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今ここで生きていることを楽しむためのブログ

教育

わがままじゃないですよ

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 ただいま!

 なんだか小雨の日が続いていますね。お星様も富士山もずっと見ていなくて、なんだかさみしいです。

    

 さて。

 昨日のお話の続きです。

 アイドル歌手になるのが夢で、チャンスがめぐってきS子さんとY子さん。

 S子さんは親の反対にあってデビューを諦め、
 Y子さんは親の反対を押し切ってデビューへの道を選択しました。

 傍目には、Y子さんはわがままに見えました。学校を無断で長期欠席してのことだったから、「夢を追うなら追ってもいいけど、学校との両立をはかるべきだ」との意見がたくさん聞かれました。

 S子さんに対しては、賢明な選択だった、という高い評価の声が聞こえていました。

 けれども。

 それから5年後、二人ともアイドル歌手になることはできませんでした。そこは同じでした。でも、まったくちがう人生を歩いていました。

 S子さんは、ひきこもりになってしまいました。親に暴力はふるうし、体重がひどく増えてしまっていて、外出を嫌い、両親にはもうどうにもできない状態でした。

 Y子さんは、何度かレコーディングなどをするものの、いろいろあって発売には至らず、プロダクションを変えたり再びオーディションを受けたりしてなんとか夢の実現を図ろうとしたのですが、うまくいきませんでした。

 ある時、Y子さんは「自分はやれるだけのことは全部やったと思う。でも、うまくいかないということは、これは自分の道ではないのかもしれない。」と思ったそうです。そうして、悔しかったけど、アイドル歌手への道を諦め、留年してしまった学校に戻りました。無事卒業して更に進学し、「花屋を経営したい」という新たな夢に向かって歩き始めました。

 

 どうでしょう。どちらがわがままで、どちらが自由でしょうか。

 今度はS子さんがわがままで、Y子さんが自由に見えませんか?

 そうなんです。自由とわがままって、もともとおかしな話なんだと思うのです。

 だってそれって「人の意見」でしょう?

 だれかがあなたをわがままだと言う。

 だからなんだというのでしょうか。わがままと言われて、怖れることなんかもともとなかったのです。

 私たちは根源的に自由です。

 したいことをして生きていいのです。

 「したいことをしていいよ」と言われると、人間はみな泥棒になったり殺人犯になったり自堕落な生活しか送らないというふうに思いこんでいる人には、こんな言葉は信じられないでしょう。

 けれど、私は人間って、そんなふうにはできていないと思う。

 そういう人もいるかもしれないけど、大多数の人はちがうと思う。

 休めば力が湧くし、夢を追えば元気が出る。その力や元気で、最初に追いかけたことがうまく行かない時でも、もう一度立ち上がれるんだと思う。

 私たちはしたいことをしていいのです。

 休みたい時には休んでいいんです。
 手助けがほしいときには「助けて」と言っていいんです。
 夢をつかむチャンスが来たら、つかみに行っていいんです。

 そうするあなたに、「君はわがままだ」という人がいたとしたら、その人はつぎのどちらかです。

 自分が休まず夢も諦めて生きているから、他人がそうすることが許せない人。・・・その人には、あなたも休んでいいんですよと伝えるためにも、その非難に負けないで、あなたは自由に生きることの見本になってあげましょうよ。

 自分が休んだり夢を追いかけたりしているので、それを諦めてきたあなたが何かしてくれるのが好都合だったから、あなたをそのまま都合よく使いたい人。・・・あなたは人の都合のために生まれてきたわけではないでしょう。だから今度は私の番ですよと主張していいんですよ。

 夢を追いかける自分は特別な人だと思いたくて、他人が同じことをするのが許せない人。・・・そんな自己中心的な思いを支えてあげるためにあなたがしたいことを諦めるなんて、必要ないですよね。

 自分が生きたいと思う人生を生きていて、他の人がしたいようにするのを手伝っていると、いつの間にか、同じような人生を歩いている人が回りにふえてきます。そうすると、いつの間にか、したいことをするのに必要な援助が得やすくなっていきます。

 したいように生きるために「代償」は必要ありません。

 努力代や我慢代として、自由が支払われるわけではありません。

 努力や我慢もしたければするのは自由だと思いますが

 おやおや、長い文章を綴っているうちに、夜が明けてきました。

 あなたはもともと自由です。
 あなたがしたいことをするのはわがままではありません。
 周囲の人を驚かせないように工夫するのは、あながたしたいことをする上でのテクニックかもしれないけど。

 今日ものびのび、いきたいですね。

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自由とわがまま

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 ただいま。

 連休明けの月曜日は小雨模様で始まりました。

 通常よりも1時間早い出勤だったため、1時間早く退勤できる約束だったのですが、仕事をむりやり打ち切ったのは通常の退勤時間で精一杯でした。

   

 さて。

 素晴らしい旅行の途中であれこれ考えてきた漠然としたことを、少しずつ言葉に直してみたいと思っています。

 今日からは、「自由」と「わがまま」についてです。

 例え話をしましょう。とはいえ、どちらも現実にあったことなので、すこし設定を変えてお話しすることをお許しください。

 

