リムジンなどという乗り物に、自分が乗ることになると、庶民の誰が思うだろうか。
初めてではないらしい秘書たちや権藤氏は楽しげに談笑を続けているが、新吉と今日子はどこを見ても物珍しく、視線を彷徨わせてばかりいた。
窓から外を眺めれば、輝くばかりのイルミネーションが天の川のように流れて行く。
美しいわねと今日子がため息交じりの声を出す。
月並みな表現だが、他に言いようのないこともあるものだ。
リムジンは都会の大通りを滑るように進んで行った。

新吉もよく知っている大通りで、リムジンは乗客を降ろした。
ここから先に入って行ってしまうと、胴体の長いリムジンが抜け出せなくなるからだ。
「佑輔。」
会長が小声で若い執事を呼んだ。
「心得ております。」
佑輔氏は運転席に何事か声をかけると、すぐに戻ってきた。

「さて、星川さん。ついてまいりますよ。」
会長の軽い口調にどぎまぎしながら、新吉は足をあの店へと向けた。
東京に来た時は毎回立ち寄ると会長には言ったが、前回、今日子の採用について相談に来た時には、とうとう立ち寄りそびれてしまった。
ひと月ぶりくらいだろうかと思いつつ、見慣れた引き戸の前に立った。

自動ドアなどではない。
新吉が引き戸に手をかけようとした瞬間、黒いかまいたちがヒュッと脇を過ぎたので、新吉は思わず手を引いた。
目を見開いて見直すと、かまいたちの正体はダークスーツに身を包んだ佑輔氏だった。
まるでドアを開けることに全人生を賭けているかのような勢いで飛びつくと、その勢いはどこへやら、優雅な動作で静かにドアを引き開けた。

「いらっしゃいませ!」
耳慣れた、鈴を振るような澄んだ声が聞える。
新吉が店内に入ろうとしたが、そこに佑輔氏が棒立ちになっていて入れない。
怪訝に思い、声をかけようとすると、なんと佑輔氏は瞬きも忘れた丸い目から、大粒の涙を滂沱と流している。
あんぐりとあけられた口は、閉じることをわすれてしまったようだ。

客を迎えに寄ってきたこの店の看板娘…いや、看板妻も、白い指をそろえた両手で口元を覆い、絶句している。
「どうかしたか?」
渋滞を縫って、会長が店内に足を踏み入れた。
途端に、看板妻の白い指のすき間から、小さな悲鳴が聞こえた。
呆気にとられた新吉の目の前で、彼女は静かに深呼吸をひとつ、それから、腕を下ろして胸の前で組むと、なつかしげな微笑みを浮かべ、小さな声で呼びかけた。
「お兄様!」






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