5年も前の出来事なのに、今日子はあの時のことを思い出すと、今でも心の中を冷やかな風が通り過ぎるのを感じる。
信頼や業績は、積み重ねるのに長い長い時間と努力を必要とする。
信念があり、譲歩があり、喜びがあり、悲しみがあった。
それでも自分はこの仕事を一生続けていくのだろうと信じて疑わなかったものが、ある日一瞬で崩れ去った。
古代遺跡を見たことはないが、もしも見に行ったとしたら、そこに吹く風は、こんなふうに乾いているのだろうと、今日子は思った。
あの時は、5年後の自分が、こんなに居心地の良い暖かな部屋で、心から信頼できる仲間と共に迎えているとは想像もできなかった。

真理に言った通り、今日子は査問の翌日には退職願を携えて、本庁に再度出向いていた。
真理から預かった退職願を添えて提出した。
少なくとも3週間、考え抜いた真理と違って、今日子は自分が短絡にすぎるのではないかと、本庁に向かう途の途中で何度も確認した。
少し前、家を出る今日子に夫が言ったのだ。
「君が決めたのならそれでいい。後悔することを恐れてはいけないよ。失敗したと思ったら、やり直せばいいのさ、何度でも。」

その通りだと思う。
しかし、きっと、同じ道をやり直そうと思うことは決してないだろうという、確信めいた何かがあった。
私が生きる場所は、もうここにはない。

査問は手続きに則って行われたが、既に結論は出ていて、今日子はそこへ誘われていっただけだった。
今日子が長い時間と心血を注いできたものが、目の前で否定されていった。
今日子は覚った。
トコちゃんが亡くなったことの責任を、誰かが取らなくてはならないと、この人たちは言っているのだ。
新聞に「虐待死か?」との文字を躍らせた責任だ。
内部告発があったという。
誰が告発者かということに、今日子は関心を持たなかった。
きっと、本庁は内部告発がなくても、何らかの理由で、今日子を今日の立場に置いたに違いないと思ったからだ。
家事能力がなかった母親でもなく、それと知りつつ家をあけた父親でもなく、そういう家庭と承知しながらトコちゃんを帰す決断を下した児相でもなく、水性インクでメモを書いた真理でもなく、私にその責任を取れと言っているのだ。

そうと分かれば、逃げるつもりはさらさらなかった。
かえって、誇りにさえ思えた。
と同時に、この責任を背負いながら、この道をまだ歩くことを考えた時、とてつもない疲労感が今日子を包みこんだのだ。
自分の時間など、どれほどあっただろうか。
専業主婦になってみたいと冗談を言って笑われてきたけれど、冗談なものか。
出勤時間を気にせず眠る朝が週にあと何回か増えたら、私の健康はどう変わるだろう。
家で仕事をしている夫の昼食を作るのは、楽しいことではないのだろうか。

長い長い査問を終えて自宅に帰る途中、ふと、足を延ばして大町山岳博物館に立ち寄ろうと思い立った。
そこには、怪我などが理由で保護されたライチョウが数羽飼育されている。
若いころには白馬岳や乗鞍岳に登って子連れのライチョウを見たものだが、仕事が忙しくなるにつれ、そんなこともしなくなっていた。

冬場、真っ白になるライチョウは、博物館の檻の中でも毛替わりを迎えていた。ところどころ夏毛を出したまだら模様の身体で、愛嬌のある顔をくりくりとまわしている。

羽毛が生えた太い脚で、お前はまた岩山を歩き、雪にうずもれ、メスの後ろを追いかけたいことでしょうね。
今日子はライチョウに心の中で問いかけた。
でも、私はもう、険しい道は疲れてしまった。

博物館の前から遮るものなく眼前に広がる山並みを見つめた。
空は朱鷺色に色づいている。
白馬、立山、唐松、槍、穂高。

私は充分に勤めを果たした。
よく頑張ったわ。 
あの山のように見上げたことはできなかったけれど、それでも、本当に全力で頑張り抜いた。
もう、楽になってもいいよね。

いつしか、とめどなく涙があふれていた。
大きな声をたてないように、右手のひらを鼻と口にあて、強く押さえた。
それでも抑えきれず、嗚咽がこぼれる。

そうだ、真理さんに伝えよう。
今の私の気持ちを理解してくれるのは、真理さんだけかもしれない。
坂道を下る足取りは疲れてはいたが、それまでにない軽さがあることに、今日子は気付いていた。
額をあげて、坂道を下っていった。
あの軽さは、何かが始まる、期待が芽生える直前の直感だったのかもしれない。


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