煤で真っ黒になった手を洗おうとして、なかなか落ちないことに気づいた安代さんは、カズちゃんと一緒にお風呂に入ることにした。
学園のお風呂は大浴場で、シャワーがいくつも並んでいる。
教会の施設のお風呂は、普通の家庭サイズだったから、不思議なものを見るような気がする。 
カズちゃんはボタンだけ安代さんに手伝ってもらってはずすと、後は自分で手際よく服を脱ぎ、浴室に飛び込んだ。
その後ろ姿を見て、安代さんは息を飲んだ。

カズちゃんの背中一面に、うすくケロイドのような傷が広がっていたからだ。
肩と、お尻のあたりが特に濃い。
何も気づかなかったふりをして、体を洗ってあげながらよく見ると、股の間も同じように皮膚がひきつれていた。

でも、古い傷のようで、お湯が沁みたり痛がる様子はない。
煤を落とすのにずいぶんと手こずったが、なんとかきれいになると、安代さんはカズちゃんに新しい服を着せようとした。
ふと見ると、カズちゃんは大きなバスタオルに顔をうずめて小刻みに左右に動かしながら、小さな笑い声を立てている。

「カズちゃん、何かおもしろかった?」
安代さんが尋ねると、カズちゃんはビクリとしてバスタオルの中から顔をあげた。
叱られると思ったのだろうか、すっかりおびえて、唇を小さく震わせている。
安代さんは自分も裸のまま、カズちゃんの隣に膝をついて、カズちゃんのバスタオルの端に、同じように顔をうずめてみた。小刻みに顔を動かしてみる。
そして、気がついた。

「ああ、いい香り!それに、ふわふわで気持ちいい!」
安代さんは、ちょっと大げさにそういうと、ふふふ、と笑って見せた。
目を丸くしたカズちゃんは、叱られないことがわかると、うんうんとうなずいて、またバスタオルに顔をうずめた。
 
教会のバスタオルはうんと古くて、はじっこがボロボロになっていた。
みんなで使うから、いつも先に風呂からあがる誰かの滴を吸って湿っている。
洗濯物を畳む時はガサガサするだけだから我慢できるけれど、湿ってしまうと、いつも雑巾のような臭いがした。
こんなにふわふわで、乾いた、いい香りのバスタオルで身体を拭けるなんて!
しかも、安代さんに叱られると思ったのに、安代さんは今も一緒に笑ってくれている。
ここは、なんて幸せな場所だろう!!
もしかしたら、ここがいつもシスターが言っている天国なのかもしれない。
もしそうだとしたら、安代さんは神様なのかな。

カズちゃんの驚きと幸福は、おろしたての新しいシャツとパンツを身につけ、本当はひとりで着られるのに安代さんに甘えて服を着せてもらった後、手をつないで食堂に行ったときに頂点に達した。

まだ11時前だったが、朝食も摂っていないカズちゃんたちのために、学園の食堂は急ごしらえの食事を用意してくれていた。
子どもたちには就学前の子どもたち用に用意する昼食と同じものが用意された。
シスターたちは、調理員たちの昼食になる、いわゆる「賄い食」だ。

お兄ちゃんたち3人も、それぞれに身体を洗い、服を着替えて食堂にやってきた。
トレーに乗せられた食事を見て、カズちゃんと同じか、それ以上に歓声を上げた。
「これ、ほんとうに食べていいの?」
カズちゃんは、もうすっかり仲良しになった安代さんの耳もとに口を寄せ、シスターたちに聞こえないように尋ねた。

「もちろんよ。嫌いなものはムリして食べなくてもいいからね。お代わりもあるから、もっと食べたくなったら教えてね。」
カズちゃんには、学園のあたりまえの給食が、極彩色のパーティー料理に見えた。
パンと、スープと、サラダと、お豆の料理。それが普段の教会の食事だった。だから、サラダの緑以外は茶色だ。
それがどうだろう!なんてきれいなんだろう。なんて美味しそうなんだろう!! 
本当は空腹の極みだったのだ。
いただきます!と手を伸ばしかけたら、「お祈りをしてからでしょう!」というシスターの厳しい声が飛んだ。

テーブルに肘をつき、両手を組んだ姿で静かに祈り始めた集団を、学園の職員たちは不思議なものを見るような目で見つめた。
お祈りが終わるやいなや、子どもたちはトレーに飛びついた。
おいしくて、おいしくて、おいしくて、カズちゃんは思わず泣き出した。
泣きながら食べ続けた。
気づくと、お兄ちゃんたちもみな泣いていた。
それを見る、学園の職員たちも、意味を察して涙を浮かべる。
ただ、シスターたちだけは食欲もないのか、用意された食事になかなか手を出さず、気まずそうに下を向いたままだった。