僕の病気は、白血病だ。
18歳で発症した。
で、18歳のうちに治療に成功した。
その後も数年、治療を続けたわけだが、今では完治したと思っている。
運がよかったのだろう。
僕の病気は、小児白血病と言われる、薬がよく効いて完治率が高いものとよく似た経過をたどった。
これが、成人の白血病なら、少し違う経過だった可能性が高くなる。
それでも、治る可能性がある病気なら、僕はきっと治ったと信じている。

治療を続けながらも大学にまた通い始めた僕に、生理学の教授からレポート課題が出た。
僕の病気や治療についてまとめて来いというものだった。
分かっていたつもりだったから、そんなの簡単だと思ったけれど、いざレポート用紙に下書きしようとして、はたと手が止まった。
正式な名前、正確な経過、どれも頭に入っていないことに気付いたからだ。

僕は忙しい主治医の恋待先生をランチタイムに呼び出した。
先生は、いつもこうとは限らないよと笑いながらも、姉さんがバイトしているカフェ「ルナソル」まで来てくれた。
貴船オーナーの店はその頃はまだランチはなかったから、レポートにする情報が得られたら、別の店に何か食べに行こうというつもりだった。
それでも、落ち着いて話を聞く場所として、他の場所は思いつかなかった。

オーナーに愛妻がいるとは気づかず、恋をして、告白して、撃沈したばかりの姉さんが、仕事をしながら僕たちの話を聞いていることに、僕は何の疑問もためらいも感じなかった。
恋待先生の話は、分かっていると思っていた以上に興味深かった。
病院から線路をくぐり、ゆるい坂道をグリズリーのような大きな体をゆすりながらやってきてくれた先生は、椅子にかけてからもなかなか息も整わなければ汗もひかず、2杯目のアイスコーヒーも、話が始まったばかりなのにもうほとんどなくなっていたのだけど。

かつては不治の病と思われていたものでも、医療技術は日進月歩、どんどん原因とか治療法が見つかっている。
治療法も一つだけではない。
患者が、自分の人生の質を考えて、選べる時代になりつつある。
そうなって初めて、患者が自分を問われるようになったという面もある。

先生が話してくれたいろいろな情報の中で、僕が一番背筋を伸ばして聞いたのはこの部分だった。
治療法が増えるのは喜ばしいことだ。
一方で、何もかもを医師に委ねて、生きるも死ぬも運次第みたいに考える時代ではなくなるということは、生きるも死ぬも自分の選択次第だという意味だ。
そうして、同じ生きるにしても、どう生きたいかで選ぶ治療も違ってくる。
「どう生きたいか」なんて、普通に生きている人間は、そうそう考えはしない。
良くも悪くも、生きるって忙しい。
普段、ふと感じることがあっても、真剣に「自分はいかに生きたいか」なんて考え詰めている人はそう多くないだろう。
でも、考えずにはいられない時代になってきているのだ。

僕の5年生存率はかなり高い。
パーセントが示す数字がどうであれ、僕は死ぬ気で生きるつもりはない。
僕にとって生き続けることは当たり前のことだ。
母さんはいなくなってしまったけれど、僕には姉さんがいる。
通いたい大学があり、その先に何を望むかはまだ霧の中だけど、きっと何かあるはずで、それを見つけたときのことを思うと胸が高鳴るではないか。
この人生のどこに、死の影がある?
確率なんか病院や研究所に置いておけばいい。
僕は、今も、これからも、生きていく。

つい話し込んでいるうちに、恋待先生の休憩時間が終わってしまって、一緒にご飯を食べに行くことができなくなった。
「いいよ。そこらで弁当買って帰るから。」
またねと手を振って帰っていく先生をルナソルに居残って見送った僕は、聞いたばかりの情報を整理し始めた。
すると、さっきまで恋待先生が座っていた椅子に、姉さんがコトンと腰かけた。
「いいの?」
尋ねる僕に、すでにエプロンをはずした姉さんは、
「うん。休憩だから。」
と、元気なく答えた。
「あれ?どうした?なんか元気ないね。」
「そう?いつもと変わらないよ。」
それだけ言うと姉さんは、僕の前に置いてあった水をとって飲み干した。
「なんだよ。自分のグラス、持ってこいよ。」
「いいの。めんどくさい。」

僕は気付かなかった。
僕にとって生きるのは当たり前、生存率なんて意味はないけれど、姉さんにとっては違うってこと。
自分に残された最後の家族が5年後までにいなくなる確率は2割。
その日、僕が病気の克服を当たり前のように思ったのと正反対に、姉さんには改めて家族を失う可能性を宣告されたのと同様になったのだ。
疲れを見せるたび、熱を出すたびに、この子は死んでしまうのでは?と思わなければならない5年間。
その心配は5年が無事過ぎても、終わらない。
再発するのではないか、発見が遅れたらどうしようと心配し続ける人生。
でも、その心配を僕に覚らせてはならない。
姉さんはあの時、まだ23歳だった。
姉さんがひとりで背負うには重たすぎる荷物だった。
けれど、若い姉さんよりももっと幼かった僕は、姉さんのそんな気持ちに気付きもしなかったのだ。






人気ブログランキングへ