 S子さんは歌がとても上手で、人前で歌うのも大好きでした。夢はアイドル歌手になること。自分でせっせとオーディションに申し込み、せっせと受けていました。

 ある時、S子さんはオーディションにパスして、CDデビューの話が持ち上がりました。もちろんS子さんは大喜び。なにしろ幼い頃からの夢が叶うのです。

 ところが、S子さんは結局デビューしませんでした。親に反対されたからです。

 デビューと同時に、あちこちに営業に行かなくてはなりません。その間、数ヶ月は学校を休んで日本中を巡るのだというのがデビューの条件でした。

 S子さんは当然、そうするつもりでした。

 でも、ご両親はそうは考えませんでした。
 「アイドル歌手なんて、そうそう簡単になれるはずがない。学校の方が大事だ。」「お前はだまされているんじゃないのか、話がうますぎる。」「するべきこと(学校のこと)をしないで、好きなことだけ自由にしたいだなんて、お前はわがままだ。」

 ご両親にそういわれると、S子さんは、自分がとてもわがままで、間違ったことをしようとしているのではないかと不安になってしまいました。そこで、ご両親の言うままに、デビューをやめたのです。

 同級生のY子さんも、夢はアイドル歌手でした。たくさんのオーディションを受け続けているうちに、Y子さんにもCDデビューの話が持ち上がりました。

 Y子さんも大喜びでした。なにしろ幼い頃からの夢です。学校は大好きだけど、しばらく休んででも歌手になりたいと思いました。

 Y子さんのお母様も反対を唱えました。Y子さんはとても悩みました。というのも、Y子さんは母ひとり子ひとりの家庭です。お母様をとっても大切に思っていましたし、歌手になりたい気持ちの何分の一かは、成功した歌手になって大金を稼いで、お母様に楽をさせてあげたい気持ちだったのです。

 でも、お母様は、Y子さんのことがとても心配でしたし、S子さんのご両親同様、自分の娘が歌手になるなんて、どうにも信じられませんでした。だから、なんとか普通の生活を送ってほしいと何度も話をしたそうです。

 結局、Y子さんはお母様の意見を無視して学校を勝手に欠席し、デビューの道を選びました。

 ここまでを読んで、S子さんとY子さん、どちらがわがままだと思いますか?あるいは、どちらが自由だと思いますか?どちらも同じと感じますか?

 今日は問いかけをして終わりましょう。この二人の数年後の姿を明日ご紹介して、「自由とわがまま」について考えを深めてみたいと思います。

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自分を大切にする-師になる人へのメッセージ

art-sumire200w ただいま!

 風が本当に強い一日でしたね。遠くを見ると空気が黄色く濁っていて、ホコリと花粉が一緒に飛んでいるんだろうなぁと思うと、それだけで息苦しくなる気がしました

 さて。
 「師になる人へのメッセージ」最終回は、「自分を大切にする」です。これは、何度言っても言い足りないくらい大切なことだと思っています。

 え?子ども達や患者さんを大切にするんじゃないの?自分を捨てて、相手のために尽くすのが先生でしょう?

 そんな声が聞こえてくるような気がするのは、被害妄想でしょうか?

 世間は、金八先生を絶賛します。もしもあなたがテレビドラマの主人公になりたいのなら、どうぞ世間の期待に応えるべく、己を捨てて命尽きるまで、子どもや患者さんのために生きてください。

 けれども、私は、少なくとも私の周りを通りかかった方々をドラマの主人公にするために声をかけているのではありません。

 あなたがたには、いつでも健康で、イキイキと診察室や教室に向かう師であってほしいと思います。そして、できるだけ長い間、あなたがその仕事以上にしたい何かに出会うまで、輝き続ける「師」であってほしいと願っています。

 痛々しく悲壮感漂う正義の戦士ではなく、あなたのそばにいるだけで笑顔になるような、ほっとするような、あなたの生き方に憧れを抱くような、あなたの楽しみをともに楽しみたくなるような、そういう先生でいてほしいと願っています。あなたがそのような先生ならば、世間があなたを「常識がない」などと批判することがあっても、あなたの患者さんやお客様や子ども達が、あなたを守ってくれます。

 そのためには、自分を大切にすることが必要なのです。

 誰かの悩み事に夢中になって、あなた自身の楽しみや健康を無視すると、いずれその悩み事の主に恨みがましい気持ちがわいてきます。犠牲になっているような、被害者のような気持ちが湧いてくるのです。そのような気持ちで、誰かの支えに、本当になれるでしょうか?

 食事や休憩を後回しにして仕事をしても、いずれツケはまわってきます。それはたいがい、誰もが非常に忙しい時に爆発し、他のメンバーに負担をかける結果となって表れます。あなたの心とからだを大切にすること。健康は最大の実力であり、財産です。

 あなたに家族や愛するパートナーがいるならば、あなたは患者さんや子ども達と同じか、それ以上に愛情を注ぐ相手があることを忘れてはなりません。そういう身の回りにいるひとさえ大事にできないうちは、患者さんや子ども達を尊重することなどできはしません。

 あなたがあなた自身のために使う時間を持つことは、何も休憩のためだけではありません。

 先生であるあなたにはなにがしかの専門があるはずです。その専門に磨きをかけることを怠ってはなりません。それこそが、あなたの本分です。

 例えばあなたが国語の先生だったとします。
 ならばあなたの専門は「国語」です。カウンセリング技術や教務処理、ISOの取り組み対策、入試に学校公開になどなど、学校の中であなたが力を発揮したい分野はたくさんあることでしょう。けれど、あなたが最も時間をかけて磨くべきは「国語」そのものです。それを忘れないでください。

 私は自分を振り返り、今日書いたことばかりは、もっと早くこのことに気付き、生徒に向けていた力の1/10でいいから、自分自身に向けていたら・・・と思わずにはいられません。もしもそうしていたら、今の私はないかもしれまませんが、かわりにもっと健康で快活な自分がいたのではなかったでしょうか。

 1週間連載した「師になる人へのメッセージ」いかがだったでしょうか?

