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カテゴリ:日常の思い > 健康


さて。10回シリーズで書いてきた花粉症克服記。

今年の花粉症状況の報告を書いて締めくくりたい。

実は3度、ものすごい症状が出た。

1度めは前の職場で、冬から春に代わることを知らせるような生ぬるい強風が吹いた日。人々が見ている目の前で急変。涙、鼻水、咳。見慣れている人も中にはいたので「ああ、Hikariさんにも来たってことは…」と、花粉症の季節到来を覚悟したようでした。でも、ダントツで早く反応していたのに比べ、その日にはすでにかつてのツートップの片われはグズグズになりきっていたので、一歩出遅れたと言える。

夜、例のぎゃ〜の整体師から伝授された技で反応を消すことができ、翌日は無反応に戻った。 

2度目は異動の大掃除をしていた時。
これは、花粉というよりはホコリに反応したのかもしれない。症状や治まるまでの過程は前回と同じ。

そして3度目。 新しい職場で、建物の周囲を見回って歩いた時だった。何の花粉を吸ったのか、歩いた直後からものすごいことになってしまった。「拒絶反応」という言葉が一番ピタリと当てはまる気がする。転勤者対象の講習会が午後からあったが、私の鼻水のすごさに講師が言葉を飲むシーンがあったりした。

この夜も例の技を使ったが、久しぶりに技の後で熱が出た。翌日も鼻水は止まらず、咳も止まらず、体はぼぉっと熱くてけだるく、でもまだ休む勇気もなく。
なのに、再度その戸外へ行かなくてはならなくなった。厳重にマスクをしたが、効果なし。咳が止まらなくなって、半日の間に4度ほど吐きそうになってしまった。

これが治まるまでには4日ほどかかった。新しい環境へのストレスと、疲労と、花粉との合併症だろう。

職場に少し慣れた今では、すっかり落ち着いている。マメビオはやっぱり毎日2錠ずつ飲んでいる。
これらのことから考え合わせると、体が花粉症でなくなったわけではないのだと思う。花粉症だけど、症状が出にくくなった、ということではないだろうか。それで充分だ。12月からGW明けまで薬漬けだった日々を思うと、その薬を忘れると、即日仕事に差し障るほどの症状が出ていたことを思うと、これは天国だ!

脳と腸
東京国立博物館に行った時、大好きな埴輪がいた。
この埴輪はなぜ手がお腹と頭を指しているのか、子供のころから不思議だった。

わかった、わかった。
今ならわかる。

脳と腸のバランスが大事!
きっとこの埴輪を作った人は知っていたんだ!!

なんてね。



あなたの花粉症克服に少しでもお役に立てたら幸いです。
(ぎゃ〜の整体師の技は、公開してくれるなと言われたので控えました。)








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土壌菌をカプセルで飲み始めて5日目。
3日目くらいから感じていた変化が、確実なものになった。

一つ目は、抜け毛が減ったこと。シャンプーすると、排水溝が見えなくなるほど抜けていた。もともと毛量が多いので気にもしていなかったが、それがごくわずかしか抜けなくなった。ハリ、ツヤとも自然とアップした。

次に、体から発生するいろいろなにおいが、あまりしなくなったこと。これは宣伝文句にもなっていたが、本当だった。

体温が上がったこと。気温も高くなってきた時期だったが、布団に入った時など、しばらく体が冷たく感じたものだが、あっという間に暖かくなって眠ってしまう。例年ならまだまだ長袖のアンダーシャツが手放せないが、3月からキャミソール1枚で大丈夫になった。

そして、何より、お腹の調子がとてもよい。
朝の排泄も一瞬で終わってしまう。 

10日、20日とたつうちに、さらなる効果が感じられるようになった。インフルエンザに感染したが、とうとう発症しなかった。体調を崩すことは相変わらず多いのだが、ひどくならない。これも大きな変化だった。

調子が安定したので、2錠ずつ飲んでいた土壌菌のカプセルを1錠にしたところ、たちまち前に戻ってしまった。やはり、元の機能の低さは否めないようだ。

また2錠にもどした。
すると、腸が語り出したのだ。

「今夜はマメビオいらない!」
「菜の花食べたい。お肉いらない!」
「ホウレンソウ食べる!炒めちゃダメ。ゆでて、ゆでて!」
実ににぎやかに語りかけてくる。それだけではない。

「今はお昼寝、寝る、寝る。」
うるさいから寝ていた。
「おでかけ、お買い物。ほしいものは○○にあるよ!」
なんだか行ってみる気になって、起きだす。
そして、その店で、なんと、会いたくて会いたくてたまらなかった人に、偶然出会うことになった。
「ふふん。」
腸はゴキゲンだ。

