Win-Win

あなたも幸せ。私も幸せ。

カテゴリ:小説 > 生きるのに必要なことは全部サッカーが教えてくれた


ボク、ヒデ君。
変身が大好き。
いろんな仮面ライダーの変身を覚えたぞ。
ウルトラマンだってできる。
一番のお気に入りはウルトラセブンだ。
ホントはティガがいいんだけど、セブンの変身はパパが教えてくれたんだ。

毎日毎日ライダーとウルトラマンを見る。
怪獣の名前もいっぱい覚えた。
必殺技もできるんだ。

スペシウム光線、エメリウム光線、アイ・ビーム!!
パンチもキックも練習した。
特に、キックは大事だ。
この前、キックの練習をしていたら、間違えてベッドを蹴っちゃった。痛かった〜


ヒデ君はお絵描きも好きなんだ。
描くのはいつもウルトラマン。
色も塗れるよ。ここは、赤。ここは、青。ここだけちょっと紫。

ヒデ君はお手紙も書くよ。
ひらがなをたくさん練習したからね。
時々、どっちのひらがなが前かわからなくなっちゃうけど、平気平気。
今日もスミレ先生に「だいすき!」ってお手紙書いてきたよ。
スミレ先生、なんて言うかな。

なんで?
今日はサッカーするんだって。
ヒデ君、サッカー知ってるよ。
わーるどかっぷでしょ?
ママもパパもサッカーが大好きだから、ヒデ君もテレビで応援する。
ニッポン!ニッポン!!でしょ?

え?ボールを蹴飛ばすの?
それは大変だ!
ムリムリ。ヒデ君にはできないよ。
だって、難しそうだもん。

いやだな、いやだな。サッカーいやだな。
ヒデ君にはできないよ。
すごくやりたくないよ。
だって、ボールを蹴れないかもしれないじゃない。

え?
スミレ先生、いいよいいよ。ヒデ君は見てるから。
大丈夫だよ。大人しくしてる。いなくならないよ。
ヒデ君はウルトラマンキックができるから、サッカーはできなくてもいいでしょ?

いいよ、スミレ先生。
そんなに言わないで。
こわいよ。できないよ。ヒデ君、運動は苦手だよ。
泣いちゃうよ。ほら、いやだよ。泣いちゃうよ。

スミレ先生!
引っ張らないでよ。ボク、絶対動かない。
押さないでってば!
なんでサッカーしなきゃならないんだよ!

やめて、やめて、やめて!
できないよ!
ウルトラマンキックができたらボールも蹴れるなんてうそだ!
ボクにはできないよ!

スミレ先生、そんなに無理やりやらせるのはタイバツだよ!
いけないんだよ!
絶対できるなんて、どうしてわかるの?
スミレ先生なんて大嫌いだ!!

後ろから抱っこするから、一緒に蹴ってみよう?
絶対に立たないぞ。
思い切り寄りかかってやる!
だって、できないに決まってるもん。

スミレ先生、そんなに力持ちだって知らなかったよ。
痛いよぉ。
なんでそんなにやらせたいんだよぉ。
あ!

ボールに足が当たったら、ボールがコロコロしたよ。
みんなが拍手してくれてる。
ヒデ君、サッカーできたのかな?

スミレ先生がギュッって抱っこしてくれた。

「ヒデ君やったね!サッカーできたね。ヒデ君はウルトラマンキックだけじゃなくて、サッカーもできるんだよ。でも、『できないよー』って言ってやらなかったら、自分がサッカーできるって気付かないでしょ?だから先生は、どうしてもヒデ君にボールをポンって蹴ってほしかったんだ。引っ張ったり押したりしてごめんね。痛かったね。1回だけでいい、どうしてもやってみてほしかったんだ。でも、こんなふうに引っ張ったり押したりしてでもやってみてもらうのは今日だけだからね。次からは自分の力でやってごらん。またできないよ!って泣いていても、今度は先生、見ているだけにするからね。」

スミレ先生、それってどういう意味?






