明け方になってうとうと寝入るなんて、こういう場合よくあることだろう。
眠れなくたってしかたない。
頭の中に、いろいろな姉さんの「男」が浮かんでくる。
引き締まった体躯の黒人男性が浮かぶ。
これは、米国大統領のイメージだ。
かと思えば、筋肉が目立つ、真っ白い歯が印象的な笑顔。
これは、ニュースで見たばかりのプロボクサーか。
日本人男性も浮かぶ。
「ボランティアで教師をしていたところで葉月さんに出会いまして…」なんて挨拶まで浮かんでくる。
青い目に白い肌、金髪がクルクルフワフワと頭にのっている陽気な男が出てきて、「ハヅーキィ!」なんてハグしていたりする。 
どこかで見た映画俳優のような気もするが、もう分からない。

挙句には、自家用ジャンボ機のタラップを降りてくる姉さんの腰に手を回したアラブの大金持ちが出てきて、「うわぁっ」とうめいた自分の声の大きさに驚いて目が覚めた。

おいおい…。
自分でツッコミを入れるくらいしか、このシーンを笑う術が分からない。
コミカルなほどに慌てている自分がそこにいた。

よく考えてみれば、ねえさんが成田のホテルに男といること以外、なにも分からない。
どうして突然帰国したのか、そちらの方が大事かもしれない。
それも、男、か?
姉さんはじゃーねと言って、連絡先も教えてくれなかったし、今日どうやって会えるのかも言わなかった。
こんなの、蛇の生殺しだよぉ!

それでも腹は減る。
僕は下に降りて、台所の冷蔵庫を開ける。
この台所は店のキッチンとは別の、生活専用の場所だ。
それほど大きくもない冷蔵庫で、さすがゆかりさんの管理が行き届いているため、無駄なものや古いものが隅っこに残っているなんてことはない。
「…朝っぱらからなんだけど、チャーハンでも作るか。」
チャーシューを厚めに切って刻んでいたら、少しだけ心の波が凪いだ気がした。


姉さんから連絡が来たのは、昼前11時ごろになってからだった。
ホテルを出て、そちらに向かっているところなの、ルナソルで12時、来られるかしら?
当然来ると思っている強引な問いかけが姉さんらしくて笑える。
「ああ、大丈夫。」
「じゃぁまた後で。」
いつどんな連絡が来ても飛び出す準備ができていた僕は、そのまま外に出た。
姉さんのことだ、きっと間際になって呼び出すに違いないと思ったのが大当たりだった。
貴船オーナーのルナソルまでは、それほど遠い道のりではない。
最後の上り坂のきつさを除けば!
でも今はまだ、心地よい乾燥した風が吹く季節だ。
梅雨まで少し間がある。
きっと気分よく登れるだろう。


それでもわずかに汗ばみながら入ったルナソルは、いつものようにホコリを感じさせない乾いた空気に満ちていた。
「おや。こんな時間に珍しい。」
貴船オーナーはいつもの爽やかな笑顔で迎えてくれる。
「連絡、ありました?」
前後を省略して尋ねる僕に、オーナーはきょとんとする。
「姉さんが、帰ってきたんですよ。連絡、なかったですか?」
「そうなのか!いや、何も。」
オーナーも驚いている。
「何かあったのかな。それとももう満足したのかな。」
「解りません。それに、どうやら男が一緒らしい。」
「男?」

貴船さんは、渡航前の姉さんが恋に破れた人だ。
そんな人の店にわざわざ連れてくるなんて、結婚でも約束した男とした思えない。
「あたし、幸せになりますっ!ってか?」
ひとりごとをいいながら、案内されるままに席に着く。
緑色の瓶に冷えた水を無意識のうちに飲む。
いつものように、かすかにレモンの味がする。

「12時にここへ来るっていうから。」
「おや、そうなの。何年になるかな。久しぶりだ。」
オーナーは本当のところどう思っているのか、平然としている。
「では、もう少しで着くかな。今日のランチをぜひ食べて行ってほしいね。」
そういうと、わざとか忘れたのか、オーナーは僕の注文をとらずにカウンターの向こうへ下がってしまった。

それから15分ほどだろうか。
不意に姉さんが店に入ってきた。
「ああ、ここは涼しい!」
見れば、小さなバッグひとつしか持っていない姉さんは、別人のように陽に焼けている。
その分、以前よりもずっと強そうに見える。
男が、いない。

「サトル!」
姉さんもすぐに僕に気付いたようだ。
足早にやってくると、立ち上がりかけの僕をギューッと抱きしめた。
「おい、やめろよ。」
心にもないことを言っても、姉さんはそのままくっついていて、「元気そうでよかった!」とつぶやいた。

「元気だよ。夜の仕事だから日焼けはしてないけどね。」
「ほんと。モヤシみたいに真っ白!」
貴船オーナーが近づいてきた。
「オーナー!お久しぶりです。」
「おかえりなさい。元気そうだね。」
おかげさまでと姉さんが答えるのを聞きながら、僕は『おかえりなさい』をまだ言っていないことにやっと気が付いた。
しまった。

「なんだか、お連れさんがいるそうだねぇ。」
これもオーナーに先を越された。
「ええ、そうなの。驚かせてはいけないと思って、外に待たせているんだけど、連れてきても?」
「もちろんだよ。なぁ、サトル君。」
「は、はい!」

姉さんは一度も座ることなく、身を翻して扉の外に出た。
いよいよ、姉さんの「男」とのご対面だ!
僕は知らず知らずのうちに体中の筋肉をこわばらせている。
奥歯がギリギリと音を立てそうだ。

もう一度扉が開いて、姉さんが入ってくる。
その後からついてきた男は…

えっ??




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