その日も飛ぶように帰って学校の様子を聞いた祖父は、予想通り、胸が痛む展開を耳にした。
「きょうは、さんすう。せんせいが、ひゃくまで かぞえましょうって。みんな いえるのに、私だけ いえない…」

大丈夫だよとは、もう言えなかった。
大丈夫じゃないから、スミレはこんな顔をしている。
「勉強することが、いっぱいあるね。こういうのを『やりがいがある』って言うんだよ。」
「やりがい?」
「そう。がんばるぞ、ってこと。」
「そう…」
スミレは小さな体をなおさら小さくして、膝を抱えてうつむいている。

祖父は、そんなスミレをヒョイと抱きあげて、膝の中に座らせた。
お風呂に入るとき、テレビを見ている時、一日に一度は、そうやってスミレを抱くことにしていた。
ミドリはもう5歳だから、と言っていたが、まだ5歳なのだ。

この時ばかりは、自分の丸く突き出た腹や、肉付きの良い胸や腕を神様に感謝する気持ちになれる。
ギスギスと痩せていたら、きっと抱かれ心地も悪かろう。
「おじいちゃん…」

なんだ?という言葉をいつものように飲み込んで、黙って待っていると、スミレは
「私ね、がんばって、みるね。」
「ああ、ゆっくり、ほどほどにね。何度もやっているうちに、すぐに覚えてしまうから、あせることはないよ。」
「うん。」
「今日からお風呂の中で、100まで数えるぞ!」
「うん。」
日中の疲れなのだろうか、スミレは早くもウトウトし始めた。
抱いてやってよかったと思う。

これでいいのか?こんなことで、本当にいいのか?
祖父はまた不安に襲われる。
以前の自分なら「気合だ、根性だ、ヤル気だ、それいけ!」とばかりに励まし、けしかけただろう。
「痛みから学べ!」「同じ過ちは二度繰り返すな!!」仕事はそれでいいかもしれない。よかったはずだ。
だが…。

勉強のことばかりではない。
この子は、帰宅してから自分が戻るまでの間、何をして過ごしているのだろう。
今朝、電車の中で読んだ新聞に、宅配業者を装って押し込み、幼女にけしからぬことをして逮捕された男のことが載っていた。
そうだ。後でよく言って聞かせなければ。
鍵だけでは心もとないな。チェーンのかけかたをスミレに教えよう。

懊悩は無限のように思われた。






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