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ママが泣いている。
さっきまでは怒っていたんだ。

ママはスミレ先生に呼ばれて、学校に来た。
スミレ先生とお話ししたママは、とても怖い顔で帰ってきた。
「どうして、あなたは、いつもいつもそうなの!?」

ママは怒るととっても怖い。
だからボクはママがいつも笑っていたらいいのにと思う。

「先生がやってごらん、って言うこと、どうしてあなたはやろうとしないの?」
ママの質問は難しい。
なんて答えたらいいか、わからない。

「イチゴの絵を描こう!のときも、虹のダンスのときも、サッカーも、スミレ先生はヒデ君にもできるように考えて、やってみようって言ってくれるのに、どうしていつもイヤだ!できない!って泣くの?」
だって、本当に難しそうなんだもの。
でも、言えない。

「スミレ先生はとっても困っていたわ。ママ、恥ずかしかった。どうしてあなたは、いつもそうなの?子供らしく素直に、やってみたらいいじゃないの。」
ああ、こまった。
スミレ先生も困っているのか。
でも、ボクだってずっと困っている。
だって、うまくできなかったら、ママはきっと言うんだ。
「どうしてそんなこともできないの?」って。
「もうちょっと、がんばればいいのに」って。
ボク、がんばってもできないかもしれないよ。
できなかったら、ママはボクのこと、嫌いになっちゃうんでしょう?
ママは、何でもできる子が好きなんだよね。

何かして、うまくいかなくて、かっこわるくて、ママに嫌われちゃうくらいなら、最初からしないほうがいいじゃないか。何もしなければ、失敗だってしないもんね。

ずっと怒っていたママは、ボクが返事をしないので、シクシク泣きだした。
ごめんね、ママ。
ママはボクが嫌いなんだね。
ボクがママを悲しませてばかりいるからだね。

でも、大丈夫だよ、ママ。
ボクは大人になったら、ウルトラセブンになるからね。
強くなって、宇宙の平和を守るんだ。
誰にも負けない。強いんだぞ。
そうしたらママもボクのこと、大好きになってくれるよね。

だから、待っていてね、ママ。






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ぼくはジュン。
まだ子供だからうまく説明できないけど、ぼくはいろんなことにキョウミがある。

今週いちばん楽しみなのは、わーるどかっぷの応援だ。
サムライジャパンが試合をするんだ。
ぼくはママと一緒に応援する。約束したんだ。
ママはビールを飲むんだって。ぼくは夜だけど、コーラがいいな。

お絵描きも大好きだよ。
ママがお仕事から帰ってきて、ご飯を作っている間、ぼくはテーブルでお絵描きをする。お絵描きしながらママとお話しするんだ。
ぼくはね、ママが大好きなんだ。
ママもぼくが大好きなんだって。
大人になったら、ママをおよめさんにするんだ!

ママはぼくに「今日はヒマワリの絵を描いて」とか「動物園はどう?」とか「ママの絵を美人に描いて」とか言うんだ。
ぼくはママのりくえすとにこたえて、絵を描く。
そうすると、ママはいつも言ってくれるんだ。
「ジュンは天才!なんて素敵な絵かしら。」
そうして、ぼくの絵を壁に貼ってくれる。ぼくの家は、ぼくが描いた絵でいっぱいなんだよ。もう貼るところがなくなったから、古い絵からはがしているんだ。はがした絵はママが大事にしまっている。しまっておいて、どうするのかな?

ママ、今日ね、サッカーしたよ。
チヨコ先生が「今週はわーるどかっぷだから、みんなもサッカーしてみる?」って聞いたの。
ぼく、やりたい!って言ったんだ。
そしたら、チヨコ先生が「サッカーは難しいから、ボールを蹴る練習からしましょう。」って。
そうだよね。何でもうまくなるには、練習がひつようなんだよね。
ぼくはとっくんすることに決めたんだ!

