歩いていた小道が不意に木立を抜けた。
眼前に広がる光景を見て、スミレはただ息を飲んだ。
なんだ、これは!?
ここは、本当に、東京か?
そこには視界に入りきらないほど大きなお屋敷が建っていた。
博物館のような建て物の前には、女神を模したと思われる石の彫刻を配した大きな噴水があり、その脇では孔雀のオスが大きく尾羽を広げ、悠々としているではないか。
まるで時間までが違う流れをしているようだった。

「私は観念して、花音さまについていくことにしました。
花音さまが学ばれることは何でも一緒に、そのほかに、経営を…大きな家の経営を学びました。
留学先はイギリスでしたから、私が知りたかったことはいくらでも学ぶことができました。

そうしているうちに、私は気付いたのです。
それまでの2年と少しの間、私は松重の皆さまのおそばにいながら、そのお考えやお暮らしの深いところまでは知ろうともしていませんでした。
ただ、苦労のない、楽しいだけの時間を満喫しているものとばかり思っていたのです。

でも、花音さまのおそばで、その考え方や時間の使い方をよくよく知るにつれ、それはとんでもない勘違いであったと思い知らされました。」

孔雀の脇を通り、噴水をまわりこんでも、正面の階段の上に見える玄関まではまだ間があった。
安住氏の目は、まっすぐにお屋敷を見つめている。

「花音さまは、ありとあらゆることを学んでおられました。
人は誰でも、最初から上手にできることはないのですね。
それは花音さまとて同じことでした。
けれど、花音さまは失敗やおできにならないことを少しも恥とは思われませんでした。

その点、私はまったく逆でした。
うまく話せないことを恥じて、人前で英語を話そうとしませんでした。
見苦しいのを恐れて、ダンスなどもってのほかと、習おうともせず、懸命にレッスンを受けられる花音さまをただ見ていただけでした。

その差は、数週間、数ヶ月のうちに歴然とするのです。
花音さまはメキメキと上達なさり、私は依然として何もできないままなのです。
始めなければ、できないことを認める苦痛を味わうことはありません。
けれど、できる喜びを味わう日もまた来ないのですね。
花音さまは常に、できない自分を認めつつ、今できることを懸命に積み重ねておられました。
だからこそ、私が味わえなかった喜びを味わう資格をお持ちになったのです。

中には、花音さまがいくら努力しても上達しないものもありました。
そんな時にも、花音さまは悔しそうになさりながらも、いつも微笑まれて、では、他のことをしてみましょうとおっしゃるのです。
そうやって、できないことを恐れて逃げることをせず、できないと分かってしがみつくこともなく、花音さまはご自身を詳しく知りつつ、大きく成長なさいました。

そんなお方のそばにあって、私はいつまでも何もできないまま、自分を知ることもなくいることはできませんでした。
私もとうとう、花音さまをみならって、失敗することより逃げることの方に恥を感じるようになったのです。
そうなってみて、私はさらに深く、花音さまのおっしゃっていたことを理解しました。
本当は、花音さまよりも私の方がずっと苦労が少なく、恵まれていたのです!」







もうひとつのエッセイブログ『ゆるるか』不定期に更新中!



人気ブログランキングへ