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あなたも幸せ。私も幸せ。

カテゴリ: 日常の思い


ひつじ年


2015年、明けましておめでとうございます。
穏やかな元旦でしたが、お昼前には冷たい空気が充満し、あっという間に雪が舞いました。
積もるというほどではありませんでしたが、草地や枝はたちまち白くなりました。
地域によっては深刻な寒波になっているようです。
みなさま、お気をつけてください。

ところで。
30回連載した『ルーの物語』を昨日で完了しました。
いかがだったでしょうか。

荒唐無稽なお話から、すぐそこにありそうなものまで取りそろえたつもりです。
連載中、いくつかご質問をいただきました。
お答えになるかどうかわかりませんが、書いてみましょう。

登場人物のモデルはHikariさんですか?について。
今回は、エピソードの一部分が実体験ということはあっても、登場人物の誰かがまるきり自分をモデルにしたものはありませんでした。
この連載を構想していた時に、一番最初に手掛けたのが、最終話の『ララルー』でした。
これは、実体験が着想のきっかけになっています。
でも、ドラマチックになるように、さまざまな脚色を施した結果、実体験とは別の話題になりました。
現実は小説より奇なりです。
実体験のルポの方がスゴイかもしれません。

面白いお友達が多いのですか?について。
人見知りなので、「多く」はありません。
ですが、魅力的な方ばかりです。
でも、知人をモデルにした話は書かないと決めているので、小説の中に出てくる面白い人々は、私の身の回りにはいません。

Hikariさんはどの話が一番のお気に入りですか?について。
10番目の『真剣勝負』が一番かなぁ。
しりとりで結婚後の苗字を争っていた二人の物語です。
あれは、書いていて笑ってしまいました。

甲乙つけがたいのが19番目の『カレーの味』。
一人の女性の心が揺れ動く様子がリアルに描写できたような気がして、お気に入りです。

それから9番目の『女友達』。
大好きで気安いからこそ出る失言のお話です。
みつばちマーヤのくだりを夫に話したら、大笑いしていました。

あと、13番目の『翻訳』。
いろいろ調べて、面白かったです。

8番目の『神無月の約束』と14番目の『行雲流水』の2作は、いつかどなたかのお力を借りて、絵本にできたら嬉しいなぁと思っています。どちらもとっても気にいっています。


そんなこんなで、短編は初挑戦でしたが、なかなか楽しい試みでした。
何度か繰り返し出てきたミノ君とルー君のその後なんかも、書きたいネタです。

仕事の都合で、毎週日曜日にしか更新できない状態は続くと思いますが、よかったら今年も遊びにいらしてください。
次の連載は、街の片隅にある、小さなバーを舞台に繰り広げられる予定です。


明日から秋田に帰省します。
皆様、楽しいお正月をお過ごしください。







もうひとつのエッセイブログ『ゆるるか』不定期に更新中!









 


最近、つくづく思う。

「得意」とか「好き」というのは、その物事に対して、どれだけ時間をかけたかで決まるんだなと。
それも、「行動した時間」だ。

今の職場に異動してすぐのことだった。
同僚たちが自己紹介をし合う場面があった。
大学を出たての人から、もうすぐ定年退職とおっしゃる方まで年齢層はバラバラ。かつて所属していた「Hikariが最高齢-1歳」という若い集団とは大分雰囲気が違う。

「私は歌が得意で、大好きです。」
「私はこう見えても合気道○段です。」
「絵を描くのが好きです。描いてほしいものがあったら言ってください。」
「陶芸が趣味です。」
「大学でアメフトをやっていたので、今でも週末は試合です。」
「料理が好きです。ご飯を作っていると幸せを感じます。」
「ジョギングと山登りが大好きです。」
「運動も音楽もいろいろやりますが、最近トランペットを習い始めました。」
「カメラが好きです。旅に出て、写真撮影するために働いています!」

なんなんだ?この人たちは。
私の自己紹介の順番は、一番最後だ。
誰ひとり、「好き」や「得意」を言えない人がいない。
いや、ひとりだけいた。

「私はこれといって特技はないのですが、ミミズを飼っています。」
「え〜っ
元からの同僚たちも知らなかった話のようで、ざわめいている。
「ミミズといっても、私が飼っているのは…」

その人は、ミミズについてなんと30分近く語った。
30分後に話が終わったのは、話せることが尽きたからではない。
「そろそろ次の人にいきましょう!」と司会が声をかけたからだ。