チヨコ先生が「一番に蹴る人はだれ?」って聞く前に、「ぼくがやる!」って言っちゃった。
そしたらチヨコ先生がすごく笑って言ったの。
「ジュン君はいつもヤル気があっていいね。将来何でもできるようになるよ!」
ほら、チヨコ先生はかわいいでしょ?
チヨコ先生にほめてもらえると、すごくうれしい。

ママもチヨコ先生も同じことを言うんだね。
ぼく、将来何になろうかな。
サッカー選手もいいな。刑事さんもかっこいいし、お医者さんもいいな。アイドルもいいかな。
ぼく、どれにでもなれるんだよね!
すごいな、まよっちゃう。

できればお金がたくさん儲かる仕事がいいな。
それで、ママがいつもおうちにいられるようにするんだ!

だから、待っていてね、ママ。






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ママが泣いている。
今日、ママはチヨコ先生に呼ばれて、学校に行ったはずだ。
ママはスーパーのお仕事が忙しいから、ぎりぎりまで働いて、ちょっとだけお休みをもらって学校に行き、またスーパーにもどる。
いつものことだ。
 
「ママ、どうしたの?」
ママはずっとシクシク泣いていて、理由を教えてくれない。
こんな時は、しつこく理由を聞いてはいけないのだと教えてくれたのはママだ。
 
「あのね、ジュン。大人にだって泣きたい時はあるの。悔しかったり、腹が立ったりするの。一生懸命やっていると意見がぶつかるのは当然。我慢できないことがあるのは正常なの。そういう時はくやしい!って泣いて当たり前なのよ。我慢するほうが不健康。でも、その気もちを他の人にまで広げなくてもいいのよ。だから、ひとりで泣くの。理由をくどくど説明する必要はないの。」
 
よくわからない。
ぼくはあまり泣かないけど、ときどき泣いてしまう。
そんな時、ママは黙ってぼくを見ている。
優しい顔でぼくを見ている。
ぼくはだんだん泣かなくてもいいような気持ちがしてきて、泣いちゃったことが恥ずかしい気がして、ママのほうをちょっと見る。
そうすると、ママは決まって言うんだ。
「ねえ、ジュン。お腹空いたね。何か食べようか!」
それで、ぼくの頭をぐるぐる撫でてくれる。すごくうれしくなる。すごく。
 
だからぼくも、泣いているママの隣に座って黙って待っていた。
しばらくすると、ママは涙を拭きながら言った。
「チヨコ先生がね、ジュンはとっても伸び伸びと楽しそうだって言ってた。ママは嬉しかったなぁ。ママはね、ジュンが幸せだったら何ができてもできなくてもいいの。今日はすごくイヤなことがあったけど、チヨコ先生が教えてくれたジュンのことを思い出していたら、イヤなことなんかどうでもよくなっちゃった。」
 
ぼくはママの頭をなでなでした。
ママの長い髪はとてもきれいで、サラサラする。
「ママはえらいなぁ。今日はごほうびにおいしいものを食べよう!」
「え?おいしいものって何?」
「マクドナルド!」
「だめよ。サンキューセットはないし。」
「いいって、いいって。今日はトクベツ。ママにごちそうだよ。」
「そっか。ま、いっか。今日はぜいたくしちゃおうか。」
「そうそう。ママ、大好き!」
 
ママはまたポロポロッと涙をこぼした。
「あ〜、ほんとに、ジュンを生んでよかったなぁ。ママはうれしい!」
 
そうか、うれしくて泣くこともあるんだね。






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「ねえ、ママ。ぼく、心配なことがあるんだ。」
「心配?どうしたの?」
 
