冬になっていました。カピバラ食堂の壁の”温泉カピバラ”がなんともホッコリと愛らしい季節です。私は、相手もいないというのに、二人で巻いても余るほど長いスカイブルーのマフラーを編み上げました。おばあちゃんに見せると「演歌じゃあるまいし、使い道のないものをどうする気だい?」とバカにされました。でも、予感がするのです。このマフラー、近々出番がやってくるって。







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瑠香は、動物に例えるなら白ウサギのようなイメージです。本当に色白で、ぽっちゃりした体はフワフワと柔らかくて、おっとりと日向ぼっこでもしているような性格です。仕事に完璧さを求め、部下の小さなミスも容赦なく叱り飛ばすあの部長と瑠香がどこで心を通わせたというのでしょう。

「理由なんてないですよぉ。もっと一緒にいたいなぁって思ったんです。これからずっと、いろんなことを一緒にしたいなぁって。彼がおじいちゃんになっても、寝たきりになっても。だから部長にお願いしてみましたぁ。そしたら、よろしくお願いしますって。相思相愛ですぅ。あははは。」

あははは、なんてものではありません。結婚式はしないけど、新居に引っ越しするから遊びに来てくださいねと言う瑠香と別れて、私はいつの間にか、融が亡くなった階段へと向かっていました。実家の近くなので、もう何年も足を運んでいません。階段の上には眺めのよい公園があります。あの日の融の真似をして、近くのコンビニで缶チューハイを買いました。

公園にはすべり台があります。夜更けの公園には人の気配もなく、酔って気が大きくなっていた私は、迷わずすべり台の一番高いところに腰かけて、缶チューハイを飲み干しました。私が安住さんにひとりよがりな片思いをしている間に、瑠香は部長と愛を育んでいたのか…。世の中どうなっているのか、さっぱりわからない。

100%私の責任だとしたら…。すっかり酔っ払った頭に、このテーマは重たすぎました。でも、ひとつだけ感じたことがありました。それは、今まで通りの考え方や行動をしていたのでは、今まで通りの結果しかでないだろうということでした。結果を変えたければ、行動を変えてみるのがよさそう。

さしあたり、今までの私なら、100%自分の責任と思った途端に、自分のあれこれが悪く思えて自己卑下していたに違いありません。だったら、今まで絶対しなかった行動をするとしたら…。私はすべり台の上に立ちあがりました。そうして、腹の底から大声で叫びました。
「私は、悪くな〜い!」







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いったい、人を信用する根本原理は、どんなふうになっているのでしょう。盲信でもなく、無関心でもなく、その人をただ信用している、自分はただ信用されていると思える心理は、いったいどうやって身につけ、知っていくことなのでしょう。学べるものなのでしょうか。

大人になれるまで生きられた人は誰でも、ほんの1年か2年だけど、一人では息することしかできない時期、守って抱いて全面的に面倒を見てくれた誰かがいたはずです。その頃は、その人のことを信用していたはずです。それとも、その頃から私は「この人は明日にも私の世話をやめるんじゃないかな?」と感じていたのでしょうか。

だとしたら、それはとても悲しいことです。でも、その悲しさは、私の人生の前提条件なのです。誰のせいでもない、ただ、そうだということを認めたところからスタートです。私が誰より信用したくて信じていないのは、自分自身のことだったのです。だから、こんな自分を他人が信じてくれるはずがないと思って生きてきたのです。

「せんぱ〜い、実は報告がありますぅ。」
私の複雑で核心に迫る思考を打ち切るかのように、酔って呂律があやしくなってきた瑠香が抱きついてきました。
「わたしぃ、結婚してみることにしましたぁ。」

「あ、そう。」
瑠香の重たい腕はなかなか振りほどけなくて、エイヤッと外した時に気付きました。
「え?いま、何て言った?」

「だからぁ、結婚ですよぉ、ケッコンッ!」
「誰が?」
「わたしですってばぁ。」
「誰と???」
「それがぁ。あのぉ。部長ですぅ。」
「えええぇぇぇっ!」

部長とは、私たちの上司だったあの人のことに違いありません。今年54歳の、縦にも横にも前後にも大きいこの男性は、数年前に奥さんに逃げられたのです。仕事に夢中で家庭をあまりにも顧みなかったからだというウワサでしたが、真相は知りません。何でまた、瑠香は自分の倍も年上の彼と結婚することになったのでしょう?







