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あなたも幸せ。私も幸せ。

カテゴリ:小説 > カピバラ食堂


姉さんは気付くだろうか。
「被害者意識」は意識や感情のことだよね。
でも、人は何を感じてもいいし、感情には良いも悪いもないんだ。
だから、姉さんは感じることについて反省したり、後悔したりする必要はないんだ。

「責任」はね、行動で計るんだよ。
「責任感」とはいうけれど、思っているだけで何もしなかったら、
それはやっぱり無責任なんだ。
「何もしない」というのが積極的な選択ならいいけどね。
姉さんは、気持ちを変える必要があるんじゃなくて、
行動を変える必要があるんだよ。

無抵抗に、人に期待して、されるがままの赤ちゃんだった姉さんで
居続ける必要はもうないだろう?
いつまで赤ちゃんの時の痛みをスタートラインにしているの?
姉さんは、もう立派な大人だよ。
どこをスタートラインにして生きるかは、自分で自由に決められるんだよ。
僕を守ってくれた命の恩人。
魅力的な、理想の女性なんだ。
自分にできることを大切に、自分を大切に、被害者にならないための行動を起こすんだよ。
もっと、幸せになろうよ。

さて、帰ろうか。
缶チューハイ2本、飲みきってしまった。
さっきまで夜空に大輪の花火が咲いていた。
もう終わったのかな。 
花火大会か。姉さんを連れて行ってやろうか。
そうして夜空に咲く花を見上げながら、これから絶対やってくる、姉さんの幸せな人生について話してあげよう。

滑り台を滑り降りるなんて、なんだか恥ずかしい。
お尻がちょっときついなぁ。 
ちょっと酔っ払っちゃったかな。
普段飲まないものを飲むと、どうもいけない。
あれ、上着がない。
しまった、カピバラ食堂に忘れてきた。
明日とりに行かなきゃ携帯がない。
階段、気をつけないと。


あ… 







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どうも、勘助です。
ここは「カピバラ食堂」。明日からこの名前です。先週までは「やじろべえ」でした。どうも飲み屋と間違われるというのが、改名の理由です。

「カピバラ食堂」に変えようと言い出したのはおやじさんです。「やじろべえ」では入ってこないような、子供連れやカップルもターゲットにしようじゃないかと言っています。どうして店の名前を変えると客が変わるんだろう?

この1週間、店を休んで内装を変えました。味わい深い木目の壁だったのに、いきなり巨大ネズミがユズ湯に入っている絵に変わったのです。冬は確かにいいけれど、夏場は暑苦しいだろうに。おやじさんは気付いていません。

かあさんは本当に優しく美しい人です。おやじさんと結婚してもう20年はたったでしょうか。体が丈夫で、めったに風邪もひきません。肌が白くてゆでたまごのようです。このかあさんがグリズリーみたいなおやじさんのどこに惚れたのか謎です。

かあさんはいつも、おやじさんの思いつきを小さな子供のいたずらを見守るような温かさで受け入れます。今度もそうです。「あら、かわいらしい名前!」かあさんの一言でおやじさんの行動力は倍増します。いつものことです。

照明も和風から、キラキラ光るシャンデリアに変わりました。私は、私の身の上が心配になりました。捨てられるに違いないと思われました。向かいのお美代や上の半兵衛も同じことを考えたに違いありません。

しかし、事なきを得ました。おやじさんの予算は、われわれを総入れ替えする前に尽きたのです。かくして、ファニーなのれんをくぐって引き戸を開けると、巨大ネズミの壁にシャンデリア、純和風の机椅子という奇妙な食堂が誕生したのです。







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どうも、勘助です。
「カピバラ食堂」の開店を前に、おやじさんとかあさんは、額を寄せて、ずっと話し合っています。半兵衛は半日ふたりの指先でコツコツされています。

おやじさんは、お美代に座っています。私に腰かけているのはかあさんです。大好きなかあさんがいつも腰かけるのが自分であることに、私は誇りと歓喜とを感じています。かあさんの声がします。

「それもいいけど、せっかくだから今までにないお料理がいいと思うの。あなたならきっと、お客様をあっと言わせるものが作れるはずだもの。」そうです。ふたりは今朝から、オープニングメニューについて話し合っているのです。