ママがカレーを作る手をとめて振り返った。
ぼくはお絵描きに集中できない。
本当に、心配だからだ。
 
「あのね、1組のヒデ君、ママも知ってるでしょう?」
「もちろん。幼稚園も一緒だったヒデ君ね?」
「そう。体育の時間にサッカーしたんだ。1組と、2組と一緒に。」
「ワールドカップが近いからね!」
「うん。だけど、ヒデ君、この前も今日も、座って泣いていてサッカーしないんだ。」
「泣いているの?」
「うん。すごく泣いて、スミレ先生が話しかけても絶対に立たない。」
「あら、どうしたのかしら?サッカーしたくないのかな?」
「わからない。スミレ先生も困っているみたいなの。」
「そりゃ困るわね。でもヒデ君にも何か理由があるんじゃないかな。」
「う〜ん。ねえ、ママ。どうしたらヒデ君はサッカーするのかな。」
「それが心配なこと?」
「そうなんだよ。ヒデ君、サッカーできなくなっちゃうよ!」
 
ママはお鍋の火を止めて、ぼくの前に座った。
ぼくはお絵描きの道具を脇に寄せて、ママの顔を見た。
ママはきっと、とても大切なことを話そうとしているに違いない。
 
「ママにもよくわからない。でも、ヒデ君がこうしたらいいかな?って思うことがあったら、何でもしてみていいんじゃないかな。ジュンの気持ちは、もしかしたらヒデ君に伝わるかもしれない。でも…。」
 
ママは大人みたいな顔をして、ぼくをしばらく見つめた後、ちょっと難しいことを言った。
「でもね、焦らなくていいんじゃないかな。ヒデ君もジュンもまだ1年生でしょう?あなたたちにはこれから長い長い時間があるの。サッカーは、今すぐできなくても大丈夫。それより、ヒデ君には今、そこに座って泣いていることの方が大切なことなのかもしれない。長い目で見たらね。」
 
「どういうこと?」
「ん〜、ちょっと難しいかな。」
 
ママはまた立ちあがって、カレーのお鍋に火をつけた。
ぼくはママが言ったことをよく考えてみようと思ったけど、お腹がグーグー鳴って、カレーのにおいのほうが気になって仕方なくなった。
 
「ねえ、カレーまだ?」
ママはいつものママの笑顔で嬉しそうに言った。
「もうすぐよ。」






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「ねえ、ヒデ君。今日もサッカーするよ。この前ちゃんとボールをキックできたから、今日もできるよね。やってみようね。」
 
スミレ先生が誘いに来てくれた。
みんなはもう、自分のボールを持って行って練習の準備をしている。
ぼくは校庭のすみっこでしゃがみこんでいた。
 
この前、こうやって座っていたら、スミレ先生が後ろから抱っこしてくれた。
グイグイ引っ張られたり押されたりしてちょっと痛かったけど、
最後は後ろから抱っこしてくれて、一緒にボールを蹴ろうって言ってくれた。
 
スミレ先生、とってもいい香りがした。
ふんわり柔らかくて、温かかった。
 
ママはもうボクを抱っこしてくれたりしない。
もう大きいから、抱っこしちゃいけないって、偉いお医者さんの本に書いてあったんだって。
ジリツシンヲヤシナウって何?
 
スミレ先生はもう引っ張ったりしないって言ってたけど、こうやって座っていたら、きっとまたボクのことを呼びに来てくれる。それで、サッカーしようって、抱っこしてくれるに決まっている。
だから、ボクは絶対に動かない。
 
スミレ先生は悲しそうな困ったような顔をして、みんなのほうへ行ってしまった。
ボクを置いていかないで!
ボクは待っている。
 
でも、スミレ先生は来てくれない。
大きな声で泣いてやる!
それでも、スミレ先生は来てくれない。
どうして?
 