私は圧倒されてしまった。
自分がミミズみたいに小さく…いやいやミジンコ…いや、ミドリムシみたいに小さく感じた。
頭はグルグル回転して、この場に相応しい「できる」「すき」を探していた。
でも…とうとう順番が来てしまった。

「私は歌を歌いますが、音痴です。料理もたまにしますが、ヘタクソと言われます。運動は苦手で、すぐに疲れてしまいます。キャッチボールはできないし、バドミントンも空振りするから続きません。絵を描いたら幼稚園児以下です。」

情けない自己紹介になった。
「あ、ラッコが好きなので、日本中で飼育されているラッコに会いに行ったことがあります。」
過去完了形か。
ここ2年ほど、生ラッコには会っていない。

「本を読むのが好きです。ジャンルは問いません。」
しまりのない「好き」だ。
「ケーキも好きですが、体を壊して以来、あまり食べられなくなりました。」
もういい。
みなさんの視線に、明らかな「憐み」が浮かんでいる。ような気がした。

ここでもし「ホームページ時代から現在のブログに至るまで、25年間記事を書き続けています。」と言えたら、きっとへぇぇと言われたのだろうか。

人の言動を観察して、その背景に隠されている心理をいくらか分析することが得意ですと言ったら、ええっ!と言われたのだろうか。

ただ話しているだけで相手がやる気の炎を燃やしてしまうことがあります、涙がこぼれて心がスッキリしてしまうことも多いです、などと言ったら信用してもらえたのだろうか。

つまりだ。
私の「好き」や「得意」は、「料理」「絵」「歌」「アメフト」「トランペット」「ミミズ」みたいに、伝わりやすいものではないのだ。

それは、私が自分の行動する時間を、そういう分かりやすいものにかけてこなかったということだ。

千切りキャベツはあんなに上手にできるのに、味付けはいつもズレているのは、味付けが上手くなるために時間や行動を使って来なかったからだ。そーかー。そういうことか。「だいたいできたから、最後の仕上げしといてください。」とくまさんに頼み続けたのが徒となったわけだ。


「そういうわけで、いらっしゃらないと思いますが、人に自慢できるなにも持っていないと思われる方は私と気が合うと思うので、お友達になってください。」
自己紹介をそう言って締めくくった。

一呼吸置いて、なぜか大きな拍手が沸き起こった。






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昨日は一日研修だった。
同期で採用された人が一堂に集められた。
25年前、こうしてこの人たちと全員で集められ、辞令をもらったはずだ。
その後の研修でも何度か顔を合わせていることもあり、名前は知らずとも見覚えのある顔がちらほらある。

しかし、25年とは長い年月だ。
人はこんなふうに変わるのかと、今年の新人さんを思い出しながら周囲を見回す。
あの頃は、私たちもあんなふうだったのね。

生活の疲れややつれが色濃いのは女性の方だ。
それを言うなら、女性がずいぶん減っている気がする。
白髪が目立つのは男性の方だろうか。
それより、みなさんそろいもそろって恰幅が良くなっている。

ブロイラーよろしく、幅が狭くて奥ゆきもない座り心地の悪い椅子に1日中座らされっぱなしで、16時をまわったころから左側頭部がズキンと痛み始めた。
エコノミー症候群と同じだ。
あちこちから「腰が痛い」「気分が悪い」「背中が…背中が…」とひそひそ話の声がする。

ふと気がついた。
これは、主催者側の陰謀ではないかと。
勤労年数が高いということは、それだけ高給取りということだ。
この研修は、高給取りを一堂に集めて、一気に命を縮める狙いが隠されているのではないだろうか?

見ると、主催者たちはパイプ椅子ながらとても楽々と足を延ばして座っている。
「やはりそうか。財政難はよく知っているが、いよいよそのような暴挙に出たか!」

くだらないことを考えていたら、研修が終わった。
私は大事な教訓を得た。
「一網打尽には気をつけろ!」






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あれは20代前半、就職して間もない、ある秋の日の出来事だったと思う。

その頃はまだ実家に住んでいたのだが、崩壊しそうな家屋をいよいよ立て替えることになり、わずかに駅に近い小さなアパートへ、一時的に引っ越した。6人家族のうち、弟の一人はすでに赴任先へ旅立っていた。が、 5人が6帖1間で暮らそうというのだから、息苦しいことこの上ない。私は台所に布団を敷いて寝ていた。というか、寝るのがいやで、丁度お付き合いし始めたばかりの男性と、遊び歩いてばかりいた。

