もう一人の花見客がもう来ていると言われて、僕は向かい側左斜めの、皿と御猪口が並んだ場所を凝視した。
誰も、いないよな?

何を言っているんですかと開きかけた口が開く前に、隣に座っていた徳さんが、僕の腕を引いた。
何も言うなという目で僕を見ている。
何だというのか?
風が吹いて、たわわに咲いた八重桜の枝がゆらりゆらりと動いた。

「今年で20年だね。」
元さんが呟くように言った。
「ああ。20年だ。長いような、あっという間のような。」 
宮田先生が遠い声で答えた。

長さんが、僕に目で言う。
何のことですかと尋ねてやれ。それが、お前が今夜ここにいる理由だからね。
「20年って何のことですか?」
「……私の妻は寿を加えると書いて加寿(かず)と言ってね。若くして亡くなったんだよ。」
「それが、20年前…。」
「そうだ。加寿さんはこの桜が咲くのを楽しみにしていたのに、見せてやることができなかった。だから、毎年こうしてみんなが花見の会を開いてくれて、加寿さんと一緒に夜桜見物をするんだよ。」

加寿さん。
宮田先生がそう呼ぶ時の声が、患者さんを呼ぶのとはまた違ったやさしさに満ちている。
「どんな方だったのですか?」
「まぁ、それはいいから、ママの手料理をいただこうじゃないか。」
宮田先生は自分からお重のおかずに手を伸ばす。
「ああ、これはうまそうだ。」

ゆかりさんが、加寿さんの席の御猪口に手を伸ばし、バッグから出した小さなビン詰の隣に置いた。
ゆかりさんは小瓶のふたを慎重に開けると、竹でできた小さなピンセットのようなもので、何かをそっとつまみ出した。
「なんですかそれ?」
「これ?これはね、去年この八重桜の花を摘んで塩漬けにしておいたものよ。」
一輪を小さな御猪口の中に入れると、魔法瓶から湯を注ぐ。
僕がのぞき込む目の前で、御猪口の中に桜色の花が咲いた。

ゆかりさんがそれを宮田先生に手渡す。
「加寿さん、ほら、ママがいれてくれたよ。」
ことりと、隣に置いた。

「加寿さんはね、看護婦だったんだ。
私は医師になってからしばらくは、大学病院に勤めていてね。
忙しくて忙しくて、恋愛だの結婚だの、考えようもない毎日を送っていたんだ。
若かったから志も高くて、離島医療に携わろうと、教授たちが引き止めるのも聞かず、ある時ひとりでここを出た。
宮田医院にはおやじがいたし、医局がどうの、教授がどうのという毎日より、医者として本当に大切なものを大事にしたいなんて本気で思って。」

僕は、宮田先生らしいなぁと思った。
「それでも40近かったからね、自分としては一世一代の決心だよ。
そうやって南の島に移住して間もなく、加寿さんから連絡が来た。
なんと、私と一緒に島の診療をしてくれるという。
すでに大学病院もやめてしまったって言うんだ。
彼女は腕のいい婦長さんだったから、病院は、私が抜けたことより何倍も痛かったと思う。」

僕たちはみな笑ってしまう。
「潔かったよ。彼女は鞄ひとつでやってきて、あっという間に僕の公私分かちがたいパートナーになった。
島の暮らしは、今思い出しても幸せだった。
内科だ外科だと文句も言えない。
赤ん坊を取り上げた翌日に、長老を看取るような日々だったが、満足だった。
大学病院では感じたことがない充実感を私も加寿さんも味わっていたんだな。」

若いとはいいがたい若夫婦が、助け合って島の人々に尽くしている姿の映像が僕の頭に浮かんできた。
二人で波の音を聞き、潮の香りを吸い込み、輝く夕焼けを眺めたことだろう。
「それでも、加寿さんは勉強をやめなかった。
僕が日々の診療にかこつけて、最新の医療から遠ざかるのを諌めてくれた。
だから、僕たちは折々に1週間ほど、大学病院からドクターに来てもらう代わりに、学会と旅行を兼ねてでかけるのを楽しみにしていたんだ。
東京まで来ることはあまり多くなかったが、その分、海外にも出かけたよ。
加寿さんは、文句も言わずにどこへでも一緒に行ってくれた。
今思えば、体調が悪い日も、都合が悪いこともあったのだろうに、そんなことは一度も言わなかった。
私が、加寿さんも一緒の方が喜ぶことを、よくよく分かってくれていたんだなぁ。」

こういうのを「おのろけ」というのだろうが、からかう気にはなれない。
本当に仲の良い夫婦だったのだろう。
「南の島でも桜は咲くが、種類が違ってね。
僕はよく、この八重桜のことを加寿さんに話して聞かせたもんだ。
物心ついた時から見てきた桜だからね。
僕にとって桜といえばこの木だ。
加寿さんは、いつか見てみたいといつも言ってくれたよ。
不思議と、桜の季節にこちらで学会がなくてね。」