そうだ。サッカーのせいだ。
ボクがサッカーができないから、スミレ先生はボクのことが嫌いになっちゃったんだ。
だって、むこうでシュートの練習をしているみんなとは、あんなに楽しそうにしている。
 
そうか。スミレ先生もママと同じなんだ。
サッカーができる子が好きなんだ。
 
ボクは、誰からも、好きになって、もらえない。






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「チョコちゃん!焼肉食べたい。一緒に行って!」
「はいはい、スミレちゃん。何時に出る?その気になったら3日くらい徹夜してもいいくらい仕事があるから、時間を決めないとエンドレスよ。」
「それは同じ。じゃ、30分後!」
「了解!おいしいビールのために、あと30分集中するぞっ」
「私はもうやめる〜 」

チヨコ先生とスミレ先生はとても仲が良い。
採用はチヨコ先生が1年早かったが、二人は同い年だ。
チヨコ先生が4年目、スミレ先生は3年目。
この春から、同じ1年生を担任することになった。

教師にとっては働きにくい土地柄と言われている。
親の学歴と権利意識が異様に高く、何かにつけご意見を頂戴する。 
時には「ご意見」というより「無理難題」「難癖」に聞えることもある。
それも、担任や校長にダイレクトにやってくるならまだいい。
厄介なものほど、いきなり教育委員会に訴えるからたまらない。
この地域の教育委員会で働くのは、テレフォンショッピングの苦情係よりも辛いと言われている。 

もとは教師をしていた人の中から、内輪で「本庁」と呼ばれる教育委員会へ出向するのが常だ。
だから、みな、一様にその苦情が本気で対応すべきものか、そうでないかの区別はできる。
できるが、寄せられた以上、学校に伝えなくてはならない。
できるだけ、枝葉末節を取り除き、現場に苦痛がないよう伝える必要がある。

二人の学校にも、「事件」が起きたばかりだ。
5年生の担任を持っている中堅の男性教師が、授業中に勝手に立ち歩いて窓の外を眺めたり、ロッカーにケータイを取りに行ったりする生徒を注意し、教室の後ろに立たせたのが発端だった。

保護者は教育委員会に怒りに燃えた電話をかけた。
「授業中に立ち歩いたからと言って立たせるのは体罰だ。そんな野蛮な教師にうちの子は任せられない。」
この母親は、男性教師が4月から担任を持ち始めて以来、約2か月にわたり、何百回となく授業中に立ち歩くことがなぜいけないのか、窓の外やケータイは授業中に見るものではないルールを言い聞かせ続けてきたことを知らなかった。
いや、知ろうともしなかった。

立たせたといっても10分ほど、しかも教室の中だ。
学習権も奪っていないし、身体的苦痛を与えるほどでもない。
男性教師もほとほと困ってのことだったのだろう。
だいたい、同じ子どもを注意するために何百回も授業が中断されるとしたら、他の子供たちの学習権を保障していないことになる。

教育委員会でこの電話に対応した指導主事も「だったらどうぞ私学でも何でも、授業中に好きに立ち歩かせてくれる学校へ転校させたらいいでしょう。」と言いたくなった。
が、もちろんそんなことは言えない。

この件が報告された時、職員室は水をうったように静かになった。
誰もの心を浸したのは「徒労感」という名の毒薬だったに違いない。
その沈黙を破ったのは、説明をした校長自身だった。

「ということがありましたが、皆さんは今まで通りの指導を続けてください。
何かあったら私が責任を取ればよいことです。
何一つ間違ったことはしていないのですから、胸を張って子どもたちと向き合ってください。」

誰からともなく拍手が沸いた。
こういうのをリーダーシップというのだろうと、スミレさんは感激した。

この件は、それだけでは終わらなかった。
例の保護者への対応は校長と副校長があたった。
難航したのは言うまでもない。
いつしか、この件は他の保護者にも伝わった。

他の保護者のリアクションがすさまじかった。
授業中の立ち歩きなどもってのほか、それを教えてくれた担任を非難するなど同じ保護者として恥ずかしい、もしこれで教師が委縮して児童のなすがままにしてしまったら、この小学校は動物園と変わらなくなってしまうのではないか、先生方にはもっともっと子供たちに大事なしつけをしてほしい、そもそも4年までの担任は注意しなかったのか、という意見が嵐のように寄せられたのだ。

PTA会長が保護者に呼びかけ、アンケート調査を実施した。
90%を超える回収率だったそのアンケートの集計結果は、先生方を勇気づけるのに十分だった。
ただひとり、1年から4年までその児童を担任したベテランの女性教師が療養休暇に入った。