深夜に帰ろうと、徹夜しようと、翌日の授業に影響が出ない程度の体力と気力がまだあった、若いころの話だ。

その日、電車を下りて駅から歩いて帰った気がするから、多分出張だったのだろう。 普段は車通勤で、その道を歩いたりはしない。人気が少なく、あまり気持ちの良い道ではないのだ。

ああ、帰りたくない。
多分、それしか考えていなかったに違いない。

向こうにアパートが見えてきた。
ああ、やだやだ。

黒いコートを着た、背の高い男性が向こうから歩いてきた。
気にも留めない。
と、あと3メートルですれ違うかというあたりにきて、急に男性が立ち止まった。
黒いコートの前をはだける。
コートの下はワイシャツのみで、下半身は何も身につけていなかった。
ニヤニヤと気持ちの悪い顔をしていた。

こいつ、何がしたいんだ?
私は反応する気にもなれなかった。
悲鳴も、侮蔑の言葉も、発する気になれない。
見る気もないし、目を背ける気にもなれない。
ただ、すれ違おうとした。

男は慌てたように数歩走り下がると、再度ふり向いて、コートの前をはだけて見せた。
顔には先ほどのニヤニヤした笑いはなく、必死ささえ浮かんでいる。
私はそのまますれ違い、家に帰った。
追いかけてくるのかな?と思ったが、どうやらそのまま去ったようで、ついてこなかった。


金曜日、職場の近くに露出狂が出現したそうだ。
休日出勤だった土曜日、分担して巡回することになった。
その話を聞いた朝、私は周囲の男性たちに尋ねた。
「白昼、通行人に下半身を露出して見せて、何を求めているのですか?」
「そんなこと、尋ねられても分かりません。聞かないでくださいよ〜」
男性たちは一様に微妙な笑顔を浮かべて教えてくれない。

そんな中、「昨日のそれは私です!」と冗談を言った男性がいた。
私は長年の疑問をその人にぶつけてみた。
「そういう冗談が言えるあなたなら、わかるはずです。一体、何が楽しくてああいったことをするのですか?」

「きゃ〜って、言われたいんです。びっくりする表情が見たい。」
「は?」
「だから、きゃ〜、です。」
「びっくりさせて、きゃ〜って言わせるなら、他にいくらでも手立てがあると思いますけど。」
「いや、簡単なんですよ。お金もかからないし、用意も大していらないし。」
「あ〜なるほど。」
「だから、あなたがかつてしたように、無反応に通り過ぎられると、ものすごい恥ずかしさで身をすくめたと思いますよ。世の女性が全員そういうふうに無反応だとわかったら、露出狂は消えるでしょうね。」

いや、きっとその結論だけは違うと思う。
それでもやっぱり、きゃ〜というのではないかと期待して、試してみる男は存在し続けるのだろう。
そして、女性からは理解しがたいその心理は、実際に行動に移すかどうかの点に大きな差があるものの、心理自体はどの男性の心の底にも潜んでいるのではなかろうかという気がする。


「おい、くま。あなたもやってみたいですか?」
「いや、そんな勇気は絶対にありません。」
「そうか。やりたくなったら先に離婚してください。私はそーゆー男の伴侶は絶対に嫌です。」
「安心してください。断じてそういう挙には出ません。」

痴漢だ、わいせつ行為だと逮捕された男の妻たちは、みなそうやって安心していたのではなかろうか。
うちの人に限っては大丈夫。

どんなもんだか…






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平日にブログを更新した時は、出勤のバスの中でケータイから読み直すことが多い。
作成した時に慎重に誤字脱字をチェックしたつもりでも見落としていて、この読み直しで発見することが多い。句読点が多すぎるのも悪い癖だ。帰宅してから、こっそり修正する。
 
その朝、更新したての記事をケータイで読み直し始めた。
バスがなかなか来なかったので、乗る前にちょっと読み始めようかと思ったのだ。
なかなかリズムのある文章が書けたな。
と思ったのは最初のうちだけで、そのうち夢中になってしまった。
 