「やらない、やらない。その仕事やめて帰ろう。」
どう考えてもやっておかねば不都合だと脳が叫んでいる。でも、帰ることにした。
すると、翌日、その仕事が不要になってしまった。
前日必死にやっていたら、さぞかしがっかりしたことだろう。
「ふふん。」
腸は不敵に笑う。

時々、「脳の声」と「腸の声」が喧嘩する。
「チョコレート食べよう。疲れたよぉ。」
「いらない、いらない、チョコレートいらない。ゴボウ食べよう。」
「ミスタードーナッツで桜ドーナッツ売ってるよ。帰りに買おう。」
「ホウレンソウの根っこを食べよう。洗いすぎなくていいよ。」
「生クリームいっぱいのショートケーキと、コーヒーにしよう。最近頑張ってるからご褒美。」
「ゴボウは皮むかないで。ケーキはいらない!」
うるさくてしかたがない。どっちも止めて寝てやろうと思った途端に共同戦線だ。
「だめ。ご飯大事。」
「だめ。栄養大事。」
もう好きにして。

土壌菌を摂り始めて2か月になるだろうか。気持ちが強くなってきたなと我ながら思う。環境の大きな変化にも、想像していたほど動揺していない。2倍になった通勤も、それほど苦痛なくこなしている。週末は寝ているしかできなかったが、あちこち出かけては楽しめるようになった。そもそも、「出かけたい」なんて思いもしなかったのが、「あれ見に行こうかな、これ探しに行こうかな」と思えるだけで私にとっては奇跡だ。

最近は、腸の声と脳の声を聞き分けられるようになってきた。すると、平日の仕事帰りに、用事をいくつか終わらせられるようになった。それでも疲れない。2か月前は、仕事帰りに用事があっても、やらずに帰って床に倒れ寝ていたのだ。

そして、花粉症は…






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腸の健康が本物の健康なのではないか?と気付いた時、偶然の出会いがあった。

きっかけは、このシリーズに繰り返し出てくる『脳はバカ、腸はかしこい』 だ。つまり、何をしたら虚弱な腸が強くなるのか…と、ページを読み進めて行ったところ、最終頁に腸によいいくつかの習慣が出てきた。その大半は私もすでにしていることで、残りは今すぐには取り組めそうにないものだった。このままではダメだ…



腸の健康を語るとき、よく「善玉菌・悪玉菌」という言葉が出てくる。私もこれまで、腸内細菌を積極的に摂ろうと何度もチャレンジしてきた。

花粉症に効くというヨーグルトを手作りして数年毎朝食べ続けたりもした。が、そもそも乳製品を長い間毎日摂取するのは私の体に合わないらしい。そりゃそうだ。牛の赤ちゃんのためにあるミルクを、人間の大人の私が毎日飲んでなんとする。花粉症は悪化するばかりだし、便秘症だし。足の指がギシギシと痛み始めた時だった。整形外科で診てもらうと、カルシウムが足りないかもという。毎日牛乳飲んでいるのに?思い立って牛乳とヨーグルトを一切やめてみた。2週間で痛みが取れた。

善玉菌を摂ろう!というサプリを飲んでも、効かなかったり、効いてもガスがたまるばかりで苦しかったり。

ブロ友さんに教わって、質の良い甘酒にもチャレンジした。でも、もともと甘酒が苦手な私が飲み続けるのは難しく、毎度お取り寄せも続かない。

ラブレやヤクルトミルミルも効かない。

母乳を受け付けなかったために機能が低い腸をしているのだ。健常発達している人のためのサプリや食べ物では効果が出ないのだろうと思われた。

そういえば、市販の風邪薬や処方の抗生物質なども、私の体調を大きく崩す原因になる。問題の風邪などの症状は治まっても、その後体調が別の意味でとても悪くなる。味が分からないから始まって、舌が荒れ、肌が荒れ、便秘や下痢を繰り返してしまう。頼りない体力が奪われ、仕事が辛くなる。あれはきっと、腸内の善玉菌まで薬で全滅してしまうからではないか?と思っている。ぎゃ〜の整体師や天才カイロプラクターは、私に絶対薬を飲むなと言う。彼らは気付いていたのかもしれない。

何か読み落としはないかと、腸の健康につながる手だてを探して、一度読み終えた本をすぐに再読し始めた。
ふと、「土壌菌」という単語に目がとまった。それは、何だ?

ネットで調べたとたんに、この商品に出会った。運命の出会いの瞬間だった!!!



