「あれは、この家のオープニングイベントの日のことよ。とても暗くて重い気分の朝だったわ。」
「そうだったね。」
新吉が、今日子の言葉に頷いた。
「イベントの主賓だった松重会長が急遽来られなくなったとわかったのは三日前の3月31日だった。
あの年はバブルの崩壊の影響がかたちになって現れた年だった。」
「ええ。世界の松重も、影響を受けないわけにはいかなかったの。」

事情を知っている人たちは、遠い眼をしてそれぞれの思いにふけっている。
「『人の松重』と言われただけあって、どんなに景気が悪くなっても、会長はリストラには消極的だった。
でも、仕事がないのよ。
売りたい人がいても、買いたい人はいない。
買える人がいないと言ったほうがいいかしら。

ホテルや旅館にしてもそう。
泊まってくれる人がいないの。
売り上げも仕事もないのに、従業員だけ雇い続けるのは、いくら体力がある松重でも難しかった。
丁度あの頃、会長もついにリストラにGOサインを出したわけ。」

「ああ、あの時はずいぶん報道もされた。
いよいよ松重も終わりだとまで言われたなぁ。」
そう言ったのは隆三だった。
「それでも、見事だったよ。
終身雇用が約束されていると信じて疑わなかった社員たちが切られていくというのに、松重ではあちらこちらで、従業員の方から去っていったのだよ。」
「従業員から?」

「ドキュメンタリーにもなったわね。
パートタイムで働いていた女性たちや、定年まであと数年というベテラン社員が、自らリストラされてよいと名乗り出たって。」
「ああ。それで何人もの友人が職場を去ったよ。」
新吉も、あの時の辛さを思い出していた。

「私たちは少しお休みしていますから、どうか松重を守ってください、景気がよくなって、また人手が必要になったらいつでも来ますからねと、涙ながらに手を振って去っていく人たちの背中は、テレビの視聴者の心を打ったわ。」
「そんな時に、新規事業の立ち上げだのパーティーだの、ナンセンスと言われてもしかたがなかったな。」
「そういう非難の対象にならないようにと、会長は深く慮って、こちらに来られるのを見合わせたのだ。」

「それにね、こちらも、お迎えできるような状態では、正直言ってなくなっていたのよ。」
「何かあったんですか?」
息を飲んで聞いていたバイトスタッフが、身を乗り出した。
「ええ。私たちね、壮絶な反対運動に遭っていたのよ。」
「反対運動?」

「あれは、私のミスとしか言いようがない。」
新吉はそういうと、周囲に集まっていた人々の顔を静かに見回した。
「ここが格好の物件だったため、すぐに家主と掛け合って買い上げたのはよかった。
自信を持ったビジネスプラン、誰もが認めるバックボーン。
それに甘えて、配慮を欠いたのだな。
思いあがっていたのだよ。」

優と真理が話をやめて、新吉の声に耳を傾けている。
「ほら、前の通りの向こうの笹山さん。
得体のしれない団体が人を集めるのは反対だと言いだしてね。」
今日子の言葉に、スタッフは飛び上がった。
「うそ?あの、笹山さんが???」
「ええ。それはそうよね。誰も聞いたことも見たこともないことをやり始めようとしていたのだから、当然なのよ。
笹山さんは、私たちが新興宗教団体で、お年寄りから金品を巻き上げる詐欺だと思ったの。
それで、お仲間たちと立ち上がり、 私たちを追い出そうと計画したのよ。」






もうひとつのエッセイブログ『ゆるるか』不定期に更新中!



人気ブログランキングへ