「あの…どうして私立ではなく、公立なんですか?私たちの小学校はこれといって特徴のない、ごく普通の小学校です。まぁ、地域柄というか、落ち着いた雰囲気ではありますが…。」
スミレのみならず、校長も同僚たちもみな気にかけていた点だった。
それがまさか、私がいたからという理由ではたまらない。
しかし、先ほどの話によると、どうも私のこと以前に決まっていたようだけれど…。

「祖母が帰国して、私たちにくり返し話してくれたことに、本当の幸せとは…というものがありましたの。」
花亜よりもおっとりとした話し方で、よりたおやかな声だった。
花音はゆっくりと姿勢を正しながら、花亜の後を次いだ。
「食べるものにも事欠くような貧しい暮らしでも、母親たちは幼子を抱いて、懸命に世話をします。それが、当たり前のこととして行われていたと、祖母は言うのです。」

スミレには、花音が言うことがよくわからなかった。
母親が幼子を抱いて世話をするのは当たり前のことで、それがなぜ話題になり、本当の幸せにつながるのか想像もつかなかった。
「少し年上の子どもたちは、どうやって家族のためになろうかと思案し、ある子どもは学校で一生懸命に学び、ある子どもは仕事に出る。そうやって、早くから家族の幸せのために貢献するのだそうです。」

児童労働については、きわめて深刻な問題として、大学で習ったことがあった。
例えば、サッカーボールの8割ほどはアジアで生産されており、手縫いされている多くが、インドやパキスタンの児童による手縫いであったことはよく知られている。
児童労働の結果作られたサッカーボールがワールドカップの公式球になったことで、一斉に知られることとなったこの問題は、雇用側が不買運動などを恐れて児童を解雇したところ、収入源を失った児童がストリートチルドレンとなったり、売春行為に走ったりした報告もあり、単純な問題ではないことが大学生のスミレでも容易に理解できたものだった。

そもそも、教育か労働かと選ぼうとしても、教育機関がなかったり、労働するしかないほど困窮していたりする場合もあろう。確かに、家族のために貢献していることに違いはないが…。
「祖母が深く感じ入ったのは、わずか5歳の子供が労働力として酷使されているという点ではありませんでした。わずか5歳の子供でも、家族の幸せのために貢献しているという自負を持っているという点でした。」

「人の幸せの基準は様々ですから、他人が何を幸せ・不幸せと決めつけるのはおかしなことですが…。」
花亜だった。
「人々は、この松重の家に生まれたと言うと、それはお幸せねとおっしゃる。もちろん否定はしないけれど、少なくとも私にとって、この家の者として暮らし続けるのは、幸せなことではなかったの。」
「それで、家を出て、ご主人と出会ったのですか?」
「まぁ、そういうことです。」

「いったい、何が不足だったんですか?」
スミレは率直過ぎるかと思いながら、素直な疑問を投げかけた。
すると、花亜は花音とすこし顔を見合わせてから、静かに答えた。
「自由、かしら。」
「自由??どういうことですか?私たちとちがって、やりたいことは何でもできるし、行きたい所へもいつでもどこへでも行けるじゃありませんか!」

「ええ。そういう点ではそうかもしれません。でもね、それは、見方を変えれば、我が家の何もかもに、お金が関連しているということでもあるの。」
「おっしゃっている意味がよくわからないのですが…。」
「例えばね、さきほど弓子がお茶をいれてくれたけれど、それは当たり前のことではなくて、弓子がこの家のハウスキーパーとして雇われているからしていることなの。契約があるから、してもらっていることなの。」
「契約があれば、するのは当然ではありませんか?」
「では、あなたはおじい様にお茶を淹れてあげませんか?」

もちろん、そんなことはない。
祖父はお茶も珈琲も好きなので、スミレは祖父の休憩に合わせて飲み物を用意するのが当然のことだった。
なるほど、言われてみれば、お茶を淹れたからと言って給料をもらったこともお小遣いをもらったこともない。

「おじい様があなたのご飯を作ってくれたからと言って、あなたはお金を払ったりはしないでしょう?」
「そんなこと、考えたこともなかったわ!」
「でもね、花音も花恋も、お屋敷の料理を担当している中野というコックが作った料理を食べているけれど、中野も私たちが雇った料理人なの。」
「そうか、お給料を払って、やってもらっているということですね。」
「ええ、そうです。彼らは、もらった給料分だけ働けばよいはずですが、皆が皆そろって、給料以上によくしてくれるのです。だから、松重の者たちは、彼らにしてもらうことすべてに感謝して、受け取っています。」

スミレはようやく、安住氏が「花音さまは何事にも『ありがとう』とおっしゃる」と言った意味がわかりかけてきた。






もうひとつのエッセイブログ『ゆるるか』不定期に更新中!



人気ブログランキングへ