僕の不快指数で換算したら120%以上になりそうな湿っぽい梅雨の日々が、今日はいったん休憩するようだ。
朝目が覚めて、窓を開けたとたんに、ひんやりとした風が吹き込んでくる。
カーテンの動きが昨日までとは逆だから、きっと北風が吹いているのだ。
こんな日は、何かいいことがあるんじゃないかと思えてくる。
幸せな「日常」の一コマの始まりとしては、上々の気分だ。
身づくろいを済ませて下に降りていくと、居間にはゆかりさんの姿がない。
台所にも気配がないので、裏の畑に出ているのかもしれない。
でも、ふと店に回り込んでみる。
ゆかりさんは、やはり店にいて、背丈と同じくらいの笹に、きれいな飾りをつけているところだった。
車が突っ込んできてぐちゃぐちゃになったドアはきれいに新しくなって久しく、ついでにリフォームした店内は、今もまだ新築の香りがする。
この笹はどこで手に入れたものか、昨夜元さんが届けてくれた。
約束では、もう何日か前に届けてもらうことになっていたそうだが、七夕前夜になったのは、元さんが仕事で大忙しだという嬉しい理由からだったので、ゆかりさんも「届いただけでありがたいわ」と感謝している。
「あら、穂高。おはよう。ちょっとだけと思って作り始めたら楽しくなってしまって。朝ご飯の前に、もう少しだけいいかしら?」
「ええ。手伝いましょうか?」
「お願いするわ。何かできる?」
僕はカウンターの上に載っていた水色の折り紙を一枚半分に折り、5ミリ間隔に切り込みを入れてから開き、対角をひとつ糊付けして飾りを作った。
「これしか知りません。」
「いいわね、かわいい。」
僕の手から水色の飾りを受け取ると、ゆかりさんは手早く糸をつけて、笹に飾り付けた。
ゆかりさんが指先でツンと飾りをつつくと、折り紙の裏の白と表の水色が不規則にくるくる回った。
「同じ方法で天の川も作れるわ。やってみる?」
薄紫の折り紙を半分でなく、細長く何度か折りたたんで、両側から交互にはさみを入れ、そっと平らに戻してから切り込みに対して垂直に引っ張ってみる。
「うわ、できた!なるほど川ですねぇ。」
それもゆかりさんの手で糸をつけられ、笹を飾った。
「次は、星の折り方を教えましょうね。簡単よ。」
ふたり並んでスツールに腰かけ、黄色い折り紙を一枚ずつ持って、折り進める。
「へぇ!ホントに星ができましたね。」
「ふたつ並んで吊るしたら、織姫と彦星が会えたみたいで縁起がいいわね。」
最近はやりの新しい飾り、なんていうのも教わった。
折り紙も、見慣れた色ばかりではなく、両面にそれぞれ色がついているものや、キラキラ輝く紙など、いろいろ用意されていたから、僕はいつの間にか夢中になっていて、腹が減ったことにも気づかなかった。
「あとは、お客様に願い事を書いていただく短冊を用意しておきましょう。」
「では、それは後で僕がやっておきます。」
「いいの?ありがとう。では、このくらいの大きさのを…。」
ゆかりさんが手際よく折り紙を三つ折りにして筋をつけると、はさみでシャキンと切った。
「わかりました。糸も通しておきますね。」
「ええ、お願い。じゃ、お客様が気軽に書けるように、私たちの願い事を先にかけておきましょうか。」
「願い事ですか?そうですね…。」
僕はしばらく考えた。
願い事はたくさんありそうで、いざ書こうと思うと構えてしまう。
ゆかりさんは筆ペンをさらさらと動かして、あっという間に一枚仕上げた。
『千客万来』
墨跡が乾く間にもう一枚。
『商売繁盛』
「なんだか、フツーですねぇ。」
からかい半分に言うと、普通が一番いいのよと返された。
ゆかりさんが置いた筆ペンを握って、僕はもうひと考えしてから、手を動かした。
『兄と弟が一度にできますように』
よし。
会心の出来だな。
「叶うといいわね。本当に。」
ゆかりさんの言う通りだ。
僕は笹の一番高いところに、この短冊をかけることにした。
少しでも、願い星に近いところへ。
「さ、朝ご飯にしましょう。」
「ほんとだ、すっかり遅くなりましたね。」
「今朝はだし巻玉子にしますよ。ちょっと湿気にうんざりして食欲が落ちてきたから、大根おろしをたっぷり添えましょう。」
「いいですね。大根おろしは僕が作りましょう。」
「助かるわ。」
僕らのコンビネーションは、そこらの夫婦に負けないくらいになってきた。
…いや、やっぱり夫婦じゃなくて、親子にしておこうっと。
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