もっと高い山だと、沸騰するまでにけっこう待たなければならないけれど、そこは里山の気安さ、待ちくたびれる前にぐつぐつとお湯が沸きだした。
優が、ゴムを巻かれた取っ手を素手で握り、すっとお湯を注ぐ。
真理が、めくれたふたを手早く閉めた。

見慣れたカップヌードルの蓋の隙間から、白い湯気と食欲を刺激するあの香りが広がる。
真理は何気なくそのカップを外側から手のひらで包んでみた。
発泡スチロール越しの温かさが、じわりと指先から全身に広がる気がした。

「人って、いろいろ感じるんですよね。」
不意に、優が言う。
「そうね。」
唐突さに驚いたふうもなく、真理が答える。
「相手が変わったり、場所が変わったり、出来事が変わったりするたびに、いろいろ感じるんですよね。いいことだけ感じていたいと思っても、それは無理で、時々たまらなく嫌になったりするんだ。」
「そうね。」
「同じことを言われても、こっちの人だとすごく嬉しいのに、こっちの人だと滅茶苦茶腹が立ったり。」
「うん。そういう時、あるね。」
「普段はそんなふうに感じるのは嫌だな、そんな言い方したくないと思っているのに、どうしようもなくて、絶対にそう感じちゃって、なんかブレーキきかなくなって、ドドッとそれを出してしまって。後で自己嫌悪に陥ったりするんだけど、どこかで、しょうがないじゃいかって開き直っている自分もいたりして。」
「うん。」

真理は相槌を打つだけで、何も問いかけない。
そのことに対して真理自身がどう思うかには関心がなさそうだ。
ただ、あなたはそう感じているのね、そうなのねと深く寄り添っている。
だから、優は真理に何かを分かってほしいとか、説明しようとする必要がなくて、いつしか自分の内側だけを覗きこんでいた。

「俺、ガキなんですよ。相手が女の子でも、自分がヒーローになって、全部カッコよく支えてやるとか、俺が幸せにしてあげますとか、そんなのできないし、やりたくなんだよな。」
「やりたくないんだ。」
「やりたくないね。そんなの、相手を、馬鹿にしている気がする。それに、俺、本気で仕事してるから、俺が仕事に夢中になっている時には、別に支えてくれなくていいから、勝手に幸せでいてほしい。で、俺と一緒にいるときは、目いっぱい俺と一緒に幸せでいてほしい。それくらいの力は、持ってて欲しい。」

真理は小さく微笑んだ。
ぽつり、ぽつりと言葉がこぼれ落ちるような話し方を、優はしている。
いつもはそんな話し方をしない。
話すことにストレスがない人だから、立て板に水と言葉が出てくる。
それが、今は優の中の置く深いところから押し出されてきた言葉が、少しずつポロポロと伝わってくる感じ。
真理はふと、遠い昔、どこかで体験した光景を思い出していた。
学校の、人のいない音楽室だろうか。
グランドピアノのふたをそっとあけて、ポロン、ポロンと鍵盤を押してみたことがある。
澄んだ音色が思いがけず大きな音で響いた。
曲など弾けるわけではない。
ただ、ひとつひとつ、鍵盤を押してみる。
音が響くだけで心が震えた。

「大人げないよなって、自分でも思う。けど、大人ぶって人を傷つけるより、このガキな俺でもいいって言ってくれる人を探さないとな。」
優は勝手に結論にたどりついたようだ。
「探せ、探せ。世界の果てまでも!」
「いますよね?どこかに。」
「いるいる。絶対いる。」 
真理は自分のと言ったカップヌードルの蓋をめくった。
優も続いてシーフードを手にする。
「乾杯!」
 
山のてっぺんで、青空を見上げながら食べるカップラーメンは、想像以上に美味かった。
やっぱり醤油味も食べたい、半分くださいと言う優に、あげるもんかと真理が答える。
いいじゃないですか。俺が背負ってきたんですよ、シーフードあげますからと、無理やりカップを取り上げようとして大騒ぎをする。
二人の笑い声が響き渡った。





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