「言い返したのですか?なんと?」
「はい。『あなたは何もかもに恵まれているから、私の苦労など理解できるはずもない』と。」
「それはそうですよね。こんな広い敷地に住んで、料理人に庭師に運転手?そんな暮らしをしている人に、庶民の気持ちなんか分かるはずもないわ。まして、庶民の苦しみなんか!」

スミレは、自分が育った環境や経験を、かなり特異なものと思っていた。
別に隠すつもりはないから、必要があれば、昨日校長に話したように話題にするけれど、自分から積極的に披露する気にはなれない。
なぜだかは分からない。
けれども、話したところで誰も分かってくれないだろうと思う。
誰かに分かってほしいのか?というと、迷いがある。
迷いはあるが、「分かりますよ」と簡単に言われたら、たまらなく腹がたつに違いない。
だから、きっと安住さんも同じだろうと思ったのだ。

「ですが、花音さまは静かにこうおっしゃいました。
『恵まれた者は苦労しないなどと、恵まれたことがないと思っているあなたに、どうしてわかるの?』
これには、返す言葉がありませんでした。
悔し紛れに、私は問いました。
そんなどうしようもない私のどこがお気に召して、お屋敷に置いてくださったのですか?と。
ずっと、疑問に思っていたことでした。
すると、花音さまは、私の疑問を簡単に解いてくださいました。」

安住さんは俳優張りの男前だ。
だから、きっと姿が美しかったからだろうと、スミレは思った。
それ以外に、一瞬のうちに相手とつながっていようと決心する理由がスミレには思いつかなかったからだ。
人と付き合うのはスミレにとって、いつもどこか疲れる一大事業のように感じられた。
例の、言葉にできない不安は、ひとりでいれば感じないでいられる。
自分は人と交わることに向いていないと思う、大きな理由のひとつだった。
一見優しそうに見える人も、付き合ってみればそうでもないものだ。
親切だと思った人も、その親切は長くは続かない。
人々は、あっという間にスミレを落胆させてきた。
だから、深く知らない方がいいのだ。
関わりすぎるのは痛みしか生まない。 
男も、女も、淡く、当たり障りのない範囲で付き合うのがよいのだとスミレは信じている。
だから、男性はとくに、見た目が美しい人を眺めているのが一番だと、スミレは内心いつも思っていたのだった。

それでも、それを口に出すほど未熟ではなくなっていた。
黙って続きに耳を傾けていると、安住氏は意外なことを言った。
「花音さまは、私が言ったことを注意深く聞いていてくださったのです。」
「言ったこと?」
「はい。私は確かに、花音さまに言ったのです。僕に仕事をください、と。花音さまはそれをしっかりと聞いてくださっていました。」
「それが、何か…?」

安住氏は深い笑顔を浮かべた。
「ええ。『あなたはあの時、お金をくれと言わず、仕事をくれと言いましたね。私はそれが気に入ったのです。』とおっしゃるのです。」
「わからないわ。同じことですよね?」
「そうですね。私も意図して言葉を選んだわけではありませんでしたから、そう言われて大層戸惑いました。
でも、花音さまはおっしゃるのです。
豊かな者を見ると、誰もがお金をくれとか貸してくれと言う。
でも、私が言った『仕事をくれ』というのは、結果ではなくチャンスをくれというのと同じだと。
チャンスさえあれば、あとは自分の力で結果を出すからという、宣言に聞こえたそうなのです。
そんな宣言をするのは、自分の力を信じている者にしか言えないからと。
私はそんなに深い考えがあったわけではないと言うと、だからなおよいとおっしゃる。」
「なぜ、ですか?」
「それが本音だからだそうです。」
「本音…。」
「そうです。本音です。
相手に合わせて、状況に合わせて、思考し判断した末に選んだ言葉ではなく、魂からこぼれ落ちた言葉だからこそ、大切にしたいと思ったのだと言われました。
一体誰が、見ず知らずの、通りすがりの者の言葉を、そこまで注意深く聞き、価値を見出すでしょうか。
それもわずか15歳の少女がですよ。
そうして、チャンスをくださっただけでなく、2年にもわたって黙って見守ってくださったのだと知ったのです。
私の完敗でした。」






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