 もしよろしかったら、あなたのまわりでこれから先生になろうとしている方、あるいは先生になって間もない方にこの文章の存在をお知らせください。どこか1行でも、その方の心に響く文章があったら、幸せだと思います。

今日も読んでくださってありがとうございました

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家族ぐるみで-師になる人へのメッセージ

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 ただいま!

 今日、24時間心電図の結果を聞いてきました。
 確かに、頻繁に不整脈が出ているそうです。
 でも、今はまだ、実害はないとのこと。
 運動の制限などもしなくてよいそうです。
 ただ、不整脈になっている時間が30分とか1時間とか続くようなら治療しなくてはね、と言われました。

 今日もドキドキバクバクしているわけですが、
 これって、『いいんだ!』に書いた、「実害はないことに気を取られない」ということの実習だったんですねぇ

 いやぁ、人生は、感動するほど緻密に、うまくできているんですねぇ。

 もしも私が実体験なしに、あんな偉そうなことを書いていたとしたら、きっと読者の皆様も信用してはくださらないでしょう。

 でも、書いたことが私の実体験に基づいているとしたら・・・。

 どうぞ、読者のみなさまは、こんな実体験なしに、快適な人生を送ってくださいね!

 さて。
 「師になる人へのメッセージ」第5弾は、「家族ぐるみで」です。

 これは、簡単に言えば、「人はみんなつながっている」という意識を持ちましょうということなので、前回までの話より、ずっと簡単ですね。

 児童・生徒も、患者さんも、そうでなくても、たいがい人は、ひとつやふたつの困ったことを持っているものではないでしょうか。

 その「困ったこと」の度合いが大きくなればなるほど、本人は生きづらく感じているものだし、自分だけではどうしたらよいのか分からなくなってしまうものですよね。

 「師」というのは、そういう方のためにいるのだと思います。

 でも、間違ってはなりません。

 「私を頼れば問題は解決してあげますよ」というのは「師」の仕事ではありません。師は師でも、詐欺師の仕事です。

 「師」というのは、問題を抱えた当人に、自分の力でその問題と折り合いをつける(解決であれ、妥協であれ、受容であれ)力があるということを思い出させ、行動に移させることができる人のことを呼ぶのだと、私は思っています。

 それが、私の「師」としてのミッションです。
 ちなみに、私のミッションステートメントは、「先生を必要としない生徒を育てること」です。

 しかし、ほとんどの人が、ひとりきりで生きているということはなくて、家族なり同僚なり、何らかの人間関係の中で生きています。

 当人が抱えた問題が大きければ大きいほど、その問題の根源に、家族の影がちらつくものです。

 家族が悪いから本人がそうなったというのではありません。誤解しないでくださいね。

 ただ、本人の生きにくさの原因のひとつを、家族が知らずに担ってしまっていることがあるのです。

 そして、そういうケースの場合、先に考え方や態度を変化させられるのは、当人ではなく、家族のほうであったりもします。

 だから、よき師になりたいと思うのならば、目の前にいる児童・生徒や患者、顧客だけを観るのではなく、その背後にいる家族にまで、目をむけておくことです。

 昨日のアカウンタビリティの精神も、この家族ぐるみで当人を支援しようという考え方の現われだと思えばよいでしょう。

 そんなこんなで、みんな、人間関係の力学の中で生きているんですよねぇ。

 それでは、今日もお読みくださってありがとうございました

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アカウンタビリティ-師になる人へのメッセージ

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 ただいま!

 当面・・・4月の初めくらいまでの1ヶ月は・・・更新の日や時間がものすごく不定期になると思います。今も、ちょっといろいろなことが重なっていて、シンドイ状態です。

 でも、現在連載している「師になる人へのメッセージ」は、今年の教員採用試験を目指している方から「これは役に立つ」「考えたこともなかった」といった密かなコメントをいただいており、最後まで力を抜かずにお伝えして行きたいと思っています。もし、あなたの身の回りに試験を控えた方がいらっしゃったら、このブログのことをお伝えくださいね

 さて。「師になる人へのメッセージ」、4回目の今日は「アカウンタビリティ」です。

 耳慣れない方も多いかと思いますが、「説明責任」と訳すのが一般でしょうか。ここ2年ほどで急激に重要視されてきた感のあることばです。

 以前、私が実際にかかった歯医者さんの話しをしましょう。

 インフォームド・コンセント(患者が充分に納得し、同意してからの治療)を積極的に行っていますというのが売りの歯科医院でした。院長先生以外は、某大学病院の歯科のドクターが交代でやってきては治療してくれるので、腕は確かでした。

 引越して間もなかったこともあり、土日も診療してくれるということもあり、これはと思って通うことにしました。確かに、挨拶以外は何も話さなかった以前の主治医とは違って、いつも最初に「今日はこれこれの治療をします」と説明してくれるドクターでした。

 そのころ私が悩んでいたのは、奥歯が1本、ひどい虫歯の治療をした後で歯茎が化膿するようになってしまったことでした。何度、どのように治療しても化膿はとまりませんでした。

