「いつでも忙しかったですし、気が抜けない仕事なのは承知の上です。けど、最近、長くお休みの方がいて、私は休みがとれません。もともと子どもたちがいる時間は休憩がないのは当たり前ですが、そこにシフトまできつくなって、ちょっと苦しくなってきたところです。」
消え入るような小声で、安代はそう言った。
苦しくなったというところに「ちょっと」と付け加えたことで、状況に逆らうつもりはないのだが…という気持ちと、反体制的な職員ではないという主張とをこめたつもりだった。

「それはそれは。さぞかしお疲れでしょう。長くお休みの方は…長谷川さんとおっしゃいましたか…いえ、出勤簿を拝見しましたので承知していますよ。その長谷川さんは、確か、先日亡くなったお子さんの担当者でしたね。」
「はい。熱心な職員です。」
半分以上は本気だ。が、悪口を言っているのではないことを明確にする必要があると感じた安代は、先ほどの発言をフォローするつもりで殊更に付け加えた。

「どうだったのでしょう。感想程度でかまわないので聞かせてください。あのお子さんを両親の元に返すにあたり、適切な判断や手続きがとられていたのでしょうか。なにか、事故を未然に防ぐことはできなかったのでしょうか。」
発言者の話し方には責任を問うような威圧感がまるでなく、 夕べのドラマどうだった?とかあそこのレストラン美味しいの?とかいう話題と同列であるかのような軽さで問われた。安代はホッとして、話を合わせるように、これまで誰にも語ってこなかったことを話す気になった。

「初めのうちは、トコちゃんも帰りたくないと言っていたんです。だから、てっきり本人の同意が得られないということで、措置が続くものと思っていました。でも、途中からトコちゃんは諦めたように、何も言わなくなっていました。賢い子でしたから、大人の意向を尊重しなければならないと思いこんで頑張っていたのでしょう。けれど、最後の日に、帰りたくないと泣き出して、真理さんにすがっていました。もしもあの時、施設長が返さなければあんな事故にはならなかったと思います。それに、そんな様子で帰ったのに、アフターフォローがなかったのも…。学園を思い出せても辛いだけだろうと思ったのもわかるけど、冷たかったんじゃないでしょうか。」

言ってしまって安代は、しまったと思った。
二人の査察官の目が、それまでとは違った異様な光を帯びていたからだ。
先ほどまでの優しげな、親しみ深い様子が消えて、冷徹な検査官の表情をしている。
「証言、ありがとうございます。よくわかりました。全ては施設長の判断ミスが原因ということですね?」

安代は飛び上がった。
「ち、ちがいます。そうではありません。ちょっとした感想を大げさに言ってしまいました。」
慌てて否定したが遅かった。
「あなたからお聞きしたということは伏せておきます。ご迷惑はかかりませんので安心してください。それに、長谷川さんの勤務はおかしいですね。1年前の今頃、長谷川さんはまったく帰宅しておられませんね。何ヶ月という単位で夜勤を続けておられる。」
「それは、新しく入った子がこちらに馴染むのに時間がかかったからです。」
「事情がどうあろうとも、これは異常だ。そんな勤務を認めていた施設長には厳罰を受けていただかなくてはなりません。法律違反ですからね。」

もはや安代は座っていられず、立ちあがってテーブルに両手をつき、身を乗り出した。
いつものおとなしやかな安代からは想像もつかないほどの勢いで、査察官に額を寄せ、叫ぶように言った。
「施設長は悪くありません!あの方は…。」
その言葉を遮って、査察官は面談の終了を告げた。
「先ほどの話は全部うそです!」
咄嗟に安代は叫んだ。このままでは自分が施設長を陥れたことになってしまう。
「ご安心ください。あなたに迷惑はかけないと言ったはずです。それに、今から否定されても同じことです。あなたは今日と同様の証言を、先日うちの職員にされていますね?」
「うちの、職員?」

この時、ようやく安代はあの買い物中に出会ったかつての同僚のことを思い出した。
思ってもみなかったつながりに、安代は体中の筋肉から力が抜け、頭がホワイトアウトしていくのを呆然と眺めるしかない。
「我々は、あなたの内部告発に基づいて速やかに査察を決定しました。きっとあなたを始め、職員の皆様が健康で働きやすい職場になるように処置いたします。」

内部告発?
処置?
この時になって、安代は自分の憂さ晴らしのおしゃべりが呼んだ台風をようやく認識したのだった。



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