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瑠香が言うことは、いちいち心に響いて、打たれ弱い私はめまいがしました。誰かに何かを言われると、すぐに影響されてホントにそうだなぁと思う。それは自分の思考が柔軟で吸収する力があるからだ、協調性の証明だと思ってきたけれど、本当は、自分の芯を持つことへの責任逃れと、それだけの経験を避ける怠惰とが自分の本質であることは、もうずっと前からわかっていたのです。

融が亡くなった晩に別れを告げられた彼も、私のそんなところが重荷になったのでしょう。黙って何でも受け入れる。主張をしないのは相手を尊重しているからでも、心から同意しているからでもなく、波風が立つのが怖いから。それって、相手を信用していない証拠よね。波風が立ったらもう終わるって思っているのだから。

カピバラ食堂にはいろいろな人たちが訪れます。夫婦も、カップルも、友達も、同僚も、おひとりさまも。子供も大人もご老人も。そしていろいろな話をしながら、食事をしていきます。食べるという当たり前の行為を誰と共にするか、何を見、聞き、話しながらするか、それは私の思いをはるかにこえて、とても意味あることでした。

おやじさんが作る料理は、日ごとに大きく味を変えるわけではありません。でも、箸の上げ下ろしひとつひとつに侮蔑の言葉をなげつける奥さんと食べるカピバラオムレツが、あのご主人に美味しいとは思えません。でも、隣のテーブルの老夫婦は、奥さんが黙ってご主人のトレイから漬物をそっと取り除きます。きっと塩分の制限でもされているのでしょう。それを見たご主人が黙って微笑みます。一言の声もないのに、このテーブルには穏やかな美食の神様が宿っています。

傍若無人にかけまわる子供を怒鳴りつけるサラリーマンもいれば、元気でいいわねと平然としているOLさんもいます。子供を走らせまいと叱ってばかりの母親もいれば、どんな無作法も見て見ぬふりのお母さんもいます。でも、そのどれもがテストみたいに○×で評価できるものではなくて、それぞれに意味があり、生きていて、自分がどれを選ぶかが試されているのだと思われます。

安全で正しくて、誰からも非難されないから、それを選ぶ。もちろん、それも選択です。私が今までしてきたことも、それも選択でした。ただ、私が今知らなくてはならないのは、誰かに選ばされたのでも、そうせざるを得なかったから不本意にもそうしたのでもなく、ただ私自身がそれを選んだのだという強烈な自覚でした。

私は他人や環境の被害者ではなく、被害を受けることを選んだのだと考えたら何が見えるのでしょう。実際は、100%自分だけの影響力で何かが起きることはないでしょう。でも、100%自分の責任だと仮定したら、私が望むような結果を得るためには、どうしたらよかったのでしょう。







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先輩、その安住さんって人の何を知っているんですかぁ?顔がカッコいいとか、指がきれいとか、声が素敵とか、優しく声をかけてくれたとか、それって、先輩だけに向けられた特別なことではないですよねぇ。物理的条件が気に入ったってだけじゃないですかぁ。

それって、お金持ちだから好きっていうのと変わりませんよぉ。そんな人、本気で付き合ってくれるほうがおかしいっていうかぁ、危ないと思いますよぉ。本音を教えてくれたんだから、やっぱいい人じゃないですかぁ。なのに、先輩、人のせいにしてばかりで、ずるいですよぉ。」

瑠香の言葉は、けっこう厳しいのに、話し方のせいでしょうか、責められている気がしなくて、そうだよなぁと聞いてしまいました。思えば私は外見に一目惚れして以来、自分の「好き」という気持ちに集中していて、相手を知りたいとあまり思っていなかったことに今更ながら気付きました。

「瑠香ぁ!私、ダメだねぇ。」
「せんぱ〜い、それがずるいんですよぉ。ダメだねぇって言って、私に『ダメじゃないですよぉ』って言わせたいんですかぁ?それとも、ダメって反省できてる私はエライって安心したいですかぁ?どっちもずるいですぅ。先輩のこと大好きだけど、そういうところは好きじゃないですぅ。」

カウンター席に並んで座って、お互いの顔を見ていないから、こんな話もしやすいのでしょう。二人の間には店長おまかせの焼き鳥が並んでいました。小さなガラスのお猪口に、純米の”出羽桜”が何度も注がれています。この徳利が空になったら、次は”開運”にしよう…

「瑠香、教えて。私はどうしたらいいのかな。」
「自分で考えなきゃだめですよぉ。理由は何でも、本当に好きだったら、したいことがあるはずですぅ。それは自分だけしかわからないでしょう?人に教わって、その通りにやっても、自分でやったことにはなりませんよぉ。」

「そっか。そうだね。自分で考えて、自分で行動しなきゃね。」
「そうですよぉ。先輩にはいいところがいっぱいたくさんありますぅ。ほんとですよぉ。いろいろ辛いことが続いたから、自信がなくなっちゃってるかもしれないけど、先輩ずっと頑張ってましたぁ。うまく言えないけど、先輩、そんなに悪くないですよぉ。」







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