 そのまま2年近く、治ったり化膿したりを繰り返してしまい、さすがに真剣に「これはまずい!」と思っての通院だったのです。

 その歯科医院でも、まずは歯根の消毒からし直して化膿を止めようということになったのですが、何ヶ月かかかってもやはり止められませんでした。

 ある日の治療でのことです。

 ドクターが言いました。
 「これから可能な治療法としては、もう一度化膿を止めるよう消毒を繰り返すことと、抜歯です。どちらにするか、あなたが決めてください。」

 私は口を開けながら、突然の話で途方に暮れてしまいました。

 「もう一度消毒したら化膿はとまるのでしょうか?のんびり治療して骨に影響が出たりはしないんですか?」と聞いてみました。

 「わかりません。」とドクターは言います。

 「抜歯をして、その後どうするんですか?入れ歯ですか?」とも聞いてみました。

 「方法はいろいろありますが、抜きっぱなしということもできます。あなたが決めてください。」

 私は更に混乱してしまいました。

 「いろいろな方法とは、例えばどのようなものですか?費用はどのくらいかかるのですか?」

 すると、ドクターはきれいなパンフレットを出してきて、見せてくれました。

 「この素材だと○十万円くらいです。こちらの素材は色が自然でいいですが、◎十万くらいします。こちらは●十万と安めですが、奥歯なので割れる可能性もあります。でも、あなたがそれがよければそれにしましょう。」

 もう、思考が停止寸前でした。それを、今、すぐに決めろと?

 「では、もう一度消毒をしてみてください。」と私は言うしかありませんでした。資金の計画まで、寝椅子に横たわった姿勢で即座にできるような状況ではありませんでした。

 するとどうでしょう!ドクターはいいました。

 「でも、消毒してももう治せないかもしれませんから、抜歯の覚悟をしませんか?」

 私は、ふつふつと怒りが湧いてきました。
 だったら、最初からそう言えばいいじゃないかっ!!

 アカウンタビリティーとは、そのものごとに対して分かっていること、結果の予測、リスクなど、可能な範囲内で積極的に説明している姿勢のことです。

 学校ならば、これまで生徒自身も保護者も、どの教科書で学ぶかは知っていても、それぞれの単元に何時間が配当され、その時間内に何をめざしてどのような授業が行われ、どのような内容の習得が見込めるのかを予め知ることはありませんでした。

 けれども、学校にもこのアカウンタビリティーの精神が導入され、今では多くの学校がシラバス(年間授業計画)を作成・公開しています。

 各授業担当が、その単元をどのように扱うか・・・どこまでの理解を目指し、それをどのようにして評価し、理解が至らない場合、どのような指導をするか・・・の計画を予め公開することも始まっています。

 試験問題の一問一問まで、なぜその問題が出題されるのか、何の理解を試すために課された問題なのかを説明できるように準備するとか、成績についても、なぜその数字になったのかを説明できるように準備するとか、そういう必要が出てきているということです。

 言い換えれば、なんとなく教えたいことを教えるとか、自分がよいと思ったことをやればよい、という時代は終わっているということを理解していたほうがよいという話です。

 最初に例にあげた歯科医師も、
 「この状況では再度消毒を繰り返しても化膿するかもしれません。あなたの場合はこれまでも治療をしてきてうまくいっていないので、化膿を繰り返し続けると、あごの骨に菌が入ってしまうなどの危険がでてきます。抜歯をした方が治る可能性は高いです。ただ、あなたの場合は血がとまりにくいということなので、抜歯後は数日、血がとまらない可能性があります。仕事が休める時にした方がいいかもしれません。抜歯の後は、しばらくそのままにしておくこともできますが、上の歯が支えを失って落ちてきてしまう可能性があるので、気になるようになったらインプラントなどを利用して義歯を入れることもできます。その場合、だいたい●十万から◎十万ほどかかりますが、保険も利きますし、ローンもできますよ。私は抜歯の方をお勧めしたいと思いますが、あなたが再度の消毒治療をご希望なら、もう一度だけやってみてもよいかと思います。どうしますか?」

 などと説明してくれていたらどうだったでしょう。私は混乱することも、不安になることも、怒ることもなく、冷静に状況を判断できたことでしょう。

 アカウンタビリティーの姿勢とは、ものごとを常に意識的にするということでもあると思います。その「意識」を、共有しようという姿勢を持てば、それほど難しいことではないとも思います。

 プロであるなら、素人が知らない様々な情報をもっているのが常です。プロだからできる判断、もてる見通しなど、さまざまあります。それを出し惜しみせず、かといって過剰供給せずに、適切に伝達していく技を持っていることは、今後、さまざまな立場の人にとって重要な能力になるような気がしてなりません。

 そんなわけで、あなたも、ものごとを意識的に行って、いつでも説明できるようにしてみると、信頼される度合いがぐっと増しますよ。

今日も読んでくださってありがとうございました

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評価の達人になれ!-師になる人へのメッセージ

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 ただいま!

 今日はとてもよい一日でした。細かいことが書けないのが残念ですが、節目の日とでも申しましょうか。疲れもしましたが、心地よい疲れです。

 さて。

 「師になる人へのメッセージ」第3弾の今日は、「評価の達人になれ!」です。

 ここでいう評価とは、成績をつけるという意味ではありません。

 私の立場でこのようなことを言うのはいけないのかもしれませんが、私は通知表に記入される5段階やら10段階やらの数字は、ほとんど意味がないと考えています。

 だから、学期末にそのための仕事をするのが本当に苦痛でした。

 ある時の漢字テストが10点だったからといって、ある期末試験が発熱で思うように解答できなかったからといって、その人が国語で学んだことをどれほど習得したかがはかれるでしょうか。また、はかった結果をひとつの数字で表せるでしょうか。普通に考えれば、それがとても乱暴なやり方であることは、誰にでも分かることだと思います。

