Win-Win

あなたも幸せ。私も幸せ。


「で?就職したって?仕事は何?こんな平日の昼間が休みになるような仕事なのか?」
手が空いたらしいオーナーが興味深そうに顔を寄せて尋ねてきた。

「それが、自分でも意外な仕事なんですよ。」
「もったいぶらないで教えてくれよ。言いにくい仕事なのか?いい女のヒモとか?」
「とんでもない!」
僕は慌てて、飲みかけのアイスコーヒーを吹きだしそうになった。 
「じゃ、何?」
「バーテンダーなんです。」
「バーテンダー?おやまぁ。それは確かに意外だ。」
「でしょう?」
「ということは、僕とご同業ということだねぇ。」
「はい。先輩、これからもよろしくお願いします。」
わざと椅子から立ち上がって両腕を脇にぴたりと添え、丁寧に頭を下げて見せた。
「はいはい、こちらこそ。」
そうして、オーナーもプッと吹きだして、顔中を笑顔にして笑った。

「そうか。君が接客業とはね。人間はもうこりごりだと言っていたけど、あれは克服したのかい?」
「うーん、どうなんでしょう。相変わらず不器用ですよ。でも、今は周りの方々にホント恵まれていて、楽しいです。」
「そうかぁ。それは何よりだね。でも、あれかい?教職にはもう未練はないの?本当のところは諦めていないとか、そういう気持ちは?」
「正直言ってよくわからないんですよ。でも、今は未練とかそういうものは感じません。」
「惜しいことだと思うけどね。確かに君の経験はめったにないひどいものだったよ。夢を見る前に、いきなり裏側のドロドロした世界を見せ付けられたようなものだったしね。でも、あんなことは、一生体験しない先生の方が多いだろう。だとすると、君だってもう、二度とあんな目には遭わないと言えるんじゃないかともね、思うんだよ、僕は。」
「さあ、どうですかね。どちらにしろ、僕はもういいですよ。学校は卒業です。」
「うん。まあ、君の人生だからね。思うように生きるのが一番大切だ。」
「ありがとう、貴船さん。」
「どういたしまして、サトル君。」

姉さんのことをとっぷりと思い出していた僕に、思いがけない方向から思いがけない話題が振られて、僕は大いに戸惑った。
が、そこがわずかな期間といえども接客業をしてきた成果なのだろう。
戸惑いを笑いに変えてしまうことに成功したようだ。
でも、内心は穏やかとはいかない。
教職だって?
とんでもない!

話しているうちにも新しい客がきてオーダーが入ったので、オーナーはコーヒーを淹れる支度にかかった。
この人は、コーヒーに全身全霊を注ぐようにするから、会話は自然と途切れる。
僕は、オーナーに言われて久しぶりに教育実習の、あの事件を思い出した。
できることなら、二度と思い出したくない体験を。



文学部で源氏物語なんぞを研究したところで、研究者になれるのは数年にひとりいればいいほうで、研究が就職に役立つことなど滅多にない。
そんなことは研究する前からわかっているので、友達はみな楽しみは大学の4年間と割り切って、普通に就職していくものだと思っている。
ところが、それほど景気が悪くない時でも、文学部の学生をわざわざ採ろうなどという企業は多くない。
たおやかな女子学生ならともかく、男となると、なおさらだ。
実際に、4年になる前のこと、求人票を張り出した掲示板も、他学部に比べ、文学部向けに貼られたものなど皆無と言っても過言ではない。
法学部や経営学部の友人たちは「押入れが勝手に送られてくる会社資料で埋まった」などと言っている時に、僕のところにやってきた資料は、製パン会社の工場1つだけだった。
それも、僕が請求したから送ってくれたので、その後、何の音沙汰もない。
それはそうだよなぁと、僕でも思う。
体育大学でラグビーをやってました!と言えば、体力自慢、仲間づくり良好、人当たりよし、理不尽にも強く、宴会芸も持っていて、どこでも使えそうな気がしてくる。
でも、文学部で源氏物語を読み解いていました!といっても、軟弱で孤独、性格は暗く、いかにも扱いづらそうで、飲みに誘ってもすっぱりと断ってきそうな気さえする。そんな人ばかりではないことは重々承知していても、イメージというのは拭いがたいものだ。

