「気持ちは分かったけど、葉月ちゃん…。法律的にどうなの?マルコ君を君が育てるなんて、できるの?」
貴船オーナーが大人らしい質問をした。
僕はもうずっと、オーナーに引っ張られ、後追いでしか思考できなくなっている。

「そうね。
問題は山積みだと思う。
さしあたり、人身売買目的の誘拐犯だと言われないように農園では認められてきたけれど、単純な手続きで済むものではないわね。
日本の法律は移民を認めていないくらいだから。」
「それでも?」
「ええ。この国ならば、この子が学校に通うことも、毎日安心して眠ることも、お腹いっぱい食べることも『当たり前』になるはずだもの。
時間がかかっても成し遂げるわ。
きっと、何か道はあると思うの。」 

どうやら姉さんの決心は固いようだ。
「マルコ君は葉月ちゃんの息子になるの?それとも、弟?」
オーナーが意外な質問をした。
僕はこの少年が僕の何になるのかなんて考えてもみなかった。
弟だって?

その時だった。
それまでつぶらな瞳で周りの大人にふわりふわりと視線を当てていたマルコ少年がポツリと話したのだ。
「ハヅキは、僕のパートナー。」
「え?」
僕とオーナーの声がハモった。
「今、パートナーって言った?」
「はい。」
今度は少年の声がはっきりと聞こえる。

「僕の父と母は、死んでしまったけれど、ちゃんといます。
ほかには、いらない。」
多少イントネーションに癖があるが、流暢な日本語が小さな口元からこぼれてくる。
僕はなんだか不思議なものを見る思いで、それを聞いた。

「ハズキはずっと悩んでいた。
自分が間違っていると、いつも言っていた。
サトルのことを聞いたのは、父が死んだ時。
それで、ハズキの悩みがわかった。
ハズキはずっと不幸だった。
自分で幸せになろうとしていなかった。
それは、悲しいこと。
ハズキが幸せにならないのは、自分に罰を与えるため。
でも、ハズキは幸せになっていい。
神様は、誰も罰しない。
神様は僕たちみんなを愛している。
自分から不幸せを選ぶ人がいること、神様は喜ばない。」

オーナーでさえ、何も言えなかった。
マルコ少年はテーブルのアイスコーヒーを、恐る恐る飲んだ。

「僕はハズキが幸せになるまで側にいると決めた。
ハズキがまた悩むときは、僕が励ます。
だから、僕はハヅキのパートナーね。」

そうして、また一口。
僕がマルコ少年を見るのと、多分同じ目で、少年はアイスコーヒーを見ている。
「これ、おいしい。
グアテマラでは冷たいコーヒー飲んだことない。」
「ああ、そうなのか!」
オーナーも少年の所作が気にかかっていたらしい。
「甘くすることも、ミルクを入れることもできるが…。冒険かな?」
「ボーケン?」
姉さんが通訳すると、ああ、と頷いて、やってみると言う。
オーナーはガムシロップを少しと、生乳ではないミルクをたらしてから、グラスを戻す。
そうして、手まねで、ストローを回してかき混ぜろと伝えている。
少年は目をキラキラさせてストローを回し、全体を白濁させると、得体のしれない物を飲むような顔で一口啜りこんだ。
「おお!」
ストローをテーブルに放り出し、そのままゴクゴクと喉を鳴らす。
どうやら気に入ったようだ。

「まだほんの子どもなのに、この子には教えられることばかりなの。
老いた魂とでもいうのかしら。
年齢では計り知れない叡智を、この子の心はいつも持っている。
神様が出会わせてくれたこの宝物を大切にしたいの。」

「サトル、マルコです。よろしくお願いします。」
いつの間にか僕の真横に立って、少年は僕の目の前に手を差し出した。
日焼けした腕と、不釣合いなほど白い掌。
僕は、その手を握ってしまった。
まだ柔らかい掌が、グラスを握った水滴で濡れている。
「よろしく。」
僕は微笑んでしまった、多分、極上の笑顔で。

「あれ?」
オーナーが奇妙な声を出した。
「弟か息子かなんて聞いておいて今更だけど、養子縁組をするなら、独身ではできないんじゃなかった?」
「さすが貴船さん。なんでも詳しい!
ええ、夫婦の方が養子縁組の道が広くなるのは確かね。」
「独身でも養子縁組できるの?」
「心配いらないわ。」

姉さんは確信を持って言う。
僕にはよく分からないが、独身でも養子縁組は可能なのだろう。
そうだよな、後継ぎ問題とかって、独身だからこそ起きることもあるんだろう。
養子縁組はそういう解決にも使われること程度は、2時間サスペンスを見て知っている。

「私、結婚するから。」
へ?
「彼と結婚して、ふたりでマルコを支えるの。」
は?

彼、と姉さんが顔を巡らせた先に、さっきマルコ少年の後ろから入ってきた、一般客の男性がいた。
おいおい何なんだよ。
一般客じゃなかったのかよ〜!

隣のテーブルでコーヒーをすすっていた、姉さんと同じくらいの年頃に見えるあの男性が、すっと立って3歩。
マルコ少年の後ろに立った。
背が高い。
少年は彼の足に抱き付く。
慣れたしぐさで、間違いなく知り合いなのだと納得がいく。
ということは、この人が本当に姉さんと?
「ジョージよ。」
姉さんは明るく言うが、どう見てもコテコテの日本人だ。
ジョージだと?

「サトル君。
はじめまして。
カネタマルジョージです。
お姉さんとの結婚を認めてください。
よろしくお願いします。」

差し出された大きな手と、思わず握手してしまい、慌てて手をひっこめた。

「彼はもともと、海外ボランティアとして私より先にあちらへ来ていた日本人教師なの。
いろいろとお世話になっているうちに、いろんなお話をするようになってね。
マルコもバイリンガルにしてしまおうって思いついて、ふたりで一緒に物心つくかつかないうちから、日本語を教えちゃったのよ。
それで、彼は…」

姉さんによるジョージサンの紹介が続いていたが、僕はもう聞いていなかった。
デジャヴだ。
今朝、こんな夢を見たのではなかったっけ?
なんだろう、このドラマチックな展開は!
まだランチは食べてないけれど、もうお腹いっぱいだよ!

頭がカオスに支配されている僕を憐れんだのだろうか、マルコ少年がジョージサンから離れて、僕の前に立ち、突然両腕を伸ばして僕に抱き付いてきた。
細くて、温かくて、しなやかな重みが僕をかろうじて地上につなぎとめてくれる。
彼の体から、熱い太陽の匂いがした。






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