祖父は、シスター今日子の話しにじっと耳を傾けるしかなかった。
ああ、あの人はこのタイプかも知れないと思い当たる人はいくらでもいた。
何より、自分自身が当てはまる気がした。

「新ちゃん。子どもの心はね、6歳までの間はとても柔らかいの。
何でも吸い取るの。よいものも、そうでないものも。
だから、どこかで間違っても、どこかでそれを補うようなものを受け取れたら、比較的簡単に修正できるの。
臨界期って言葉、聞いたことないかな。
歩いたり、言葉を覚えたりするのには、もっとも適当な時期があるの。
それを越えても、できないわけじゃない。
でも、臨界期を越えた後はその前に比べると、ものすごく大きなエネルギーが必要なの。

スミレちゃんは、もう5歳と何ヶ月かでしょう?
すでに臨界期を迎えていると考えた方がいいわ。
ということはね、これまでに彼女が見たり聞いたり、体験したりしたことが彼女の心に巨大な穴を作ってしまっていると思った方がいいんじゃないかなって、私は思う。

心に穴を抱えたということはね、このまま成長していけば、さっき言ったみたいな、自分の心の穴埋めだけのために生きて行く、常に不安で緊張して、擦り切れるほど頑張って、なのに報われた気がしない、生きづらい人生を送る可能性が極めて高いってことなのよ。

新ちゃんはスミレちゃんを守ってあげたいと言う。
それはとても大事なことなの。
スミレちゃんにとってあなたは、最後の愛情の綱なんだから。
ずっとね、とことん愛してあげて。

でもね、そのあなたが仕事をしていて、スミレちゃんの思うようには傍にいられないのでしょう?
それに、既にスミレちゃんは、あなたに遠慮しているんじゃないかしら?」

シスター今日子の言う通りだった。
声を出して泣いたり笑ったりできなくなっているスミレ。
わがままひとつ言わず、手がかからないスミレ。
いつも家にじっといて、心配をかけないスミレ。
よく考えるまでもなく、5歳児なんてもっと落ち着かなくて身勝手で物知らずで傍若無人なものだろう。
そう、スミレをいじめた子どもたちのように。
 
「言ってくれ。シスター。俺はどうしたらいい?俺にできることは何だ?」
「まず、学校と話し合うことね。」
「話し合う?学校と!?」
「そう。今日起きたことを学校は知る義務がある。いじめの証拠となるものは全部見せた方がいいわ。それから、スミレちゃんの言葉も日時をつけてメモして。ひらがなが書けない話くらいからでいいから。」
「学校と話し合う気はなかったが…。わ、わかった。書類にまとめるのはお手の物だ。明日、担任に連絡するよ。」
「転校するにしたって、学校から書類もらわないといけないんだから、ここは冷静に対処するのよ。」
「え、転校?!」
「だって、スミレちゃんを今の場所から離れさせたいって言ったのはあなたでしょう?」
「転校、させてくれるのか!?本当か!??」

「おいおい、焦るな。勝手に喜ぶな。」
二人のやりとりをずっと聞いていた隆三が代わって話し出した。
「おまえ、今日、何曜日か気付いているか?」
「は?何だよ。水曜日だが。」
「じゃ、学校との話し合いは木・金の期間限定だ。がんばれよ。」
「お、おう。」
「で、土曜日は、こっちに遊びに来いよ。泊りがけで。」
「え?いいのか?」

「だって、スミレちゃんに会いたいじゃないの!」
受話器の少し離れたところから言ったらしい、シスター今日子の声がした。
「焦らない、焦らない。でも、手は抜くな。」と隆三。
「そうそう。こういうことは、冷静に、戦略的に、可及的速やかに!」と今日子。

祖父は、持つべきは友だと、心から思った。
小説のように非現実的な話を突然しても聞いてくれた。
言いにくいことでも、誤魔化さずに伝えてくれた。
言うだけでなく、今度は会いに来いと手を差し伸べてくれる。
このところ、自分ほど寂しくツイていない人間はいないのではないかと、肚の底が冷たくなるような気持ちでいたのだが、そう捨てたものではないのかもしれないと、力が湧いてくる気がしていた。






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