そして先週、発端となった保護者がご主人の異動とやらで他県に転居した。
学校は落ち着きを取り戻しつつある。
もしかしたら、この保護者の身に起きたことは、世にも恐ろしい出来事だったのかもしれない。






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「焼肉龍龍」はロンロンと読む。
二人が「焼肉食べたい」と言った時は、この店に来ることを指している。
職場からほどよく離れ、ふたりの家の丁度中間にあるのも都合がよい。
さらに都合がよいのは、この焼肉屋さんはすべて個室になっていることだ。
個室といっても小さなブースのようなものだが、扉を閉めてしまえば、中でどんな話をしても人に聞かれる心配はない。

教育公務員は守秘義務を負っている。
職務上知りえたことを校外で話してはならない。
だから、酒食の席で子どもたちのことを話題にするなどもってのほかだ。

しかし、寛いで腹を割った席だからこそ、思ってみなかったようなアイディアが浮かんだり、相談がまとまったりするのもよくあることなのだ。
職業がばれないように、校外では「○○先生」と呼び合わないように決まっていたり、校長のことを社長、副校長のことを副社長、教頭は専務などと呼ぶ習慣になっていたりする。
しかし、酔えば酔うほど忘れられる習慣だ。
だから、二人のように、子どもの話題が中心になると分かっているなら、個室があるのはありがたい。

腰を落ち着けると、あっという間に届いた生ビールで乾杯して、ふぅぅ、と二人同時にため息をついた。
「今週は疲れたなぁ。」
スミレ先生がうんざりしたような声をあげた。
「ヒデ君のことでしょ?」
チヨコ先生はダイレクトに切り込んだ。
「そうだよねぇ。わかってるよねぇ。」
「大分、手を焼いているみたいだね?」
「見ていたでしょう?今日の体育で3回目よ。座ったままで何もしてくれない。何を言ってもだめなんだもの。」

ノックのあと、ドアが開いて、カルビだの塩タンだの山もりのチョレギサラダだのの皿が届いた。
この二人は本当によく食べる。そして、飲む。
本当によくしゃべり、笑う。
つまり、この上なく健康なのだ。

「最初の、あれきり?」
チヨコ先生は早くも2杯目の生ビールを手にしている。
「うん。やっぱり、あれはまずかったのかなぁ。体罰だったのかな。」
「スミレちゃん、体罰だと思っているの? 」
「ううん。そうじゃないけど、ヒデ君には体罰だと思われたかなって。だから、私、ああいうことはもう二度としたくないんだ。」
「ヒデ君がサッカーをしないのは、スミレちゃんに体罰を受けたから拒否しているんだと思ってるの?」
「わからない。でも、可能性はあると思ってる。私ね、あの後、すごくすごくイヤな気分だったんだ。最初からやらなくていいよ、みたいな流れにしたくなくて、ちょっと無理強いでも、やってもらえば分かってくれる気がして、ある意味冷静にやったことだけど、すごく後味悪かった。ヒデ君に『タイバツだ!』って言われた時は、ドキッとしたしね。」

カルビが丁度焼けたところだ。
チヨコ先生は手早くふたつの取り皿にカルビを取り分けた。
これもいつもの習慣で、最初のお肉だけは、チヨコ先生がこうして取り分けてくれる。
あとは自分のペースで、食べたいものを食べたいだけ焼くのだ。

「あのさぁ。私、あれは体罰なんかじゃないと思うよ。だって、罰を与えるために引っ張ったり押したりしたんじゃないでしょう?」
熱っ、と小さくつぶやきながら、スミレ先生は小首をかしげた。
その様子を見ながら、チヨコ先生は言葉をつないだ。

「自分のイライラを子どもにぶつけて殴るなんていうのは言語道断。体罰なんて言葉を使っていないで、傷害罪と呼ぶべきよ。犯罪者なんだから教壇に立たせるのはおかしい。痛い目をみせれば根性がついて、強くなるとか上手くなるとか思っているのも勘違いだと思う。そういう発想の人はサーカスの調教師にでもなればいいのよ。人を人として扱えないなら、殺人と同じ。でも、スミレちゃんは違う。」

