Win-Win

あなたも幸せ。私も幸せ。

カテゴリ: ひらめく


金曜日。目覚めた時から3日目になった頭痛に吐き気が加わった。立てない。休んでも許される体調だろう。でも、今の私は休めない。私でなければならないことが今日もある。コーヒー一杯で出勤、仕事着に着替えたとたんに業務開始。

頭皮はまた真っ赤に逆戻り。重たい体をなんとか前に向かって運べるのは、意識して深呼吸を続けているからとしか思えない。一日の終わりに、「やっぱり休んでもよかったな?」と思えたら安心なのに。そうはならない。

自分を思いやるというのは、まず、自分が感じていることを認めるところから始まるのだろう。眠い、痛い、苦しいほかにも、さまざまな思いや状態がよぎっていく。人が見てどう思うかという物差しを捨てて認めてやりたい。

スケルトンの容器に入った泥水を眺めるように、自分の心の澱が見える気がする。ここしばらく、その風景を人にも見せる努力をしている。そこに澱があるのは、私個人の問題だろう。けれど、波立つのは、私個人の問題ではない。

里山の中、小さな建物でナメコを育てて生計を立てているという人をテレビで見た。ライトを浴びてツヤツヤと輝くナメコがなんとも美しくて、そんな生き方もあるんだよなと再確認した。いったい今私は何のために苦しんでいるのだろう?

20:30にもうダメだと退勤した。21:30、夫はまだ帰っていない。珍しいな。倒れこむ前に根性で晩ご飯を食べ、さらに根性で入浴。バリバリに凍りついた身体と思考が少しだけほどける予感がする。23:00、できることはした、寝よう。

23:30、メール着信で目覚める。ブログに新着コメント?見ると、私が帰った後、相談相手を失ったナナが別の人の時間を奪い、この時間になったらしい。長い苦情メールだ。私の大変さを理解する人が一人増えたけど、今は寝かせて…




人気ブログランキングへ ←ポチッと応援、お願いします!


今年になってから、急激にウエスト周りが太りだした。
もともと、あまり太らない性質だが、昨年くらいから急に体重が増えたかと思うと減り、減ったかと思うと増える。この年齢なら特段珍しい話ではないらしい。

しかし、なぜウエストなんだろう?スーツのボトムだけ着れなくて困るじゃないか。楽しみにしていたピンクのスカートも、お気に入りの足が長く見えるパンツもファスナーの右と左が握手しようとしない。おいおい、仲良くしようよ。

そういえば、「徒然草」にこんな一節がある。
  おぼしき事を言はぬは、腹ふくるるわざなれば…(第十九段)
徒然草の大家・安良岡先生はこう訳す。「言いたいことを言わないのは腹がふくれることだと…」

「おぼしき」は「思し」または「覚し」が終止形だ。つまり、形容詞シク活用の連体形。動詞の「おぼす」と一緒だと思ってはいけない。「おぼす」は「おもふ」の尊敬語だから、意味が通じなくなる。ま、センター試験レベルの判別だな。

それはさておき、「おぼし」は、「思ったこと」というより、「望ましいこと」「こうありたいと思うこと」という方が正確らしい。つまり、心に浮かんだことを言葉にしないのは…ではなくて、願望や主張を言わないでいると…ということだな。

なるほど。こうしたい、これがいいと思うという、自分の大切な思いを言葉にしないでいるとメタボになるわけか。そういえば、3月末から、一番言いたいことを飲みこんで腹に溜めた状態だ。言っても通じないし、人権問題だからなぁ。

「通じない」…つうじがない…お通じがない…おお、それでは腹も膨れるわ。
「こうありたいと思うこと」をきちんと言葉にしてみよう。ついでに、行動にうつせたらいいのだけど。最近、自分の「こうありたい」を見失っているんだな、これが。





人気ブログランキングへ ←ポチッと応援、お願いします!