なんと、本の中で藤田博士が「毎日土壌菌をカプセルに入れて飲んでいる」と書いていた、あれではないか。

即断即決で注文。飲んでみることにした。注文した翌日には届き、早速2カプセルずつ飲み始め、3日目くらいから効果を感じ始めた。5日目に、あることに気付き、効果を確信したのだ。






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脳は自分が安定して活動するためのエネルギーを確保するために、消化器系が嫌がっても、即活用できる糖分を欲しがるらしいと分かってから、いろいろな現象が納得できるようになった。

思えば、腸はえらい。
脳は「チョコレートが食べたい、お菓子が食べたい」と自己主張するけれど、腸は入ってきたものを黙って処理するわけだ。毎日毎日、いつもいつも。嫌いなものでも、毒がいっぱいでも、文句ひとつ言わずに力いっぱい働いているのだ。腸だけではない。胃も、膵臓も、肝臓も、胆嚢も、ほかの消化器系みんな、協力して力を出し合って、頑張り続けているのだ。
えらいぞ、ありがとう。

その頑張りを軽視して、脳の言うままに甘いものを摂り続けたり、刺激物を好み過ぎたりしていると、肥満になったり病気になったりして「ねえ、苦しいよ。これはよくないよ。私たち、疲れてきたの。助けて。」と教えてくれる。毒がたまりすぎたり、処理しきれない量を食べたりすれば下痢をして「いらないものが増えすぎているよ。これ以上は頑張れないよ。だから捨てさせてね。」と教えてくれる。

太り過ぎてしまったり、病気になったりしても、食べ方を変えないでいるということは、脳の方を大切にしすぎているということかもしれない。下痢をしたといってすぐ下痢止め薬を飲んでしまうのは、腸の悲鳴を無視しているということかもしれない。

それでも、今日も腸さんは黙々と働いている。

私たちが知るべきことは、その腸が免疫力の中心だということだ。
たとえば、先にあげた『脳はバカ、腸はかしこい 』の著者である藤田先生が監修している、サントリーのこちらのサイトなどを見てほしい。
http://health.suntory.co.jp/protect/meneki01/03.html

腸を疲れさせ、機能低下を招く=腸内の善玉菌が少なくなり、悪玉菌が増える=と、下痢や大腸炎などの腸の病気だけでなく、食物アレルギーやガンの原因にもなっていくということらしい。

そして、腸内細菌について調べていて、こんな文章にぶつかった。
例えば、母乳で育てられている乳児と人工のミルクで育てられている乳児では、前者では、ビフィズス菌などのBifidobacterium属の細菌が最優勢で他の菌が極めて少なくなっているのに対して、後者ではビフィズス菌以外の菌も多く見られるようになる。このことが人工栄養児が母乳栄養児に比べて、細菌感染症や消化不良を起こしやすい理由の一つだと考えられている。
(ウィキペディア 腸内細菌 より)
私は母乳を飲んでお腹を壊す赤ちゃんだったと再三聞かされている。吐く、下すで母乳を受け付けなかったらしい。ということは、もともと私は腸内の善玉菌がすくない体の持ち主だったということだ。もともとの器質に加え、免疫力も低かったわけだ。なるほど幼いころから、虚弱病弱だった理由もこれでわかった。

腸を元気にしよう。
人生最大級に元気にしよう。
これで花粉症もさらに軽減されるに違いない!

それにはどうしたらいいか、調べているうちに、あるものに出会った。






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昨年秋、足底筋膜炎を患った。
ブログにもその苦痛の重たさを思わず書き連ねたことがある。とにかく、足の裏が痛いというのは、もうどうしようもない。朝、ベッドから降りられない。涙をこぼしながらトイレに行くのだ。

靴を履くのが辛い。
もともと足の裏が痛くなりやすく、底の薄いパンプスで出張した日などはかなり痛かった。でも、今回のはその比ではない。

半月ほど我慢して回復を待ったが、一向に改善されないので、天才カイロプラクターに相談した。しかし、今度ばかりは珍しく、一向に変化がなかった。ふと、ぎゃ〜の整体師を思い出した。彼はスポーツ障害も得意としている。何か変化をもたらしてくれるかもしれない。

体をさっと触ってすぐ、整体師は断定した。「膵臓が石のように硬くなっています。機能していないと言っていいですね。あなた、何回死にたいの?」

死にたいわけではなかった。ナナとそれを取り巻く環境の悪化で、死に瀕していたのは事実だが。夏の間にでき過ぎ君がやってきていた。私の重荷は改善されることが約束されていた。なのに…。

