「味のみなもとスタジアムで日曜日といえば、日本代表のエキシビションマッチのことですか?」
「そうです。ご存知でしたか。」
「ご存知も何も!昨日、滝沢健太が帰国したと聞いて、チケットを手に入れようとしたのですけどダメだったんです。もうがっかり!」
スミレが場をわきまえずに失言するのを、校長が目配せで制した。

「あっ!すみません。私ごとでした!それで、その試合が何か?」
「はい。その試合に、こちらの小学校の皆様をご招待したいとのことなのです。」
「え?ゴショウタイ??」
今度ばかりは校長も、スミレと声を合わせて頓狂な声をあげた。

「ネットでチケットが5万円で取引されていましたよ。まさか、ほんとうですか??」
「間近になってのことですから難しいかとも存じますが、なにとぞお計らいください。実はこれは、早くお友達と仲良くなりたいとの、花恋さまの思いを旦那様が…いえ、お父上がお受けになり、思いつかれたことなのでございます。」
「本当に本当ですか?全員でなくても、親子で行けば軽く500人は超えてしまいますよ!」
「大丈夫でございますとも。味のみなもとスタジアムには松重の社員専用席がございます。」
「知らなかった!そうなんですか?」
驚くスミレに、安住氏が尋ねた。
「おや、サッカーにはお詳しいはずですのに。おじいさまにお聞きになっていらっしゃらなかったのですか?」
「え?」

安住氏の発言に、校長が怪訝な顔をする。
スミレも驚いた。なぜ今ここで、おじいちゃんの話が出てくるんだろう?
私がサッカーをしてきたことまで知っている?

「失礼ながら、担任におなりの方のことを、少し調べさせていただきました。非礼を伏してお詫び申し上げます。お許しください。」
スミレは驚かなかった。
巨大組織であるものの、「人の松重」と言われるだけあって、採用などのときには慎重に慎重を期してその人柄から言動、過去の出来事まで調べるということは、祖父から折に触れて聞かされていた。
今日子おばさんが『安曇野おらほの家』を任されるときにも、そういう調査が行われていたと、後になってから聞いた。

担任の身上調査をされていたと知って憤慨し、憮然とした表情の校長を無視して、スミレは頷いた。
「それで、祖父のことが分かったのですね。」
「はい。長野のご出身とのことでしたし、スミレさんというお名前、それからおじいさまのこと、私もわずかではございますが、覚えがございました。」
「安住さんがですか?以前お目にかかったことがあったでしょうか?」
「いえ、大旦那様…松重誠一郎会長から伺ったのでございます。」
「ああ、会長さんから!そうでしたか。」
「はい。大旦那様も、あのスミレさんが花恋の先生になってくださるかとおっしゃって、深いご縁をたいそうお喜びでございます。」

話についていけない校長が、スミレの袖をひっぱって、説明を求めてきた。
それはそうだろう。
そこでスミレは、自分の祖父がもともと松重物産で働いていたこと、自分が長野の施設に預けられていた際に、新規事業を任され、長野に松重のデイケア施設を開所したこと、その施設は会長たっての願いで進められたこと、中学生の時に、直接会長に会っていることなどを説明した。

校長と一緒になって頷きながら聞いていた安住氏は、
「会長は今も、我が代で最高の事業は『おらほの家』の設立だと折に触れておっしゃいますよ。」
「そうなのですか。それはありがたいことです。祖父もどれほど喜ぶか。」
「お元気でいらっしゃいますか?」
「はい。おかげさまで。引退してからは祖母のお骨まで長野に移して、お友達と仲良くおらほの家に通っています。来月は『ロンドンおらほの家』に交流に行くんだとか言って、喜んでいました。」
「そうでしたか。後学のため、私も一度お目にかかりたいものです。」
安住氏は微笑んだ。
スミレはやっと、その微笑みがまるで俳優のように端正であることに気付いた。
ハリウッド映画に出てきても不思議ではないだろうと思うにつけ、さぞかしモテたのだろうと好奇心が湧くのを押さえこんだ。

「スミレ先生ならば、松重がご縁のある人をどのように大切にするか、きっとご理解くださると思います。どうか関心をお持ちの皆様に、足を運んでくださるよう、お伝えください。私ども一同、心から歓迎いたします。」
「校長先生、お受けしてもいいですか?」
スミレは一応、校長の意向を確かめた。が、心は決まっている。
ここで校長が断ると言っても、断固見に行きたい!

「本物のサッカーを間近で見るのは、子どもたちにとってもよい影響となるでしょう。ありがたくお受けいたします。」
校長の言葉に、スミレは思わずガッツポーズで立ちあがった。
「あ、私も、いいですよね?」
スミレの心配を、校長が先に、かなり遠慮がちに尋ねてくれたのは助かった。
「もちろんですとも!」
「すごい、校長先生!」
「ほんとだ、スミレ先生!子どもたちもどんなに喜ぶか‼すぐに案内文を作って起案してください。今日の帰りにはお知らせをみんなに持って帰ってもらいましょう。」
「はいっ!」

安住氏はにこやかに二人のやりとりを見届けると、静かに辞去していった。
校長室のドアの外で、花恋と一緒になったようだ。
少し声がしたかと思うと、ノックの音がして、花恋だけが入ってきた。
「校長先生でいらっしゃいますか?松重花恋と申します。世間知らずなものですから、何かとご迷惑をおかけすると思いますが、どうかよろしくお願いいたします。」
と、朗らかな声で挨拶すると、静かに深く礼をした。

5歳児が世間知らずなのは当たり前ではないか。
それとも、庶民の生活を知らないということか?
この挨拶を聞いた大人は少なからずそう思ったが、彼女のあいさつがとんでもない謙遜であることに、次第に気付かされることになる。

「さあ、花恋さん。朝の会の時間になりました。教室に行きましょう!」
職員打ち合わせの間、校長室でそのまま待っていた花恋を迎えに行き、スミレは教室に誘った。
スミレは、自分は転校当初、新しい環境が恐ろしくて、まわりの人が怖くて、声も出なかったことを思い出した。
マリアンヌがいてくれなかったらどうなっていたのだろう?
思い出せば出すほど、担任としての自分の役割がいかに重要かを思い知る。

ところが、このお嬢様には、そんな恐怖心など微塵もないようだった。
「松重花恋です。カレンって呼んでください。みなさんと早く仲良くなりたいです。よろしくお願いします!」
クラスの子供たちは、花恋の自己紹介を聞いただけで、すっかり彼女の虜になってしまったようだった。






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