Win-Win

あなたも幸せ。私も幸せ。

2012年05月


高熱に感謝
おかげで、次の段取りが頭をグルグルすることもなく、一日中爆睡することができました。関節や皮膚がまだだいぶ痛いけど、OKOK

季節の変わり目が苦手です。暑い日が突然寒くなってもどうということはないのですが、肌寒い日が突然暑くなると、たいがいこうして体調を崩します。今年は精神的にも時間的にも追い詰められていて、体調管理に失敗しました。

でも、発熱は嫌いじゃありません。
なんだか、心身に溜まったガレキを、一気に焼却処分するような、あまりにも高温になるその熱が、内側だけでは収まらなくて、外に出てくるような気がするからです。

小学校低学年くらいまでは熱を出さない子供でした。それが4年生くらいから簡単に発熱するようになり、数日は下がらず、吐き気や腹痛が必ず一緒で、学校のお休みも増えました。中学までずっとその調子が続きました。

熱を出すと決まって見る夢がふたつ。ひとつは、巨大なボーリングのボールがどこまでも追いかけてきて、押しつぶされそうになる夢。もうひとつは、足首をロープでしばられて、ジワジワと逆さ釣りにされる夢です。

どちらも想像を絶する恐怖で、眠りたくないと思うほど。でも、熱に負けて眠ると、必ずどちらか…ひどい時は二本立てで…見てしまいます。あれが怖いから、熱を出さない丈夫な体になりたいと奮起したいきさつがあります。

昨日は夢も見ず、二度ほど水を飲みに起きただけで、朝から晩まで眠ったきりでした。さぞかし、ガレキの焼却も進んだことでしょう。もう半日眠ったら、午後は起きて、のんびり部屋の掃除でもしましょうか。休日ですしね。






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「死なないでください」
「休んでください」
「がんばってください」

最近本当によく言われる言葉だ。
「死なないで!」と言われると、おお、ホントに気をつけねばと思う。
あまりたくさん言われるので、誰が見ても死にそうなんだろう。

「休んでください」こう言われると、ちょっとツライ。休むのは構わないけれど、その間、進むべきものが進まなくなるのだ。より時間が短くなって、それは残ったまま。休んだら効率よくなるというものでもなく、気軽に休めと言われると困ってしまう。

「がんばってください。」「無理しない程度にがんばって。」
応援の気持ちは伝わってくるのだ。でも、死にそうなほど頑張っている人に、頑張っては禁句だな。言ってくれた人のグレードが、心の中で下がっていく。

チームの中で、誰かが病気になって、ほかの人が元気なら、それは抱えていることがチーム内で不平等になっている証拠だと思う。元気な人が、病気の人の分をやってあげて、丁度良くなるよ、というサインだ。

昨日の朝、目覚めたら声が出なかった。予感的中、夜には発熱。今朝は38℃を軽く超えている。この危急存亡の時だ。今までなら、薬飲んで点滴打ってでもでかけた。でも、今回は選択肢を変えよう。休み、休み。ほかの人にやってもらうのだ。

39℃近くなった指でメールを打つ。このことはこの人に。こっちはあの人に。休暇の申請に電話して、管理職にも一仕事お願いする。結果がどうなっても構わない。とにかく、みなさんでやってください。私はのんびり眠るから。





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「玉川温泉で、雪崩が起きたらしい!」
そういえば、あの時もくまさんは焦っていた。なぜなら、玉川温泉は、くまさんの実家から車で1時間足らずのところにある、大好きな秘湯だからだ。

「雪崩って、あのぶけぶけしている岩盤浴のところですかね?」
「ぶけ」というのは、秋田あたりの言葉で、何かが湧きだしているところのことらしい。それを私がぶけぶけしている、と言うので、くまさんはいつも笑う。

「そうみたいだよ。亡くなったひともいるようだ。」
真冬にあそこで岩盤浴をしていたなら、もしかしたら、寿命を予告された人だったのかもしれない。医者が見放した人が最後に頼る場所が玉川温泉だからだ。

原液を飲んだら歯が融けそうな酸っぱさをしている。帰省のたびに2度は入りに行く。体に小さな切り傷があるだけで、飛び上るほどに沁みる。私のように傷が多いと、身をくねらせるほどに痛い。

「ねえさんは、どこが悪いんだい?」
親しげに語りかけてくれた婦人は乳房がない。痛々しい傷痕が露わになっている。「わたしゃ、乳もないが胃もないんだよ。」

遊びに来ただけなんです、というのがなんだか申し訳ない。
「ここの湯はね、皮膚ガンなんかにも効くんだよ。よくなるといいね。」
あ、いや、この傷はガンではありません…多分、と胸の中でつぶやく。