「膵臓の機能低下が筋力低下を招いています。だから足が持ち上げられず、全ての負担が足の裏に来る。そうして足底筋膜炎を発症するんです。」

なるほど。では、どうして膵臓さんはそんなに疲れてしまったのか…。
「甘い物の食べすぎです。料理に使う以外の砂糖一切禁止!」

素直に砂糖禁止生活をスタートした。
3日で禁断症状が出始めた。
甘いものが食べたくてしかたがない。

おかしいと思った。
砂糖を食べすぎて体を壊してるのだとしたら、体はなぜ砂糖を拒否しないのか。
自殺行為ではないか。

そこで、砂糖の禁断症状について調べ始めた。
たちまち、あることに気付いた。

膵臓だけが機能低下を起こすと言うのはおかしな話だ。内臓はみな連動して働いているはずだから、膵臓がそんなに悪ければ、胃も腸も、他の消化器系も、みんな本来の力を発揮できていないことにならないだろうか。

膵臓が甘いものを嫌うのは、空腹時に突然甘いものを食べると血糖値が一気に上がるので、それを下げようと膵臓は一生懸命インスリンを出してくれるので、繰り返されると働き疲れてしまうのだろうと思えばいいらしい。膵臓の働きはインスリン分泌だけではないから、他にも影響はいろいろと出ているのだろう。

砂糖が大好きなのは、脳の方だったのだ。
純粋で分解に力がいらない砂糖は、脳が簡単に使えるエネルギー源になる。
脳は、自己保存のために、他の内臓が壊れても、糖を切らしたくなかったのだ。

私に甘いものを貪り食べる夢を見せたり、買い物の棚からチョコレートを握らせたりするのは、脳の陰謀だったのだ!なんて勝手なヤツなんだ!!

そして、そう分かった日の夕刊に、ある本の宣伝が出ていて目を奪われた。新聞受けから出して部屋に戻るまでの間に、アマゾンで注文してしまった。藤田先生は『笑うカイチュウ 』の時からのファンだ。



この本が、すごかった。






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整体師からどんな治療を受けたの?とのご質問がなかったので、話を先に進めることにしよう。やはり誰も、ぎゃ〜と叫ぶような痛みには関心が持てないのだろう。

肉体改造2年目のこと。私は自分がなぜ花粉症に陥っているのか、 根本的な原因に行きついた。
医学的な話ではない。
生き方の問題だ。
だから、万能薬ではない。
あくまで、私の個人的体験であり、私にしか当てはまらないことだ。


ヒントをくれたのは、天才カイロプラクターの一言だった。
ちなみに、ぎゃ〜の整体師とは別人だ。
「あのね、スギ花粉症の特効薬は『つくし』なの。『つくし』って、大きくなると『スギナ』になるのよね。」

けっこうな数の人が、この言葉を聞いた。
しかし、この言葉に引っかかった人、意味を自力で解こうとした人はほとんどいなかったようだ。
教えられるのを待つのではなくて、自分から気付こうと努力すること、どうしても分からなければ、お願いして教えを乞うこと。この姿勢は、私がとても大切にしているものだ。天才はヒントを出すだけで、安易に答えを教えてくれない。

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つくしが特効薬なら手に入れてみようと考えた。すると、つくしが飴になっていることがわかった。これがつくし飴だ。ちなみに、楽天市場ではすべて売り切れているので、今手に入れることはできなさそうだ。リンクをつけたのは、開発の経過や作り方をご紹介したかったからだ。

でも、誤解しないでほしい。
私はこの飴をなめて、花粉症を脱したのではない。

天才の言葉がどうにも引っかかって頭を離れなかった私は、即日取り寄せた「つくし飴」の箱を眺めながら、考え続けた。

つくし、すぎな。つくし、すぎな。スギ花粉。
ある日曜の朝のこと。お風呂でつくし、すぎな、スギ花粉…と唱えていた。
何度もつぶやいていたら、あるフレーズがひらめいた

つくしすぎないで〜!

ギャグではない。
丁度、新人教育の方法に悩んでいた。私はどうしてもいろいろと教えすぎてしまう。結果、相手は答えをもらえるものと待ち受けるようになる。自分の頭で考えないから身に着かない。

気持ちよく学んでほしい、成長してほしいと思うから、よいところを誉めて育てようとする。基本はよいと思うのだが、ちょっとそれは??と思うことを言わずに肚に納めて、誉めすぎると、わずかに注意や注文をつけただけで気持ちがへこたれてしまって、「Hikariさんは冷たい、私は嫌われた、あんなこと言わなくてもいいじゃない」となる。言われなきゃ気付かなかったでしょうに。好きも嫌いもない。できていないことを教えるのが私の仕事なのだ!

そうだそうだ。私は尽くし過ぎているのだ。もっと手を引いて、「お願いします教えてください」と言われたら教えてやらんでもない、くらいの気構えでいればいいのだ。来る者は拒まず、去る者は追わず、その人のしたいようにしてもらえばよいのだ。自分が大切にしているモットーを、人も大切にできるようにしよう。

秘すれば花と言うではないか!私が身を削って学んできたことを、安売りする必要はないのだ!

