ミドリも哀れだが、それ以上に哀れなのはスミレだ。
物心も付かないうちから、両親の暴力を見続けたのだ。
この子自身は殴られなかったとミドリは言う。
しかし、実際に体に被害が及ばなければよいという問題ではない。
そうして、父親の死、母親の狂気を目の当たりにした。
さらにネグレクトだ。
それだけで終わらず、最後の頼みの綱だったろう祖母まで亡くしてしまった。

スミレは年齢の割に体が小さい。
女の子だから小柄なのだろうとこれまで気にもしなかった。
しかし、哲也も哲也の家族も、我が家も、みな背が高い。
小柄な遺伝子がそれほどあるとも思えない。

祖父がこの小柄な体に気付いたのは賢明だったと言える。
今ならば「愛情遮断性症候群」…虐待やネグレクト(育児放棄)が原因で、不安から成長ホルモンの分泌がスムーズに行なわれず、低身長、低体重になることは、どこの医師も保健師も知っている。が、比較的最近広く知られることになったものだ。

成長障害かと思ったらまず、この愛情遮断性症候群の可能性を疑ってみるようになったということは、それだけ世間に虐待やネグレクトが増えたということだろう。

そして、この子は声を出さずに笑うだけでなく、声を出さずに泣くのだ。
それに気付いたのは、この子にとっての祖母の葬儀の時だった。
棺にすがって、じっと祖母の顔を見つめている。
幼子に、人の死顔など見せてよいものかと、祖父は迷った。
しかし、この子にとって、大切な肉親であることにかわりはない。
最期の別れぐらいさせてやりたいと、妻のためにも思った。

あまり長いこと動かないので、葬儀の参列者は、その小さな背中に涙を禁じえない。
この家庭の秘密を、ひそひそと語り合う者もいる。
祖父は、スミレの背中にそっと手のひらを沿わせ、小さく声をかけた。
「さあ、おばあちゃんとお別れだよ。」
振り向いたスミレの顔は、涙でぐしょぐしょになっていた。
祖父が驚くほどに、ずっと前からスミレは泣いていたのだ。

祖父はスミレを片手に抱きあげた。
スミレは泣き続けている。
しかし、嗚咽一つあげない。

なんと悲しい泣き方をするのだろう。
前からこんなだったろうか…
いや、違う。
彼は思い出していた。ミドリが暴れるようになった頃から、この子はよく腹痛を訴えるようになった。痛いと言わずに丸まっているから、祖母はずいぶん心配した。けれども、祖母に気付いてもらい、抱きしめられるとワンワン泣きだした。「ごめんね、すぐに気付かなくて。痛かったね。」妻が声をかければかけるほど、泣きに泣いた。
そうだ、あの時は声を出して泣いていたではないか。

来月には小学校に行かせるのだ。
こんなに小さな、傷ついた子供に集団生活などできるのだろうか。
不安が黒雲のように押し寄せる。
しかし、この子だけは守らねば。

そのためにも、早く答えを出さなくてはならない。
いったい、なぜ、こんなことになってしまったのだ。
祖父は考え続けた。






ポチッと応援お願いします