もっと前から相談すればいいのに、壁やのれんに気を取られて、ふたりがこのことに気付いたのは昨夜だったのです。サバの味噌煮海賊風とか生姜焼きのメガ盛りとか、おやじさんの案はかあさんにやんわり消されていきます。

おやじさんは、半兵衛の背中を右の人差し指でコツコツコツコツとハウス調のリズムを刻んでいます。かあさんは、私の右の耳を右手の平でさらさらとなでてくれます。ちょっとくすぐったくて気持ちいい。静けさが広がります。

「俺の料理で、何が一番好きだ?」おやじさんが尋ねました。「何がうまいか?」と聞かないのがおやじさんです。かあさんが好きなものが、おやじさんの癸院「そうね……オムレツかしら。」

「オムレツ…。なら、あれかな。ケチャップでカピバラの姿を描いて、『カピバラオムレツ』にするのはどうだ?」「まぁ!ステキ!!」こうして、カピバラ食堂名物の『カピバラオムレツ』は、かあさんの笑顔一つで誕生したのです。







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どうも、勘助です。
開店の朝になりました。おやじさんもかあさんも、あまり眠っていません。おやじさんは、朝早く市場にでかけました。いつものことです。

かあさんは半兵衛や私たちのことを丁寧に丁寧に拭いてくれます。床もすでにピカピカなのに、また磨いています。それから、市場から帰ってきたらおやじさんにプレゼントする包みを、そっと撫でてからカウンターに置きました。

ガラガラ。引き戸が控えめに開きました。かあさんの声がします。
「あら、後藤。しばらくね。お元気でした?」
「お嬢様。新装開店と聞きまして、お祝いのお花を届けに参りました。」

「まあ、よくご存じね。」
「執事たるもの、お嬢様のことなら細大漏らさず何でも…」
「おやめなさい。それは去年流行ったドラマのセリフでしょう?お兄様ね?」

黒い服の初老の男性が入ってきました。かあさんが、いつもとは違った人になっています。この男性は、いつも決まって、おやじさんが留守の時にやってきます。そうしてかあさんを「お嬢様」と呼ぶのです。

「旦那さまと奥さまもお越しになりたいとのことでしたが、来月から那須のご別邸にお引越しになることに決まり、お忙しいのです。麹町のご本宅は花音さまご夫妻がお守りになります。旦那様は花亜様にもお屋敷をとおっしゃっていますのに。」

「まあ、そうでしたか。ありがとう。那須の家ならお兄様がたもお心のびやかに暮せますね。でも、お兄様のお気持ちはありがたいけれど、わたくしにお屋敷は似合わないわ。このお花だけで十分よ。後藤はどうするの?」







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どうも、勘助です。
私はこの日初めて知りました。おやじさんが「かあさん」と呼ぶのは、「母さん」だと思っていました。常連客もそう思っているでしょう。

でも、かあさんの名前が「花亜」だから、かあさんだったんだ。
20年以上もそばにいながら誤解していた自分が恥ずかしい。それにしてもこの「後藤」という初老の男は何者なのでしょう。

「はい、わたくしは麹町のご本宅に残り、花音さまご夫妻をお守りするよう、旦那さまから仰せつかりました。那須のご別邸には安住がお供することになっております。まだ若いながら、安住はよくできた男ですので。」

「安住が。懐かしいわね。私が最後に会ったのはもう15年も前になるかしら。お兄様が息子か孫のようにかわいがってらしたわ。そう、もう執事ができるほどになったのね。後藤がいれば、花音たちも安心だわ。」

どうやら、カノンさまというのは、かあさんの姪にあたるようです。私はシツジを知りません。ヒツジの親戚でしょうか。なにやら、いると安心なもののようです。それがこの男?かあさんが言っていることが分からず、私は不安です。

後藤という男が持ってきた花を、かあさんは店のあちこちに置いてみて、一番奥の小窓の脇、日が当たる一角に置きました。満足そうに大きな花籠を眺めるかあさんは、なんだかいつもと違う気品を漂わせています。