 脱線しちゃった。評価、でしたね。

 教師が生徒を見る場合の「評価」を例にとってお話しましょう。

 授業をする時、生徒の状態はおよそ次のように分類されます。

 1 わかっていることを、わかっているという人
 2 わかっているけれども、わからないという人
 3 わかっているけれども、わかっていることを知られまいとする人
 4 わかっていないことを、わからないという人
 5 わかっていないけれども、わからないことを知られまいとする人
 6 わからないけれども、わかっているという人
 7 自分がわかっているのかわかっていないのかが分からない人

 評価の第一歩は、ひとりひとりが、そのどの状態に属しているかを見分けることからスタートします。

 多少時間をかけると、この科目についてこの子はこのあたりに分類できるというのがわかってきます。多くの場合、1だけ、2だけということはなくて、ケースでいろいろになります。が、たいがいの時間1に属している子、2に属している子・・・という基準ができてきます。

 新任の教師にとって、この7分類の誰に照準を合わせた授業をしたらいいのかというのは悩みの種でしょう。

 123の人には、分かったことを繰り返し習熟する時間と課題を提供します。

 その時間を利用して、再度説明を試みるわけですが、技を使うのは456の人です。こういう場合、4の人に説明するのを、5,6の人に聞かせる体制を組みます。6の人に「わかっていないわね」という姿勢で説明するのは逆効果です。

 私の生徒だった経験のある方は、誰かの些細な質問に、問題演習の時間だというのに、わざわざ大声で説明する私の姿を記憶している方もいるのではないかと思いますが、それにはそんな裏技があったのです。そうすることで、質問に行く勇気が湧かない人でも、密かに、疑問を解消することができます。4の人が分からない時には、567の人も分からないと思ったほうがよいでしょう。

 評価は、ここで終わりではありません。

 何ができていて、何ができていないのかを見極めるのが評価だと思っている教師が多すぎます。そんなのは「見極め」であって、「評価」ではありません。

 何かができていると分かったら、次にどこに進めばいいかを示すのが評価です。

 何かができていないとわかったら、なぜ分からないのか・・・説明が足りないのか、誤解しているのか、演習がたりないのか、やる気がないのか・・・を見極めること、それがわかったら、どのように分かるまでの道筋をつけるのかを示すのが評価になるわけです。

 まだあるんですよ。

 絶対と相対。

 ある学習集団の中で、期待される理解の進みぐあいに対して、ひとりひとりがどれほど期待通りだったかをはかることも必要です。

 それと同じだけ、ひとりひとりのスタート時点から考えて、その集団の学習時間内でどれほど理解を深めることができたかをはかることも必要になります。

 本当の評価というのは、これほど、複雑かつ深遠なものだと思うのです。

 何段階かの数字ひとつで表すのがナンセンスだと最初に書いた真意を理解していただけたかと思います。

 それでも、教師は成績をつけます。

 だから、あなたは評価の達人になってください。

 個としての成長度合い。
 集団の中での成長度合い。
 何がわかり、何が分かっていないのか。
 分かっていないのはなぜか。
 どうすればわかるのか。

 いつも、常に、そんな視点を持って、教室に向かってくださいね。

 教師を例にとりましたが、医師、看護師なども、まったく同じだろうと思います。また、親が子どもを見るときも、同じだと思います。民間企業では、こんなことを日常的にしているのではないかしら?

今日も読んでくださってありがとうございました

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技を磨け!-師になる人へのメッセージ

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 ただいま! 

 昨日書いた「観察力」について補足します。

 観察力というのは、対象の、言葉にならないことばを感じ取りたいと願う力だと思います。表面的な何かを自分なりに解釈することとは別のものです。昨日の記事では、その点が説明不足だったと感じました。

 あなたのパートナーの、同僚の、子どもの、お客様の、ありのままがどうであるのかを知りたいと思うこと・・・あなたがそうであってほしいと思う姿を探すのではなく、ありのままの・・・が、スタートだということですね。

 今日は「師になる人へのメッセージ」第2回。今日のお話は「技を身につける」です。

 教師も看護師も医師も美容師も、ともかくなりたての時の感覚は、ダイヤモンド並に輝いているものです。そのまぶしいほどの理想は、たいがい本物だし、その観察の結果得られた認識は、多分真実です。だから、理想を実現し、観察の結果気付いた不具合を修正しようと、若い師はみな懸命になることでしょう。

 しかし、ここで忘れてはならないことがあると思います。

 それは、懸命の行動ではあっても、長続きしないということです。

 理想が高ければ高いほど、新たな発想であればあるほど、それを行動に移すのが難しくなります。当人にとって難しいのはいっこうにかまわないわけですが、視点を変えてみれば、サービスの受け手(児童・生徒や患者、顧客など)が、安定したサービスを受けることができないということです。

 そこで、是非覚えておいてほしいと思うのは、行動を「技」の域まで高めるということです。

 以前実際に相談を受けた若い看護師さんの例です。

 彼女は、患者の細かな感情のひだに思いを寄せられる、天性の資質に恵まれていました。だから、その気付いた思いをできる限り自分の看護に生かしたいと考えていました。

 しかし、実際は、かえって患者さんを混乱させるきっかけになってしまいました。

 彼女が深く理解できた患者さんと、理解できなかった患者さんとで、応対に差が出てしまったからだそうでした。

 しかも、時が流れるにつれ、彼女は初めよりもたくさんの患者さんの思いに気付くようになったのに、そのひとつひとつに応対していくことが苦痛になってしまいました。ひとりひとりに、毎日、どうしてさし上げるのがいいかと考えるのがあまりに多くて、もう嫌になってしまったということでした。