「ここに来ると、苦しいことや辛いことを忘れて、少しだけ長生きできる気がするんですよ。」と、岩盤浴をしながら話してくれたおじいさんもいた。彼らは現実から逃げて秘湯に隠れたように見える。でも実際は、誰より現実と共にいるのかもしれない。






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「八幡平のクマ牧場でヒグマが逃げたんだって!」
うちのくまさんが珍しく慌てている。
なぜなら、八幡平がある鹿角市はくまさんの生まれ故郷だからだ。

八幡平にも帰省するたびに行ってみる。事件が起きたクマ牧場に入ったことはないが、前は何度も通っている。確かに、ヒグマがいると書いてあった。近くのレストハウスでは、ツキノワグマが檻に入っていたっけ。

「ヒグマはいけませんね。なぜ逃げただか。」
「飼育員が二人もなくなったらしいぞ。腹減ってたのかな。」
クマの気持ちはあなたの方がよくわかるだろう。

しかし、どうやって逃げたんだろうね、エサあげようとして失敗したのかな?
「なんだか、6頭も逃げてて、猟友会が出たらしいよ。」
「なんてことでしょう、クマさんたちに罪はないのに・・・。」

結局、みな仕留められてしまったらしい。クマさんたちは頭がいいから、一度人を襲ってしまうと、収拾がつかないということだろう。かわいそうな話だ。テレビに写るコンクリートのプールみたいな殺風景な風景を見て、同情する。

雪寄せした雪を檻の中に落としたため、スロープができて、そこを歩いて外に出たようだ。チャンスがあれば、クマたちは森に帰りたかったのだろう。いくら餌を豊富にもらえたって、それだけでは満足できなかったんだ。QOLの質は高いに限る。

クマたちは本当に逃げたのだろうか?「逃げた」というのは人間の勝手な判断で、本当はちょっとだけ、一番くつろげる場所で休みたかっただけかもしれない。ちょっと遊びに行きたかっただけかもしれない。





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金曜日。目覚めた時から3日目になった頭痛に吐き気が加わった。立てない。休んでも許される体調だろう。でも、今の私は休めない。私でなければならないことが今日もある。コーヒー一杯で出勤、仕事着に着替えたとたんに業務開始。

頭皮はまた真っ赤に逆戻り。重たい体をなんとか前に向かって運べるのは、意識して深呼吸を続けているからとしか思えない。一日の終わりに、「やっぱり休んでもよかったな?」と思えたら安心なのに。そうはならない。

自分を思いやるというのは、まず、自分が感じていることを認めるところから始まるのだろう。眠い、痛い、苦しいほかにも、さまざまな思いや状態がよぎっていく。人が見てどう思うかという物差しを捨てて認めてやりたい。

スケルトンの容器に入った泥水を眺めるように、自分の心の澱が見える気がする。ここしばらく、その風景を人にも見せる努力をしている。そこに澱があるのは、私個人の問題だろう。けれど、波立つのは、私個人の問題ではない。

里山の中、小さな建物でナメコを育てて生計を立てているという人をテレビで見た。ライトを浴びてツヤツヤと輝くナメコがなんとも美しくて、そんな生き方もあるんだよなと再確認した。いったい今私は何のために苦しんでいるのだろう?

20:30にもうダメだと退勤した。21:30、夫はまだ帰っていない。珍しいな。倒れこむ前に根性で晩ご飯を食べ、さらに根性で入浴。バリバリに凍りついた身体と思考が少しだけほどける予感がする。23:00、できることはした、寝よう。

23:30、メール着信で目覚める。ブログに新着コメント?見ると、私が帰った後、相談相手を失ったナナが別の人の時間を奪い、この時間になったらしい。長い苦情メールだ。私の大変さを理解する人が一人増えたけど、今は寝かせて…




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今年になってから、急激にウエスト周りが太りだした。
もともと、あまり太らない性質だが、昨年くらいから急に体重が増えたかと思うと減り、減ったかと思うと増える。この年齢なら特段珍しい話ではないらしい。

しかし、なぜウエストなんだろう?スーツのボトムだけ着れなくて困るじゃないか。楽しみにしていたピンクのスカートも、お気に入りの足が長く見えるパンツもファスナーの右と左が握手しようとしない。おいおい、仲良くしようよ。