ちなみに、徒然草の大家・安良岡康作先生は、私に国語科教育法を教えてくださった恩師です。とっても面白い先生だったなぁ。


5日。前日の価格調査をもとに、今度は試作品の材料を購入に出かける。
その前に、映画でも観ようか。朝一番なら、それほど混雑もないだろう。実際は混んでいたけど、ぽっかり空いていた特等席で観た。おひとり様の特権。

ふと、お気に入りのショップに足を運ぶと、丁度ほしかったタンクトップが安い。おお、またまたツイている。2枚購入、小さなかわいいビニール手下げに入れてもらい、いよいよ仕事だ。休日だけど今だからできることをやる方が先々楽だ。

ところがだ。材料を売っている店がとても混んでいて、なかなか用事が済まない。荷物も多いし、待ち疲れてきた。たかがカゴひとつの買い物に2時間。気が遠くなった。もう何もしたくない、帰ろうと思った時、タンクトップの手下げがないことに気付いた。

慌てて店内を確認する。レジにも聞いてみた。落し物は届いていないらしい。店に入った時には確実に持っていた。邪魔だな、落とさないかなと、袋を見ながらこの場所で思ったことも覚えている。でも、ない。

サービスカウンターにも届いていなかった。連絡先を告げて帰るしかない。ああ、なんてこった。いろいろな、不快な思考が浮かんでくる。まぬけだなぁ、拾った人は届けてよ、泥棒じゃないか、これって老いの到来?…どれも捉まえない。

「でもさ、財布でもケータイでもなくてよかったんじゃない?」ふと浮かんだこれをキャッチ!本当にそうだ。確かに拾った人には届けてほしいし、老いの証かもしれない。でも、捉まえるのはこれがいい。

それでもかすかな落胆が消えないので、友達にメールしてみた。「落し物しちゃった。でも、財布でもケータイでもなくてよかった。」返信。「ホントだね〜。ラッキー」いつの間にか、落し物はツイてる出来事になっていた。





人気ブログランキングへ ←ポチッと応援、お願いします!


ちなみに、観た映画は「テルマエ・ロマエ」です。ローマ彫刻に負けない濃い顔の人々が何人も出ていて、理屈抜きに面白かったです。ちょっとした息抜きをしたい方に向いているかもしれません。

そうして、結局、タンクトップは返って来ませんでした


今年のゴールデンウィークは本当によく雨が降った。4日のことだったろうか。早朝煙るように降っていた雨が、10時前にはあがって、アスファルトが渇く香りがし始めた。いい気分。仕事がらみの買い物に行こう。今しかない。

傘を持たずに出かけられるのは嬉しい。価格チェックしながら、あちらこちらと用事を済ませて歩く。2時間ほど歩きまわり、お昼ごはんを買って帰って家で食べようか…と思った頃、ふと空を見上げたら、真っ黒い雲が出ている。

先日、歓送迎会に行く時は大雨だった。おしゃれなスカートもびしょ濡れ。パンプスも水没。悲しい気持ちになっていると、隣を歩いていた新人が言う。「私、いいカッパを持ってましてね。あれ着て長靴はいて雨に濡れるのが結構好きなんです。」

ああ、それは分かる。
「いっそサンダルにTシャツ短パンで、雨に向かって顔あげて目を開けて、雨が目にしみる!ってのも好きです。スーツで雨はいけませんけどね。」

その通りだと思う。おしゃれなスカートにパンプスでずぶ濡れになって嬉しいことはないけれど、雨=イヤなものと単純に結びつけると、Hikari地方では年に100日以上は雨だから、1/3はブルーな気分を約束するようなものだ。

その日、私はお気に入りのシフォンのチュニックを着ていた。濡れたくないな。空はどんどん暗くなる。お昼ご飯の材料を買って、急いで家に向かう。ポツン。シフォン越しに雨粒。きたな。ふたつめのポツンが来た時にエントランスに着いた。

家に入ってベランダから外を見ると、土砂降りの雨だった。「ああ、ツイてる!」その気持ちだけを大事にする。「また雨か、嫌だな」は感じているけど捉まえない。「濡れずにラッキー」は捉まえて、「明日も雨なの?」は捉まえない。





人気ブログランキングへ ←ポチッと応援、お願いします!


