優と気まずい会話をした夜、新吉が久しぶりに帰宅した。
長野で同居するようになってから、活力に満ちた父を見るにつけ、ミドリは密かに喜んでいた。
しかし、この夜は、東京での仕事がよほど大変だったのか、げっそりとやつれて見えた。

ミドリの記憶にある新吉は、何か憑かれたように仕事に突き進んでいて、家族や家庭のことは一切視界に入っていないようにしか見えなかった。

それは入院中の病院に見舞いに来る父を見ている時も同じだった。
大好きな仕事を早めに切り上げて、渋々来ているのだろうと思った。
が、いつの頃からだろうか。
忙しさに変わりはないのだろうが、黙ってミドリの話を聞いて帰るようになったことに気がついた。
今までの父ならば、ミドリが何を言っても、そうしたいならそうすればいいと投げ出すか、こうするのが正しいだろうにと一刀両断に切り捨てるかのどちらかだったはずだ。
こんなふうに、そうかそうかとただ聞いていくなど、なかったように思った。

「おじいちゃん、おかえりなさい!」
スミレがまだ着替えの済んでいない新吉の足もとにまとわりつく。
いつもは相好を崩して相手になるのだが、この日はちょっと待っていてねとスミレをそっとひきはがすと、風呂場へ消えていった。
戻ってこないと思ったら、シャワーを浴びてすぐ寝室に行き、そのまま眠ってしまったらしい。

長野では11月の夜はすでに冬で、都会者がうかつな格好をしていると、すぐに風邪をひいてしまいそうなほど冷える。
下着姿のままベッドで熟睡している父にそっと毛布や布団をかけながら、優から言われたことを話してみようかと思っていた気持ちをミドリは素早く打ち消した。
今の父に、無用な心配はかけたくない。
父にとって優は大切な部下であり、ビジネスパートナーであることくらい、世間知らずのミドリにも理解できていた。
今、掻き乱してはいけないことも。

そうだ、少し早いけれど、明日病院に行ってみようと、ミドリは思いついた。
東京の病院から紹介された新たな受診先は松本にある有田病院といった。
ミドリはまだ知らないが、マリアンヌの義父の病院だ。
主治医となったのはマリアンヌの夫、真吾だった。
真吾の、もの柔らかで包み込むような声を思い出し、先生に話してみたら、何かスッキリするのではないかと思った。

下でスミレが一緒に風呂に入ろうと呼んでいる。
父を起こさないようにそっと部屋を出たミドリは、女としての迷いを胸にたたんで、母としての務めを果たしに、下へ降りていった。






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