今日子は何度も頷きながら、会長の話を聞いていたが、思い立ったようにバッグを引き寄せ、その中から小さな袋を取り出した。
その袋からさらに折りたたんだ布を引き出す。
新吉も権藤氏も、その布地をみつめた。

「会長に、お願いがあります。」
「なんでしょう?」
「これを、ご覧ください。」
布は、小さな白いかっぽう着だった。
ポケットのところに、赤やピンクの花が縫いつけてある。
どうみても手作りのアップリケは、ぎこちない形のまま、そこに立ち止まったように張り付いている。

「これは?」
少しの間かっぽう着を見つめていた会長が問いかけた。
「トコちゃんの、給食用のエプロンです。このアップリケは、トコちゃんを担当していた女性職員が自分で描き、フエルトを切り取って縫いつけたものです。」
男3人は、黙ってその花を見つめることしかできない。
何故今、これなのか?と考えることすらできなかった。

「トコちゃんは、愛情を表現することが苦手な両親のもとに生まれ落ちました。
けれども、彼女は愛情を受け取る能力を損なわずに育ちました。
それは、奇跡的なことだと思います。

トコちゃんは私たちと暮らした歳月を、心から楽しんでくれました。
幸せで、幸せで、しかたがなかったのだと、今は確信しています。
新吉さんのお孫さんが施設に来た時、おばあちゃんが用意してくれたエプロンには、かわいいキティちゃんのアップリケがついていました。
皆さん、ご存知ないかもしれませんが、アップリケというのは、お金を出せば売っているものなのです。
買ってきて、アイロンでこう、押し付けると、くっつくように出来ています。
スミレちゃんは、愛情深いおばあちゃんから大好きなキティちゃんをプレゼントしてもらいました。
新入生にとって、お道具がそろうということは、本当にうれしいことなのです。

トコちゃんは、親御さんからそういう愛情の表現を受けることはありませんでした。
職員は、トコちゃんに何が好きかと聞いたそうです。
すると、お花だと答えたので、一生懸命かわいい花になるようにと、これを手作りしました。
ご覧の通り、できがいいとは言えません。
けれども、トコちゃんは、このエプロンを本当に大切にしました。
一緒に洗濯を干す時には、こうして、この花のところをそっと撫でて伸ばして、しわがつかないようにしていましたから。
きっと、トコちゃんには、これが職員から受けている愛情の証だったのでしょう。
お金では買えない、世界にひとつだけの宝物。
トコちゃんは本当の幼い少女でしたが、それに気付く能力がありました。
それだけに、自分が置かれた境遇を正しく判断することもでき、本当に本当に、辛く悲しかっただろうと、今でも思い出すたびに涙が浮かぶのです。

会長。
もしお許しいただけるのなら、これから日本中に展開していく「おらほの家」のマークを、この花柄にしていただけないでしょうか。
自分の家でなくても、いつもいられなくても、自分を愛してくれていると確信できる場所があれば、人は生きていけると教えてくれたトコちゃんの思いを伝え続けるためにも。
どうか、お願いします。」

会長は手にしていたワイングラスを静かに置くと、今日子の方に両手を差し出した。
今日子はその手に、かっぽう着をそっと載せた。
受け取ったまま自分の目の前でアップリケを見つめた会長は、赤い花に額を押し当てた。
そしてすっと視線を新吉にめぐらして言った。
「はからうように。」

新吉は黙って頷いた。






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