そういえば、「徒然草」にこんな一節がある。
  おぼしき事を言はぬは、腹ふくるるわざなれば…(第十九段)
徒然草の大家・安良岡先生はこう訳す。「言いたいことを言わないのは腹がふくれることだと…」

「おぼしき」は「思し」または「覚し」が終止形だ。つまり、形容詞シク活用の連体形。動詞の「おぼす」と一緒だと思ってはいけない。「おぼす」は「おもふ」の尊敬語だから、意味が通じなくなる。ま、センター試験レベルの判別だな。

それはさておき、「おぼし」は、「思ったこと」というより、「望ましいこと」「こうありたいと思うこと」という方が正確らしい。つまり、心に浮かんだことを言葉にしないのは…ではなくて、願望や主張を言わないでいると…ということだな。

なるほど。こうしたい、これがいいと思うという、自分の大切な思いを言葉にしないでいるとメタボになるわけか。そういえば、3月末から、一番言いたいことを飲みこんで腹に溜めた状態だ。言っても通じないし、人権問題だからなぁ。

「通じない」…つうじがない…お通じがない…おお、それでは腹も膨れるわ。
「こうありたいと思うこと」をきちんと言葉にしてみよう。ついでに、行動にうつせたらいいのだけど。最近、自分の「こうありたい」を見失っているんだな、これが。





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ちなみに、徒然草の大家・安良岡康作先生は、私に国語科教育法を教えてくださった恩師です。とっても面白い先生だったなぁ。


5日。前日の価格調査をもとに、今度は試作品の材料を購入に出かける。
その前に、映画でも観ようか。朝一番なら、それほど混雑もないだろう。実際は混んでいたけど、ぽっかり空いていた特等席で観た。おひとり様の特権。

ふと、お気に入りのショップに足を運ぶと、丁度ほしかったタンクトップが安い。おお、またまたツイている。2枚購入、小さなかわいいビニール手下げに入れてもらい、いよいよ仕事だ。休日だけど今だからできることをやる方が先々楽だ。

ところがだ。材料を売っている店がとても混んでいて、なかなか用事が済まない。荷物も多いし、待ち疲れてきた。たかがカゴひとつの買い物に2時間。気が遠くなった。もう何もしたくない、帰ろうと思った時、タンクトップの手下げがないことに気付いた。

慌てて店内を確認する。レジにも聞いてみた。落し物は届いていないらしい。店に入った時には確実に持っていた。邪魔だな、落とさないかなと、袋を見ながらこの場所で思ったことも覚えている。でも、ない。

サービスカウンターにも届いていなかった。連絡先を告げて帰るしかない。ああ、なんてこった。いろいろな、不快な思考が浮かんでくる。まぬけだなぁ、拾った人は届けてよ、泥棒じゃないか、これって老いの到来?…どれも捉まえない。

「でもさ、財布でもケータイでもなくてよかったんじゃない?」ふと浮かんだこれをキャッチ!本当にそうだ。確かに拾った人には届けてほしいし、老いの証かもしれない。でも、捉まえるのはこれがいい。

それでもかすかな落胆が消えないので、友達にメールしてみた。「落し物しちゃった。でも、財布でもケータイでもなくてよかった。」返信。「ホントだね〜。ラッキー」いつの間にか、落し物はツイてる出来事になっていた。





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ちなみに、観た映画は「テルマエ・ロマエ」です。ローマ彫刻に負けない濃い顔の人々が何人も出ていて、理屈抜きに面白かったです。ちょっとした息抜きをしたい方に向いているかもしれません。

そうして、結局、タンクトップは返って来ませんでした


今年のゴールデンウィークは本当によく雨が降った。4日のことだったろうか。早朝煙るように降っていた雨が、10時前にはあがって、アスファルトが渇く香りがし始めた。いい気分。仕事がらみの買い物に行こう。今しかない。

傘を持たずに出かけられるのは嬉しい。価格チェックしながら、あちらこちらと用事を済ませて歩く。2時間ほど歩きまわり、お昼ごはんを買って帰って家で食べようか…と思った頃、ふと空を見上げたら、真っ黒い雲が出ている。

先日、歓送迎会に行く時は大雨だった。おしゃれなスカートもびしょ濡れ。パンプスも水没。悲しい気持ちになっていると、隣を歩いていた新人が言う。「私、いいカッパを持ってましてね。あれ着て長靴はいて雨に濡れるのが結構好きなんです。」