それは教授たちもよく分かっているから、僕らはみな一応教職課程をとっていた。
授業は増えるし、実習も多い。
最初から考えない人たちは、自分の未来をきちんと見据えているひとたちで、僕のように「今」に精一杯で未来が見えないタイプにとって教職は、大切なセーフティネットなのだ。

病気で出遅れはしたものの、単位を取るのには問題なく、僕も4年の6月、教育実習に行くことになった。
出身の高校が希望者多数で実習を受けてくれなかったため、僕の実習先は、大学が紹介してくれた某公立高校になった。

僕はそこで、一生を変えられるような経験をした。






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僕の主治医・恋待先生の手厚いサポートのおかげでレポートは無事仕上がり、チャレンジで受けてごらんと言われた試験もなんとか切り抜け、ごく普通の講義の日々が始まった。
残暑の9月はいつしか天高く馬肥ゆる秋になり、都会の街路樹も色づく頃になった。
僕は、治療を続けながらも不調になることもなく、何もなくなった髪が、産毛のように気持ち生えてきたりもした。
けど、産毛がふわふわしているより、何もない方がすっきりしていい。
僕はわざと安全剃刀を駆使して、全部そり上げてしまったりしていた。

姉さんとひとつ部屋で暮らし始めて3か月近くになった。
もともとおしゃべりな人ではないのだけど、なんとなくぼんやししていることが多い。
でも、ルナソルのバイトは続けているし、故郷にいたころと同じように、とびきり美味い飯を作ってくれる。
そういう点は変わりなかった。

オーナーとのことはすでに聞いていたけれど、それが元気のない原因なのだろうか。
いつもの姉さんなら、わりとスパッと思い切りそうなものなんだけどなぁ。

もう一つ、姉さんについて気になることは、荷物が増えないことだった。
もともと、多くのものを処分してこっちにやってきてくれた。
捨てられないものは、母さんの骨がある寺の住職が預かってくれたそうだ。
それでも、段ボールにひとつふたつのことらしい。

肌寒い日が増えてきたから、さすがに着るものは真夏のようにはいかない。
でも姉さんは「私は暑がりだから大丈夫。まだ寒くないよ。」と取り合わない。
センスのいい人だから、都心のデパートに並ぶ服に心惹かれないわけはないと思うのだけど、行ってみればと勧めても、まったく行こうとしない。
あきれた僕は、駅前の衣料品店でシンプルなグレーのカーディガンを一枚選んだ。
柔らかくて軽くて、これなら邪魔にもならないだろう。
僕の普段着に比べたらずいぶん高かったが、仕事着のことを思えばワイシャツ1枚分にもならない。
姉さんには、本当はもっと素敵なものを着てほしいくらいだ。

「これさ、気に入らないかもしれないけど、よかったら寒いなと思った日に着てよ。」
僕が袋ごと差し出すと、姉さんは誕生日のプレゼントが入った包装紙を決して破くまいと開く子供のように、そっとテープをはがしてグレーの塊を引き出した。
「あら。」
ボタンをはずし、そっとそっと袖を通してみる。
「あったか〜い!ありがとう、サトル。」
姉さんの久しぶりに見る嬉しそうな顔に、僕は心の温度が何度か上がる気がした。
「よかった、似合って。」

すると、柔らかな袖の感触を撫でながら楽しむ風だった姉さんが、ふと改まった顔をして僕を呼んだ。
「サトル。」
「なに?」
「あのね、母さんの生命保険のお金の中から、私に200万円くれないかな。」
「いいよ。好きなように使えばいい。」
「ありがと。助かる。」
「引っ越しでもしたいの?」

僕がずっと感じていたのは、そのことだった。
もともと僕は一人暮らしをするつもりでここにきた。
二人暮らしでは多少狭いが、もともと狭いところで暮らしていたから、窮屈で困るというほどのことはない。
でも、姉さんにも姉さんの人生がある。
故郷には、とても好きで楽しんでいた農家の仕事もあった。
いつまでも、僕のそばで僕の世話をさせるのは申し訳ない。
でも、いてくれないと心細い。ほんと、心細い。

