真理の話は続いた。

「幼くして重病を抱えた子どもや、その親がどんなに苦しく大変か、世間もマスコミも、そこにはいつも注目します。けど、その子のきょうだいがどれほど寂しいか、置き去りにされてしまうかには誰も気付きません。悩み事があっても、病気の子のことで忙しい親に面倒をかけてはいけないと相談すらできない子どもがいることに、大人は無関心なんです。

あんなにお手伝いができるお利口さんだから、なんでもひとりでできるわねなんて誉められても全然嬉しくなかった。私だって辛いことはたくさんあったのに。高校に入って少ししたころ、帰りのバスの中で突然気分が悪くなってしまったんです。同じ高校の人も何人も乗っていました。初めは我慢していたのだけど、どうしようもなくなって、吐いてしまいました。自分でも驚くほどたくさん、ごぼごぼと出てきて、止められなくて…。

立っていたから制服もカバンも汚れて、バスの床に吐いたものが広がって、周りの人の悲鳴が聞えました。恥ずかしくて、怖くて、でも、どうしたらいいかわからなくて。

運転手さんがバスを止めてくれました。 後はよく分かりません。
誰かが、病院に連れて行ってくれて、母に連絡してくれたそうです。
きっとすぐに迎えに来てくれるからねって、看護婦さんが言ったんです。
けど、母が来たのは、夜になってからでした。
弟がまた体調を崩して、病院に行っていたそうです。

水で拭いただけで、イヤな臭いのする制服で歩いて帰る時の気持ちは、今思い出しても言葉で説明できるものではありません。
その日から、バスに乗れなくなりました。
あんな姿を学校の人に見られてしまって、恥ずかしくて、学校にも行けなくなりました。
外に出ようとすると、心臓がバクバクと音を立てて、息ができなくなってしまうんです。」

「それは…」
祖父は何と言っていいかわからない。真理が受けた痛みは、20年近く前のことだろうに、今ここにあるかのように伝わってきた。もしも自分だったらと思う。背中に戦慄が走った。自分でも真理と同じように、学校に行けなくなったかもしれない。

「それでも、高校でしたから、通わなければ卒業できません。私は初めて、母にわがままを言いました。一緒にバスに乗ってほしいと頼んだのです。学校へも一緒に行ってほしいって。そして、それまで自分がどんなに寂しかったか、弟と同じくらい私のことも見てほしいと思ったかを、とうとう話してしまいました。」

「お母様はなんて?」
つい、祖父は先をせかしてしまった。聞かずにはいられなかった。
真理のことも気の毒だったが、祖父は真理の両親のことが気になった。自分と同じように、子どもをありのままに愛せない親が…理由はまったく違うけれども…ここにもいたと思ったからだ。

真理はほろ苦く笑った。
「ええ。母は話を聞き、一緒にバスに乗ってくれるようになりました。ただし、弟が元気な時だけでしたけどね。でも、私は、母に申し訳ないと思う気持ちだけが募って、素直に喜ぶことができませんでした。実際、母は疲れていましたし。弟がだんだんと体力をつけて、体調を崩すことがなくなったのは、その後からでしょうか。その頃には私はもう社会人になっていて、心の底には赤ん坊が母親を求めるような気持ちが残っているのに、それを母に求めるには大人になりすぎてしまいました。」


 




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