なぜ花粉症の症状がああなのかにも、思い当たった。
鼻水鼻づまり頭痛などに襲われ続けると、頭がぼんやりして、人のことを考えるのが難しくなる。気付けば自分の辛さに意識が集中している。膝痛や肩こりでは、こうはいかない。

この仕事に移ってから、花粉症になった。お世話が仕事になってからということだ。やり過ぎていたんだ!そうだ!体は、もう他人のことは放っておきなさい、自分のことを大事にしていればいいんですよと気付かせたくて、この症状をわざと引き起こし、教えてくれているのだ!!

その時、もうひとつひらいめいた。

私にはカビアレルギーもある。
ゴルゴンゾーラチーズを食べても何ともないのに、カビを吸い込むと38.5℃くらいの熱が出て動けなくなる。以前、床暖房の上に敷いた絨毯の裏がかびていたのに気付かず、人のお世話に疲れるとそこに横になっていたために、夜毎に熱を出したことがあった。排水溝のヌルヌルを触っても体がかゆくなるが、それ以上にパフッと胞子が飛ぶタイプのカビがダメなのだ。

パフッと飛ぶ胞子・・・・ほうし?ほうしとスギ花粉・・・・・そうだ!

奉仕しすぎないで〜!

なるほど。
発熱も38.5℃になると、さすがに仕事には行けない。無理して行っても使い物にならないので、自然と家でのんびり眠っていることになる。そういうことだったのか!家にいたら奉仕のしようもないもんね。

最初のひらめきからここまで、多分3分か4分。
本当に、目からウロコが落ちる体験だった。
この瞬間から、今日まで約2年間、花粉症の強い症状が出た日は合計4日間のみ。
カビアレルギーによる発熱は1度も起こしていないのだ。

スギ花粉症は、私の「やりスギ」を教えてくれていたのだ。カビアレルギーと協力して、一生懸命体をゆがませて、「やりスギないでね。人のことは人に任せよう。もっと自分を大事にしてよ」と言っていたように思う。読む人は冗談みたいに感じるかもしれない。けれど、私にとって間違いではない証拠に、この暗号を解いたとたん、体はゆがみを解除して、症状を出す必要をなくしてくれた。

それでも年に2度くらい、ガツンと出るのは、私がこの大事なメッセージを忘れないようにするための「補習」のようなものだと思っている。


そして、さらに昨年秋、新たな発見をすることになった。






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6年前に1年間だけ一緒に仕事をした青年がいる。彼もまた、ひどい花粉症だった。大学進学を機に、潮風香る遠い故郷を出て上京したら花粉症を発症したのだそうだ。症状が出る期間は私よりずっと短かったが、症状は重く、スポーツマンとして活動に支障が出るほどだった。

その青年が、10代のころからお世話になっている整体師が花粉症の治療をしてくれるようになったと言うのだ。

薬は一切使わない。
多少の苦痛を伴うのと、治療を受け始めたら服薬をやめなければならないのだと言う。
実際に、どのような治療なのかを聞いて、目が点になった。

そんなことで花粉症が治るわけがない。
あなたが本当に治ったら、受けてみないでもないけど、実に胡散臭い!と笑い飛ばした。

2か月後くらいだったろうか。
青年が花粉真っ盛りの時に、笑顔で言ったのだ。
「かなり楽になりました〜!」

即決だった。
私もその治療を受けることにした。

ちなみに、青年はこれまで何十人にもその治療を紹介したが、実際に受けることにしたのは私だけだそうだ。私も、これまでに「花粉症が辛くて…」と嘆く何人もの方に自分の体験を話したが、想像しただけで辛くて、そんなものに耐えるくらいなら花粉症の方がマシとおっしゃって、誰ひとり体験した方はいない。

なのに、その時の私は、具体的に治療方法を聞いていたにも関わらず、辛さを少しも想像しなかった。普段は想像力が豊か過ぎて、臆病で困るほどなのに。


初めてその治療を受けた時のことは、きっと生涯忘れないだろう。
約1時間の治療の後、予告どおり、食欲はゼロ、全身だるく、発熱した。
翌日になっても、鼻が完全に詰まっているのに鼻水が蛇口をひねったように出るのは変わらなかった。目もかゆすぎて、眼球まるごと取り出して、洗濯機で洗いたい!と思った。

1週間後、2度目の治療に訪れた。
何も変わらないと訴えると、「あなたは重症中の重症です。1度や2度では変わりませんが、絶対に治ります。」
どこから来るんだ?その根拠なさそうな自信は。
また1時間の治療を受けた。帰宅後はまた発熱だ。38℃ほどの熱が一晩出続けた。