「プシュ〜」
ハッとして顔を上げると、私が乗るはずのバスが扉を閉じたところだった。
「ああっ!」
本気で叫び、追いかけたが、バスは走りだして止まってくれなかった。
たまたますぐ後から、別会社のバスで、利用できるものが来てくれたので大事には至らなかった。
他の時間帯にはこの他社のバスはないので、遅刻の危機になっていただろう。
それに、毎朝顔を合わせる同乗者たちの視線は何とも恥ずかしかった。 
 

4月からいろいろな考え方が変わったり、生活習慣を変えたりしている影響か、その場その場の集中力が増した気がする。
これまで、自分の特徴を一言でいうなら「マルチタスク」だろう。
同時に複数のことを考え、実行していく。そうできるように予め考えていく。
それができることが、小さな自慢でもあり、そうできる自分がちょっと好きだったりしたものだ。
 
反面、一つのことに対する集中力というのは、深いのかもしれないが持続しない。
ごく短い単位で集中しては他のことに目を配り、配分を再確認している。
目と耳が別のことをとらえていることも多い。
つまり、集中しきってはいないのだ。
 
ところが、バスが来て、音を立てて止まり、扉が開き、周囲の人が動いても気づかないほど、本の中に没頭できるようになった。
これは、私史上、特筆したい事件だ。
出勤・退勤時の電車は図書館だ。危うく降りる駅を通り越しそうになったことが何度もある。


帰りの電車で読んでいた『のぼうの城』がクライマックス直前で家に着いてしまった。着替えもそこそこに、晩ご飯を作るくまさんを尻目に、続きを読み始めた。目の前でテレビが何か言っていたが、一切気にならず、私は戦場に没頭する。

丁度読み終えた時だった。
「………ですよ。聞いてましたね?じゃ、借りますよ。」
「はい。」
思わず返事をしてしまったが…
くまさん、私はいつ何をあなたに貸す約束をしたんでしょうね?






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思い出した、思い出した!
「薄い話」を書こうと思った元々の出来事。 

朝目覚めると、なんとなく喉が痛くて、唇が乾燥していた。
今、職場でウイルス性の肺炎が流行している。
私の身近にも発症者がいたので、もしかしたらもらってしまったのかもしれないと思った。
目の周りがぼんやりと生温かい。
発熱前の兆候でもある。
全身がいつもよりだるい。ついでに、筋肉もピリピリする。

とはいえ、熱があるわけでもなかったので、いつもどおり出勤した。
家を出る時にふと、今日は水筒を持っていこうかな?と思ったのだが、電車の時間が迫っている。まぁ、いいか。

ところが、電車を降りてバスに乗り換える頃になると、本気で喉が渇いてきた。一日中こんなことでは、本当に風邪を発症してしまいそうだ。何か買おう。

このルートでの出勤では、自宅の最寄り駅を過ぎてしまうと、コンビニひとつ出てこない。が、「ALL100円!」と書いた、懐に優しい自動販売機が2つもある。キレートレモンも100円だ。たまにここでキレートレモンを買ってビタミンCを補給していた。が、その朝は、もっと水分の分量がほしくなり、水を買うことにした。

右の自動販売機の水は「富士山のバナジウム天然水」だ。
左は「○○○○○天然水」。
バナジウムはミネラルの一種で、血糖値を下げる効果が確認されているそうだ。つまり、太りにくくなるし万病予防に効くわけだ。すごいすごい。

しかし、どうにも買う気にならない。
なぜなら、我が家ではくまさんが山登りのついでにこの「富士山のバナジウム天然水」を汲んでくるので、日常的に飲んでいるからだ。お金を出して買う対象ではない。

ということで、○○○○○天然水にした。

ガタンと取り出し口に転がり出てきたペットボトルを取り出す。
キュンと冷えている。
すぐに飲みたくなった。
丁度信号待ちだ。
手にしていたカバンを肩にかけ、キャップを開けようとした。

……開かない。
ペットボトルがとても薄くて、クネッと動くのだ。
動かないように握りしめると、キャップが開いたとたんに水が飛び出しそうな気がする。
むむ。むむむ。
クネクネと動くペットボトルを何度も握り変えつつ、ようやくキャップを開けた。

紙コップやブリックパック、このペットボトルなど、柔らかいものを握る力加減というのは、実はとても高度な体の動きなのだ。だからブリックパックには「真ん中を持つと中身が飛び出すことがあるので、角をもってストローをさしてください」という趣旨の注意書きがしてある。このペットボトルには、そのような「安全ポイント」がない。きっと子どもやお年寄り、体の調整が難しい障がいのある方などを購買対象に考えていないのだろう。開けられない人は水筒をどうぞ、ということだろうか。 

