星川新吉は、麹町にある大きな邸宅の門をくぐりぬけたところで、思わず足を止めた。
お屋敷であることは重々承知していた。
なにせ、世界に名をはせる松重コンツェルンの会長・松重誠一郎氏が住まう本宅なのだ。
海外からの賓客が訪れる時には、ホテルを借りずにここで晩さん会を催すとも聞いている。
ホテルよりもセキュリティがしっかりしているという理由だと聞くが、真偽のほどは新吉のような末端の社員にはわからない。

何百年、ここに生えているのだろうかという大木が等間隔に並び、城への道案内をしてくれている。
公道か?と思うほどしっかりした幅の道を、誠一郎氏はリムジンで行き来するのだろう。
新吉は、背の高い樹木の間から洩れる明かりがあったらそれが屋敷と思い、灯台がわりにしようと目論んだが、まだまだ先なのか、門を入ったばかりの場所からは、明かりが見えない。

腕時計を確認する。
夜9時にという約束だった。
あと15分。
少し早すぎたかと思ったが、この分なら家屋に着くまでに5分や10分歩くのかもしれない。

道に沿って歩き出した新吉の足元を、何かがサッと通りぬけた。
重たい気配が右から左へと移り、ピタリと止まった。
驚きを表現しないように気をつけながら、新吉が眼だけ動かして左の方を見る。
長い耳の小動物が白くうずくまりながら、目を光らせて新吉を一瞥すると、余裕綽々、闇の中に消えていった。
「おいおい、ここは東京のど真ん中だよな?」
新吉は思わず独り言を言った。

しばらく歩くと、道が二股に分かれた。
左を見ると、大きな建物が見える。
おお、あれかと近づいていき、石造りの門扉を通り過ぎ、迷わず呼び鈴を押した。
大きな扉を開けて出てきた、同年代の品の良い女性は、新吉の来意を聞くと、その勘違いを遠慮がちに笑いながら正してくれた。
「こちらではございません、お客様。ああ、会社の方でいらっしゃいますのね。こちらは使用人の家です。ご本宅はあちらに。恐縮ですが、もうしばらくお歩きください。ご一緒いたしましょうか?」
「いえいえ、とんでもない。失礼しました。」

新吉は深々と頭を下げると、慌てて玄関に背を向けた。
使用人の家?
それがこの豪邸か??
新吉は、自分の家の10倍はあろうかという大きな建物を振り仰いで、たじろいだ。
石造りの門扉に「後藤」という表札がかかっていることに、この時になって気付いた。 

道が二股に分かれていたところまで戻り、もう一方の道をしばらく進んだ。
木立が不意に切れた。
と、新吉の目に、信じられないような壮麗な建物が、視界に入りきらないほどの大きさで建っている姿が飛び込んできた。





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