「お父さん、なんだかちょっと疲れちゃったみたい。書斎の片付けは、そのお仕事が終わってからでもいいよね。」
ミドリが小さなため息交じりに言いだした。
「横になったらいいよ。帰ってきてから3日間、ずっと掃除をさせてしまったからね。どれ、お父さんが布団かけてあげよう。」
「いいわよ、子どもじゃあるまいし。」
「いいから、いいから。」
新吉は2階にあるミドリの部屋へ一緒に上がり、身体を重たそうにベッドに引き上げて、ゆっくりと横になったミドリの上に、馬鹿丁寧に掛け布団をかけた。

「お前は知らないかもしれないけどね、お前がまだ小さかった頃、お父さんは仕事から夜遅く帰ってくると、必ずお前が眠っているところを見に行ったんだよ。お前は寝像が悪くて、いつも足とか肩とか、布団から盛大にはみだしていてね。お父さんはその布団をかけ直すのが、毎晩の日課だったんだよ。」
「うん、なんだか、知っていた気がする。」

それ以上話しかけるのをやめて、そっと部屋を出た。
ドアを閉める前にベッドの中の顔を振り返ると、すでにコトリと眠りにおちた後のようだ。
こういうところが、まだ本調子ではないのだろうと思われた。



丁度約束の9時、会長のお屋敷玄関にたどりついた。
用件を告げた新吉は、待ち受けてくれていた案内役と共にさらに歩いた。
お屋敷の廊下は長かった。
 
案内に立ってくれたのは後藤という執事で、全身から礼儀正しさと誠実さをあふれさせたような、かといって堅苦しくはなく、どこか信楽のたぬきの置物を思い出させるような愛嬌をたたえた初老の人物だった。
先程お屋敷と間違えて尋ねた家の主人がこの人物なのだろう。
ということは、先程の婦人は、この男性の細君に違いない。

おのぼりさん、という言葉がある。
新吉は、大学進学のために東京に来て以来、40年近い歳月を東京で過ごしてきた。
それだけではない。
海外出張も多かったので、世界の美しいものは様々見てきている。
しかし、会長のお屋敷の様子は、その新吉を典型的なおのぼりさんのように、キョロキョロさせるのに十分なたたずまいだった。

廊下が切れ、直角に左に曲がるところに立った新吉は、後藤氏が直進するので、自分の行き先はそちらと知りつつ、左側に目をやった。
幸せを音にしたらこういうものだろうと言うような笑い声が響いてきたからだった。
見ると、廊下の先にはガラス張りの天井をしたテラスがあり、観葉植物や美しい女性の彫像などが置かれている。
中央には真っ白いテーブルと椅子がいくつか置かれ、さながら地中海のリゾートホテルを思わせる雰囲気だった。

そこに、ルノワールの絵に出てきそうな、磁器のように白い肌をした美しい女性と、頬をトキ色に染めた少女が戯れていた。





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