このペットボトルが特別なのではなく、ゴミの減量のため、薄いペットボトルが増えているのはご存知の通りだ。
ペットボトルも薄いが、人情薄い話だ。
そう思ったら、この出来事をぜひブログに書こうと思ったのだった。 


ちなみに、もう10年以上、毎日バナジウム天然水を飲んでいる我が家の住人2名は、どちらも腹が薄くなるどころか、日々厚みを増している。






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太ってスーツが着れなくなった話を書いた時に、高校からほとんど体型が変わらなかったと書いたが、数年前に激やせしたことがあったのを思い出した。

何ということもなく、スルスルと体重が減った。
気付いたら、3ヶ月で8キロ減っていた。
最初は体がどんどん軽くなって、身動きが楽で、ウホウホしていた。
けれども、しばらくするとフラフラするようになった。
その頃はこの丸々したウエストがペタンコになって、持っていた服が着れなくなった。
2サイズダウン。 
その頃も、特別にスーツででかけねばならず、何着か新調した。

蕁麻疹も激しく出るので、病院でアレルギー検査を受けたところ、「アレルギーより大変な病気を見つけました。あなたの貧血は交通事故で大量出血して、今すぐ輸血が必要な人ほどにひどいことになっています。普通なら立てないほどだけど、あなたの体は貧血に慣れていて、自分が死にそうなことに気付いていないのですよ。本来なら入院ですが、その仕事では無理って言うでしょう?」
重度の貧血を患っていることに気付いていなかったのだ。

それから毎日鉄剤注射を受けてから出勤した。
1か月で数値は戻るだろうと言われたけれど、実際は3ヶ月かかった。
その間、自分の腹の薄さは不気味なほどで、今思い出してもゾッとする。

しかし、時間はかかったが、無事治癒したのに合わせて、体重も元に戻った。
痩せている間に新調したスーツは、ちょっとキツくなった。
今、ホックが右と左に分かれてそっぽ向いているスカートやパンツは、その時に買われたものだ。


薄いと言えば、先日びっくりするほど薄いトイレットペーパーに出会った。
某有料道路のパーキングエリアでトイレに行った時だ。
あまりに薄くて、ホルダーから引き出そうとしても千切れてしまう。
道理で、足元には細かく千切れたトイレットペーパーが無数に落ちている。
困った。そのままでは、あってなきようなトイレットペーパー。
しかし、使いたいのだ。
申し訳ないが、ホルダーから取り出して、そっと引っ張ってみた。
向こうの風景が透けて見えそうな薄さだった。
こんなに薄いトイレットペーパーが作れるなんて、日本の技術力は大したもんだと思った。
大したものではあるが、使えなければ意味がない。


そうそう。薄いと言えば、もう一つあった。

あれ?
何を書こうと思っていたんだっけ??
絶対にあったのだ。これは面白い!という出来事が。
しかし、まったく思い出せない。
記憶の跡をたどっても、まったく尻尾がつかめない。

最近多いのだ、この記憶が薄れて行く現象…






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石割桜


4月27日、早朝から新幹線で盛岡に行った。
秋田の父が入院することになったので、お見舞いに行きたかったのだ。
しかし、新幹線の予約が遅くなってしまい、早朝しか取れなかった。
朝食を駅弁にして、本を開くまでもなくうつらうつらしているうちに、11時前には盛岡に到着した。

そのまますぐにバスに乗り換えるのかと思っていたら、くまさんが「盛岡を歩いてから行きましょう。」と言う。
秋田の家には17時ごろに帰ると連絡してあることを、この時聞かされた。ずいぶん間がある。

駅のコインロッカーに大きなカバンを預けて、散策することにした。
「石割桜が満開だそうだから、見に行こう。」
イシワリザクラという言葉を初めて聞いた。
ソメイヨシノやヤマザクラと同じような、桜の種類だと思っていた。

盛岡駅を出てしばらく歩くと、盛岡地方裁判所の庭に人だかりがしている。見れば満開の桜。それが、イシワリザクラだった。

驚いた。
本当に巨石が割れている。その割れ目から、溢れるように桜の木が伸びて巨木になっているのだ。四方に伸び伸びと枝を張り、たわわに花が咲いている。ソメイヨシノより小ぶりで色濃い花だと思ったら、エドヒガンザクラという種類のようだ。