頭皮に意識を集めてみると、常にヒリヒリしていることに気付いた。きっと、ずっとこうだったのだろう。今日もまた少し赤味が引いたが、まだ頭頂あたりは赤いままだ。きっと、まだ何かあるのだ、五臓六腑が悲鳴を上げる理由が。

自分の体に意識を集めてみて、もうひとつ気付いたことがある。
呼吸だ。
自分はなんてたびたび、息を止めているのだろうと気付いたのだ。

脳が酸素なしで生きられるのはわずか3〜4分らしいから、たびたび息を止めているというのは大変よろしくないはずだ。まあ、実際には呼吸が浅いのだろうが、どちらにしろ、低酸素状態は脳にも体にもよくないと思われる。

ぼんやりと思考にふけっている時も、気付くと呼吸が非常に浅くなっている。嫌なことを無理にやろうとしている時は、本当に息を止めている。吸おうと思っても吸えない。頭がぼんやりするはずだし、頭皮の赤味とも関連があるかもしれない。

息を止めると当然苦しい。こんなことをしてまで、自分は苦しさを生みだしていたのかと思うと愕然とする。まるで日常生活が罰ゲームだ。もう何年も「自分に優しく」を合言葉にしながら、実が伴っていなかったようだ。反省、反省。

反省すると、さらに気づく。私が選択を迫られると、決まって自分が苦しい方向を選んでいるのではないか!?ここで一息つくか、それともやってしまうか。えい、続けてしまえ!晩ご飯、食べようかやめようか。いいや、やめて寝よう。

怒っているけど告げるか告げないか。我慢して黙っていよう。辛い記憶を忘れるか拘るか。どうしても拘るぞ!全てではないが、なんと多いことか。これで「こんなに頑張っているのに幸せを感じないのはなぜ?神様のバカ!」と考えていたのだから、神様もさぞかしお困りだったろう。





人気ブログランキングへ ←ポチッと応援、お願いします!


大好きなドラマがある。高画質で録画してあり、何度も見直す。展開も分かっている、セリフも覚えている。それでも、見始めると夢中になる。悲惨な事件が解決される爽快さがたまらない。苦痛があって、それがなくなる瞬間だ。

ドラマには、定石がある。主役になる男性はミステリアスでちょっとだけ不器用。女性は感情をもろに出して激情型。彼らが何らかのトラブルに出会う。事は深刻の度を増して、一度はどん底に落ちる。そこに、誰か何かが救世主として現れる。

人かもしれない。チームかもしれない。どちらにしろ、自分の力だけではどうにもならないところに光が差す。そして、一気に解決へ。どこかのミタさんがウケたのは、この女性の典型を真逆に捉えたからで、人は彼女の感情が見たかったのだ。

それはさておき、また、その大好きなドラマを見ていて、ふと気付いた。長い髪を真ん中で分けた頭皮が、真っ白くて美しい。ん?私とはなんだか違うな。
慌てて鏡で確認する。やはりだ。私の分け目はピンクを通り越して赤い。

そういえば、10年以上も私の髪を切り続けている美容師さんが、ここのところ見るたびに悲鳴を上げる。「地肌がやけどしているみたいに真っ赤です。だめです。今すぐ仕事辞めてください!」

地肌が赤いのは、五臓六腑の悲鳴だそうだ。疲労が溜まりすぎ、寝不足すぎて体のSOSが透けて見える場所、それが頭皮のようなのだ。なるほど、私は白髪も多い。頭皮が窒息して、髪が枯れたか。変に納得できる。

おお!手放せる苦痛はできるだけ速やかに手放そう。神様、どうか私の苦痛が少しでも減りますように。平安でありますように。そう祈りつつ眠った翌朝、頭皮の赤みが半減した。どうやら、方向性は合っているらしい。





人気ブログランキングへ ←ポチッと応援、お願いします!


