「それにしても、見事だったなぁ。」
山梨へ花見に出かけた我々は、まだ日も高いうちに帰路についた。
「2000年って、どれだけだか。
数字ではわかるけど、実感が湧かないわ。
なのに、なんとも神々しいのだけは伝わってくる。」

神代桜は、日本三大桜に数えられている銘木だそうだ。
無知な僕はいきなりその前に立ち、言葉を失ってしまった。
木と言うには大きく形を崩して、あちらこちらかから支えられている。
2000年の重みに耐えかねているかに見える幹とは裏腹に、花はあくまで初々しく、それが満開に咲き揺れている。
周囲に咲く桜たちも見事だが、この1本の存在感は他を圧倒してやまない。
そうして、この神代から咲く桜をぐるりと囲んで見上げる人のなんと多いことか!
今年は開花が少し遅れたそうで、都会の桜がすっかり終わった分、もう一度花見をしたい人々を呼んだのだろうか。

「僕が研究してきた『源氏物語』の平安時代でさえ、1200年前ですから、紫式部や清少納言の時代ですでにあの木は800年の古木だったのですよね…。すごいなぁ。在原業平は見なかったのかな。西行法師は…。いや、行基さんなら見たろうか。」
僕の頭の中は、悠久の歴史に湧きたっていた。
古典の中の登場人物と思っていた人々と同じものを、今日、僕は見てきたのかもしれない。

「穂高くんはすっかり学者先生の頭に戻ったようだ。」
宮田医院の先生がくすくすと笑う。
「いいですよ。自分が大切だと思うものは安易に捨ててはいけない。」
「すみません、なんだか本当に感動してしまって。」
「いやいや、小僧でなくても感動した。毎年見に行けばよかったと思ったよ。」
元さんもハンドルを握りながら心を熱くしていたようだ。

毎年の花見では、こうして都会を離れて評判の桜を見て、評判のよい店を尋ねて昼食にするのだそうだ。
今日は山梨だから「ほうとう」と来るのかと思ったら、蕎麦だった。
変わり蕎麦というらしい。
そば粉の多い黒い蕎麦と、柚子が香る柚子蕎麦と、愛らしいピンク色の桜蕎麦が小さなせいろに並んでいる。
添えられた天ぷらはサクサクとして、エビのプリプリとした感触と、衣の奥からわきたった舞茸の香り高さがたまらなかった。

それにしても、あの桜。
青空とのコントラストが…
いや違う。
対比ではなくて、調和だ…

などと考えているうちに、僕はまた寝入ったらしい。
「ほらほら、起きて!着いたわよ。」
「まったく、若いやつってのはよく寝るもんだ!」
元さんに言われて、僕は頭を掻くしかない。
車はいつの間にか小紫の前についていた。

「じゃママ、また後でな。」
口々に送られて、車を降りる。
腕時計を見ると、まだ16時だった。
元さんの車はほかの人を乗せて走り去り、店の前に立った僕は意味が分からない。
「また後でって、何ですか?」
ゆかりさんは店のカギを開けながら、あら言っていなかった?という顔で答えた。
「山梨は前座ね。真打は夜桜だから。」
「夜桜!へぇ。そうなんですか。」
僕は、胸をときめかせている自分にちょっと戸惑ってしまった。

桜は、本当に大好きだ。
僕の出産予定日は5月だったらしい。
それが、ひと月早く、4月に生まれた。
つまり、この間誕生日を迎えて、26歳になったところなのだ。
僕はそれを、どうしても桜が見たくて、母さんの腹から飛び出てしまったのだと思っている。
僕の故郷の桜は、丁度僕の誕生日頃に咲き始める。
桜が好きで好きでたまらない遺伝子か記憶かが、僕の中にあったのだろう。

それでも、これほどときめいたことはなかった。
今まで見た桜と何が違うのだろう?
一休みしていなさいと言われて、お茶を入れてもらい、熱い湯呑を指でつつきながら、僕はまた、今日見た桜の威容を思い出していた。
ゆかりさんは、ちょっとだけお昼寝するわねと言って、部屋へ引き取っていった。


「そろそろでかけましょうか。」
ゆかりさんに言われて立ち上がる。
あと少しで18時。
あたりは暮れかかり、刻々と夜が近づいている。
「これ、持ってね。」
「ああ、そういうことでしたか!」

今朝一生懸命に作ったお重弁当の出番は夜だったのか!
乾燥しないように、傷まないようにと丁寧にラップをかけていた意味がようやくわかった。
「魔法瓶」の熱湯も、なみなみと注いだから冷めてはいないだろう。
店を出て歩き出したゆかりさんの後に続く。
お弁当の重いこと重いこと!
どこへ行くのか教えてくれないので、しかたなく、お弁当の安全第一についていくと、ゆかりさんは宮田医院に入っていく。

「おお、来た来た!」
庭に回り込むと、すでに元さん、徳さん、長さんがやってきていて、大きなブルーシートを敷いた上に、布団を敷きまわしてコタツを置き、野外お座敷ができていた。
「うぉぉ!」
僕が歓声を上げると、面々は自慢顔にゆかりさんを座らせる。
「腰が冷えてはいけないから、ここにね、こうして。」
いかにも暖かそうな毛布も用意してある。
このおじいさんたちの、ゆかりママにかける思いの深さに、今更ながら驚いた。

宮田先生の庭には、大きな桜の木が1本住んでいた。
ソメイヨシノではない。
艶やかな八重桜だ。
八重桜はソメイヨシノよりも遅く咲く。
ああ、この花の盛りに合わせた花見だから、世間の花見よりも遅かったのかと、このときになってようやく合点がいった。

樹齢はどれほどなのだろう。
100年やそこらは経っていそうだ。
がっしりとした幹は2階の屋根と同じほどの高さになっている。
枝が大きく張り出していて、大きな花の重みにゆらゆらと揺れている様が、外の街灯に照らされて、神秘的にすら見える。

家の中から延長コードを引っ張って、コタツが温かくなっているから、夜気に冷えてきた空気も身に染みるというほどではない。
このコードといい、ブルーシートといい、元さんの仕事道具なのだろうが、粋な使い方だと思う。
その元さんはとみると、僕が抱えてきたお重だの、宮田先生の台所から出てきた箸や皿をせっせと並べている。

「あっちっち。ほら、できたできた!」
先生がお燗を小走りに持って出て、準備は整った。
「じゃ、今年も満開の桜に、乾杯!」

「あれ?」
僕はその時になって気付いた。
「先生の隣に、もう一人分、お皿が置いてありますね。ほかにどなたか見えるんですか?」
気軽に聞いたのだが、場の空気が変わったことに、僕はハッとした。
「穂高、もう来ていらっしゃるわ。」
「えっ?」





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