先生が、ふと口を噤む。
また風がふわりと吹いて、枝を揺らした。
誰も話さず、先生をせかしもしない。
先生は、ゆかりさんが先生用にと作った桜湯をそっと口に含んだ。

「あの年、丁度桜の咲く頃に、ちょっとした集まりがあった。
是非にと言われて、私は参加することにし、当然加寿さんも一緒に上京することになった。
加寿さんにはその頃、ちょっと具合の悪いことがあってね。
上京に合わせて、私が勤めていた大学病院で、ちょっとした手術を受けることにしたんだ。
本当にちょっとしたもので、今なら日帰りできる程度、当時でも、一泊でいいようなものだった。
でも…。」

暗がりの中でも、先生の目がうるみかかるのが見えるような気がする。
「手術は無事に済んだ。
私は電話でそれを確認して、安心して、集まった仲間と晩飯を食ってから病院に行くことにしたんだ。
でも、病院に着いた時、加寿さんはもう、この世の人ではなくなっていたんだ。」

「ど、どうして!」
僕の声は大きすぎたかもしれない。
でも、そんなことは構っていられなかった。
「敗血症だったんだ。」
「敗血症?」
「ああ。難しい手術だったら、もっと術後観察をしっかりしたろう。
でも、朝いちばんにサッと終わったような簡単な手術だったから、異変に気付くのが遅れたんだ。
気付いた時にはもう、手の施しようがないほど悪化した後だった…。そこからは…あっという間のことだったのだそうだ。携帯電話なんか持っていなかったからね。」

「それって、医療過誤ってやつですよね?訴えなかったんですか?!」
「訴えてどうなる。金か?加寿さんのいた暮らしをいったいいくらと言えばいい?罰か?執刀医は、私の大事な友であり、仲間だったんだぞ。」
僕は何も言えなかった。

「東京で葬儀を済ませて、私は加寿さんの遺骨を抱えたまま、島に戻った。
島の温かな人々と気候が私を元気にしてくれると信じていた。
仕事に没頭すれば、心の痛みも忘れられるんじゃないかとね。
でも、だめだった。
島のどこにも、加寿さんの思い出が住んでいて、私は身の置き所がなかった。
そんな時に、おやじが帰ってきてこの医院を手伝ってくれと言ってきたんだ。
渡りに舟ってやつだな。
私はここに戻り、両親のもとで心の穴を埋めることにした。」

その頃の先生の気持ちを思うと、わがことのように心が痛んだ。
「その時に戻って正解だったんだよ。お袋もおやじも、相次いで亡くなってな。
私はひとりになった。
1年で、身内を3人見送ったわけだ。」

隣でゆかりさんがため息をついた。
「次の春が来て、この庭を見たとき、私は思い出したんだ。
手術の前の晩、ここを宿代わりにしていた私たちは、この庭を見て話したんだ。
まだつぼみばかりだけれど、帰るころには満開になるだろう。
そうしたらこの木の下にシートを敷いて、おやじもお袋も一緒に花見をしようって。
加寿さんはものすごく嬉しそうな顔をして、言ったんだ。
楽しみだわ、入院って一晩でもヒマだから、どんなごちそうを作るか考えておくわねって。
なのに、見せてやれなかった。
この桜、見たかっただろうに。
一緒に、見たかったのに。」

突然僕の瞼の上の方がジンと痛んで、次の瞬間に自分でも驚くほど大粒の涙がボロボロと零れ落ちた。
びっくりして吸った息がウウッと嗚咽になる。
「なんだ、穂高くん、泣いてくれるのか?」
僕には分からない。
この涙は、本当に僕が泣いているのだろうか。
もしかしたら、僕の目を借りて、誰か本当に泣きたい人が泣いているのかもしれない。

「ありがとう、穂高くん。」
宮田先生が幼子にするように、テーブル越しに腕を伸ばして僕の頭を撫でる。
「それからよ。私たち、加寿さんをお招きして、毎年ここでお花見の会をすることにしたの。」
「そう、でしたか…。」
長さんが店の名前が入った白いタオルを貸してくれ、僕は涙をゴシゴシ拭った。

ゆかりさんがみんなの御猪口を集めて、桜湯を作る。
それをひとり一人受け取り、加寿さんの席に向かって小さく掲げて乾杯した。
加寿さんの桜湯も、大輪の桜がたっぷりの湯の中で花開いているのが見える。

お重のごちそうがなくなるまで花の宴は続いた。
「さてさて、長話をしていたら、すっかり体が冷えてしまったよ。
そろそろお開きにしようか。
大事なママに風邪をひかせては大変だからね。」
宮田先生の言葉を契機に、みなテーブルの上を片付けにかかった。

使い終えた皿や御猪口を集めようして、僕は息が止まった。
さっき加寿さんのためにゆかりさんが入れた桜湯の御猪口に、こぼれんばかりに入っていたお湯が全くなくなっている。
御猪口の位置は置いた時のまま、少しも動いていないようだ。
なのに、中には水分を失ってすっかりしぼんだ桜が小さく横たわっているだけだ。
誰もこの御猪口に手を出していなかったはずだが…

「お粗末さまでした。今年も花をいくつか、摘ませていただきますね。」
誰に言うともないゆかりさんの小さな声が、背後から聞こえてきた。






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