さらに1週間後。うんざりしながら、でも後戻りもできない気がして、治療に出かけた。
また1時間の治療。治療の苦しさは同じだが、今度は発熱しなかった。
この間、指示通り、アレグラは飲んでいない。目薬も点鼻薬も使用しなかった。薬は全部禁止なのだ。

翌朝のこと。
久しぶりに鼻水がほとんど出ない朝を迎えた。
あれ?
目も、それほどかゆくない。
あれれ?
丁度、花粉も終わりの時期に近付いていた。
この年はこのまま、治療とも花粉症ともバイバイした。

3年前。
また12月がやってきた。
別のことで体を壊し、その整体師を訪れた。内臓全体にかなり機能が低下してしまっていた。
「ところで、花粉は?」
「そろそろシーズンだと思います。」
「それじゃ、ついでに、やっておく?」
「はい。お願いします。去年は最後の方、かなり楽になったので。」
「ほっほっほっ。だから言ったでしょ?」
「で、去年は何度お願いしても教えてくださらなかったけど、理論を知りたいのです。どうしてアレで花粉症の症状が出なくなるのですか?」
「いいの、いいの。知らなくていいの。じゃ、やるよ。」
「ぎゃ〜〜〜!」

2週間後、再訪した時、ようやくその「理論」を教わることができた。
先生にしては破格のサービスだ。
従順な患者へのご褒美だったのだろうか。
はー。ほー。なるほどぉ。
そういうことなのかぁぁぁ。

この年の、この2度目の治療を最後に、この治療は受けていない。自分でできるようになったこともあるが、必要がなくなった。
治療を受けなくても、花粉症の症状が出なくなったからだ。

昨年、足底筋膜炎を患って、久しぶりに整体院を訪れた。
「先生、私、花粉症が出なくなりましたよ。」
「ほっほっほっ。でしょ?いいですね。どれ、見せてごらん。うん、これなら大丈夫。膵臓はダメだけどね。」

お墨付き。






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ここからは、できるだけ時系列に沿って書いていこうと思う。
話は、11年前に遡る。

ホビー通販「あみあみ」さんより11年前、全身がゴジラのようにひび割れて腫れあがる蕁麻疹に苦しんでいた。腫れて困るといえば、もう小学生のころから唇がタラコのように腫れあがり、かゆくてたまらない、という経験を繰り返していた。体の方はゴジラほどひどくなくても、蜂に刺されたような赤い腫れが出る。本当にかゆかったが、小学生の時は飼い犬のダニのせいだろうといわれた。かわいそうな飼い犬は、私のために保健所へ連れて行かれてしまった。

なのに、タラコ唇は一向に治らなかった。蜂みたいな蕁麻疹も消えない。不定期に腫れあがる。青汁のような漢方を2年くらい飲まされた。まずかった。でも、完全には治らなかった。

11年前、仕事は超がつく忙しさ、無能な管理職とは意見が合わず、イライラと虚脱の繰り返しの毎日だった。そこでタラコ唇だけでなく、ゴジラ体になったのだ。

かかりつけの医者には匙を投げられた。友人のアドバイスで大学病院を受診した。初めて、アレルギー検査を受けた。何十項目と調べたが、何一つひっかからなかった。医師は原因追究を止め、対処を考え始めた。2週間に1回ずつ受診を繰り返し、ようやく薬が見つかった。

その薬を飲んで2年。肝機能障害を起こし、服薬をやめた。やめてみたら、花粉の季節に鼻水が垂れるようになっていることに気がついた。服薬期間やその前は、花粉症の人を見て気の毒がって悦に入っていたものだ。

丁度、職場が変わった時でもあった。
8年前には、もう「ちょっと風邪引いただけ」「鼻炎かなぁ」という誤魔化しはきかなくなった。くしゃみ、鼻水、頭痛、目のかゆみで、仕事に支障をきたすのだ!

しかし、薬による肝機能障害を脱してまだ間がなく、また新たな服薬を始めるのはなんだか気が重かった。でも、どうしようもなく、当時出来たばかりの近所のお医者さんに相談した。医師は、ポララミンという薬を処方してくれた。

ポララミンは大変だった。確かに症状は軽くなるが、眠くて眠くて、仕事にならない。
相談すると、レミカットというのになった。これも、眠い。
次はアレロックだ。眠気は減ったが、ひどくなった症状はあまり減らない。
医師はセレスタミンとかいう薬をくれた。あんなに辛かった症状が消えた。けれども、今度はなんだか落ち着かない。どうも、体が拒否しているようだ。もともと長く飲む薬ではないとかで、症状が消えたところで飲むのもやめた。