私怒っていますと、わざわざ相手に知らせるやり方は、人に聞かれた時には否定したことはないけれど、自分では特別な時しか選ばないやり方だった。なのに、今回そんな方法を選んだ陰には、ナナの影響が大きい。

ナナは出来事の背景や関連、人の感情を読み取れないので、ことあるごとに「これはね…」と説明する。お客様の感情や事情が多いが、時に私自身についても語らなくてはならない。

自分の感情や考えについて、誰でもわかるくらい分かりやすく端的に語るには、私自身がその感情や考えを正確につかんでいる必要がある。「あなたがこうした結果、私の仕事が増えて、私はとてもつらいよ。」なぜ、つらい?

時間が足りないから?体が疲れたから?仕事が面倒だから?いつもなら曖昧に、ぼんやりと眺めて通り過ぎる「つらい」をじっくりと凝視して観察する。すると、日によってつらい理由が違うことが分かってきた。

そうこうしているうちに、私自身の中にある、苦しさを生みだす源のようなものに行き当たった。とても幼稚で身勝手なそれは、そんなものを持っていますと表に出すには恥ずかしいようなものだ。でも、それが、確かにそこにある。

それに触れられるたびに、私は様々な苦しみを生みだす。始終触れられるから、始終苦しい。そうやって自分を苦しめて、心も身体もオーバーワークになってきたのだろう。なるほど、そういう仕組みだったか。

だったら、人に触れられる前に、自分でケアできないのだろうか?と最初は思った。でも、何か違う。そうじゃない。表に出すのを恥じなければいいじゃないか。多分、これを持っているのは私だけじゃないはずだ。





人気ブログランキングへ ←ポチッと応援、お願いします!


「ねぇ、お昼ごはん何にしようか?」イケメンの彼氏が問いかける。
「う〜ん、何でもいい。」彼女は考えた風もなく即答する。
連休中のショッピングモール。背後から何度もそんな会話が聞こえる。

「ねぇ、お昼にしようよ。何食べたい?」「何でもいいわ。あなたの食べたいもので。」またか?と思わずふり向いて凝視してしまった。ごめん、あなた方のせいじゃないのよ。ただ、女性の皆さんが、あまりに同じ返事をするので驚いて。

私は夫以外の男性から「ねぇ、何食べたい?」と聞かれたら、必ず何かリクエストする。店の名前を言うことは滅多にない。「米、かな。」「野菜たっぷり。」時には「コラーゲン」とか「元気が出るもの」とか「厄払いできそうなごちそう」とか言う。

すると男性は、一生懸命リクエストに応えようとしてくれる。その姿がとっても素敵で大好きなのだ。10代だろうと60代だろうと、男性相手の時にはいつもそうだ。思いがかなっても、相談する過程で違う行先になってもそこは構わない。

そして、そのお食事が美味しかったら、「ああ最高にいい気分。いいお店知っててくれて嬉しいです。」と感謝できる。もしも今一つだったとしても「ごめん、最初のリクエストがイマイチだったからですね。」店選びをしてくれた男性のせいだけにしないで済む。

でも、これって女性らしくないのかもしれない。もっと曖昧に、頼りきりにした方が、男性にも心地よいのかな。それともあれは若者だけに許される特権のようなもので、こんなオバサンがそれではマズイのだろうか。

「あなたはどう思う?」気心の知れた男性に聞いてみた。
「実際、何でもと言われると女性の気持ちを探らなくちゃいけなくて責任重大。気が重いんですよ。その気の重さを知ってて軽くしてくれる、気持ちが透けて見えるようなあなたはやっぱり男前だと思います。」それ、誉めてるのか?






