「失敗が好きな人、いると思いますか?」
「いるはずないと、思います。」
「ええ。私もそう思います。だから、でしょう。」
「は?」
「だから、私たちは、失敗すると、ほかのことで取り戻そうとするよりも、同じことで挽回しようとしがちです。たとえば…。」

株で大金を失った人は、株で大儲けしようとする。前回と同じような場面でも、今度こそ儲かると、判断を誤りやすい。
競馬で大損した人は、競馬で大穴を当てようとする。そう思っているうちは、なぜか今度こそ当たる気がする。
詐欺に遭った人で、なぜか繰り返し詐欺に遭う人はけっこう多い。今度こそだまされないぞと思っていたはずが、再びだまされてしまう。
真吾先生の話には、なるほどそうかもしれないと思う例えがたくさん出てきた。

「マイナスのことばかりではありません。例えばスポーツ選手などは、手痛い敗戦をばねに、今度こそと思うから辛いトレーニングにもめげず、成績を上げていくのでしょうからね。」
それはわかる。マネージャーとして、サッカー部の試合にはすべて帯同した。
自分は腹筋するわけでも、ダッシュするわけでもなかったが、負けは選手と同じくらい悔しかった。
そうして、今度こそとこぶしを握る選手のために、自分も頑張ろうと思ったものだった。
いつの間にか、先ほど感じた腹の立つ感覚が、すっかり収まっていた。

「うまくいかなかった物事が、自分にとって大切であればあるほど、私たちは同じ場面で、今度こそ成功しようと思いがちなのです。受けた痛手が深ければ深いほど、その場面を作り出す力は強いのです。」
「どういう、ことでしょう?」
「そうですね。その、水田優さんという方は、誰に対してもきつい言葉で反論したり、相手の話に耳をかさず、自分の主張をつきつけたり、するような方ですか?」

ミドリは考えた。
きっと、違う。
いままで、そのような場面を見たことはない。
けれども、ミドリが知らなかっただけで、そういう人だったのかもしれない。
いや、父の部下であり、営業という仕事柄、いざという時の押しは強くても、それまでは相手の印象を損ねないように慎重に振舞うだろうし、父同様、言葉を荒げて相手を退けるようなことが日常にあるとは思えない。
考え込んでいると、真吾先生が続けた。

「もしかしたら、その日たまたま何か理由があって、不機嫌だっただけかもしれません。
コミュニケーションでの行きちがいのほとんどは、そんな些細な背景があるものだと、私は思うんですよ。
でも、それだけではないかもしれない。
何度もなんども、ヒモとかアルコール中毒とかの男性とお付き合いをしてしまう女性のことを、聞いたことはありませんか?」

ある。
東京の病院で、そういう女性と何人も出会い、話をした。
子どもを虐待してしまう母の会でも、DV被害者の会でも、そういう女性がいた。
みな、一様に苦しんでいた。
泥沼のようだと言っていた。
なぜ、自分が繰り返し繰り返し、こんなひどい目に遭うのか分からないと泣いている人もいた。

「彼女たちは、自分を変えずに、結果を出したいのです。その相手となる男性たちも同じです。自分を変えずに、今度こそうまくやりたいと思っている。でも、互いに同じやり方をしていたら、違う結果を出すのは難しいですね。そうとは知らず、何度も何度も同じような相手を招いては、今度こそと思う。そういうところがあるのです。場合によっては…」

真吾先生が不自然なところで言葉を切ったので、ミドリはみつめていた自分の指先から目を離し、真吾先生を見上げた。顔をあげたら、胸の中にスッと酸素がたくさん含まれた空気が入ってきた気がした。
「場合によっては、何ですか?」
真吾先生が続きをいつまでも言い出さないので、ミドリは先を促した。
「はい。場合によっては、そういう傾向がない相手を、そういう傾向に押しやるようなこともあるんです。」

曖昧な言い方で、意味が分からない。
「はっきり言ってください。どういうことですか?」
「つまりですね、普段は穏やかな人が、その人と話しているとどうにもイライラして暴力的な気持ちになるとか、普段は酒など飲まないのに、その人といるとなぜか酒を飲んで失敗してしまうとかいうことが、実際にあるのです。そんなふうにですね、相手の性格を変えてしまってでも、自分のやり方でうまくいくことを証明したくなるというか…」

ミドリの耳には、そこから先の真吾先生の言葉が入らなくなっていた。






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