7年前。12月くらいから花粉症の症状が出るようになった。ある日突然の鼻水鼻づまり、涙と咳でどうしようもなくなる。このころから4年間ほど、アレグラを半年ずつ飲む生活が続いた。アレグラは予防効果が高いのではないだろうか。症状が出る前から飲んでいれば、花粉症知らずで済む。だから12月から、ゴールデンウィーク明けくらいまで飲むのだ。毎年、飲み始めは吐き気や頭痛に襲われるが、3日ほどで消える。

この頃になって、アレルギー検査を受けると、2つの項目が域値を振り切るようになった。
スギカビだ。

そして、運命の4年前が訪れる。
その情報は、後輩からもたらされた。






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写真を見てほしい。
3月7日の、左腕、ひじの内側の写真だ。

蕁麻疹

気持ちの悪いものを大写しにして申し訳ない。これは、少し落ち着いた時間帯に撮影した。かゆい。かゆいなんてもんじゃない。この夜、眠っている間に掻き崩して、赤い部分が3倍に広がり、血がにじんだ状態で目覚めた。ひどすぎて、写真なんかとれなかった。

ちなみに、同じ時に撮影した右腕の写真も見てほしい。

蕁麻疹なし

ちょっとカサカサ乾燥しているけれど、赤く腫れたところはない。

実は、スタートは腕ではなく、足だった。
2月下旬のこと。
左ひざの裏側に、ある夜突然ピキッと痛みが走った。
見ると、切り傷ができている。
しかし、膝の裏側のことだ。ずっとパンツをはいているし、切れるような何かが当たること自体考えられない。しかも、今ここで痛んだ。パソコンを使っている最中。椅子に座っていたのだ!

切り傷から、1時間後には赤いケロイド状の盛り上がりが出てきた。
気持ち悪く思っていると、たまらないかゆみが始まった。
ああ、蕁麻疹か。
すこしタイプは違うが、全身がゴジラのようにひび割れて腫れあがり、かゆくてかゆくて死ぬかと思った蕁麻疹を数年かけて治療したことがある。
あれに近いのかもしれない。

膝の裏が曲がらないほど腫れてから、今度はひじの内側にもできたという順番だ。
どちらも、蕁麻疹などが出やすい場所だ。
頭皮もかゆみが出た。顔もかゆい。

しかし、おかしい。
すべて、なのだ。
なぜだ?なぜ右には出ないんだ???

3月7日、湯あがりに鏡に映った腕を見てハッとした。
「これは、アトピー性皮膚炎だ!」
アトピーに悩む子供たちをたくさん見てきている。まさか自分がなるとは思ってもいなかった。医師ではないから診断はできないけれど、あまりに似ている。
大人のアトピーはストレスとの因果関係が深いらしい。


みなさんは、ナナをご記憶だろうか。
あの、恐ろしく仕事ができない人物について、2月末にとんでもないトラブルが生じていた。いや、トラブルは毎日起きていたが、これは確定的だった。仕事を教えるようにと言われて1年間預かったが、これは仕事を教えるとかいう以前の問題だと断定することができるトラブルだった。

かゆい、かゆい。

私は異動になる。このまま黙っていたら、また誰かが私の立場に立って、苦労した末にトラブル処理に明け暮れ、お客様は質の悪いサービスしか受けられず、本人にはその自覚をする力がないまま放置されるのだ。そんなことは断じてさせられない。

かゆい、かゆい、かゆい。

人権侵害と訴えられようと、越権行為と言われようと、断然阻止してやる。冗談じゃない。あ〜イライラする。だいたい、自分のミスが認められない性格してて、成長なんかするはずないじゃないか。「どうしてこんなことになったのですか?わかりますか?」と尋ねたら、あの人なんて言ったと思う?「Hikariさんのせいです。」だって

かゆ〜かゆ〜かゆかゆかゆかゆ!

許さん。絶対に許さないぞ。くびになってもいいから、あんなのが平然と同じ立場で仕事をするなんて状況は再現しないようにしてやる!

私は管理職にあてて、決意表明文を書いた。署名捺印して提出したのが3月8日。血まみれの左腕を掻きむしりながら書いたのだ。

心を開いて話せる同僚に、この話をした。健康面でとても似ているその人に、腕も足も見せた。「でもね、全部左なんだよ。変だね。」
同僚は涼しい顔してこう言った。
「当たり前でしょう。体さんはあなたの左側に拒絶反応を示しているんですよ。左と聞いてすぐわかった。」
ああ、そういうことか。ナナは私の左隣に座っているのだ!!!