ああ、それは分かる。
「いっそサンダルにTシャツ短パンで、雨に向かって顔あげて目を開けて、雨が目にしみる!ってのも好きです。スーツで雨はいけませんけどね。」

その通りだと思う。おしゃれなスカートにパンプスでずぶ濡れになって嬉しいことはないけれど、雨=イヤなものと単純に結びつけると、Hikari地方では年に100日以上は雨だから、1/3はブルーな気分を約束するようなものだ。

その日、私はお気に入りのシフォンのチュニックを着ていた。濡れたくないな。空はどんどん暗くなる。お昼ご飯の材料を買って、急いで家に向かう。ポツン。シフォン越しに雨粒。きたな。ふたつめのポツンが来た時にエントランスに着いた。

家に入ってベランダから外を見ると、土砂降りの雨だった。「ああ、ツイてる!」その気持ちだけを大事にする。「また雨か、嫌だな」は感じているけど捉まえない。「濡れずにラッキー」は捉まえて、「明日も雨なの?」は捉まえない。





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頭皮に意識を集めてみると、常にヒリヒリしていることに気付いた。きっと、ずっとこうだったのだろう。今日もまた少し赤味が引いたが、まだ頭頂あたりは赤いままだ。きっと、まだ何かあるのだ、五臓六腑が悲鳴を上げる理由が。

自分の体に意識を集めてみて、もうひとつ気付いたことがある。
呼吸だ。
自分はなんてたびたび、息を止めているのだろうと気付いたのだ。

脳が酸素なしで生きられるのはわずか3〜4分らしいから、たびたび息を止めているというのは大変よろしくないはずだ。まあ、実際には呼吸が浅いのだろうが、どちらにしろ、低酸素状態は脳にも体にもよくないと思われる。

ぼんやりと思考にふけっている時も、気付くと呼吸が非常に浅くなっている。嫌なことを無理にやろうとしている時は、本当に息を止めている。吸おうと思っても吸えない。頭がぼんやりするはずだし、頭皮の赤味とも関連があるかもしれない。

息を止めると当然苦しい。こんなことをしてまで、自分は苦しさを生みだしていたのかと思うと愕然とする。まるで日常生活が罰ゲームだ。もう何年も「自分に優しく」を合言葉にしながら、実が伴っていなかったようだ。反省、反省。

反省すると、さらに気づく。私が選択を迫られると、決まって自分が苦しい方向を選んでいるのではないか!?ここで一息つくか、それともやってしまうか。えい、続けてしまえ!晩ご飯、食べようかやめようか。いいや、やめて寝よう。

怒っているけど告げるか告げないか。我慢して黙っていよう。辛い記憶を忘れるか拘るか。どうしても拘るぞ!全てではないが、なんと多いことか。これで「こんなに頑張っているのに幸せを感じないのはなぜ?神様のバカ!」と考えていたのだから、神様もさぞかしお困りだったろう。





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大好きなドラマがある。高画質で録画してあり、何度も見直す。展開も分かっている、セリフも覚えている。それでも、見始めると夢中になる。悲惨な事件が解決される爽快さがたまらない。苦痛があって、それがなくなる瞬間だ。

ドラマには、定石がある。主役になる男性はミステリアスでちょっとだけ不器用。女性は感情をもろに出して激情型。彼らが何らかのトラブルに出会う。事は深刻の度を増して、一度はどん底に落ちる。そこに、誰か何かが救世主として現れる。

人かもしれない。チームかもしれない。どちらにしろ、自分の力だけではどうにもならないところに光が差す。そして、一気に解決へ。どこかのミタさんがウケたのは、この女性の典型を真逆に捉えたからで、人は彼女の感情が見たかったのだ。

それはさておき、また、その大好きなドラマを見ていて、ふと気付いた。長い髪を真ん中で分けた頭皮が、真っ白くて美しい。ん?私とはなんだか違うな。
慌てて鏡で確認する。やはりだ。私の分け目はピンクを通り越して赤い。

そういえば、10年以上も私の髪を切り続けている美容師さんが、ここのところ見るたびに悲鳴を上げる。「地肌がやけどしているみたいに真っ赤です。だめです。今すぐ仕事辞めてください!」

地肌が赤いのは、五臓六腑の悲鳴だそうだ。疲労が溜まりすぎ、寝不足すぎて体のSOSが透けて見える場所、それが頭皮のようなのだ。なるほど、私は白髪も多い。頭皮が窒息して、髪が枯れたか。変に納得できる。

おお!手放せる苦痛はできるだけ速やかに手放そう。神様、どうか私の苦痛が少しでも減りますように。平安でありますように。そう祈りつつ眠った翌朝、頭皮の赤みが半減した。どうやら、方向性は合っているらしい。





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