 自分には看護師は向いていなかったのだという彼女に、私はこんな話しをしました。

 あなたが辛いのは、「技」がないからです。
 柔道を見たことがあるでしょう。
 ここをこう握ってこうひねると、相手はこう飛ぶ。
 それに例外がほとんどない。それが「技」です。
 あなたが患者さんひとりひとりの細かな感情に応えていきたいと考えたのはとてもよいことでしょう。
 けれど、あなたはその思いを行動に変える「技」があるとは知らなかったのです。

 こういうときには黙って話しを聞く。
 こういうときには元気付ける。
 こういうときには叱る。
 こういうときには笑わせる。
 こういうときには小さな声でゆっくり話す。
 こういうときには返事をしない。

 あなたの経験を、そんなふうに一度分類してごらんなさい。
 そこに、あなたが気付かないうちに「技」として身に付けていたものが見えてくることでしょう。

 また、技の習得にはある程度の時間がかかるのが普通です。練習も必要でしょう。その途中では、誰でも苦痛を味わい、自分にはできないのではないかと感じるものです。

 採血の時、患者の腕にアザをつくりたくないと思ったら、採血の技術を磨くでしょう?
 正確な血圧を測るために、測定の技術を磨くでしょう?

 それと同じように、観察にも、観察結果を行動に生かすにも、技があり、磨く必要があるのですよ。

 あなたは、向いていないのではなく、まだ「技」が未熟なのです。そう思って鍛錬してごらんなさい。きっと、毎日が楽しくなりますよ。

 あれから10年近くがたちますが、彼女は今も看護師を続けています。きっと、たくさんの技を身に付けて、たくさんの患者さんの信頼を得て、健康の回復に役立っていることでしょう。

 習慣が、思考の習慣ではなく体が覚えてしまったものを「技」といいます。プロの「師」は、この技をさまざまに身に付けている人だと思います。

 高校にいた頃に私が持っていた技・・・朝、出席を取りながら顔を見るだけで、クラスの生徒の主な体調や気持ちの変化(親と喧嘩したなとか、友達と何かあったなとか)に気付くことができました。それから、掃除の時間に教卓の前に座っているだけで、クラスの生徒の人間関係や秘密の出来事を把握することができました。授業が終わった時に「もう終わり?早いね〜!」と言われる授業展開の仕組みを習得していました!

 今は遠ざかってしまって、技が鈍っていると思うけれど、磨いていると本当に、そんな魔法のようなことができるんですよ!

 あなたの気持ちをコンスタントに行動に変換してくれるのが「技」です。どうかたくさんの「技」を身に付けてくださいね

 そして、よければ、今日はあなたが持っている自慢の「技」をコメントしてください。きっといろんな技があるんでしょうね!

今日も読んでくださってありがとうございました

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観察力を磨け!-師になる人へのメッセージ

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 ただいま!

 今日はお花にたくさん出会った一日でした。散歩していたら、ハハコグサやオオイヌノフグリが一面に花開いていました。小さな白や青の花が可憐でした。梅も満開で、近づかなくても香りが漂ってきます。暗くなってからふと気付いたのは沈丁花の香りです。強い風の一日でしたが、あの風が春を運んできてくれたのでしょうか。

 さて。

 今週のテーマは「師になる人へのメッセージ」にしたいと思います。

 教師、医師、看護師、調理師、美容師、保育士、弁護士、介護士・・・「師」や「士」がつく仕事ってたくさんありますね。多くの場合、なりたいと思ったらなれるというものではなくて、けっこう勉強や実習を積んだ末に、厳しい国家試験等をパスした上に、さらに厳しい採用試験をくぐりぬけた人だけに許されるオシゴトであったりもします。

 で、場合によっては「先生」って呼ばれますよね。

 私は教師の部類ですので、主に教師を主眼においてお話しますが、たぶん、他の「師・士」の皆さんにも共通の事柄があるのではないかと思います。

 この春先生になる方へ、または、先生になって数年たって、ここらで改めて自分を見直してみようかなと思っている方へ、あるいは、そういう若い「師・士」の皆さんを教え導く立場の方へ、ともに働く方へ。あなたの思いもメッセージに託してみませんか?

 第1日目のHikariからのメッセージは、「観察力を磨け!」です。

 もしも新任の方が、「師として一番大事な力はなんだと思いますか?」と尋ねたとしたら、私は迷いなく「観察力」を挙げます。

 観察する対象は二つあると思います。

 ひとつはもちろん、「対象」です。先生なら児童・生徒・保護者を。医師や看護師なら患者と家族を。美容師ならお客様の髪と体調とを。調理師なら素材と器と客とを。これに異存はないでしょう。

 もうひとつの観察は、「同業者」です。

 「師」になる人に、もしもセンスというものがあるとしたら、それがもっとも端的に現れるのが「自分が師とする人を見抜くセンス」ではないかと思います。

 新任であれば、わからないことが山ほどあるのは当然です。仕事に慣れず、場に慣れず、社会人であることにすら慣れていないケースもあるでしょう。

 そんなことは当然ですから、そのことに悩む必要もなければ、自分の適性を疑う必要など微塵もありません。

 ただ、観察すればよいのです。ある出来事に対し、どのような対処が可能なのか。いくつかあるやり方の中で、もっともよいと思えるもので自分にできることをすぐに取り入れること。

 この人は手本にしたいと思う人を見抜いたら、徹底的に観察することです。

 そして、よいところはどしどしモデリングしましょう!

 あなた独自の方法もあるでしょう。けれど、それを発揮するのは少し先延ばしにしてみても大丈夫です。必ずその時はやってきます。でも、まずは真似することです。そして、どうしてその人はそのやり方をするのか、そうすることで相手にどのような影響を与えているのかを体得してしまいましょう!

