スミレは、もみの木学園に帰ってから熱を出した。
風邪をひいたわけはない。いわゆる知恵熱というやつだ。
一生懸命になりすぎた証拠。
転校早々のことなので、学園ではよくあることとわかっており、周囲も落ちついている。 

知らせを聞いた教頭先生は、幸子に今日は帰宅してくださいと告げた。
けれども幸子は帰らなかった。
したいことがあった。
スミレが休みなら、心おきなくそれができる。

幸子は教頭先生にそれをお願いした。
出勤した矢口先生がすぐに幸子に気付き、飛んできた。
教頭先生から幸子の願いを聞いた矢口先生は快諾した。

朝の会が始まる前から、幸子は矢口先生の1年1組にいた。
教室の隅に座って、じっと子どもたちと矢口先生とを見ていた。
幸子は気付いたのだ。
自分が、いずれスミレが入るはずのこのクラスの子どもたちを少しも見ていなかったことに。
矢口先生がどのような授業をするのかさえ、知らないままだった。

真吾に言われたとおりだったと、改めて思い知らされた。
胃の底がジリジリと焦げる。
しかし、今大切なのは、私の自尊心じゃないわと、幸子は自分を励ました。

矢口先生の授業は、想像していたよりもずっと分かりやすかった。
それに、子どもたちにどんどん発言させる欧米的な進め方は、留学経験がある幸子にはなじみのものだったが、当時の日本では珍しかった。
先生の話はじっと黙って聞きなさいというのが、日本のスタンダードな教育方法だったからだ。
きっとこの教室から、将来意気揚々と自分の意見を主張するオピニオンリーダーが出ることだろうと思った。

さらに、理論を知っていてそうしているのか、経験からかは分からなかったが、子どもの集中が途切れる頃になると、矢口先生は話題をふと切り換えて、子どもたちの関心をもう一度かき集める。それがとてもうまいと感じた。
これならば、内容への理解が追い付けば、スミレも楽しく参加できるだろう。

1年1組は、担任の雰囲気そのままに、明るいクラスだった。
子どもたちは、矢口先生の方針が浸透し始めたところのようで、聞くべき時は聞き、騒いでいい時にはみんなそろって騒いでいる。
大人しい子ももちろんいるし、あれは利かん気が強そうだと思う子もいる。
しかし、矢口先生から聞いていた通り、教師が手を焼くようなタイプはいない様子だった。
そもそも、この松葉が丘小学校全体が、のんびりゆったりとした安曇野の空気のように、さわやかな過ごしやすい学校なのだろう。 

杞憂だったのか。
自分は何を警戒し、スミレを何から遠ざけ、守ろうとしていたのか、見つけられなかった。
スミレに噛みつかれなかったら、今日もまだ、勘違いしたまま無駄な時を過ごしていたのかもしれないと思うと、首筋に汗がにじんできて、耳たぶが熱くなった。

ひとり教室の隅で青くなったり赤くなったりしていた幸子は、見覚えのある女の子が近づいてくることに気付いた。







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