「違うかな。自信なくなった。だって、体罰ってセクハラと同じで、やった側が決めることじゃなくて、受けた方がそうだと思ったらダメなわけでしょ?」
「まあね。こっちの体力を使わないで伝えた方がいい、ってことには賛成するけどね。」
「そうだね。そうするよ。」
スミレ先生はチョレギサラダを頬張った。

「それより、問題はヒデ君がどうして座り込んだままかってことでしょう?」
「それそれ。さらにですね、どうすれば立ちあがってくれるのか、ってこと。私のせいなのかなぁ。」
スミレ先生はまたため息をついた。






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「ねぇ、スミレちゃん。子供の性格って、どうやってできあがると思う?」
3杯目の生ビールを飲みほしたチヨコ先生は、顔色ひとつ変えずに尋ねてきた。

「何よ、試験みたいに。質問はいいから、先に話してよ。」
「いいから。はいはい、答えて。正解したら、このレバーを焼いてあげます!」
「いいよ、自分で焼くから。」
「ほら、子供の性格。どうやってできあがる?」

チヨコ先生は酔っても顔色が変わらない。
だから、酔っていないと思われてしまう。
けれども、スミレ先生は知っていた。
チヨコ先生は酔うと議論をしたくなるタイプだ。
自分で答えを持っていることについて、どう思う?と質問してくる。

「はい、はい。ええっと、子供の性格は、持って生まれた気質プラス環境ね。」
「では、その環境要因を具体的にあげてください。」
「めんどくさいなぁ。環境要因と言えば、両親、兄弟姉妹の性格や関係でしょう、家とか生活習慣、経済的環境、 周囲の住人、友達関係、通った保育園や学校、見たテレビや本、その他体験全般…。」
「そうよね。では、その中で、ダントツ子どもの性格形成に影響を与えるものはどれでしょう?」 
「ダントツ?そりゃもう、お母さんでしょう。」
「正解!」

何をいまさら言い出すのかと、スミレ先生は首をかしげた。
チヨコ先生は、スミレ先生の、ヒマワリの種を両手で持って齧っている小動物を思わせるような黒目がちの目を見返しながら言った。

「静江先生がね…」
静江先生というのは、チヨコ先生が大学を出て初めて教壇に立った時、指導をしてくれたベテラン教師だ。先日学校を大騒ぎに巻き込んだ体罰事件で、授業中に教室を立ち歩く子どもに注意をした男性教師が英雄のように支持を得たのに対し、1年から4年まで担任をもった静江先生は、それまで注意をしなかった指導力不足教員であるかのように責められ、今は療養休暇を取っている。多分、今年度の復帰はないだろう。

「静江先生はもともと、乳児院で働いていたんだって。それから児童養護施設に異動になって、 けっこう長く働いたみたい。そのあと、思うところあって小学校の教員になったって言ってた。」
「そうだったんだ。いい先生だよね。子供心に寄り添って。私、尊敬してるよ。」
「私も。静江先生は、あの子のこと、ADHDなんじゃないかなって言ってた。」
「ADHD?そうなの!?」
「いや、お医者さんじゃないから診断はできないわよ。でも、静江先生はいろいろな子どもたちを山ほど見てきているでしょう。それでそう思うんだから、間違いともいいきれないんじゃないかな。」
「だとしたら…」








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ADHD。注意欠陥多動性障害。発達障害のひとつだ。
脳の器質の加減で、ひとつのことに集中し続けたり、じっとしていることが難しい。
物を整然と片付けたり、物事を順序立てるのも苦手だ。
ルールを意識することも難しい場合があり、言葉でわかったと言っても、行動が伴わないことも多い。
同じミスを繰り返す傾向も強い。
中には、相手の気持ちを察する力が弱く、あえて嫌がらせをしているのか?と思うような言動が絶えないケースもある。