同じチームで私の状態を目の当たりに見てきたでき過ぎ君にも腕を見せてみた。彼も、こともなげに言った。
「左側が本当にストレスなんですね。1年並んでいるとそうなるんですね。」
おお。やはり、そうなのか。

管理職と面談が実現したのは3月14日のことだった。管理職全員がそろい、1時間以上もかけて私から聞き取りをしてくれた。管理職ももちろん、これまでの状況は随時理解していた。しかし、スタートがひどすぎたため、少しでもできることが増えたら、大成長に見えていたようで、実質のひどさは伝わっていなかったことがわかった。

社長が決断した。
「わかりました。あなたが1年かけてここまで見極め、そういう結論を出したということは、何より尊重したいことです。後は私たちが責任を持ちます。きちんと形にして、あなたに報告しますから任せてください。」
私と同じ犠牲者が来年度は出ないことが決定した瞬間だった。

翌15日の朝。
写真を見てほしい。

一晩で消えた蕁麻疹


たった一晩で、蕁麻疹が、消えた。



花粉症克服記になぜ蕁麻疹の話か?と思っている方もいらっしゃるだろう。

心と体はつながっている。
これは、前回も書いた。
気持ちが落ち込んでいると体調が悪いとか、体調が悪いと気持ちも上がらないとか、そういうことならば誰もが理解できることだろう。

私が言う「つながり」とは、そういうレベルの話ではないのだ。

体は、その時に必要な感情を生みだし、私にその感情に沿った行動をさせることで、体が生きやすい場所を作りだそうとする。

今回、私の体は、左側に耐えがたくかゆい蕁麻疹を発生させることでイライラした感情を生みだした。今も思う。あのイライラがなかったら、私はあそこまでの決断を以て行動できただろうか?答えはNOだ。イライラが私を肚の底から怒らせ、その怒りが揺るぎない決意を生み、行動させた。

その行動が管理職を動かした。結果、私が大切に守り育ててきた組織は不利益を受け続けることを拒絶することになった。不利益の根源は、より適切な場で自分を見直し、より適切な方法で自分を成長させる機会を手にすることができた。

イライラの役割が終わった途端に、症状が消えたのは、もう苛立ったり怒ったりする必要がなくなったからだろう。

この「つながり」が理解できないと、私の花粉症克服もやはり理解できないだろう。

体と心は「病気」「不快な症状」という言語を使って、私たちに大切なことを知らせているのだ。






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絶不調の日々を過ごしている。胃腸炎だ。
原因の8割はストレス、残り2割は悲しい出来事の衝撃。

お客様が突然亡くなった。
前日までお元気だったのに、こんなことってある?
直接の担当者たちは混乱を極めている。
まだ若い我がチーフは、必死で冷静さを装っているが、動揺は隠せない。当然だ。
私の役割は、チーフに代わって全体に目を配り、目の前の日常、他の多くのお客様の今日をお守りすることだろう。誰よりも冷静でいなくてはならない。しかしそれは、意識できていた以上に難しいことだったようだ。

お通夜に参列するため着替えようとして、自分が強い寒気と腹痛と頭痛を感じていることに「気がついた」。その時まで、そんな状態だとは気付いてもいなかった。

その時から、食べられず、眠れず、休めない時間が続いている。

消化できない。
気付くと顔や体に異常な力がこもっていて、意識して抜いたつもりでも、またすぐに力みかえっている。
初夢を見たのが2月末という、めでたい睡眠状況だったのに、同じことをグルグルと段取り、反省を繰り返し、考えているのを、朝目覚めた時に覚えているのだ。

絶え間ない吐き気と痛みと。

そこへ、かわいがっていた甥っ子から連絡がきた。
彼は、大学進学を勧める私を振り切り、両親である弟夫婦を説き伏せて、海上保安学校に進んでいた。

「○○○」という巡視船で尖閣諸島へ行ってきます。 

かわいい女の子のような名前をしたその船は、重要な任務を帯びているらしい。YouTubeでその船を見てみると、 心細いくらい小さく見える。が、船上の人が動いた。あれ?人が小さい。ってことは??
名前に似合わない大きな船だった。

尖閣諸島…
またまた、消化しきれない。 


心と体はつながっている。

心が消化しきれない時、体も消化をやめてしまう。
胃も、腸も、痛くて痛くて、動いてくれない。
それでも、私の心は、この出来事を消化しようとしている。
だから、体も、吐き気はしても吐くわけではなく、どんなに痛んでも下しもしない。
だけどきっと、いつまでも拘って、抱えておくのはかえってよくないのだ。
そう思えた途端に、お腹を壊して仕事ができなくなった。


職場ナンバー1と言われていた花粉症が、この3年間ほぼまったく出ていない。
そんな方法があるなら教えて!と、ずいぶん聞かれるようになった。
それなら書いてみようかと思う。

実際に私がしたことばかりだが、これは「私」にしか効かないのかもしれない。
それでもよければ、読んでみてほしい。


そして、花粉症克服のスタートは、この一言だったのだ。

心と体はつながっている。







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