「ほら、見えるでしょう?あそこが今日の頂上よ!」
指をさしながら振り返った真理の息が白く弾んでいる。
11月の安曇野は充分に冬だ。
優が乗りたいと言っていた栂池のゴンドラも、11月初めに休業に入っている。
スキーシーズンが来るまで、ゴンドラたちも束の間の休息だ。

「よし。あと、少し!」
優はちょっと立ち止まってリュックを揺すりあげると、足を踏み出した。 
「こんなちょっとしたハイキングに、そんなに大きなザックで来るからよ。」
息が上がっている優に、真理は笑いかけた。
「だから、いいものが入っているんですってば。」
ちょっと意地になったような言い方で、優は顔もあげずに答える。

○○岳と名のつくところに登りたがった優を説得して、近場の里山を選んだのは真理の機転だ。
冬山は、素人が足を踏み入れてよい場所ではない。
天候の変化やルートの知識、どの点をとっても、判断を誤れば遭難につながる。
いくらこのところ足繁く山に通っているとはいえ、真理もそれほど山に詳しいわけではない。
安全が確保された登山道を、他の登山者がいる時間帯に歩く程度だ。
泊りがあっても山小屋で、分からないことや困ったことはプロに相談できるのを前提にしている。
テント泊などは考えたこともない。
そこまで重たい荷物を背負って歩く自信もまだなかった。

重々説明してあったはずなのに、優は前回より大きなリュックを背負ってきた。
明らかに新品なので確かめると、前日買ったばかりだという。
「どうしてそんな大きなザックを今?」
真理は笑う。
いい顔だなと、優は思った。

青空から日差しがこぼれてくるような、よい天気になった。
真理は優を助手席に乗せ、自分で運転して、山道の途中にある駐車場で車を停めた。
そこから歩いて登山道に入った。
登山道と言っても、それほど高い山ではない。
名もない、といっていいほどだが、結構な傾斜で続く林道を登りきると、木々がなくなった先はスッキリと開けていて、頂上と言えそうな場所に、巨大な石が横たわっている。

地元ゆえ耳に入ったこの山に、トレーニングと思ってひとりきたのは初夏のことだった。
まだ、心が亡くなったトコちゃんのことでぐずぐずになっていた頃だった。
まな板のようなその石の上に座り、汗をぬぐった真理は、なんとなく全身を投げ出して寝転んでみた。
日に焼けた石は熱くて、余計に汗が吹き出したっけ。
それでも、何かとても気持ちを引き立てられた。
どれだけそうしていたのか分からないが、とうとうその日、その場所には誰も来なかった。
だから、まな板石の山は、真理の大切な秘密の山になった。
あれから何度も足を運んだ。
いつ行っても、気持ちの良いコースだった。

優と安全に歩くにはどこがいいかと考えた時、真っ先に思いついたのがここだった。
体力があるところを見せながらも、最後の登りに息を切らせている優を見て、真理は自分の選択がどうやら正解だったらしいと思った。
あの、まな板石を見たら何て言うのかな?
幅の細い道がなくなり、広くなったところで、真理は一歩譲って優を先に歩かせた。

「あ!あれ?なんだ?うぉぉ、でっかい石!石だよね、真理さん!!」
子供みたいに大きな歓声を上げながら、小走りにまな板石を確かめに行く優の後ろ姿に、真理はいたずらを成功させた時のような喜びをかみしめた。






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