国の天然記念物になっていることも、この時知った。
そりゃそうだろう。巨石の割れ目から育った桜は360年も咲き続けているのだ。偉すぎる。

最初、私は、この桜が岩を割ったのかと思い、度肝を抜かれた。しかし、そういうことではなかったようだ。

岩は、元々割れて、隙間が開いていたのだろう。
そこへ、何かの拍子に桜が根付いた。
桜も小さなうちは、自分の環境が特異だと気付かなかったに違いない。
でも、成長するにつれ、何かおかしくないか?これはちょっと窮屈だと気付く。
よくあることだ。人間だと、このあたりに人生の分かれ道がある。

「なんでこんなに狭いんだ。両脇から押されて太れないのでは背も伸びないし、気分が悪い。自分はなんて不幸なんだろう。」
もしも、この桜がそんなふうに考えてめげてしまい、成長を止めてしまったら、今日こうして花咲くことはなかった。多くの人が遠くから足を運び、愛でて嘆声をあげるようなこともなかったのだ。

しかし、石割桜は違った。
きっと、この桜はこう思ったのだ。
「窮屈だけど、ま、いっか。」
環境は、この桜の不幸の原因にならなかった。
伸びられる方向へ伸び、咲きたいから咲き続けた。
桜としてできることを、飽かず毎年繰り返したに過ぎない。
私はその、潔さ、強さに魅かれる。


先日、スーツででかけなければならない日が続いたことがあった。
毎日同じスーツでは見た目が悪いと、一昨年愛用していたスーツたちを改めて出してきた。実は、何着もある。これが、すっかり太ってしまって、ジャケットは着られるものの、ボトムが入らなくなってしまったのだ。高校からほとんど体型に変化がなかった私としては、これは一大事だ。

ホックの右と左が7センチほども離れて、絶対に握手しないぞとそっぽを向いているスカートやパンツは諦めた。そもそも、お尻が入らないタイトスカートなんか、捨ててやろうかという気になってくる。

その中で、黒のチューリップ型のスカートは、なんとか入り、ホックもしまった。
そばにいたくまさんに言った。
「窮屈だけど、ま、いっか。」
くまさんは、声を荒げて答えた。
「いくないですよ。なんですかそれ。パツンパツンですよ。お腹がスカートを破りそうです。お尻裂けたら恥ずかしいです。そんなカッコで外に出ないでください。」

人は、潔さだけでは生きて行けないらしい。






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3日間も休んだというのに、まだ一日休日が残っている。
なんて幸せなんだろ〜。
一日を、好きなようにコーディネートできるというのは、それだけでワクワクする。

4日は朝から葉山へ散髪にでかけた。
くまさんが一緒だ。
といっても、くまはオシャレなサロンで髪を切るわけではない。
鎌倉の山を走るのだ。
途中で下ろしてバイバイ!
3時間後、走り終えたところまで迎えに行く。
その間、私はきれいになるという計画だ。

私の担当美容師さんは、以前は大きなチェーン店の店長をしていた女性で、そのチェーンの店長を指導する店長だった。結婚して独立。ご主人もそのチェーン店の店長だったので、会社は2人の稼ぎ頭を失った。その間のいきさつは、彼女から聞くたびに胸が痛む。

ご主人をオーナーに、彼女をマネージャーとしてオーガニックサロンを開店。私が予約をとっていくと、マネージャーはどんなに忙しくても私を担当してくれる。

ところが、仕事以外にいろいろなことが起き、彼女は休養宣言してサロンワークに出なくなってしまった。当然、10年以上マネージャーの客である私は、オーナーが引き継ぐことになったわけだが…

どうも、オーナーのカットは素敵過ぎて私に合わない。オーナーには独自の美意識があり、「あなたはこうすべきですね。」と提案してくれる。これが、受け入れる度量の広い髪をした、美意識の高い人であればものすごくありがたい提案になるのだろう。しかし、私はちょっと違う。「相談」したいのだ。

どうしよう、私の意見は受け入れてもらえないな、もともと遠いし、マネージャーが復活するまで他の店にしようかと思い、実際に家の近所で一度切ってもらったこともある。

最悪だった。

それよりはオーナーか…マネージャーに旦那さんの悪口メールを臆面もなく送り、不満をもらすと、どうやら同じことでマネージャーも悩んでいることがわかった。しょうがない、奥様が悩んでいるんじゃ、客が悩むのも当然だ。