「うん。引っ越そうと思う。」
やはり、そうだったか。
「この近く?それとも、帰るの?」
「グァテマラ。」
「え?」
「グァテマラ。」
「ええっ!?」

姉さんは、つまみにフライドチキンでも買ってくるわというのと同じくらい気軽に、その国の名前を言った。
あんまり軽々というから、距離感がつかめない。

「それって外国だよね?」
「当たり前でしょ。地理、習ったでしょ?」
「中米ってやつだよね?危険はないのか?」
「まあね。」
「なんで?なんでグァテマラなんだよ!」
「コーヒー豆、作ってみたくて。」
「えーっ!」
「グァテマラレインボーって、知ってる?」
「へ?いや、初めて聞いた。」
「くっきりと派手な虹色の布なの。手織りでね、ほんとに虹色をしているの。」
「へぇ。それが?」
「たまたま見かけたんだけどね、それに、惚れちゃった。
着るものや、ラグとか、いろんなところに虹をまとっているのよ。
すごいと思わない?」
「なんだよ、その理由。」
「それに、いろいろなコーヒーを飲んでみたけど、私、グァテマラが一番好きだったのね。
だから、この豆はどうやって作っているのかな?私も作ってみたいなぁと思ったのよ。」
「そんな…。」
「今すぐでなくていいけど、サトルはきっと私の気持ち、分かってくれると思うわ。
私、行ってみる。応援してくれるよね?」
「え?ああ、まぁ。」
姉さんに勝てるはずない。

「いつ、帰ってくるの?」
「わからないわ。」
「住む場所とか、働く農園とか、もうあてはあるの?」
「全然ない!」
「おい…」
「だから、最初に行くのは日本大使館かなぁ。あはは。」

それで、意図的に荷物を増やさなかったのか。
なんだよ、おい!とざわめく心の正体は、自分にもっと早く相談してほしかった裏返しだ。
でも、姉さんの気持ちもわかる。
相談されていたら多分、止めていたから。

「あんな鮮やかな虹に囲まれていたら、心配事も消えてなくなりそうじゃない。」
姉さんが呟いたから、僕ははっとした。
「心配事があるのか?」
姉さんは目を丸くして、意外そうな顔をする。
「うん、ちょっとね。」
「なんだよ、言ってみろよ。僕じゃ相談に乗れないようなこと?」
姉さんはくすくす笑うと、寂しそうな顔になって、小さくきっぱり言い切った。
「私の気持ちの問題なの。
だから、誰にもどうにもできないことなの。
だから、虹のそばにいたいの。
ごめんね、心配事の隣にいる勇気がない姉さんで。」

僕はあの時、姉さんが何を言っているのか全然分かっていなかった。
まさか、姉さんの心配事が、僕が死ぬんじゃないかということだなんて、思いも寄らなかった。
だから、胸をたたく勢いで言った。
「いいよ、逃げちまえ!
心配事なんて、気にするな。
好きなことして生きようよ。僕も、そうするからさ。」
「うん、ありがと。」

そうと決まれば早かった。
姉さんはあっという間に旅支度を整えて、虹の国へ飛んで行ってしまった。


グァテマラレインボーPhoto by 世界ワイド劇場 
 


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僕の病気は、白血病だ。
18歳で発症した。
で、18歳のうちに治療に成功した。
その後も数年、治療を続けたわけだが、今では完治したと思っている。
運がよかったのだろう。
僕の病気は、小児白血病と言われる、薬がよく効いて完治率が高いものとよく似た経過をたどった。
これが、成人の白血病なら、少し違う経過だった可能性が高くなる。
それでも、治る可能性がある病気なら、僕はきっと治ったと信じている。

治療を続けながらも大学にまた通い始めた僕に、生理学の教授からレポート課題が出た。
僕の病気や治療についてまとめて来いというものだった。
分かっていたつもりだったから、そんなの簡単だと思ったけれど、いざレポート用紙に下書きしようとして、はたと手が止まった。
正式な名前、正確な経過、どれも頭に入っていないことに気付いたからだ。