 もしも、新任のうちに身につけたこの観察力を、仕事をしている長い人生の間中ずっと忘れることがなかったら、それだけであなたは成功者になれると思います。

今日も読んでくださってありがとうございました

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 読者の皆様にはいつも心から感謝しています。私にこのような表現の場を与えてくださって、本当にありがとうございます。

紙一重 5

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 おかえりなさい。

 二日続けて、朝の投稿となりました。今週ずっと、夜は9時だの10時だのにベッドに入っています。眠いなら寝よう。それだけ。一日中寝てしまうならそれもよし。休むんだ。他のことは後回し。からだが訴えることに忠実になってやろう。そんな毎日です。

 そうしたら、昨日、思いも寄らないめぐりあわせで、今日一日の休暇につながりました。
 先日12時間勤務の日があったので、今日は午後から4時間休暇のはずでした。ふと、一日休めるといいのにねぇと世間話をしたら、チームの仲間が「休んでいいよ」と言ってくれたのです。
 以前の私なら「とんでもありません」とお断りしたと思いますが、今は本当にありがたく、甘えさせていただけるようになりました。のんびり、のびのび。

 

 さて。
 物語の主人公にはもう少し眠っていてもらうことにして、最近気になっていたことについていくつか書きたいと思います。

 世間を震撼させた凶悪な犯罪について、微にいり細にいり報道が続いていましたね。今日あたりは週刊誌も追いついて、こちらのほうが詳しいと自慢げに報道合戦を繰り広げています。

 しかし、ある特定の分野に属する人の目にかかれば、容疑者と目されている人が、ある診断名に属する人ではないかということは歴然としているわけで、とうてい一般論の範疇にはなく、コメンテーターごときの理解の及ぶ範囲ではないことは明白であったりしているのだと思います。時期がくればそのあたりが明らかになり、事件の詳細は秘されていくことでしょう。

 それを興味本位に報道しても、形だけを面白がってまねる模倣犯を助長するだけです。知識がないということは、時として、おそろしい犯罪に加担する原因になってしまいますね。

 

 人にはそれぞれ、得手・不得手があります。いま、教師をしている人は、その「不得手の質」を確認する技を身に付けている必要があります。

 わかりやすく言えば、それが不得手なのは「得手になるまでの時間がまだ足りない」のか、「自力では得手になりようがない」のかを見分けるということです。

 たとえば、「不安」を例にとってみましょう。

 テストの前になると、なんとも不安になったという経験がある人は多いと思います。不安になること自体は誰にでもあることで、テストは多くの人にとって「不得手」と言えるでしょう。

 その「不安」には、二種類あるのです。(細かく分ければ人の数だけありますが。)

 一つは、丁寧に試験勉強をすることや、「ここまでやったのだから大丈夫」と自己暗示をかけることで克服できる不安。あるいは、「もういいっ」と開き直ることで眼をそらせる不安の持ち主です。多くの人はこちらに属すると思います。
 こういう不安を抱えた子ども達に対しては、教師は「努力を継続」することを指導しますし、「励まし」というサポートをします。

 もう一つは、いくら試験勉強をしても、自己暗示をかけても消えないし、眼をそらすこともできない不安の持ち主です。多くの場合考えすぎなので、教師はその考えを中断させるようなサポートをします。これも「励まし」に属します。

 でも、中に僅かながら、「励まし」ではどうにもならない不安の持ち主がいるのです。当人の器質のために(あるいは薬の影響で)、物事が不安になる方向に配線されているケースがあるのです。

 そういう子ども達に対しても、他の子と同じような「努力」を求めたり「励まし」を与えるのでは、子どもは不安なままです。特別な援助・支援が必要なのです。

 Hikariは、いくつかの状況と質問への反応を見ることで、そこら辺の違いを何となくですが見分けられるようになりました。医師ではないので診断はできませんよ。でも、その感覚に応じて、励まして自分でやらせるのか、特別なテクニックを使って援助していくのかは使い分けています。

 医師による診断のあるなしにかかわらず、すべての子ども達が必要としているサポートを提供する、というのが、今後の教育界に与えられている使命です。

 ただ、医師の診断があれば、より明確に、的確な支援内容を決定していく手助けになります。

 あの事件の容疑者は、残念ながらその支援を受け損ねていたようです。まわりにいた誰かが気付いていれば、こんなふうにはならなかったろうにと、思われてなりません。(もっとも、専門家がいても気付けないケースは多々ありますが…)

 犯罪者とノーベル賞受賞者は紙一重の存在だと思うのですが・・・。

 今日は分かりにくい話だったと思います。
 読み流していただければ幸いです。

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ただ一人に及ばなかっただけで… 5

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 おかえりなさい。

 なんだか疲れが溜まってきたので、今日は2時間くらい早退させてもらいました。銀行と、郵便局と、買い物と・・・といろいろ計画したけれど、結局家でからだを休めることにしました。風邪気味もこれで治るといいな。

 昨日書いた「読者になる」、とうとう第一号が
 ノブさん、ありがとう
 メールが来ると説明にはあるのですが、メールはこなかったです。管理画面から「ブログ読者の管理」を開いてみたら、応募があることに気付くことができました。この「読者になる」欄にどなたかが登録されている姿をあまり見ないのは、その辺に行き違いがあるからではないかしら?