たまたま、オーナーが忙しく、店の若手が担当してくれた日があった。前の日からマネージャーにプレッシャーをかけまくられたそうだ。髪質が、ややこしいのだ。オーナーもマネージャーも、口をそろえて「この髪は経験を積まないと切れません」と言う。どこに行っても言われるから、きっと美容師泣かせの反抗心旺盛な髪なのだろう。

涼しい店内で、若者は額からタラタラ汗を流してカウンセリングをし、髪色を決め、髪形を決め、何度も確認しながら、実際に私に手で触って確認するようにまで言って仕上げた。この過程がものすごく楽しく、気持ちよかったのだ!

以来、今までずっと、若者に担当してもらっている。回を重ねるごとに、初回のように何もかも相談と言うわけではないが、それでも細かいところは相談して確認して…を続けてくれている。だから、今回だけのわがままとか、気まぐれとかをふと話して、いいですね!となると、実現する。おかげで、5月らしい、襟元が涼やかなスタイルに変身させてもらった。

そのサロンが、さらにゴージャスに生まれ変わって移転することになった。
若者は、そのまま今の店を任されて居残りになると聞いていたが、今の店をたたんで、全員で新店舗へ行くことが前日決まったそうだ。

「よかったね。キラキラのお店で腕を振るえるね。」
「はい。。。」
どうも、若者の返事が冴えない。
「私ね、ふたつに分かれてあなたがここに残るなら、こっちに来ようと思っていたの。」
「本当ですか!」
これは本当だ。マネージャーは大好きだから会いたいが、セレブ仕様のゴージャスな南欧風サロンなんて緊張してしまいそうだ。それに、若者のこの丁寧な客あしらいが本当に気に入っているのだ。

「実は、○○さんとご主人が、独立開業しまして。」
若者には珍しく、唐突に話題が変わった。○○さんは、マネージャーの前に長く私の髪を切ってくれていた人で、彼女が店長になって異動したので、今のマネージャー…その店の店長だった人…が引き継いでくれたのが今のご縁につながっている。

「会社も大変だね。オーナーとマネージャーが独立する時も、やめさせまいと大変だったじゃない。それに、あなたでしょう?今度はあの二人。店の稼ぎ頭を5人も失って、大丈夫なの?」
「いや、危ないんじゃないですかね?」
本当にそんな気がする。

「美容師にとって独立は…自分の店を持つというのは、特に男性美容師にとっては絶対の夢ですから。」
話がここに至って、どうして若者が唐突にこの話をし始めたのか、ようやくわかった。

彼は自分に任されるはずの店を失ったのだ。
一緒に移転すれば、新しい場所で、新しいテクニックで、日本唯一のサロンになることが約束されているのだが、彼はそれ以上に、自分の店を任されたかったのだろう。

「あなたもいずれ独立するんでしょうから、その時はオーナーよりもしっかりと、いい店を作れるように、今から腕を磨いて人脈作っておくのがよさそうね。このお店に来て、ほんとよかったね。」
何も気付かなかったふりをして、そんなことを言うと、若者はハッとしたように言った。

「そうですね。なんだかものすごく時間がたった気がしていたけど、まだ6年しか美容師してません。まだまだ、これからですね!がんばります!!」

つかむんだぞ、男の夢!






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GW前半は秋田に帰省したため、後半は家でしたいことをしようと思っている。
3日は神田の三省堂にでかけた。
今後仕事で使う情報がほしかったのだ。
ネット注文ができない本なので、置いてある書店に足を運ぶしかない。 
三省堂まで行けば、すべてそろっている。

やはり家にいたくまさんに、一緒に行くか?と尋ねたら、じゃスキー道具を見に行こうかと言う。

それならと、神田界隈で美味しいランチがある店を探そうと思った。

我が家は、神田でランチといえば、へぎそばの『こんごう庵』に行くことが多い。 へぎそばは新潟魚沼地方の蕎麦で、つなぎに「ふのり」という海藻を使うため、ほんのり緑色をしているのが特徴だ。長方形の大きなざるに盛り付けるのも面白い。新潟へスキーに行くと、好んで食べる。それが神田で食べられるのだ。こんごう庵は、かつ丼定食がオススメだ。カツが、とんかつ屋のカツとはちょっと違う。小さなへぎそばも付いてくる。百点満点だ!

