重たい扉を開けてロイヤルボックスに入ってみると、快適に空調が効いていて、いつの間にか汗ばんだ肌に乾いた空気が心地よく感じる。
見回すまでもなく、興奮した面持ちの花恋が待っていた。
「スミレ先生!」
スミレに気付くと駆け寄ってきて、腰のあたりに抱きついた。
「花恋さん?」
驚いて見下ろすスミレに、安住が微笑みながら近づいてきた。

「では、こちらは先に失礼します。」
不意に離れたところから声がかかり、安住は身体の向きを変え、そちらへ歩いていく。
何事か囁き合うと、先方を見送るかたちになった。
「花恋ちゃん、またね!」
見るからに武道をたしなみそうな体格の男性集団に囲まれた少年が、軽く手を振った。
場違いなスーツ姿の男性たちは、かっちり着こんだ上着の前を開け、一様に小さなイヤホンをして、あちらこちらに鋭く目配りをしている。

「またね!」
花恋はスミレに抱きついたまま手を振る。

「あの子、どこかで見たような気が…。」
スミレがつぶやくと、花恋が、ああ、そんなこと?といった調子で教えてくれた。
「ヒサヒト君のこと?観たいとおっしゃるからご招待したの。小さい時からお友達。今日はお忍びだから先生も内緒にしてね。」
ヒサヒト君て…あの、皇位継承権第3位の親王のことか??
そういえば、テレビで見たような気がしてきた。
オトモダチなのね…と、またまた別世界を覗いた気がしてくらくらしていると、
「それより、スミレ先生!私、感激しました。」
と、花恋が現実に引き戻してくれた。

「はい。感動しましたね。ジュン君、私たちのお隣に座っていたんですよ。見えていましたか?」
「見えていました。滝沢選手のお話も、本当に感動しました。」
スミレも深く頷くと、花恋は嬉しそうに、さらに力を入れてしがみついてきた。
「先生、あのね、試合の前に、谷川さんがこちらに来て、お話しをしてくれたの。」
谷川さんとは、ゴールキーパーのことにちがいない。
選手を代表してVIPに挨拶に来たのだろう。

「その時に私、お聞きしたの。どうして日本代表は最近強くなったのですかって。」
「まぁ!」
なんと聞きにくいことを堂々と!
「そうしたら、谷川さんが教えてくださいましたの。
滝沢が、チームを変えてくれたのですって。
私、また聞いたの。どうやって?って。」
「ええ、どうしたのですって?」

花恋から聞いたことから察するに、滝沢が仲間たちに伝えたのはこういうことのようだった。

今できること、大事だと思っていることが、それぞれ違っているのは当然だ。
みんな違う環境、違うポジションで、違うことを考えてきたのだから。
でも、いつまでも、それぞれが今信じていることだけをぶつけ合っても、気持ちは一致しないし、チームも強くならない。
では、どうしたらいいのか。

あとひとつ、新しいことができないだろうか。
チームを強くし、勝利を確実に手にするために、それぞれがあとひとつずつ、今までしてこなかったことをやってみるのはどうだろう。
俺たちは何万といるサッカー選手の頂点に立ち、その代表として選ばれた。
時間がないとか、経験がないとか言って、敵も研究しつくしたようなやり方でしか勝負できないチームで満足していていいのか。
俺は、嫌だ。

今いる場所から一歩ずつ、誰もが望んでいる目標に向かって歩み寄ろう。
そのために、敵も想像していない、何か新しいことをひとりひとつずつ始めよう。
誰かだけが譲るのでもなく、誰かだけが頑張るのでもない。
全員で、一斉にやろう。
そして、今までになかった、新しいチームを俺たちの手で生み出そう!

そう言って、アグレッシブなミッドフィルダーとして有名な滝沢が、裏をとられた時に自分が守備に戻ることを約束した。
実際、次の試合から、もともと運動量が多い滝沢だったが、さらに倍増して、攻撃性はそのままに、折に触れ必死の守備を見せるようになった。
その姿が、チームを変えていったのだ。

スミレは、そういうことだったのかと、また感動した。
その結晶が今日の試合だったのだろう。
ディフェンスラインが今までになく高かったのも、清水がセットプレーを蹴らなかったのも、あの真壁がおとりになって敵をひきつけ、味方にスペースを作る動きを再三していたのも、この話から出たことだったのか!

「夢に向かって行動するって、そういうことだったのですね。
自分だけであれこれ考えることではなくて、まわりの人も一緒に、問題から逃げずに行動することだったんだわ!
私、先にお話しを伺っていたから、試合を見て、滝沢さんのお話も聞いて、それがとてもよくわかりました。」
花恋の思いが、まっすぐに伝わってきた。

外の歓声がひと際高くなったので、スミレは花恋とともにガラス際へ行ってみた。
日本代表のみんなが丁度、応援席下を半周まわったあたりにいる。
そこへむかって、走っていく人たちがいる。
先ほど試合を終えた、相手チームの面々だった。

気付いた日本代表たちが待ち受ける。
大きな祝福を受けているのは、やはり滝沢だ。
「ああ、あの背の高い選手は、確か滝沢とドイツでチームメイトですよ。」
スミレが言うと、花恋は頷いた。
「サッカーは、素敵ね。」

先ほどまで激しく競り合った同士が、今は肩を組み、談笑しながら共に歩いている。
花恋は手すりを握りしめて、その様子を見つめていた。






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