僕は忙しい主治医の恋待先生をランチタイムに呼び出した。
先生は、いつもこうとは限らないよと笑いながらも、姉さんがバイトしているカフェ「ルナソル」まで来てくれた。
貴船オーナーの店はその頃はまだランチはなかったから、レポートにする情報が得られたら、別の店に何か食べに行こうというつもりだった。
それでも、落ち着いて話を聞く場所として、他の場所は思いつかなかった。

オーナーに愛妻がいるとは気づかず、恋をして、告白して、撃沈したばかりの姉さんが、仕事をしながら僕たちの話を聞いていることに、僕は何の疑問もためらいも感じなかった。
恋待先生の話は、分かっていると思っていた以上に興味深かった。
病院から線路をくぐり、ゆるい坂道をグリズリーのような大きな体をゆすりながらやってきてくれた先生は、椅子にかけてからもなかなか息も整わなければ汗もひかず、2杯目のアイスコーヒーも、話が始まったばかりなのにもうほとんどなくなっていたのだけど。

かつては不治の病と思われていたものでも、医療技術は日進月歩、どんどん原因とか治療法が見つかっている。
治療法も一つだけではない。
患者が、自分の人生の質を考えて、選べる時代になりつつある。
そうなって初めて、患者が自分を問われるようになったという面もある。

先生が話してくれたいろいろな情報の中で、僕が一番背筋を伸ばして聞いたのはこの部分だった。
治療法が増えるのは喜ばしいことだ。
一方で、何もかもを医師に委ねて、生きるも死ぬも運次第みたいに考える時代ではなくなるということは、生きるも死ぬも自分の選択次第だという意味だ。
そうして、同じ生きるにしても、どう生きたいかで選ぶ治療も違ってくる。
「どう生きたいか」なんて、普通に生きている人間は、そうそう考えはしない。
良くも悪くも、生きるって忙しい。
普段、ふと感じることがあっても、真剣に「自分はいかに生きたいか」なんて考え詰めている人はそう多くないだろう。
でも、考えずにはいられない時代になってきているのだ。

僕の5年生存率はかなり高い。
パーセントが示す数字がどうであれ、僕は死ぬ気で生きるつもりはない。
僕にとって生き続けることは当たり前のことだ。
母さんはいなくなってしまったけれど、僕には姉さんがいる。
通いたい大学があり、その先に何を望むかはまだ霧の中だけど、きっと何かあるはずで、それを見つけたときのことを思うと胸が高鳴るではないか。
この人生のどこに、死の影がある?
確率なんか病院や研究所に置いておけばいい。
僕は、今も、これからも、生きていく。

つい話し込んでいるうちに、恋待先生の休憩時間が終わってしまって、一緒にご飯を食べに行くことができなくなった。
「いいよ。そこらで弁当買って帰るから。」
またねと手を振って帰っていく先生をルナソルに居残って見送った僕は、聞いたばかりの情報を整理し始めた。
すると、さっきまで恋待先生が座っていた椅子に、姉さんがコトンと腰かけた。
「いいの?」
尋ねる僕に、すでにエプロンをはずした姉さんは、
「うん。休憩だから。」
と、元気なく答えた。
「あれ?どうした?なんか元気ないね。」
「そう?いつもと変わらないよ。」
それだけ言うと姉さんは、僕の前に置いてあった水をとって飲み干した。
「なんだよ。自分のグラス、持ってこいよ。」
「いいの。めんどくさい。」

僕は気付かなかった。
僕にとって生きるのは当たり前、生存率なんて意味はないけれど、姉さんにとっては違うってこと。
自分に残された最後の家族が5年後までにいなくなる確率は2割。
その日、僕が病気の克服を当たり前のように思ったのと正反対に、姉さんには改めて家族を失う可能性を宣告されたのと同様になったのだ。
疲れを見せるたび、熱を出すたびに、この子は死んでしまうのでは?と思わなければならない5年間。
その心配は5年が無事過ぎても、終わらない。
再発するのではないか、発見が遅れたらどうしようと心配し続ける人生。
でも、その心配を僕に覚らせてはならない。
姉さんはあの時、まだ23歳だった。
姉さんがひとりで背負うには重たすぎる荷物だった。
けれど、若い姉さんよりももっと幼かった僕は、姉さんのそんな気持ちに気付きもしなかったのだ。