新たな店の開拓もいいかと、食べログを見てみると、くじらを食べさせる、評判のよい店があることに気付いた。

くまは何故かくじら好きだ。時折さしみだのベーコンだのを買ってきて食べている。私はどうも美味しいと思ったことがないので箸を出さない。小学生の時、くじらの竜田揚げというのが給食に出てきた。黒くて硬くて、あまり好きではなかった記憶がある。

就職してから一度、お兄様方に連れられて、渋谷のくじら屋を訪れたことがある。店内は超満員でにぎやかだった。でも、日本酒は美味しかったがくじらの記憶がない。 あれは今もある『元祖くじら屋』だったのだろうか?

私が忘れ物をしたりして、すっかり出遅れてしまい、本より先にクジラを食べようということになった。くまさんは大好物の店とあって、いつもより機嫌がよい。

訪れた店は、ビルの地下1階にあった。おやじさんがひとりで切りまわしている。店内にはすでに2組が席についており、私たちはカウンターの隅に腰かけた。

丁度12時をまわったところだったので、私たちの後からも、客がひっきりなしに入ってくる。実に盛況だ。が、まだ調理を始めていなかったようだ。何か飲まないか、つまみはいらないかと尋ねられる。
「そしたら作っている間をつなげるからね。酒でも焼酎でも何でもいいよ。」
相談の結果、「栗駒山」という日本酒を1合頼んでみた。
つまみは…くじらの刺身定食頼んじゃったし、まあいいかと話していたら「空酒じゃぁなぁ!」と、ふき味噌を出してくださった。なんとお手製だそうだ。これが、甘く仕上がっていて、実に美味しい。

しばらく待って、日本酒がなくなった頃、クジラの定食が届いた。
「はい、これ、ステーキね。こっちは竜田揚げ!」
「いやいや、お父さん。私たちは刺身の三種盛りとステーキよ。」
「あれ?竜田揚げじゃなかったっけ?」
いえいえ、給食でなつかしい竜田揚げにしようかと相談する私たちをとめて、ステーキにしなさい、絶対ステーキの方がおいしいからとおっしゃったのはお父さんでしょうが。

慌てて奥に確認に行くと、やはり注文票には三種盛り、ステーキと書いてあったようで、すぐに三種盛りもやってきた。

この、くじらのステーキは絶品だった。
あまりの空腹と軽く酔っていたので、写真を撮る前に食べ始めてしまった。
というより、写真を撮るほどの期待を持っていなかったと言ってよい。
それがどうだ!へたな牛肉よりよほど美味しい。

「うわぁぁぁ!美味しい!!」
騒ぐ私をカウンターの向こうから満足げに見ているお父さんが自慢げな笑顔をしている。

ステーキから出てきた肉汁をご飯にかけて雑炊のようにして食べた。これまた絶品だ。

刺身の三種盛りも美味しかったが、私はやはり生は苦手なようだ。
ステーキ、これに尽きる。

「竜田揚げが余っちゃったから、あげるね。はい、野菜もね。」
お父さんは間違えて作ってしまった竜田揚げを夫婦連れで来ていた私たちと、もうひと組とに半分ずつ分けてくれた。ふき味噌といい、サービス満点だ。そんな商売をしていたら儲からないこと甚だしいだろうに。

「本当はね、山菜が好きなの。故郷の仙台とか福島とか秋田とか、自分で摘みに行くんだよ。くじらは二の次だ。」
だそうだ。この日の小鉢についてたわさびの漬けたのはとても美味しかった。
白いご飯だけおかわりしたいくらいだった。

神田の古本屋街からは少し歩くけれど、散歩程度の距離。
お近くにいらした際にはぜひお試しいただきたい。

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東京都千代田区内神田2丁目7-6 ゆまにビルB1F
昼 11:30〜14:00
夜 17:00〜23:00
日曜日定休(ただし予約すれば営業も)
http://kujiraichinotani.web.fc2.com/index.html



ちなみに、「あの懐かしい味 くじらの竜田揚げ」とメニューには書いてあったが、あんなに美味しいくじらの竜田揚げを食べたのは人生で初めてで、懐かしい味ではなかった。

くじら、ちょっと好きになっちゃったかも。






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