佐々木夫妻から転居のハガキをもらった時、すでにミドリの家庭が崩壊していたにもかかわらず、祖父は「児童養護施設」という単語に何の感慨も持たなかった。結婚後も長く小学校で先生をしていたはずのシスター今日子は、数年前に県教育委員会に異動したと聞いた気がする。

児童養護施設が何をしているところか、実際のところ、祖父は何も分かってはいなかった。でも、何か子どものことを守ってくれそうな、そういうプロが集まっているような印象だけが頼りだった。

「よし、よし。」
ハガキに電話番号が書いてあることを確認し、祖父は思わず声を出した。
壁時計に目をやると、20時を指している。
一瞬ためらったが、祖父はスミレの寝顔をもう一度覗き、すぐには起きそうにないことを確かめてから、玄関脇に置いてある電話へと歩いて行った。


いくつかのコールの後、電話に出たのは、自分と同年代の男性の声だった。
「佐々木さんのお宅ですか?」
自分の声を聞きながら、祖父はぎこちなく尋ねる。
「はい。佐々木です。」
「あの、東京の星川ですが。」
「え?星川?新ちゃんか?」
「そうだよ、隆ちゃん。」
「いやぁ、驚いた。どうした?久しぶりだなぁ!何年ぶりだ?」
「そうだな、あの同窓会以来だから、7年か、8年か…」

ひとしきり挨拶を交わした後、祖父は用件を切り出した。
「隆ちゃん、今、時間あるか?聞いてほしいことがあるんだ。今日子さんは傍にいるか?」
「いるいる。晩飯の片づけをしてるが、呼ぶか?」
「ああ、頼む。」
おおい、シスター、隆ちゃんから電話だよと、ふざけた声が聞こえてくる。
「今来るよ。」
「おまえの家の電話は、新しいのか?」
「ほ?ああ、新築だからな。買い替えてやったばかりだ。」
「では、俺の声をオープンにしてくれ。できるか?今日子さんと一緒に聞いてほしい。」
「あ、ああ。わかった。」
「長くなるぞ。いいか?」
「いいに決まってるだろう。好きなだけ話せよ。」

祖父は語り始めた。
ミドリが高校在学中に妊娠したこと。
父親であった哲也とはちゃんと結婚し、子育てをしたこと。
何が理由かわからないが、哲也が家庭内暴力をふるったこと。
それを自分たちは気付けなかったこと。
哲也の自殺。
哲也の両親の失踪。
ミドリの精神錯乱とネグレクト。
妻の死。
スミレの小学校入学といじめ。

最初は相槌を打ちながら聞いていた佐々木夫妻は、途中から無言になった。
それでも、全身を耳にして、受話器から流れ出る声に聞き入った。






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