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「やあ、すまないね。 」
ランチプレートが半分以上、僕の空きっ腹に収まった頃、オーナーがカウンターの中に戻ってきた。
「これ、うまいっすね。」
「だろ?大して変わったものでもないしボリュームで訴えるようなこともしないと決めたんだけどね、素材にはこだわっているんだ。その、ディップにしたきのこたちは長野から取り寄せた。」
「いや、いいですよ、これ。」
「そうか、嬉しいな。」
と、素直に喜ぶ顔がどこかいたずらっ子のようで、こういうところが姉さんも好きだったのだろうなと思ってしまう。

「食後のコーヒーはどうする?」
飲むか飲まぬかと聞かれたのではない。
「酸味が勝った豆で、アイスがいいです。」
「酸味か。では…定番のキリマンジャロを水出しで用意してあるから、それにしよう。実験台だから、割引価格だよ。」

首をかしげて待っていると、間もなく背の高いグラスが出てきた。
窓越しの日差しを浴びて、氷を沈めた琥珀色の濃淡が光る。
「水出しコーヒーは時間がかかるから、前日から用意するんだ。おまけにね、これは、ひとつ手を加えてみたんだ。わかるかい?」
「え?」
見ただけではなんのことかわからない。
ミルクもガムシロップも足さずに味わってみる。
口の中に爽やかな酸味と香味が広がる。

「よく冷えていて美味いです。こういうのが飲みたかった!って感じ。」
「でしょ?で、気付いた?」
「さあ??」

僕が答えに気付いたのは、幾口か飲んだ後だ。
「あ、わかった!氷ですね!」
「そう。普通の氷では後になるほどコーヒーが薄まってしまうから、氷も同じ水出しコーヒーで作ってみたんだ。」
「そういうことですか。手が込んでますねぇ!」
「でも、凍らせたコーヒーの味がどうなるのか、それを飲んだ人がどう感じるのか、まだお試し中というわけ。」
「いや、美味いですよ。確かに、これなら、話に夢中でちょっと氷が融けてしまっても、水みたいなコーヒーにならないですね。」
「ミルクやガムシロが変に主張することもあるまい?」
「確かに。でも、アイスコーヒーって、早く飲まないとそうなるって先入観があるから、平気だよって言われてもなんだか急いじゃうな。」
「ははぁ。なるほど。」
笑ってくれるかと思ったのに、オーナーはものすごく真剣な顔で聞いて考え込んでいる。
職人肌なのだなと、改めて思う。

オーナーは貴船という。
日本人なら知らぬものはいないと言ってもいい、和菓子の貴船屋の三男坊だと知ったのは姉さんが話してくれたからだ。
なるほど、それなら、東京のど真ん中に手の込んだ大きな店を構えても金に困ることはあるまい。
貴船屋の本店は京都なのだそうだ。
こっちにいると貴船屋のイメージは「盆暮れ正月の気が張った贈り物」なのだが、京都ではあっちこっちの茶室に和菓子を届けるのが本業なのだという。

そういう菓子なら、僕もデパ地下か何かで見たことがある。
何がどうなってできているのか知らないが、椿やら梅やら、里芋やらが練り切りという菓子になっていた。
いかにも甘そうで、うまそうで美しかったが、小さいくせに高かった。

貴船屋ではまだ父上が健在で、会社を切り回しているそうだが、経営を学んだ長男と菓子作りを継いだ次男がいて、三男のオーナーは好きに生きていいと言われたという。
羨ましいような、酷なような、複雑な話だ。
家業を3つに分ける方法はなかったのだろうかなどと、無関係な僕は無責任に感じたものだが、そんな簡単な話ではないのだろう。

結局オーナーは東京で店を開いた。
それも、和菓子とは関係のない店を。
その胸の内は僕には計り知れない。
でも、「貴船の坊(ぼん)」のお遊びと言われないように気張ってきたのだろうとは思う。
ただ、オーナーはいつも真剣で人懐こい笑顔で、気安くて一本気で、およそ「気張る」という言葉とは無縁だ。

