床をコンコンと叩いて、どこがどのくらい浮いているのかを確かめていた元さんは、首をかしげながら何事か考え事をしている。
「すいません、お待たせしました。ホウレンソウの泥がついちゃって。」
「うん?ああ、あのなぁ。」
「はい。」
「あそことこっちの、根太の緩んだところだけちょいと直してと思っていたんだけどな…。」
「はい。」
「どうかね、いっそ、小手先の修理じゃなく、床を全部張り替えてしまったら。」
「張り替え?」
「この板を全部はがして、基礎も傷んだところはしっかり直して、新しい床を張るんだよ。」
「そりゃ、おおごとですね。」
「けど、今やっておけば、この先傷んでくる心配はなくなるな。」
「なるほど。」
「予算をな、いま考えてみたんだけどな…。」
「リフォームなんて範囲じゃなさそうですね。」
「そうだなぁ。マスターがここに越してくることになったとき、ゆかりママがここをリフォームしたのが、ついこの間のことのようなんだけどな。」
「ええ。あれから…6年も過ぎました。」
「6年か。まさか、あの穂高がこの店を継いでマスターになるなんてな。」
「僕だって、ここに来た時には、そんなことになるなんて思ってもいませんでしたよ。」
「うん、うん。ああ、予算だけどな…。」
「ええ。」
気軽にやりますと言える金額ではなかったが、絶対無理なほどでもなかった。
それより、そんなふうにお金や時間をかけて、改修する価値があるかどうかだと、僕は思った。
僕の思い出や、ゆかりさんの思いを考えれば、小紫をよりよい状態に保つことに何の疑念もない。
けれども、この先僕は本当に、この店を守り続けていけるのだろうか。
大繁盛でなくていいけど、誰かにずっと愛される店を持ち続ける力が、僕にあるのだろうか。
誰かに必要とされる続けることが、僕にできるのだろうか。
「ああ、いけない。また元に戻ってる!」
僕は心の中で笑い声を立てた。
違う、違う、そうじゃないんだった。
「元さん、床の張り替え、やろうと思います!」
「おお。いい材料を選んできてやる。」
「お願いします。今までの色でというところは譲りたくありませんが、店の中が明るくなるのもいいかなと。」
「そうだな。長い間についたくすみがない素材の色の床になったら、きっとそれだけで明るくなると思うんだ。これも磨き込んだ味があっていいがなぁ。木の床というのはそういうもんだ。住む人と一緒に熟成されていくんだよ。」
「なるほど…。」
「見積もりを作ってきてやろう。大丈夫、小紫の台所事情はたいがい分かってる。」
「ははは。心強いです。」
「さしあたり今日は、あの入口の緩んだところだけ、直しておこう。客が足を取られたら危ないからな。」
「はい。お願いします。今日のお代は昼飯で。」
「ふん。安く見積もられたもんだが…。半分は趣味だからな。」
「よろしくお願いいたしますっ!」
僕は大げさに頭を下げて見せた。
価値は、そこにある固定のものではなくて、加えたり育てたりできるものだ。
床を新しくする価値は、客や景気にあるのではなくて、僕自身がどう思うかだ。
そうして、金をかけて新しくきれいにした小紫を、僕が相応に経営できない時には、僕の代わりにやってくれる人を探せばいい。
ゆかりさんが、そうしたように。
誰かに必要とされることを願うのではなくて、自分にできることを自然体でやっているということが、すでに必要とされているということなんだと、僕は学んだのだ。
「おおい、マスター。」
外に道具を取りに出ていた元さんが戻ってきた。
「はい?」
「リクエスト、していいか?」
「はい、なんなりと。」
「今日の昼飯は、から揚げ弁当にしてくれ。」
「いいですよ。揚げ物が食べたくなるなんて、胃腸が元気な証拠ですねぇ。」
「ふふん。4人分作ってくれよ!」
「え?」
「突然だけど、長さんも誘ってさ、宮田先生んちの庭で食おうかと思ってさぁ。」
「おお。それはいい考えだ!」
「あそこの花見はいつも夜になるじゃないか。たまには昼間に桜吹雪を浴びながらのんびり見るのもいいんじゃないかと思ってさぁ。今日は本当にいい天気になったからなぁ!」
「わかりました。任せてください!うまいから揚げ弁当作りますから!」
「よし、じゃ、こっちもやっちまおう。」
今日も、いい日になりそうだ。
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