医師と今後のことなどを詳しく打ち合わせた後、新吉はミドリに会った。
入院当初は閉鎖病棟にいたミドリだったが、今では自身が届けさえすれば自由に外出できるほどの部屋にいる。
若い女性ばかりの部屋に行くのがほんの少し気詰まりに感じる新吉は、このところミドリを外出に誘うのが常になっていた。

行きつけの店は駅に近いところにある「木の実」というコーヒーショップだ。
木の床、アンティークな飾り物などが落ちついた雰囲気を出しているが、大きな窓から日差しが入って、店内はとても明るい。
カウンターと、二人掛けのテーブル、4人がけのテーブルのほかに、店の中央に大きな一枚板のテーブルがあり、そのまわりにぐるりと8人分の椅子がある。
ひとりで来店する客は、この中央のテーブルを好むようだった。

二人は、空いていればいつもカウンターに並んで座る。
互いに肘をつけば額までくっつきそうな小さなテーブルをはさんで向かい合うのは何となく気恥ずかしかったからだ。
が、この日は新吉が店員に断って、4人がけのテーブルに向かい合わせに座った。
ミドリは怪訝な顔をしながらも、黙って指された席に腰かけた。

真正面から見るミドリは、きれいに髪を整え、うっすらと化粧さえしていた。
多分おろしたての白いポロシャツにスリムなデニムを合わせていた。
入院前のぐったりと濁った印象は皆無で、緊張した風もなく、正月に帰ってきた時よりもさらに健康そうに見えた。

「先生が、退院していいと言っていた。聞いているか?」
「うん。」
「いろいろと、その…頑張っていたようだな。少しも知らなかった。」
「いいのよ。お父さんには仕事があるんだし、私にはほかにすることがないから。」
すまない、と言いかけて、正月に、この「すまない」を嫌がったミドリの言葉を思い出し、飲み込んだ。
ここで詫びの言葉を口にするのは、多分、自己満足にしかならない。

「いろいろあって、スミレが園を出たがっているんだ。」
ミドリは一瞬で顔色を変えた。
「またいじめられたの?」
「いや、違う。そうじゃないんだが、経営陣が交替したりして、担当してくれていた長谷川さんが退職してしまったんだよ。それがとても寂しいらしいんだ。だから、できるだけ早く長野に行って、スミレを引き取ってやりたいと思っている。どうだろうか?」

「そうしましょう。」
ミドリは即答した。
「もしも、スミレが私といることを選んでくれたら、だけど。私といるより園の方が幸せと思うなら、その時は…。」
ミドリはその先を言わず、出されたばかりのカフェラテを見つめている。
カップの縁いっぱいに盛り上がった白い泡には、笑顔の女の子が描かれている。
ラテ・アートというものを、新吉もこの店に通うようになって知った。
「園の方が幸せだと言うのなら、私を選んでくれるまで待つわ。」
「待つ?」
「ええ。あんなに幼いのに、散々振り回してしまったのは私なの。そんな私を許すか許さないかは、彼女が決めることよ。一生許さないと言われても、恨む資格さえないのよ、私には。その代わり…。」

また言葉を切って、ミドリはカップをもちあげると、そっと泡に息を吹きかけた。
泡に描かれた女の子の顔が小さく揺れる。
けれども、その表情が崩れることはなく、カップからかわいい笑顔がのぞいている。
「その代わり、スミレに許してもらえても、もらえなくても、私は私で幸せな人生を生きていたいと思うの。健康で、謙虚で、行動力のある人でいたい。」

「ああ、そうだね。」
新吉は少なからず感動していた。
そこにいるのは、もはやただ傷ついて守られるだけの娘ではなかった。
何をしでかすかわからず、どう扱ってよいか知れない不気味な存在でもなかった。
自分の生き方に責任を持ったレディが、そこにいて、真っ直ぐに新吉をみつめていた。

「ミドリになら、できると思うよ。お父さんに手伝えることがあったら何でも言ってくれ。」
「ありがとう、お父さん。まだまだ、山ほど手伝ってもらわなくちゃならないから、覚悟していてね。」

茶目っけのある笑顔を浮かべると、ミドリはカップを持ちあげて新吉の方に差し出した。
新吉も、自分のカップを持ち上げて、コツンとミドリのカップに当てた。
「乾杯!退院、おめでとう。」

新吉のカップに描かれた葉の模様が、勝者の栄光を讃える月桂樹の冠のように見えた。







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