「葉月ちゃんから連絡は?」
「コーヒーを送ってくれました。元気そうですよ。」
「そう。それならよかった。で、君は?」
「この前、季節外れのインフルエンザにかかって、ビックリしましたけど、基本は元気にやってます。」
「熱が出たり?」
「けっこうな高熱で、タクシーでそこへ運ばれてしまいました。」
僕は病院の方を指さしながら言った。
「大変だったね。でも、インフルエンザでよかった。」
「ええ、本当に。」
オーナーは僕の病気のことをよく知っている。
グァテマラに旅立つ前の姉さんに、この子をよろしくと頼まれてもいる。
オーナーは律儀にその言葉を守ってくれるが、必要以上に連絡をしてきたり、様子を聞きたがることはない。
だから僕は、彼を頼りにできるのかもしれない。

出会ったときは印象の悪かったこの男を頼りに思うまでになったのには訳がある。
姉さんが、この男に惚れたのだ。
あの時は、姉さんを盗られてしまいそうで、多分相手がオーナーでなくても気に入らなかったと思う。
でも、今になってみると、あの頃の姉さんの気持ちが、少しだけ分かるような気もするのだ。

母親を亡くし、間もなく弟も病に倒れ、慣れ親しんだ仕事を惜しげもなく辞めて上京してくれた姉さん。
初めての土地で、それもこの大都会で、口には出さなかったけれど、どれほど心細かったことか。
そんな時、母さんが生前飲みたかったと言い残したコーヒーが縁で出会った仕事場のオーナーは、顔も人当たりも抜群にいい。
地元の人に愛される繁盛店を作った張本人。
きっと、たまらなく魅力的に見えたことだろう、必要以上に。

心の中の言葉を、それほどためらいなく口に出すのが姉さんだ。
丁度僕が退院したころ、姉さんは心に育った思いをオーナーに告げたらしい。
すると、オーナーはこう言った。
「ごめんね、葉月ちゃん。君の気持ちには応えられない。知らなかったかもしれないが、僕には妻がいる。」

旅立つ前の姉さんからこの話を聞いた時、僕の心からオーナーを悪く思う気持ちが消えたのだ。
オーナーが、妻に知られなければ自分に思いを寄せてくる若い美人とどうにかなってもいいと考えるようないい加減な男でなかったことに感謝するべきだろう。
いや、こういう答えを出す男だから、姉さんは好きになったのだと思いたい。
姉さんの東京での初めての恋は、瞬殺で撃沈したのだが…。

そんなことがあっても、バイトを辞めたり、辞めさせたりしないところが、この二人らしい。
とはいえ、オーナーはともかく、姉さんはそれなりに落ち込んでいたのだと思う。
そんなこととはつゆ知らず、僕は空元気で働いている姉さんの店で、恋待先生と僕の病気の話をしてしまった。
姉さんにとってそれが、泣きっ面に蜂どころでは済まないなんて、気付きもしないで。





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ちょっと話もしたいし、と言って僕をカウンターに座らせたオーナーだったが、僕にランチプレートを届けた後で呼ばれていった席の女性客と話が弾んでいて、なかなか戻ってこない。
かまわず舌鼓を打つ。
美味い。
家でもできそうなガーリックトーストだと、見たときには思った。
だが、フランスパンの焼き加減とみじん切りにされたキノコたちの風味が絶妙にマッチしている。
外は初夏だけれど、口の中には一足先に秋がやってきたような気分だ。

秋と言えば、思い出す。
抗がん剤治療で髪がなくなった僕の秋は、頭が寒いと感じるところから始まった。
大学1年の入学式を母の葬儀で欠席し、遅れて通い始めたとたんに病気になった。
けれども、大学というのは面白いところで、僕が休んだのは実質1か月にもならなかった。
始めのうちは授業が決まるまでのガイダンスとかで、必修以外は授業がなかったし、長い夏休みが闘病期間になったおかげで、9月から大学が再開する頃には、僕はまたキャンパスに足を運べるくらいには元気を取り戻していた。

ニットキャップが流行した年で助かった。
わりと短い残暑が過ぎると、キャンパスにはキャップ姿が溢れたから、僕だけ目立つことがなかった。
仮にキャップが流行っていなかったとしたら、僕はそのままの頭でキャンパスを歩いたのだろうか。
あるいは、ちょっと気恥ずかしくて、困ったりしたのだろうか。
今となっては、どっちでもよかった気がする。

