「それでは…。」
会長がようやく声を出した。
「それでは、あなたは、社会を弱体化させる福祉の世界になぜ、留まろうとするのです。矛盾ではありませんか?」
おや、と、新吉は目を上げた。
いつの間にか、新吉は床の絨毯を見つめていて、今日子の声だけを聞いていたようだ。
会長が、いつになく激している。
もちろん、それを垂れ流すほど修行ができていない人物では、この巨大コンツェルンの総帥など、務まるはずもない。
が、新吉にはわかる。
これは、トコちゃんの死のいきさつを話した時とはまた違う、どこか癇癪を起したようなニュアンスが漂っている。
権藤氏もそれに気付いたのか、新吉の目をそっと盗み見てきた。

「私は、それを矛盾でないようにしたいと、思うのです。そのためには、お力をお借りしなくてはならないと。」

会長は、両腕を欧米人のようにあげて手のひらを天に向け、わけがわからないという気持ちを表した。
今日子はそれを見ると小さく微笑む。
新吉は、自分が心底信頼を寄せてきた佐々木今日子という女性の本質を見失いそうになって、めまいがしてきた。

「私は、この数年、児童福祉の世界に身をおきながら、常に、『私があるからこの家庭は壊れたのだ、私の在りようを間違えば、なお家庭や社会が壊れるのだ』と自分を戒めて参りました。
福祉は、あくまで福祉です。
家庭や社会の機能を一時的に肩代わりするだけのこと。
それは、そうすることで、社会や家庭にその機能がなくてもよいと認めることであってはならないと思うのです。

一方で、特に子どもたちにとっては、必要な時期に、必要なものが与えられて当然とも思います。
それを社会や家庭が与えられないなら、代わりに与えられる場があり、人がいるのは当然とも思います。
けれども、それは、本来それを子どもたちに与える責任を持っていた人たちが手を抜く理由になってはならないと思うのです。

この複雑なバランスの中で、これまでにない、福祉を実現したいのです。
家庭を強くする福祉、社会を活気づける福祉、そうして、当然、人の心に生きる意欲の灯をともす福祉です。」

会長は、ようやく腑に落ちたようだ。
この女性が見ているものを、ようやく共に見られる場所に立ったのだろう。
「しかし、貴女はすでにそれができるポジションにいたはずでは?」
意地悪な質問を投げかけた。
しかし、今日子は微塵も動じることなく、過激な言葉をやんわりと吐いた。

「これまでにない壮麗なお城を築こうと思ったら、魔女の呪いと因習に縛られながら、古い城の古い材料を再利用して建てるより、ピュアでまっさらな土地に、それまで築城など無縁だった人たちの斬新なアイディアをいただきながら、使われたことのない素材で建ててみる方が、確実に『これまでにない』城になると思いますので。」

一瞬怪訝な顔になった会長は、破顔一笑、声をたてて笑い始めた。






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