人気ブログランキングへ ←ポチッと応援、お願いします!


怒りも恨みも、気持ちが通じ合わないことも、考え方がかけ離れていることも、どれも苦しいものだ。だったら、いっそ感じなければよいのに、気付くと自ら進んで苦しさを感じようとしていることがある。

執着はよくないと言われるけれど、なぜいけないかというと、こだわっている物事が思い通りにならないと、たちまち苦しみに変わるからだ。苦しみはストレスとなって、私たちの体や心をダイレクトに蝕む。

腹立たしいと感じたことを、なぜ繰り返し繰り返し思い出してはイライラし続けるのか。なぜ苦しみを握りしめて手放そうとしないのか。心を大きくして、強くして、苦しみなんか手放せる人間になるべきだ。そんな本や考え方も多い。

けれども、苦しみを握りしめ続けるのと同じくらい、そこにある苦しみを無視しようとしたり、無理して何もないふうを装うのは私たちを損なうのだと思う。また、その必要もない。なぜなら、私たちはひとりで生きているわけではないからだ。

叱られて、身にしみて覚えることがある。怒られて、ようやく気付く真実がある。恨まれて、初めて振り返れる欠点がある。そうやって、人は自分だけでは見えない自分を見たり、育てたりすることができる。誰かの苦しみが私を育てる。

できれば誰かの苦しみに寄らず育ちたいものだけれど、そういう一面は確かにある。だから、苦しみは抱える意味も価値も、きっとあるのだ。かといって、しがみつく必要もない。いずれ速やかに手放すつもりで、あるうちは大事にしてみる。

今回私を心底落胆させ、怒りを通り越して悲しい気持ちにさせた人物も、ダイレクトに気持ちをぶつけられて、さすがに背筋が伸びたらしい。その後ちらりと見かけたら、表情が引き締まっていた。ま、恐怖に戦いているだけかも知れんが。





人気ブログランキングへ ←ポチッと応援、お願いします!


なにっ
お詫びのメールだった。腹が立つ。がっかりだ。返信を打つ手が止まる。いつも即返信の私から30分以上も返事がないのだから、先方も気をもんでいるだろう。

感情をメールに託して送るのは危険だ。特にそれがマイナス感情の時には。言葉は独り歩きする。言葉の力を信じている私は、しばし気持ちとケータイを持て余す。いっそ無視しようか。

これまでの私なら、ここは心を落ち着けて、大人の女らしい返信をするところだ。相手はすでに非を詫びている。怒りをぐっとこらえて、「反省してくれればいいです。もう繰り返さないでくださいね。」最後の「ね」が大事だ。これ一文字で全体が和らぐ。

しかし、今回はどうしても心も指も、そんなメールは打てるものかと拒絶する。実際、私は心底怒っている。でも、相手からは私の顔も声も見えないし聴こえない。今後の展開は私次第だ。大人の女か?無視か?それとも…

私は、過去の自分にはあり得ない、第3の選択肢を選んだ。「ひどい!がっくりだよ!」怒りまくりの絵文字3種類付き。それも、もとからケータイに入っているやつではなく、わざわざサイトからダウンロードした、特別バージョンだ。

もらった方も驚いただろう。返信が来たのは1日たってからで、さらに丁寧に詫びる文章だった。怒りが収まっていなかった私は、さらに追い打ちをかける。今度は冷静に非を分析し、反省を促す短文だ。こういう時の私の短文は我ながら迫力がある。

怒りは苦しみに通じる。我から望んで苦しみを抱えることもない。でも、最初から怒りを感じないならともかく、感じている怒りを隠すことが、なによりも自分を苦しめることに気付いたのだ。怒っている自分も、まさしく自分自身だから。





人気ブログランキングへ ←ポチッと応援、お願いします!

このページのトップヘ