「そう。だとしたら、言葉で何回注意したって行動が変わることは期待できない。だから静江先生は注意するんじゃなくて、あの子が興味を持つような教材を用意して、惹きつけて落ちつけるよう工夫していたのよ。」
「そうだったの。知らなかった。そのこと、次の担任に引き継がなかったのかな?」
「引き継ぐに決まっているじゃない!静江先生はあの子がADHDだとしたら、専門家の支援が必要だから、是非受診をするよう、お母さんに再三勧めてきていたの。そのことも、当然引き継いだ。だけど…。」

なるほど、とスミレ先生は思った。
ほとんどの小学校には支援級があり、障害をもった子どもたちが学んでいる。
しかし、小学校教師がすべて、そういった子どもたちのことを理解しているかと言うと、残念だがそうではない。
支援級の担任をやりたい教師はそれほどいないし、交流級として、支援級のこどもたちが授業によってやってくることでさえ、面倒に思っている教師も少なくない。
まして、通常級にいるこどもたちの行動が定まらない時、それを発達障害と気付かず、親のしつけのせいだとか、教師の教え方のせいだとしか考えられず、苦しむことが結構あるのだ。

スミレ先生は高校生の時、保健の授業で聞いた言葉を鮮明に覚えている。

幼いうちに障害に気付いて、特別支援学校で学んでいる人たちの数はどんどん増えている。普通級の中にも発達障害と呼ばれる障害をもった人たちが学んでいることがある。その数は6.3%と言われているから、だいたいクラスに1人か2人ずついる計算だ。もし、このクラスにいないとしたら、どこかの学校、どこかのクラスに4人とか5人とかいるのかもしれない。そして、忘れてはならないのは、子供ひとりには必ず、親がふたりいるということだ。君たちの中の2人から10人ほどは、将来、障害をもった子どもたちの親になるのかもしれない。ということは、もはや、障害を持った子どもや、その親であるということは、何も特別なことではないね。

何も特別なことではない。
なのに、 あまり理解は進んでいなさそうだ。

「だけどね。お母さんは断固拒絶したらしいの。」
「受診を?」
「そう。うちの子は健常だ、活発すぎるだけだって。そうこうしているうちに、あの子の行動はどんどんエスカレートしていったらしい。落ち着いて座っていないから、勉強も身につかなくて遅れがちになるでしょう?」
「そうね。確か、ADHDは今、いい薬が開発されて、義務教育中くらいは服薬で落ちつけるようにして勉強に遅れが出ないようにしたり、行動面の課題をクリアしたりして、それからだんだん薬を抜いていくような方法があると習った気がする。」
「多動は成人すると治まってくるらしいしね。」
「なのにお母さんは受診すら拒否した。だから、そういう知識を得るチャンスを逃し、子供は荒れ放題ってわけね。でも、自分の子供に障害があるとは思いたくないものね。当然の心理よね。」
「だから、静江先生も無理強いはしなかったんだって。だけど、今回のトラブルで、あのお母さん、静江先生にウチの子を障害者扱いされた、人権侵害だから訴えると騒いだらしいのね。」

障害者だとなぜ人権侵害なんだ?その発想の方がよほど人権侵害だと、スミレ先生は腹が立ってきた。
「ほんと、とんでもないモンスターだね。」
「静江先生が療休に入られたのは、校長先生が静江先生を守ろうとなさったからよ。」
「そうなの?」
「確かに今回のことで精神的な負担が大きくて、うつの診断書が出たのは事実。でも、あんなに早く結論が出たのは、これ以上不毛な議論に立ちあわせるのを止めさせるために、校長先生が配慮してくださったんだって、静江先生から直接聞いたのだから、間違いないわ。」
「へぇぇ。」
「静江先生、言っていた。あの子も辛かったし、それ以上にお母さんは辛かっただろうって。だけど、やっぱり、あの子の現状は、お母さんの影響が大きいって。」






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