「ルー、どうした?」
君の声が聞こえる。
「ねえ、どうしたのよ。」
かなり、慌てているね。パタパタとスリッパの音が近づいてきた。
「さっきまで元気にテレビ見てたじゃない?なに?大丈夫?」

そうだった。
どこかの温泉にサルが何匹も入っているところを見ていたのだった。
今度冬が来たら、君と行ってみたいなと思ったりしていた。 
そうしたら、急に胸のあたりが苦しくなって、息ができなくなったのだ。
君を呼ぼうとしたけれど、声が出なかった。
いとおしい君の背中が視界の中でだんだんぼやけて、とうとう見えなくなった。
今はもう、目をあけることもできない。

「ルーってば!」
君の手が、僕の背中をさする。
それから、僕の鼻のあたりに耳を寄せてきた。
僕は不意に自由になって、そんな君の姿を天井から見下ろした。
君の白い手の中に、ぐったりと頬を埋めているのは僕に違いない。
そうか、僕は、死んでしまったのか。

「ルー、ルー!息をしていないじゃない!なに?どうして!?きゃーっ!!」
君の悲痛な叫び声が部屋いっぱいに響く。
ごめんよ。そんなに悲しませて。
君は体ごと僕を抱きしめ、ボロボロと涙をこぼしている。
ああ、これ、心臓マッサージだね。
痛いなぁ。
骨が砕けてしまいそうだ。
頼むから、諦めて。もう、僕は戻れない。 
ごめん。ほんとうに、ごめん。

ずっと長く君を支えていくつもりでいたんだよ。
君ときたら不器用で、あちらこちらで辛い目に遭うから、僕が君の心の支えになってやらなくちゃって思っていた。
まさか、こんなに早く、こんなに突然、君と別れる日がくるなんて思いもしなかったんだよ。

君が泣きながらケータイを掴んだ。
どこにかける?まさか救急車じゃないだろうね。
違うらしい。よかった!
 
なら、理奈ちゃんだろうか。
まだ朝早いよ。理奈ちゃんはバイトが遅いから、寝ている時間だよ。
迷惑かけちゃだめだよって僕の声は、君にはもう届かないんだね。
ほら、やっぱり出ない。
いいんだ。それでいい。 
もう一回かけようなんて、思っちゃだめだよ。
どのみち、僕はもう生き返らない。 

君とは何年こうして暮らしたのだろう。
君は本当に僕を愛してくれたね。
僕は、君の笑顔も泣き顔も、怒った顔まで好きでした。
それから、寝顔のかわいいこと!
きっと君の心が純真だから、いつもあんなかわいい顔をして眠るんだろうね。

君の細くて白い指も、黒くて長い髪も、本当に好きだった。
君と一緒に食べるご飯のおいしさにくらべたら、ひとりで食べるご飯なんか、食べなくてもいいと思ったくらいだったんだ。
君はいつも、なんでも僕に話してくれた。
僕がどれほど嬉しかったか、君はちゃんと分かってた?

僕は自信を持って言えるよ。
君がどんなに僕を好きでも、僕が君を愛する気持ちの大きさに比べたら、きっと煮干しとクジラくらいに違う。 
だけど、君の思いが煮干しなら、僕は煮干しも大好きだ。 

君は男運がないくせに移り気だから、好きになるヤツはどれもろくな男じゃなかった。
結局いつも辛い思いをして、君は僕の元へ帰ってきたね。
どうして僕だけのものになってくれないのか、僕がどれほど寂しかったかなんて気にもかけないで。
でも、君を僕以上に幸せにしてくれる男がいるなら、でしゃばっちゃいけないと自制していたんだ。
それでもどうしても気に入らないヤツの時は、こっそり嫌がらせもしたんだけどね。

もう、立ち上がる気力もなくしてしまったんだね。
お願いだから、そんなに悲しまないで。
簡単に気持ちを切り替えられても、それはそれで寂しいけれどさ、そんなに悲しまれると、先に死んだ自分が許せなくなる。

またケータイ?
今度はどこにかけるの?
「総務部をお願いします。」
あ、会社か。
おいおい、大丈夫か?
僕のことは、決して、決して言ってはいけないよ。

「申し訳ありません。今日はお休みさせてください。すみません。」
そんな泣き声で言ったら、相手がびっくりするだろう?
いいかい?理由を聞かれたら、体調が悪いって言うんだよ。
間違っても僕のことを言ってはいけない。
そんなことをしたら、信用をなくすどころか、職を失うよ!
「すみません。今日は、無理です。ルーが…」
ほら、だめだと言ったろう!黙れ、もう言うな!

「ルーが死んでしまったんです。ルーがぁ!」
ああ、なんてことを。
「な、そんな。そんなひどいこと、言わないでください!」
ひどくないよ。
相手が言うほうが常識と言うものだ。
僕のことはいいから、どうか…

「ルーはペットじゃありません!猫だけど、猫だけど、私のたったひとりの家族なんです!」

ああ、とうとう言ってしまったね。
しかも、それだけ言って、電話を切ってしまうなんて。
大変なことになってしまった。
どうしよう。 
クビにならないまでも、次に出社したら、君はきっと白い目で見られてしまう。
また辛くなる。
そうして、また泣くんだね。
その時、君はいったい誰に泣き言を言うんだろう。
僕がいなくなったこの部屋で、ひとりで膝を抱えて、ひとりで泣くの? 

やっぱり、君をおいて先に逝くなんてできないよ。
心配で、心配で、たまらない。
君はこれから誰を抱いて愚痴をこぼすの?どこでほっと一息つくの?
僕がいなくちゃ、君はどうにかなってしまうだろう。

だから、決めたよ。
僕はこの部屋で、ずっとこのまま、君をずっと、ずうっと見守っている。

ルー


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