和尚さんはそこで一度話を切って、テーブルの葛湯に手を伸ばした。
「ほほほぉ。葛湯はよいなぁ。こうして置いておいても冷めないのがよろしい。」
至極ご満悦のようだ。

「それより、先を聞かせてくださいよ!」
「そうですよ。人の感情は雲のようなものだけど、人の存在は雲のようなものではないっておっしゃったのですよね?」
一番に乗り出しているのは宮田先生だ。
それはそうだろう。
ずっと、人や人の命と向き合ってきた人だ。

「そうだよ。人は雲のように浮かんでは形を変え、消えてはまた生まれる、頼りない雲のような存在ではないのだよ。」
「では、いったい何だと?」
「そのこと、そのこと。」
和尚さんは改めてその場の面々を見回した。

「人とはなぁ、空のようなものなのだよ。」
「空ぁ?!」
元さんが素っ頓狂な声を上げた。
「空って、青い空の、あの空ってことか?
そんなつかみどころのない話、信じられませんよ。」
「ほほぉ。つかみどころがないかね?」
「だってなぁ、俺らが空みたいなもんだって言われてもなぁ。おい?」
長さんやゆかりさんまでもが頷いた。
和尚さんと一緒に来た檀家のみなさんも同じように、キツネにつままれたような顔をしている。

「あ!」
その時、僕はつい、カウンターの中から声を上げてしまった。
「あの、『色即是空 空即是色』っていうあのクウってところ、空って書きますよね?
あれって『何もない』って意味だと思っていましたけど、実は本当に『ソラ』のことだったりして!」
「ほほほぅ。若者は頭が柔らかい。それでなくてはなぁ。」
「えっ?」
「ならばホントに…?」
「空だということさ。」

人は空のようなもの?
それはどういう意味だろう。
僕の知識と思いつきは和尚さんを笑顔にしたけれど、意味が分かったわけではなかった。

「空とはどのようなものだね?」
和尚さんが尋ねた。
面々は互いに顔を見合わせて、首をかしげながら答える。
「高いところにあるなぁ。」
「どこまでも広がっている、かな。」
「でっかい。」
「変わらない…かしら。」
ゆかりさんが言うと、他の人が「ああ」と気付いたように付け加えた。
「確かに、ひどい台風の日でも、雲の上は青空なんだよな。」
「夜も昼も、太陽と地球の位置関係のせいであるだけで、空そのものはいつも同じなんだろう。」
「星が生まれたり消えたりするのかもしれないけど、空そのものは変わらないのかな。」
「時間があるようでないような、不思議な場所だな。」
「それに、境目がないね。全部つながっているというか、全部を含んでいるというか。」
「それよ、それよ。さすが、きちんと生きている人々はよくわかっておる。」
和尚さんは満足げだ。

「つまり、人は自分を雲のように移り変わるものと思うこともできるが、本当はそうではなくて、空のようなものなのだと思うこともできるということだな。」
「もしも、自分を空のようなものだと思うと、私たちはどう変わるのですか?」
ゆかりさんが真剣な声で問うた。

「ふむ。
つまり、自分を空だと思えば、安心じゃろう。」
「え?安心??」







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