僕が選択した授業の教授や、助教授や、講師の先生たちをひとりひとり訪ねて、最初の試験にどう向かったものかを尋ねたらいいと知恵を授けてくれたのは、ルナソルのオーナーだった。
「人って、自分を頼りに来てくれた人を無下にはできないものだよ。
まして君の場合、自分の不心得の帳尻合わせを頼むいい加減な学生とはわけが違うからね。」

学生生活課へ、長欠の説明をしに行くようにと教えてくれたのもオーナーだ。
実はそれが大正解で、親切な担当さんは即座にあちらこちらへ連絡し、僕が病気で休んだことが不利益にならないよう取り計らってくれた。
だから、先生巡りをしなくても、僕はそれほど困らなかったのかもしれない。
それでも、僕は先生たちに会って話してみたかった。
本当だったら授業で聞けるはずだった何者かを逃したことには違いない。
それが惜しくもあり、興味深くもあった。
それに、研究室というものに、何より興味が尽きなかった。

日本文学科でも外国語は必修で、担当の先生は通いの講師だったので部屋を持っていなかったから、授業の後で質問をしたがる女子学生が途切れるのを待って話しかけた。
「ああ、聞いてる。君か。大変だったね。」
気さくに返事をした、まだ若い講師は、テストは持ち込み可だから、力試しのつもりで受けてみたらいい、結果を見てからどうするか考えましょうと言ってくれた。

こちらも必修の生理学の教授は、僕にわざわざ椅子を勧めてくれ、そうか、君かと言いながら、インスタントコーヒーの瓶をとって、僕のためにカップを運んでくれたので、なんだかひどく恐縮した。
「筆記テストは厳しいでしょうね。ほかの学生のノートを写して丸暗記しても、なんの学問にもならないし。」
教授がいう「学問」の響きに、僕はしびれた。
「レポートをお願いするとしましょう。」
「わかりました。やってみます。で、何について書けばいいですか?」
「君が受けた治療について。」
「治療ですか?」
「どんな治療法があり、体にどんな影響があるか。どういうメカニズムで治るのかとかね。自分の体で体験したことをまとめればよろしい。」
「そんなでいいんですか?」
「それが一番でしょう。だってあなたは、そこから学んだことを一生忘れないでしょうから。」

古典文学の教授の部屋はすごかった。
壁という壁すべてが書架になっていて、本がぎっしりと詰まっている。
全集がいくつも、それから、ハードカバーでレア感満載の専門書たち。
教授の机の上には原稿用紙が広がっていて、万年筆が置いてあった。
何か、執筆中のようだ。
手書きなのか!
いかにも古典の教授らしい気がして、胸が高鳴った。

「何もしなくていいですよ。」
「は?」
「事情は分かりましたから、今回の試験は受けても受けなくてもよろしい。」
「では、レポートを。」
「いりません。授業を聞いてもいない学生のレポートを読む時間はないのでね。」
「え?でも…。」
「出世払いってことで。」
「は?」
どうも、この教授とはリズムが合わない。
「今回は免除しますから、次回はあなた本来の力より若干高い点をお取りなさい。」
「はぁ。」
「で、それを卒業まで続けたらよろしい。そうしたら、総合評価で卒業ということで。」
やっと分かった。
「いいんですか?」
「いいですよ。それより体を労わって、元気におなりなさい。そうして、本をたくさん読むこと。」
「はい!」
ありがとうございます。
僕は心からそう思って、頭を下げた。
この教授が、のちに僕のゼミの教授になる。

生理学のレポートを書こうとして、案外曖昧な理解しかしていなかったことに気付き、忙しい恋待先生を無理矢理昼休みに呼び出して教えてもらったのもルナソルだった。
「いい大学に入ったね。」
僕のレポートの話を聞くと、恋待先生は自分のことのように心底喜んでくれた。
「それに、この店のことは病院でも話題になっていてね。来たのは初めてだけど、なるほど美味い。これは忘れられないね。」

窓際の明るい席で、僕は恋待先生から改めて僕の病気と治療法について教えてもらった。
その時の会話を聞くともなしに聞いていた姉さんをひどく傷つけたと知ったのは、しばらく後になってのことだった。





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