「それで、お嬢様。実は…」後藤という人がひそひそとかあさんに耳打ちします。「ええっ!」かあさんは飛び上がりました。「まぁ!なんてことでしょう!!」こんなに慌てたかあさんを見たことがありません。


どうも、勘助です。
かあさんの顔色はただごとではありません。「お母様はパリにいらっしゃるのではなかったの?どうしてまた、そんな気まぐれを…」

「はい。大奥様の気まぐれはいつものことです。終生パリでとおっしゃっていたのをお忘れのように、ご帰国なさいました。いまは葉山でご静養中ですが、花亜さまとご同居なされたい由、お伝えするようにとのことでございました。」

かあさんは、ふらふらと私に腰掛けました。背もたれから、かあさんの震えが伝わってきます。「だって、私、夫には両親はとうに亡くなったと話していますのに。どうしましょう。お母様は私の暮らしをご理解なさっていて?」

「はい。それはもう楽しかろうとお思いになって、はしゃいでおられます。昨日は私を葉山にお呼びになり、ユニクロへ服を買いに行くお供をいたしました。スヌーピー柄を中心に、50万円ほどもお買いそろえになってございます。」

「おお。」かあさんはほとんど泣きそうな声です。
「お嬢様。大切な朝にこのようなお話を持ち込み、大変申し訳ございません。日を改めてご相談に参ります。どうか、よき開店日になりますように。」

後藤と呼ばれたヒツジもどきは、音も立てずに去って行きました。かあさんは半兵衛に肘をついたまま、深い深いため息をつきました。「生まれた時から服はすべてオーダーメイドのお母様がユニクロ!?どうしましょう。」

かあさんは、カウンターの上にかかった丸い時計を見上げました。そろそろおやじさんが帰ってくる時間です。かあさんは大きく深呼吸をして立ちあがりました。「まずは、今日一日を幸せに暮らすことね。」


どうも、勘助です。
おやじさんが市場から帰ってきました。カラカラッと引き戸が開き、ものすごくごきげんなおやじさんの顔がのぞきました。私はそれだけでホッとします。

「今日はどうでした?」かあさんはいつものように問いかけます。おやじさんは、つまるところ、「今日は新装開店で」と繰り返して、ずいぶんご祝儀をいただいてきたようです。食材もいつもよりよいものが手に入ったのでしょう。

「しばらくお休みしたから、きっとお客様はあなたのお料理を食べたくて、待っていてくださるわ。」かあさんの言葉に、おやじさんは胸を張ります。そういえば私は、かあさんがおやじさんに「しっかり」とか「がんばれ」というのを聞いたことがありません。

それなのに、おやじさんはかあさんの言葉に支えられているのです。この店の椅子になることができて、本当に幸せだと感じるのはこんな時です。机の半兵衛も、向かいの椅子のお美代も、きっと同じ思いです。我々はこの夫婦を心から愛しているのです。

おやじさんが、カゴの下からもぞもぞと紙袋を取りだしました。少し角が折れて、しわが寄った袋の様子から、今朝手に入れたふうを装っているけれど、ずいぶん前に用意したことが見てとれます。

「かあさん。これ、オープン記念にプレゼントだよ。今日からはこれをして働いてほしくてね。」「まぁ!」かあさんは本当に驚いています。私に腰掛け、丁寧に包みを取り出し、そっとピンクのリボンをほどきました。

「これ、まぁぁ!!」かあさんは絶句します。澄んだ瞳にじんわりと涙が浮かんでいます。あなた、これ…これ…!」包みから出てきたのは、生成りのエプロンでした。裾に大きなカピバラがプリントされています。







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どうも、勘助です。
かあさんは、自分が着るものにお金をかけません。Tシャツもズボンもエプロンも、何枚もあるわけではないのです。おやじさんも同じです。

でも、かあさんは丁寧に洗濯して、大事に干して、アイロンをかけるようです。いつでもパリッとしています。グリズリーのようなおやじさんがいつもこざっぱりと清潔に、見苦しくないのは、すべてかあさんの努力です。

センスの良いかあさんが、カピバラエプロンに言葉を失うほど感激しているのはおかしなことと、私は怪訝に思いました。かあさんは私の右の耳をぎゅっと握ってから立ちあがると、先程カウンターに置いた袋を取りに行きました。