  

 しばらくの間、大学受験から入学後の出来事までを綴ってきましたが、今日で一区切りにしたいと思います。

 就職試験と卒業の話をしましょうね。

 大学4年になって、履修登録がすっかり済んだ頃、毎朝同じバスに乗る商学部の方2人と仲良しになりました。2人とも例の特待生でしたから、話が弾みました。で、会うたびに「就職活動は?」という話題になるのですが・・・

 二人のうち一人は就職口を探していました。もう一人は公認会計士を目指していました。どちらも、頼みもしないのに段ボールに2箱くらい、会社の資料が届いて、押入れに入れてあるというのです。会計士さんのほうは「もらっても邪魔なのにね〜」なんておっしゃる。

 ところが。ところがです。

 文学部・国文学科・女。

 こういう条件がそろうと、相手から送られてきた会社案内は、結局1通です。1社だけです。山崎製パン株式会社さん。ありがとう。うれしかったですよぉぉぉ。

 文学部はつぶしがきかないという言葉は、みなさん耳にされたことがあると思いますが、本当です。あの売り手市場でさえ、そんなでした。

 Hikariは、親が、教員になるものと信じており、本当は盲導犬の訓練士だのスチュワーデスだの看護婦だのいろいろとなりたいものはあったのだけど、左目が見えないことも災いして応募条件に合わず、なかなか教員以外のものを選ぶことができませんでした。

 しかも、教育実習に行ったら、もうすっかりその気になってしまって・・・。

 しかし!
 現実はキビシイ。私の受験先は前年までの大量採用の方針転換をきめ、突然、極端に採用人数を減らすと発表しました。

 しかも、大学院修了者や職歴がある人を優遇し始めました。

 それなりに準備はしたものの、受かるとは思えませんでした。第一、まだ研究がしたかった。本当は、大学院に行きたかったんです。

 落ちたら民間企業に就職しろと親は言いますが。資料請求のひとつもしてはいなかったし、面接のアポを取るなんてさらさら考えてもみないのですから、ムリな相談です。

 そんなことで親のいいなりに就職して家と会社の間を往復するくらいなら、出家しようと・・・「いえで」ではございませんよ「しゅっけ」です・・・行き先のあたりをつけてありました。そう、瀬戸内寂聴さんの仏弟子にしていただく覚悟でおりました。

 それなのに!落ちたら楽しいことが待っていたのに!

 あっけなく受かってしまいました。

 ヒェーッとしばし呆然。うれしい誤算。

 さてさて。後は卒業論文を書いて、口頭試問を受けて。書きましたよ!原稿用紙200枚!後々、大学の紀要にも「修士論文」という誤記つきで載せていただきました。

 卒業式前、最後のゼミのころでした。

 先生が、ものすごく軽い足取りで、嬉々として研究室にお戻りでした。会議の後はいつも不機嫌でいらっしゃるのに珍しいことと思ったのを覚えております。

 「いや〜私は鼻が高いよ

 S大学では、1年から4年の成績すべてをどのようにか換算して、学科ごとにもっとも成績がよかった学生に金メダルを贈ることになっていました。

 そして全卒業生の中でもっとも成績のよかった1名・・・ザ金メダル・オブ・金メダルズ???・・・が、総代として、学長先生からメダルを受け取るのですが・・・。

 その総代に、Hikariのライバルが選ばれました。すっごーい!みんな拍手喝采。

 それでね。

 全卒業生の成績ランキング2位は、あなたなんですよ。

 ヒェ〜ッ

 1位がこの学部にいるので、あなたにはメダルはありません。あなた方二人が群を抜いてよい成績で、あとはつながっています。だから本当はあなたにもメダルを作ってあげたいくらいだと他の先生方も皆さんおっしゃいますが、ルールですからないのです。でも、彼女以外に、指名されて壇上に上るほかの誰よりもあなたは優れていた。努力した。それは誇りに思ってくださいね。私たちはみな、それを知っていますからね。

 卒業式当日。

 受賞者としてつぎつぎに名前を呼ばれる人たちが武道館の舞台に上がって行きました。Hikariの隣に座っていた彼女も、総代として立派に舞台へ。
 はかまの着付けがうまくいかなかったから、私は上がらなくて済んでラッキーだわ、と負け惜しみをつぶやきつつ、彼女が表彰される姿を見ていました。

 彼女がいたから、Hikariも頑張れました。

 それに、これは勝ち負けではなくて、学問の話です。

 だから、金メダルがあろうとなかろうと、私は私。

 何度もそう考えようとしました。

 けれど。

 あの段に登っている十数人のうち、Hikariが及ばなかったのはただ一人だけだった。でも、ただ一人に及ばなかっただけで、Hikariはここに座っている。この割れるような拍手はHikariには向けられない。先生以外、頑張ったねとも言ってはくれない。ただ、一人に及ばなかっただけで。

 今でも、その時の彼女の華やかな着物の色や、美しくお化粧した頬が紅潮していてとても綺麗だったことが簡単に思い出せるのに、彼女の胸に下がっていたはずの金メダルの様子だけは・・・思い出せません。きっと、ちゃんと見なかったんでしょうね。

 世の中は、こういうふうにもできていると、知った瞬間でした。

 屈折して始まったHikariの大学生活は、新たな屈折の中で終わりを告げました。いろんなことがあって、いろんなことを知って、いろんなことを体験して過ぎた4年間でした。うれしかったり、くやしかったり。胸を張ったり、意気消沈したり。
 楽しかったなぁ。キラキラしてたなぁ。砂金の沈む川底にお日様が当たったような日々でした。

 青年時代の屈折の記憶。お楽しみいただけたでしょうか。

 明日からまた、新たな話題をお届けしたいと思います。

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