「私も、あなたに贈り物があるの。オープン記念に。いつもありがとう。これからもよろしくお願いします。」おやじさんは照れくさそうに手を出しました。そのままお美代に腰かけると、慎重に包みをほどきます。

「ああっ!これは…」おやじさんも絶句しています。おやじさんが手にしているのは、藍色のエプロンでした。裾に大きなカピバラがプリントされています。「これ、かあさん、どこで…」

なんとまぁ、ふたりは別々に、色違いでおそろいのエプロンを、相手の分だけ用意したのです。少しだけ贅沢をして、少しだけ明るい気持ちで相手がこの日を迎えられるように。本当に、仲の良い夫婦なのです。

真新しエプロンをして立つふたりに、私は涙がこぼれそうでした。涙もろい半兵衛はもう泣いています。「さあ、あなた。美味しいお料理をお願いします。」「まかせとけ!」カピバラ食堂、開店まであと数時間です。







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どうも、勘助です。
おやじさんはカウンターごしにかあさんを見つめています。いや、かあさんが嬉しそうに見つめている大きな花籠を見つめています。

言葉に出しては言いませんが、おやじさんは自分と結婚さえしなければ、かあさんは今とは全く違った人生を歩んだ人だということに気付いています。お美代に腰掛けてぼんやりしている時、おやじさんはそんなことを呟くのです。

きれいな花だね。おやじさんは話しかけます。ええ、兄が送ってくれまして。かあさんが明るい声で答えます。いつも気にかけてもらってありがたいね。おやじさんが言うと、かあさんは、ほんとうに、と振り向きます。

その笑顔に浮かんだ微細な波紋を見て、おやじさんは次の一言を飲み込みます。さて、仕込みにかかろう。真新しいカピバラのエプロンをピンと引っ張って、おやじさんは手を洗い始めました。

おやじさんが仕入れたての玉子を取り出している後姿を見ながら、かあさんは小さく「ありがとう」とつぶやきました。かあさんは、自分と結婚さえしなければ、おやじさんの人生は変わっていたろうということに気付いています。

ああ、この上、また迷惑をかけるなんて、いったいどうしたらいいのかしら。かあさんは、先程心の奥に押しやった問題が勝手に出てくるのを感じました。だめだめ。そのことはまた後で。今日は大事なオープン日だもの。

私は、この夫婦に時折流れる微妙な空気を感じつつ、でもお互いをかけがえのない存在として大切にしあっていることを、本当に自慢に思うのです。そうして、新生・カピバラ食堂が「やじろべえ」の時より流行るようにと祈るのです。







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どうも、勘助です。
ここだけの話ですが、かあさんは料理が苦手です。苦手というより、できないと言ったほうが適切でしょう。だから、厨房にはいつもおやじさんだけです。

初めてかあさんが私に座った日のことは、忘れようとしても忘れられません。白魚のような指という表現がありますが、かあさんの指は透き通るように白く、やわらかく、優しくそっと私に添えられた時は気が遠くなりそうでした。

きれいに切りそろえられた爪は桜貝のようで、マニキュアで美しさをくっつけた指とは別物でした。包丁どころか、ハサミでさえ持ったことがないのではないかと思われる、たおやかな指でした。

おやじさんが「やってみたい?」と尋ねると、かあさんは好奇心いっぱいの声で「はい!」ニンジンの皮むきを始めました。かあさんはニンジンをまな板に置いたまま包丁を左右にこすりつけました。おやじさんはたまげました。

「かあさん、何をやっているんだい!」「あら?何か?」「いや、ニンジンの皮は…いや、いいよ。包丁ではなくピーラーにすればよかったね。」「ピーラー?」「いや、いいんだ。料理の前にコーヒーにしましょう。」

「では、お湯を。」「かあさん、コーヒーのお湯は鍋ではわかさないのですよ。」「まぁ、存じませんでしたわ。では、どうすればよいのでしょう?」「ここではこのやかんを使います。」「まぁぁ、ステキ!」

ある程度の覚悟はしていたようですが、おやじさんはずっこけてしまいました。でも、心の底からとめどなく笑いが噴き出してきました。その様子を見て、かあさんもまた、鈴を転がすような声で笑ったのです。







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